Voice 2019年2月号
移民問題は「リベラル」の幻想を超える 岩田 温
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 ダグラス・マレーの『西洋の自死』(東洋経済新報社、町田敦夫訳)は、ヨーロッパの移民問題についてミネルヴァの梟が
飛び立とうとする様を克明に綴った力作である。
 第二次世界大戦後に、ヨーロッパ各国は外国人労働者の入国を積極的に認めてきた。労働力不足を補うためである。彼らは
「労働力」を求めていたが、移民はたんなる「労働力」ではなくそれぞれの宗教や文化に根差した価値観を持った人間であった。
彼らは周囲に同化することなく、独自の価値観を保ったままヨーロッパに存在し続け、その数は増加している。
 マレーが恐れるのは「大置換」だ。すなわちヨーロッパの住民の数が減少する一方で、移民の数が増加し、いずれの日か
ヨーロッパの多数派は移民であり、従来のヨーロッパの住民の数が少数派となってしまう「大置換」が起こるのではないかと
いう恐怖である。

 価値観が相違する人びとが共に暮らすことは難しい。「多文化共生」はリベラルな価値観が至上の価値観であり、普遍的な
価値観であるとの前提で成り立つ思想だが、そうした前提を拒絶する人びとにとっては無意味以外の何ものでもない。「私には
私の価値観があり、あなたにはあなたの価値観がある」と認め合える者同士は共存の可能性がある。
 だが、「われわれには従うべき法は一つのみだ」と考える人と共存していくためには、こちらが相手の主張を全面的に受け入れ
るか、そうした考え方を捨てさせるしか共存の可能性はないといってよいだろう。「多文化共生」と口先で語るのは自由だが、
実践するのはきわめて困難だ。
 2010年10月、メルケルのポツダムの地における演説は画期的な意味があった。

「私たちは『彼らは永住しない。いつかはいなくなるだろう』と考えたのです。でも現実は違いました」(前掲書、158頁)

「多文化社会を築き、隣り合わせに暮らし、互いの文化を享受するというアプローチは、言うまでもなく失敗しました。完全な
失敗です」(前掲書、159頁)

(続く)