「○について」

まず「○」とは何か。
ここでの「○」とは、同一性や、論理的な意味での存在の事だ。
同一性が無ければ存在できないし、同一性は「同一性が存在する」という意味で必ず存在する。
その意味でこの二つは背中合わせの関係を持ち、これを合わせて「○」の性質と考える。

ここでは整理するために、「○」の「同一性」の側面を「○の内側」と呼ぶ。
「○」の「論理的な意味での存在」の側面を「○の辺」と呼ぶ。
その「○」じゃないもの、つまり「客観的なもの」を「○の外側」と呼ぶ。
※ちなみに「○の外側」は集合論における全体ではない。

日本語では
「n」が「○の内側」を、
「d」が「○の辺」を、
「k」が「○の外側」を表している。

例えば「優雅な犬」の「優雅」は「犬」の要素としてある。
その意味で「n」は「○の内側」だと言える。

「優雅な犬だ」とすると、「優雅な犬」の存在に着目しているのが分かる。
その意味で「d」は「○の辺」だと言える。

優雅な犬が「優雅な犬か」と言ったとして、「優雅な犬だ」とか「優雅な犬な自分」より突き放したような印象がある 。
客観的に「優雅な犬」でしかない自分、みたいなニュアンスだ。
その意味で「k」は「○の外」だと言える。