日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2014/04/29/174825
蝦夷の生活様式と風貌、それに気質を調べますと、どう見ても匈奴

日本武尊の東征に際し、景行天皇は次のように仰せになった
「いま東国に暴れる神が多く、また蝦夷が全て背いて、人民を苦しめている」
「かの東夷は性凶暴で、陵辱も恥じず、村に長なく、各境界を犯し争い、山には邪神、野には姦鬼がいて、
往来もふさがれ、多くの人が苦しめられている。その東夷の中でも、蝦夷は特に手強い。男女親子の中の
区別もなく、冬は穴に住寝、夏は木に棲む。毛皮を着て、血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥
のようで、草原を走ることは獣のようであるという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。矢を髪を束ねた
中に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔の時をねらって作物をかすめ取る。
攻めれば草にかくれて、追えば山に入る。それで一度も王化に従ったことがない」
この一文の中で、東日本の蝦夷が匈奴であるとの仮説に、最も信憑性が感じられるのが「血を飲む」という情報です。

ルーマニア地方は、紀元5世紀頃、スキタイという騎馬民族の居住地だったのですけど、このスキタイは、血を飲む風習を持ってた民族なのですよ。
スキタイ・サカと同じ風習を持っていた匈奴は、この血を飲む文化も踏襲していたとしておかしくないということになりそうです。

前方後方墳というのがありまして、四角と台形がくっついたものです。これは東日本を中心として特に多く分布しています。
実はこの前方後方墳は、日本固有の形態ではなかったのですね。韓国にも北朝鮮にも無く、ではどこに原型があったかというと、
モンゴルに、ノイン・ウラ遺跡というのがあり、匈奴の積石墓(ノヨン・オール24号墳)があるのですが、これが誰が見てもまるっきり前方後方墳の形状をしてると分かるのです。