ソンツェン・ガンポまで持ち出すとは通だなwww 

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13176547218
neozengakurenさん2017/7/1123:22:27
朱元璋が元を滅ぼすまで日本は元の属国だった可能性はあるか?
神風で勝ったのは本当は日本では無くて元では無いか?
源氏の正体は日本に侵攻し鎌倉幕府を打ち建てたモンゴル軍では無いのか?
(略)
証拠ならいっぱいあります。
日本の聖徳太子はモンゴルやチベットのソンツェンガムポ伝説に瓜二つです。


ソンツェン・ガンポ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%9D
ソンツェン・ガンポ(581年? - 649年もしくは650年)は、古代チベットの王(在位593年 - 638年、643年 - 649年もしくは650年)。
チベット初の統一王国(吐蕃)を樹立し、チベットに初めて仏教を導入した人物として知られる。
本名はティ・ソンツェンであり、ソンツェン・ガンポは後世の人間による尊称である。
漢文史料では、松賛岡保、棄宗弄讃と表記される。

620年ごろにソンツェン・ガンポは官位十二階制度を設置した。従来は王と氏族の長が定期的に君臣の盟約を更新
していたが、十二階制度を設置した後は氏族長の一族に身分を保証することと引き換えに永続的な君臣関係を構築した。
このため王は氏族長の下にある土地と民衆を一括して管轄することが可能になり、国の統一が強化された。
ソンツェン・ガンポが導入した官職制は日本の冠位十二階制度との共通性が指摘されている。