>>465
>ゼミで代数多様体についての輪読をしたとき、それがマンフォード『代数幾何1』のほとんど最初のほうであるにもかかわらず、何も理解できないまま、夜な夜な英語の文面を呆然と見つめていたものだった。
>可換環論が当然の前提知識となっており、それを理解しようとすると、その前提にはもっと初歩の代数系や集合論(ツォルンの補題など)が利用されており、それを紐解こうとすると、「無限後退」に陥るような気持ちになって、目眩がした。
>「生まれ直すしかない、いや、生まれ直しても間に合うまい」という悲観が心に渦巻いた。このようにして、ぼくは、数学科の落ちこぼれになった。

> でも、のちのちに、このときのぼくの認識は大間違いだったことがわかったのだ。当時のぼくがいけなかったのは、「数学を、目の前にある本や、講義のノートの、そのままの字面から理解しようとする」ことから一歩も外に出ようとしなかったことだった
>ぼくは、「数学を理解する」という行為を限定的に閉じ込めてしまい、もっと広い外界にアクセスしなかったことが災いしたと気付くことになった

矛盾するようだが・・・、精読と速読と両方要る・・・、語学と同じかも・・・
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Articles/hint.html
数学の学び方に関するヒント
――数学科の学生の皆さんへ――
黒木 玄 (東北大学大学院理学研究科数学専攻)
(抜粋)

まず、これは何度も強調していることだが、正攻法は、数学の良い本を一冊選び、それを熟読することある。そのために適した本は、論理的な説明が詳しく書いてあって、しかも重要な例に関する説明がしっかり書いてあるものである。
一つ以上の分野を完全に修得するためには、このような勉強の仕方が不可欠である。講義や演習の単位を取るためだけに、あまり面白くもない純粋に教科書的な本の一部をつまみぐいするという類の勉強の仕方も、ときには必要ではあるが、そのような勉強の仕方のみでは決して深い理解を得ることはできない。
最近、そのような勉強の仕方をしている学生が大勢になっているように感じられるので、数学を楽しんでいる私は大変残念に思っている。

つづく