文藝春秋 2019年2月号
移民問題の核心は「三世リスク」だ 舛添要一
ttp://bunshun.jp/articles/-/10308
 外国人を受け入れるには、大きなリスクと莫大な社会的コストが伴います。早くから移民を受け入れてきたヨーロッパの
国々はその後どんな道を辿ってきたのか。今回の法律を見る限り、その教訓は活かされていません。日本は、ヨーロッパと
同じ轍を踏もうとしているのです。
 私は、20代〜30代だった若い頃、ヨーロッパの国々で研究生活を送り、移民についても調査していました。改正入管法の
成立によって未来の日本はどうなるのかを分析してみたいと思います。
 私は「もう今以上に外国人に門戸を開くべきではない」と考えています。そもそも野党が指摘する「共生社会」は単なる
綺麗ごとで、理想論でしかありません。言葉も習慣も異なる彼らを日本社会に統合することは想像しているよりも遥かに
難しいことなのです。

 同じく外国人受け入れ容認の立場でも、立憲民主党を中心とする左派の野党が唱えるのは、理想主義的な「バラ色の夢」
です。彼らは、外国人を単純労働者と見なす経済界を「人権無視である」と批判します。外国人との共生社会を形成し、
日本を多元性能のある豊かな文化の国家にすべきと考えている。分かり易く言えば、最近の芸能界やスポーツ界のような
世界を想像しているのです。

 移民による具体的なリスクは何が考えられるでしょうか。…(略)…
 それは「移民三世リスク」です。
 ヨーロッパに留学していた時代、私は現地の経営者たちによくこう言われたものです。
「日本人は知恵がある。なぜなら、欧州は高度成長期に外国人労働者を入れたが、日本は産業用ロボットを開発したからだ。
ロボットと人間の違いは何かわかるか? 第一には子供を産まない。第二には労働組合を作らない。ロボットは開発コストが
かかるが、その後のコストは一切かからないだろう。移民はその逆だ」
 彼らの言葉は正鵠を射ていました。それから約40年後の2010年代後半、ヨーロッパ各国でテロが頻発しました。

(続く)