https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10176590995
neozengakurenさん2017/7/1300:40:19
聖徳太子はソンツェンガンポか?
鎌倉時代以前の日本史は信用出来ないです。夢殿は遊牧民のゲルです。
元平合戦、文永の役、弘安の役の三度のモンゴル軍侵攻によって植民地支配された日本に置かれたのが鎌倉幕府です。
冷静に考えてもたった700人(一番誇張された物は25万とか荒唐無稽なもの)の北条軍が15万人の元寇に勝利したというのがあり得ません。
ソンツェンガンポはモンゴル経由で日本に入った中国の偉人で聖徳太子はこれのパクリです。よって聖徳太子は実在しません。
南宋人主体の元寇撃退し捕虜は全て斬った筈の九州に何故か南宋様式城郭である鬼城が28ヶ所もあり神風が真っ赤な嘘だと証明しています。
三宅島の神着王葬山の頼朝の墓地は何故か蒙古王の墓となっています。
津軽の子守り唄「寝ねば山からモッコが来る」というのがあるがこれは博多で水際防衛したというのは
大嘘で日本本土も元寇によって何度も蹂躙されており鎌倉幕府の植民地支配も相当長く続いていた事を表すのです。
後醍醐という名前だってどう読んでも日本人離れしたモンゴル風の発音です。
よって南朝や源氏はモンゴル軍の末裔です。
八幡神社は元寇の傷痕を隠しているのでは無いか?八幡神はジンギスカンだったのでは無いか?
八幡は満州族の八旗制度がモデルです。元寇以前に八幡は存在しない。
元軍の拠点や隠れ家や元軍に攻撃された場所や戦場を八幡神社と嘘をついているだけでは無いのか?
治承物語、太平記、方丈記等のモンゴル軍の鎌倉幕府を伝える史書は焚書され、源氏のプロパガンダである当時の大衆小説の平家物語が一般には流布されました。
鎌倉時代以前の日本の歴史書は疑わしいので教育現場から即刻排除すべき!
モンゴル侵攻前にサムライは日本に存在しません。日本サムライの鎧にソックリなモンゴルの鎧↓