0022名無しさん@お腹いっぱい。
2017/10/29(日) 05:22:48.35ID:Yf/NGiuhhttp://bcndoujimaru.web.fc2.com/fact-fiction2/Liberalization_of_the_Left_and_Rise_of_the_Far-Right.html
突き止められた基本的な問題は、左翼が、かつては労働者階級の人々の日常的な関心事を政治プログラムの最先頭に掲げていたのだが、
いまやリベラルになってしまったという点である。
ネオリベラリズムが主導権を取るにつれて、左翼の主要政党とその代議士たちが経済的な改革からその注意を背け、
その代わりに文化的戦争をやり始めた。公的所有と真の意味の平等主義は消え去り、アイデンティティ政治(*)が入ってきた。
「寛大さ」が話題となり「搾取」は話されなくなった。
左翼がリベラルになって、文化戦争(多文化主義、同性愛、女性、少数者の権利)に専念し
肝心の格差や労働問題がわすれさられた。
労働者階級を、犠牲者集団に分裂させることで、アイデンティティー政治は、
戦争や所得不平等に反対するのを不可能にした。団結の代わりに、
アイデンティティー政治は、労働者階級は分断され、エネルギーを内紛に向けている。
分断化された社会は、エリート支配層による圧政に気づかず、抵抗することもできない。フェミニズムは、妻と夫を、互いに補完する存在から、ライバルに変えた。
ネオリベラルが主導的地位を握る時代では、社会主義的な視点からリベラル左翼を敢えて攻撃する者なら誰でも、
支配階級の見張り番どもに「スターリン主義者」あるいは「極右」とすら言われて告発されると覚悟しなければならないだろう。
1945〜79年に存在したはるかに公正な経済政策への回帰を訴えることすらとんでもないものとみなされる。
「リベラル右派とリベラル左派のメディアは、福祉、多文化主義や税制のような事項に対するアプローチの仕方で区別がつけられる。
しかし本物の左翼政治(社会民主主義的大きな政府論)のような何かに戻るほんのかすかな可能性にでも出くわしたときには、それらは声を一致(反対)させるのだ」と著者たちは述べる。