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【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂

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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:11:23ID:7CBN/sMR
竹島占領された時の日本の首相は吉田茂だ
この時に主権と領土を守るため毅然とした対応とらなかったことが、
いろんな方面に波及して、今の尖閣問題になってるんだよ
日中国交正常化の時に、領土問題の決着ができないなら交渉は打ち切るべきだったし
最悪でも尖閣に軍隊を常駐させ主権を明確化してなきゃおかしい
吉田茂は軍部への憎悪という幼稚な意識から
当時は最左翼の共産党・徳田球一ですら「軍隊を持てないなんて国家とは言えない」として
憲法改正に賛成してたのに、改正を怠ってしまった
占領下での立法は国際法違反だから、占領憲法は独立時に失効させなきゃいけない
そして将来の日本国のあり方を主体的に構想した上での自主憲法を制定する責任があったはず
やれる時にそれをしなかった吉田茂は無能政治家とみなされて仕方ない
軽武装経済復興路線という選択がそもそも間違いで、
たとえ経済復興がより早まったところで、その成功体験と安易さのせいで強固に根をはってしまった
人権尊重・人命至上主義の国民精神のあり方が定着してしまっている
後になってそれを覆す精神革命を起こすのは至難の業だ
これが今日の日本の情けない姿に至ってしまっている
三国人暴動・竹島侵略から、ダッカハイジャック事件、北朝鮮拉致事件と、
ことごとく無法集団の無法行為に屈してしまうはめになった
そもそも明治維新もそうだった
伊藤博文らは幕府の復活を恐れ、ひたすら内閣を弱体な存在にしようと努めた
そして神格天皇制の導入
それが結果として統帥権の独立と軍部の独裁に発展し、
満州事変の軍部独走は不問に付され
制御不可能な陸軍による暴走になっていった
最初の国家像の提案が間違えてるから国家の方向性と終着駅も間違えてしまうのである
吉田茂というのはある意味、東條英機の対極にいる馬鹿である
伊藤博文の論理的帰結が東條英機なら、吉田茂の論理的帰結は田中角栄だろう
国の中央地方、国の内外にただひたすら金をばらまくしかないだけの日本、
そしてたただひたすらアメリカにすがりつくしかない日本
そういう国にしてしてしまったのは吉田茂である
0002名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:12:04ID:7CBN/sMR
  マキアヴェッリ 『君主論』

>  一国の国力を計る方法の一つは、その国と近隣諸国との間に、どのような関係
> が成り立っているかを見ることである。 もしも近隣の諸国が、友好関係を保ちたい
> がために貢納してくるようならば、 その国は強国と言えよう。
>
>  反対に、弱体であるはずの近隣諸国であるのに、それらの国々に対して金銭を
> もって援助する関係である場合、その国家の国力は弱いと思うしかない。
>
>  この原因は、一に、自国の武装を怠り、他国民の傭兵に頼ったことにある。
> このように近視眼的な国策は、ひとまずの現状打開には役立っても、終局的に
> は国家の命取りにつながらざるを得ないのである。


>  「弱体な国家は常に優柔不断である。決断に手間取ることは有害である。
> この種の国家の打ち出す政策は、何かの圧力に屈したあげく、やむを得ずなされたものになる」


>  「国家にとって厳に警戒しなければならぬことは、軽蔑されたり、見くびられたりすることである」
0003名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:30:47ID:d4pKMrNe
えっ!?中曽根康弘のせいじゃねぇーの
中華に言われるまま、靖国参拝を胡耀邦を守るため取り止めたらしいが
やめた事で中華が日本を見下し始めたきっかけとなった。
胡耀邦を守ることが日本の将来的に価値があったことなのだろうか
0004名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:44:03ID:qyOXJVCC
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふ
のではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代わりに、無機的な、からつぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。
それでもいいと思つてゐる人たちと私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」


「果たしえていない約束 私の中の二十五年」三島由紀夫 (産経新聞 昭和45年7月7日)
ttp://mishima.xii.jp/37th/index3.html
0005名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:45:35ID:qyOXJVCC


