朝起きるとあっちこっちが壊れている。
みんな笑いながら瓦礫を避けていつもどおりに登校する。
(うぉ、すげえw何これw何事ww)
自分は学校(施設?)で子どもたちの面倒を見ている。
時計が落ちて壊れている。壁が崩れている。床が割れている。
いつもどおり子どもたちと遊ぶ。レディ・マドンナを歌ってあげる。
(レディ・マドンナ、子どもたちが多すぎて いったいどうやってやりくりしよう?)
歌ってからふと時計に目をやると、壊れていたはずの時計が動き出している。
自分は、無意識に魔法を使ったんだろうかと思いながら、直った時計をもとどおり壁にかける。
しばらくして、崩壊の規模が予想以上に広範囲で、国家レベルの被害であるとわかる。
魔法の使える人間は、こぞって修復の旅に出る。瓦礫の山は有志の魔法でどんどん元の姿に戻っていく。
だけど、魔法で新品のように綺麗にしても、なぜかすぐに崩壊して瓦礫に戻ってしまう。
学校の壁にかけたひび割れた時計だけは、しかし、壊れることなく動き続けている。
そんなある日、子どもたちのうちの一人が誕生日を迎える。
ケーキを焼いて、職員も他の子どもたちも集まって誕生会をする。
部屋はやっぱり壊れて崩れかかっている。壁の時計は動いている。
みんなで誕生日の子のためにハッピーバースディを歌う。
途端、崩れかかっていた部屋が一気に修復する。
魔法で直した時のようにまっさらではないけれど、不恰好ながらも部屋としての体裁は保つ程度に修復される。
驚きながら、みんなで残った瓦礫の欠片やガラスの破片を片付ける。

誰からともなく、歌で崩壊は修復されるらしい、といわれるようになる。
それも「誰かのための歌」が一番効果があるのだと。
魔法を使って修復に奔走していた人たちも、歌を歌うようになる。
歌では魔法のように綺麗には直らないので、みんなで協力して片付けたり、手で修繕を加えたりする必要がある。
街はどんどん修復されていく。人はどんどん歌を歌うようになる。
いつしか崩壊の痕はどこにもなくなる。もう歌で修復すべき場所はない。
しかし人々は歌い続け、その国には誰かのための歌があふれ、魔法はほとんど忘れ去られ、生活はほんの少しだけ不便になる。
そして二度とその国が瓦礫に覆われることはなかった。

おわり。で目が覚めた。たぶん地震と復興の夢…なのかなぁ