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第12章 聖徳太子の正体〜アルメニア教会
1.タリシヒコとは
『隋書』に安毎多利思比狐(アマタリシヒコ)と記される倭王こそ、聖徳太子の年代にピッタリ重なる
「タリシヒコは、イスラエルのユダ族と血縁があった突厥なのです」
「えー、トルコの王ですかー、ユダ族の血縁の…」瞳は目を丸くした。

2.突厥とタリシヒコ
隋の時代のトルコは突厥(とっけつ)と呼ばれていた。隋にとっては目の上のたんこぶのような存在で、
事実、隋を滅ぼした李淵は遊牧系鮮卑(せんぴ)族の出自で、東突厥の力で唐を建国したとされている。
対して、西突厥の王である可汗(ハーン)の達頭(タルドゥ)が聖徳太子である、というのが小林説である。
中国を支配した鮮卑の国としては北魏が有名である。なお、鮮卑には六つの有力部族があったが、
その一つにイスラエル12部族のダン族と思われる段部がある。
「実は、護雅夫著『古代遊牧帝国』中の竹内和夫説によれば、突厥の名前は九を意味するtokkuzの
可能性もあるそうです」
「そればかりじゃありませんよ。突厥のブグト遺跡の石像は、飛鳥の石像にそっくりなのです」
『北周書』では、突厥の名前は鉄の兜だと考えられていたようです。チュルク語や新疆ウイグルの言葉で、
兜はTulgaですから、敦賀の語源となりますね」
「福井県の敦賀は突厥の兜ですか…。ますます突厥が重要になりますね」