盾の会隊長 三島由紀夫


 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、
本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の体計は外国に委ね、
敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、
歯噛みをしながら見ていなければならなかった。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、
真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲
であるのは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、
軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。
もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、
建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、
その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目覚める時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、
この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、
真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
00065
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2010/09/28(火) 22:46:39ID:qyOXJVCC
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は
魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、
どこへ行こうとするのか。繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばわりした繊維業者もあったのに、
国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが
明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が
日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、
左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。


 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。

(抜粋)
ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/isyo/mishima.html
0007名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:52:17ID:NXuCFEOc
「ハイデッガーの『存在と時間』の発想は、道元禅師の『正法眼蔵』のなかの「有時の巻」から得たことを、
ハイデルベルク大学のヤスペルス教授が弟子丸泰仙和尚に耳打ちして、
「日本人は『正法眼蔵』をあまり読んでいないようですな」とつけ加えた」
(『日本人の正しい食事―現代に生きる石塚左玄の食養・食育論』沼田勇、農山漁村文化協会、2005年、79頁)。
ttp://yagiyagimehe.blog68.fc2.com/blog-category-1.html


ハイデッガーは1920年代から仏教などの東洋哲学と出会い、
学び始めたと言われます。

そして
「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」など、
仏教では存在と時間は分けられないことが説かれいることを知り
ハイデッガーは大変驚いたそうです。

つまり主著の『存在と時間』 (Sein und Zeit) は直訳すると
「有」と「時」ですが、『存在と時間』の哲学がすでに
2600年前、仏教に明らかになっていたわけです。

そして、英訳をとおして、かの歎異抄を知り、
もっと早く知っていたなら、日本語を勉強して
親鸞聖人の教えを全世界の人に伝えることを
生きがいにしたであろうと語っています。
ttp://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/53faea137ea09cb964c078a18b61bafc
0008名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:53:31ID:NXuCFEOc
20世紀最大の哲学者とも言われているドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガー(1989−1976)は、
1920年代から仏教などの東洋哲学を学び、「存在と時間(Sein und Zeit)」に書いたようなことが、
道元の「正法眼蔵」を読み、有時の巻に書かれている「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」
として、既に仏教で説かれていることに驚いたと言われています。
さらに晩年には、英訳の「歎異抄」を読んでこんなことを日記に書き残しています。
「もし、10年前に、こんな素晴しい教えが東洋にあったのを知っていたならば、
私はギリシャ語やラテン語の勉強もしなかっただろう。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう」と。
歎異抄には、人生の目的は、死さえもさわりとならない「無碍の一道」に出ることだと記されていました。
仏教の教えでは、「今、死ななければならない」となっても微動だにしない境地があるぞと教えています。
これを歎異抄には「無碍の一道(むげのいちどう)」といいます。
「碍」とは「さわり―害」のことで、一切がさわりにならない、死さえも「さわり」にならないたった一つの境地
があるぞ、言っているのです。
現代人にとっては、こういう一転語とも言えるような悟りが散りばめられているのが歎異抄なのです。

『歎異抄』に衝撃を受けたというハイデガーは、未完に終わった主著『存在と時間』に、 このように記しています。

「Nur das Freisein fur den tod gibt dem Dasein das Ziel schlechthin.」
(ただ死に関してさわりにならない自由が、人間に目的そのものを与える。)


ttp://elhappy.blog51.fc2.com/blog-entry-2609.html
  ※あくまでハイデガー関連の引用目的でリンク先に他意はなし
0009名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:54:14ID:AE1+2yg6
そして、二十世紀最大の哲学者、ハイデガーも、
「死に対して無碍の身になることこそが、人間にとっての唯一の目的」
と言っているのです

