「紅灯の海」

「奥さんに怒られませんか…?!」「なあに、タクシーさえ使わんかったら大丈夫、
ちょっと、知り合いの店があんねん。もうちよっと、つきあってえ−な…」
仕事帰りのサラリーマンたちの会話が聞こえる。俺はそんな夜の繁華街を歩いていた。

オレンジ色の看板に赤提灯。... 近づくにつれて焼き鳥の香ばしい香りが俺を誘う...
開けっ放しのドアから暖簾を潜り入る。「へい、いらっしゃい!」と出迎えてくれる店員。

おしぼりを持って来てくれた店員さんに「中生、お願いします」とオーダーをする。
そして壁に貼ってあるメニューを眺める... ほどなくして注文した生が到着した。
そのタイミングで店員さんに「ハツ、カシラ、砂肝を一本ずつ」と一先ず注文する。
 「タレ? 塩? どうされますか…?!」「う〜ん... タレで」

暫く、その店で飲んでいると、明らかに昔は相当やんちゃしたんだろうなという
40代くらいの厳つい男が入って来て、俺の隣に座った。

その歩き方と口調、眼つき。ちょっと肩を揺らして店に入ってくる感じと謎の
ヤンキー歩き... そしてちょっと、下から上目遣いで人を見て、
「俺はよぉ〜」って感じのあんちゃんだった。

初対面だったが、何故か不思議と意気投合した。以外と気さくな奴だった。
話を聞くと、近くの市場で働いていると言う。子供の頃は汚い、臭いで、
親がここで働いていると友達に言えなかったと言う。

そんな彼も何故か、子供の頃、あれほど嫌がっていた親父と同じ職業に就くように
なったと言う。あれほど嫌がっていたゴムエプロンにゴム長に、ねじり鉢巻き。
魚を扱っているわけだから、そりゃ当然、魚臭い。生臭いマグロの仲卸。

マグロの解体職人。今では、そんな自分に誇りをもって仕事していると言う。
「昔は、やり直しやり直しで、何度も怒られたけど、今は本当に感謝している。
俺、怒られる方が好きなんだよ。構ってもらっているようで...」

彼はここの強烈な縦社会に放り込まれ、そこで腕を磨く技術で生きていくことを
教えてもらったのだった。怒られることで目をかけてもらっている。

気に入ってもらっている。怒る人は、自分のことを一番に考えてくれる。
ありがたいと言う。そんな彼の気さくな身の上話に花が咲いた夜だった...