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明治11年、北海道を調査旅行したシーボルトの次男が『蝦夷見聞記』に詳細を記録しています。

●韃靼の海岸に漂着し、1703年に帰国した日本人が、北京の朝廷で義経の肖像を見たというが、それはチンギス・ハンの肖像画だった
●中国の史書には、1189年、テムジンが「汗(ハン/カン)」に承認され、チンギス・ハンとして白い旗を掲げたとある。
白い旗は源氏の象徴だ し、「カン」は日本語の「守(かみ)」からきたものだ
●テムジンと義経は同い年である
●モンゴル帝国の風習は和風のものが多く、また、日本風の長い弓矢が初めて使われはじめた

「義経=チンギス・ハーン説」を定説に変えたのが、大正13年(1924)に大ベストセラーとなった小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』です。
ある日、小谷部はモンゴルでラマ教の高僧に出会い、「『源義経汗』を発音してみよ」と頼みます。
すると、高僧は日本風の「ゲン・ギ・ケイ・カン」ではなく「チン・キ・セー・ハン」と発音したのです。
まさに「チンギス・ハーン」と聞こえます。

小谷部は、探検家としてもっとも奇異に感じたことを、『成吉思汗ハ源義経也』にこう記しています。

《東部西比利亜(シベリア)、及び満洲等を旅行して、彼(かの)地に日本式の古き神社の在(あ)ること、
及び笹竜胆(ささりんどう=源氏の家紋) の紋章を用い居ると、かつ満洲人に姓を源と名乗る者の多きを賭聞する》

この本には、ほかに

●ジンギスカンとなった「テムジン」は「ニロン」族の出身だが、これは「日本」族の「天神」のなまりである
●チンギス・ハーンは別名「クロー」と称したが、これは「九郎判官」である
●モンゴル帝国の「元」は「源」から来ている
●モンゴル文字に平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する
●相撲、乗馬、緑茶、服など共通の文化が数多い
などなど、多くの傍証が記されています。

実は、幕末から明治時代にかけては、「義経はモンゴル帝国を作った」ではなく、「義経は清朝を作った」という話が信じられていたのです。