20世紀最大の哲学者の一人、ハイデガーは、晩年に歎異抄に出会い、
大変な感銘を受け、その日の日記にこう記しました。

今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異鈔を読んだ。
弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり
とは、何んと透徹した態度だろう。
もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、
自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中にひろめることを
生きがいにしたであろう。
遅かった。
00109
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2010/09/28(火) 22:54:54ID:AE1+2yg6
自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が
三十名近くも留学して弟子になった。
ほかのことではない。
思想・哲学の問題を随分話し合ってきたが
それらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという
匂いすらなかった。
日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、
世界文化に貢献するといっているが
私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。
商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら
何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。
そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、
フランス人はフランス語を、
デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えを
わがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
二十一世紀文明の基礎が置かれる。

(中外日報 昭和38年8月6日号1面)
ttp://lifemeaning.blog126.fc2.com/blog-category-12.html
0011名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:55:47ID:DWDkIa3m
長崎事件

1886年8月1日
李鴻章は、「我が清国海軍は以て日本に観して之を懾伏(恐れひれ伏すこと)せしむべし」として
北洋艦隊の定遠、鎮遠、済遠、威遠※の四隻の軍艦を長崎港に日本政府の許可なく入港したさせた上に
水兵が上陸した事件。

許可無く上陸した水兵達は長崎の遊郭で騒ぎを起こし日本の警官がそれを取り締まった。
翌日、わざと交番の前で小便をした水兵に日本人警官が注意したのを切っ掛けに
日本人一般市民を巻込んで大乱闘に発展し双方に死傷者が出た。

日本政府は日清修好条規13条に基づき、騒ぎを起こして中国領事館内に逃げ込んだ水兵
を逮捕して処罰しようとした。
しかし清政府は「清国水兵を殺すための日本の計画的な犯行」として日本人巡査の処罰と
死傷した水兵への賠償を要求。
最終的に李鴻章の「戦争も辞さす」という強硬な圧力に屈し、
日本側関係者の処罰と3万7千円の賠償金を支払った。

何故このような理不尽な要求に従ったかというと、
当時の清国の兵力108万人に対して日本は7万8千人であり、
もし、この事件がきっかけで戦争になったら簡単に東京を制圧され、九州を取られると予測されていた為。

そしてこの事件の後、日本人はプッツン切れた。

あのクリスチャンの内村鑑三でさえ
「文明国として不実のシナに対しては鉄血を以って正義を求めるしかない
永久平和の為に戦え」と言った。

そして日本は富国強兵を行い8年後、清国を打ち破るのであった。
001211
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2010/09/28(火) 22:57:00ID:DWDkIa3m
李鴻章は日本を恐れさせようと、当時世界最大艦のドイツ製戦艦、定遠、鎮遠、他2艦を
日本に送り込んだのだが、逆に水兵側の死傷者が多く出たことから激怒し、
長崎事件後、清軍ドイツ人軍事顧問に「今度こそ日本に一撃せん」と語ったが、それが日本人一般市民に
知れ渡った。

日清戦争は朝鮮の独立を求める日本と、属国扱いする清国との間で争いが
生じて起こった戦争と言われているが
あくまでもそれは一面であり、この(長崎)事件が切っ掛けとなり、
中国人のキチガイぶりを見せつけられ、
当時の日本人が「戦争はやむを得ず」と考えたのが主因である。

ちなみにこの4隻の艦名の「遠」とは日本を指す。

日本を「威」圧するということで威遠
日本を鎮定するということで鎮遠、定遠
日本は「威圧済み」「鎮定済み」ということで「まる済マーク」の済遠

以上の事実を見て日本が決断すべきは

「そして日本は富国強兵を行い8年後、清国を打ち破るのであった」

現在は日本単独で中国の軍事力増強には対応できない。
アメリカ・インド・ASEAN諸国と連帯し「文明国として不実のシナ」に
対していかなければならない。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:58:44ID:DWDkIa3m
大津事件(1891)
http://www.ffortune.net/social/history/nihon-mei/otu-ziken.htm
明治24年(1891年)5月11日、日本を訪問中のロシア皇太子ニコライが、滋賀県
大津市で警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられました



