この>>338に対して、君の批判は「正当な数学的な論理による式変形の後の0p=0でないと意味がない」
というものだったが、これは批判として成立していない。

0p=0 という数式だけではなく、0p=0 に至るまでの過程を全て加味した上で初めて
「 p は不定である 」という主張が出てくるのなら、君の言っている批判は成立する。

しかし、実際には、君は 0p=0 という数式だけから「 p は不定である 」と言っているのである。
つまり、0p=0 に至るまでの過程は全く加味していないのである。とにかく 0p=0 が導出できさえすれば、
そこに至るまでの過程とは無関係に、「 0p=0 」という数式だけを見て、君は「 p は不定である 」と
言っているのである。

だったら、いきなり 0p=0 と書いてしまえばいい。ゼロに何を掛けてもゼロなのだから、
どのタイミングで 0p=0 と書いても正当である。そして、0p=0 に至るまでの過程は加味しないのだから、
0p=0 を書いた時点で「 p は不定である 」と言えばよい。

よって、>338の議論は、君の理屈の上では完全に正しいはずで、君は>338に反論できていない。

それでもなお、>338は正しくないと言うのであれば、君は無意識のうちに、0p=0 だけではなく、
0p=0 に至るまでの過程を全て加味した上で「 p は不定である 」と言っていることになる。
つまり、君にとっては、0p=0 という数式だけでは「 p は不定である 」とは言えないことになる。
しかし、君は 0p=0 という数式だけで「 p は不定である 」と言っている。どちらに転んでも滅茶苦茶。