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数学基礎論・数理論理学 その17 [無断転載禁止]©2ch.net

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0001132人目の素数さん
垢版 |
2016/08/30(火) 19:43:58.39ID:evqgj3ZF
数学基礎論は、素朴集合論における逆理の解消などを一つの動機として、
19世紀末から20世紀半ばにかけて生まれ、発展した数学の一分野です。
現在では、証明論、再帰的関数論、構成的数学、モデル理論、公理的集合論など、
多くの分野に分かれ、極めて高度な純粋数学として発展を続けています。
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも若干の個人差があるようです。)
応用、ないし交流のある分野は、計算機科学の諸分野や、代数幾何学、
英米系哲学の一部などを含み、多岐にわたります。
(数学セミナー98年6月号、「数学基礎論の学び方」
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/intro.html
或いは 岩波文庫「不完全性定理」 6.4 数学基礎論の数学化 などを参照)

従ってこのスレでは、基礎的な数学の質問はスレ違いとなります。
他のスレで御質問なさるようにお願いします。

前スレ
数学基礎論・数理論理学 その16
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1435492940/
0137132人目の素数さん
垢版 |
2016/09/09(金) 00:26:09.43ID:ldcXxrQT
相変わらず基地外が湧いてたみたいだけど、俺の蔵書の基礎論の棚を「基礎付け」「基礎づけ」でググると、

> 彼の最後の数学論文であり,それまでの研究の総決算ともいうべき『超限集合論の基礎付け」 (1895 -97)の巻頭に,「私は仮説をつくらない」というニュートンの言葉がおかれているのも象徴的である.
> また,彼は『広延論J (1944)において線形代数学の諸概念(線形独立性,次元など) を厳密に定義し,数学全体を線形代数的概念のもとに基礎付けようともしていた.
> しかし,この時点では実数論あるいは実数論を基礎付ける集合論などはまだ完全に公理化されていない.
> フレーゲは伝統的な意味での論理学によって算術の諸法則を基礎付けようとした.
> 以来ヒルベルトはやや間隔をおいて,とくに後半生はもっぱら,数学の基礎付けに関わった.
> 内田良道. 数学の新基礎付けについて
> 後でゲーデル1 のなかに「プリンキピア・マテマテイカ* 1一本21 に含まれる基礎付けにはきっちりとした形式化(formal precision)が大きく欠けている」という文章を見つけて,むべなるかなと思った次第である.
> 近藤基吉: 数学の経験主義的基礎付けについて
> なお前原( 1979)はゲンツェンの自然数論の無矛盾性証明の意義について熟考し「直観主義的自然数論の基礎付けには命題の真偽により一層の精密な定義を与えることが必要であり,ゲンツエンはそれを実行したj と分析したが,
それに関連してゲーデルのダイアレクティカ論文は「直観主義的自然数論の命題の真偽に一つの解釈を与えたものjと述べている24).
> この会の報告ゲーデルの還暦を祝うというサブタイトルをもった『数学の基礎付けj という本[Bulloff et al. 1969]には冒頭にプリンストン高等研究所所長オッペンハイマーの祝辞とゲーデルの挨拶がある.
> ゲーデルの不完全性定理が現れる直前の一時期,ヒルベルトのプログラムは,数学の基礎付けという哲学的問題を, 古典数学の形式化された体系の無矛盾性の証明といっ数学的課題に転換することに成功したかのようにみえた.
0138132人目の素数さん
垢版 |
2016/09/09(金) 00:26:28.12ID:ldcXxrQT
> だが,数学についての一般的なお話をするのではなく,数学者自身によって試みられた基礎付けの企ての具体的な細部にまで付き合おうとした点で, 1930 年代後半に書かれた近藤の一連の論文は先駆的なものであったと言えよう.
> 「論理と数理」,「空間J ,「数学の哲学的基礎付けj がそれである.
> (4)形式化される数学の基礎付けを, その形式的体系のなかで矛盾が出ないこと,すなわちその体系が無矛盾であることを有限の立場で証明することによって遂行する.
> 「ゲーデルの定理によって数学の基礎付けについての私のプログラムがダメになった」という意見は完全に誤りであることが判明した.
> 私の印象では1950 年代までは数理論理学者(ロジシャンと呼ぼう) の主な関心事は「数学の基礎付け」であった.
> しかし現在では「証明論」はヒルベルトが意図したものよりも広い,というより,数学の基礎付けという「数学についての観察的視点J から,「数学の形式的体系を研究対象とする数学J になっている.
> それは,数学の基礎付けというよりは, 形式的数学体系と無矛盾性証明手段である順序系についての数学的研究という側面が強い.
> そうして, ゲーデルの不完全性定理の誕生によって, 証明論は数学の基礎付けという束縛から解放され,数学の形式的体系の数学的研究,という新しい生命を吹き込まれたのだ.
> 実際に読んだのかどうかはともかく, 「ビショップの本が出たのだから,もう数学の基礎付けは不要である」という説を唱える人もいた.
> 数学の基礎付け,という発想は皆無といってよい.
> 証明論と同じように,数学の基礎付けという脅迫観念から解放された後に自ずと発生したものではないだろうか.

以上『ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)〈1〉ゲーデルの20世紀』より
0139132人目の素数さん
垢版 |
2016/09/09(金) 00:31:46.07ID:ldcXxrQT
> 数学の基礎付けの観点から1 I情論理の重要性を強く意識し, 最初にその公理系を規定したのは20 世紀前半を代表する大数学者ヒルベルトで
ある.
> よってフレーゲは,全算術をその上に基礎付けるに足る強力な論理学そのものを独力で構築しなければならなかった.

以上『ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)〈2〉完全性定理とモデル理論』より

> この企てを広く捉えるならば,それは数学の基礎付けに関するつぎの問題に帰着する.
> また,それらは数学の基礎付けに関する何らかの立場に対応する体系とみなされる場合がある
> このように,逆数学は20 世紀以後発展してきた数理論理学の成果を利用して,形式体系において数学がどのように形式化されるのかという,数学の基礎付けに関する問題意識に結び付く問題に現代的な立場から明確な答えを与えようとする試みであるともいえる.

以上『ゲーデルと20世紀の論理学 3 不完全性定理と算術の体系』より

> その講演メモによると,数学の基礎付けは,なるべく簡明な公理系の設定と,その公理系の正当化(justification )の二つの部分とからなるとし,前者は累積的階層をモデルとしたZF 集合論で達成されているという.
> 1) 逆に,ある数学理論が集合論の中で展開できないときには,その理論の基礎付けに関する別途の考察が必要となるであろう.
> カントルの最後の数学論文である「超限集合論の基礎づけ」( 1895-97) では,超限順序数論としての集合論が系統的に展開されている.
> 講演は,数学の基礎づけという問題を二つのサブ問題に分けることから始まる.
> (4)数学に基礎づけを与えるという問題( ここで,数学ということで私が意味しているのは,数学者が現に用いている証明方法の
総体,ということですが),この問題を二つの異なる部分に分けて考察することができるでしょう.
> 正当化というのはつまり,公理がお互いに合致し,また経験的事実とも合致するような結果をもたらすという事実に理論的基礎づけを与えることです.
> 以上の六つの要件を満たすような仕方で数学を統語論として解釈できるならば,規約主義は支持され,数学的直観を用いることなく数学を基礎づけることができるだろう.
>

以上『ゲーデルと20世紀の論理学 4 集合論とプラトニズム』より
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