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聖徳太子は中央アジアから来た・・・西突厥の王族だった? 2015-07-14
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2015/07/14/043648
小林氏によれば聖徳太子の正体は、西突厥の王族、達頭という人物だったということなのです。
「廐戸」って変な名前ですが、なんでこの漢字じゃないといけなかったのですかね。実は、
「廐」は音読みで「キョウ」と読むのです。「戸」は「と、ど」ですが。
そうすると、「廐戸皇子=キョウド皇子」になるのですよ。
キョウドと言ったら「匈奴」のことなんですが。
つまり廐戸皇子は、匈奴皇子の異名を持っていたのではないかと。それを廐戸の字で誤魔化している
ふうでもあります。まさか聖徳太子が匈奴人だった?(いいえ違います)
それから、聖徳太子の「聖」ですが、これは古訓で「サカシ」です。
サカ+カシで、「サカ」と「月氏」という中央アジアの遊牧騎馬民族の名前が含まれてるではないですか。
すると、
「徳」は現在の日本語ではtokuで、紀元1世紀前後の漢の時代の音に近いのは「tok」でした。これを
踏まえるすと、さらに答えに近づく気がします。
突厥というのはturkから派生した名称なのですが、そうすると突=tur 厥=kなのですよね。つまり
徳(to-k)は、突厥(tur-k)の音が反映されてるのではないかと。
「聖」にはサカ、月氏の情報、「徳」には突厥の情報が、「厩戸」には匈奴の情報が含まれてたんですよ。
いずれも中央アジアに君臨した歴史的国家でしたので、聖徳太子=厩戸皇子が何処から来たか?
を2つの名前によって暗示してたんではないかと・・・。妄想ですけど。