https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1095428475
神社と神宮の違いを、明確に言える人が少なくなってしまいましたね。
神社は神様を祀った社のこと、神宮はもともと貴人(皇室関係者)が住んでいた宮の跡に、没後その貴人を祀った場合をそう呼んでいました。
しかし現在では、朝廷と関わりが深い神社を特別に神宮と呼ぶ、と認識している人が多いようです。

神社の最も古い呼び方は、比売許曽(ひめこそ)です。
巫女神道(皇室神道)のルーツとなった高句麗のオボ(塚)信仰(古墳や霊山の信仰もオボ信仰)の用語なので、
現代人には意味が分からないですよね。
比売許曽という高句麗語を日本語に直訳すると、姫社となります。姫を祭った神社という意味です。
比売許曽神社という名が付いた神社がありますが、これは高句麗語という認識や、その意味が見失われた結果、
後世の人がイラナイ単語を付けてしまっているのです。
『姫』だけでは、誰を祀っているか、普通の人には分からないですよね?
じつはこの姫は、姫の代名詞のような人物を指していたので、昔の人は誰も迷わなかったようです。

日本書紀の用語を解説した平安時代成立の『日本書紀私記』という講義録のなかで、生徒が
「この国が姫氏とよばれるのはなぜか?」と質問したら、講師が「始祖の天照大神が女神で、
神功皇后が女帝だったから」と答えています。つまり、皇祖神天照大神のモデルになった姫の一族の
祖先が祀られているのです。比売許曽の姫は神功皇后やアカルヒメではないかと言われています。
朝廷が奈良の歴史があるどの神社よりも真っ先に、正一位の格付けを与えた、日本一格式が高い?
香春神社には、神功皇后と渡来神のアカルヒメが同体であることを示す伝承が残っています。
つまり、比売許曽の姫は天照大神と呼ばれるようになる以前の、皇統を生み出した母系集団の祖先、
日の巫女の王(後の斎王)を神格化して祀ったものだったのです。神宮という言葉は、高句麗語から
漢語へと移行して以降の新しい呼び方なのです。