政府は更にロシアに対して謝罪の意を明らかにするため、津田巡査を死刑にす
べく裁判所に圧力を掛けます。

しかし、法的に見ると被害者が日本の皇族であれば死刑を宣告することが可能
でしたが、相手は外国の皇族であり、法律上は一般人と同じ扱いになります。
従って怪我を負わせただけなのに死刑を宣告することは法的には無理がありま
した。このため裁判を担当した大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は
法治主義遵守の立場から政府の圧力をはねつけ、法定刑内で「無期懲役」の判
決を下します。この事件はこのことにより、児島が司法の独立を守った事件と
して語り継がれることになりました。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 22:59:15ID:SqxQeG38
                  怪鳥の教訓
  
 アフリカの南東マダガスカルの東方のインド洋上にあるモーリシャス島に、ドードーと名づ
けられた伝説の鳥が生息していた。全長約一米八〇糎、身の丈約八〇糎の頭と嘴の大き
い怪鳥で、翼が退化して空を飛ぶことができなかった。ルイス・キャロルの『不思議の国の
アリス』に登場してくる。
 この鳥は、17世紀初頭にオランダ人がモーリシャス島にやってきてから約百年で絶滅し
た。発掘され、再生された骨格が二体残るのみで、他にロンドンに壊れた剥製の頭部と
脚部がわずかに残存し、これら以外に、怪鳥の実在を証明するものはなく、ヨーロッパ
で物語や絵に描かれたおかげで、今日に伝説として伝えられている。
 ドードーはなぜ絶滅したのだろうか。オランダ人入植者の遺跡の発掘で、彼らが食糧に
したのではないことが今までに分かっている。ロンドンの剥製のDNA鑑定で、この鳥の
正体は鳩であると分った。鳩の中でも、原産地が東南アジアの種目であることも分った。
約一千万年前、インド洋上の島づたいに渡来し、モーリシャス島で特異な進化をとげた
ものらしい。人類発祥よりも前の話である。
001514
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2010/09/28(火) 23:01:23ID:SqxQeG38
 モーリシャス島は深い森林につつまれ、木の実が豊富で、外敵もなく、ドードーの生存に
はこのうえもない安楽な環境であった。樹木の下にいれば食べ物は自然に上から落ちて
くる。空を飛ぶ必要がない。翼は次第に退化した。オランダ人が来たときにこの鳥は人間
に襲いかかり、それなりに攻撃的であった。けれども次第に森林の内部を追われ、百年
の後には、海岸の一角に追いつめれて生存し、やがて絶滅した。人間が直接手をかけた
からではないらしい。人間が持ちこんだ豚や羊が彼らの天敵になったためらしい。それも
直かに天敵が彼らを襲撃したためではないらしい。
 ドードーは空を飛べない鳥になっていたので、排卵と孵化は安全な樹木の上でおこなわ
れずに、地上の草の上に露出されていた。外敵のない環境に、完全に無防備な生存形態
にまで退化していたのである。卵も雛も外から来た豚には恰好の餌食だった。
 こうして、生態系の一角が崩れただけで、数百万年以上も安全かつ平和に暮らしていた
島の一生物があっという間に滅びてしまった。
 日本もまた島国である。縄文以来、深い森林につつまれ、木の実が多く、水は豊富で、
争いも少なく、大動乱の時期はわずかに弥生期と戦国時代の二度しかない。個々人には
防衛意識もあり、外からの圧力にはそれなりに攻撃的なのだが、民族全体としては、組織
的警戒心に乏しい、完全に無防備な生存形態にまで退化してしまっていないか。空を飛
べなくなった鳥が迂闊に草の上に排卵し、雛を孵化するのと同じような、生態系を一変さ
せる陥し穴に、日本民族はすでに、誰も気づかぬうちに、思いもかけず填まってしまって
いるのではないか。
 この広い地球上に民族の興亡の歴史は繰り返され、一民族の消滅ということも、決して
珍しくない。島国から人間が消えるのではない。住民は存続する。しかし人種混淆し、大陸
に呑みこまれ、日本という民族と民族文化がすっかり姿を消してしまうということは、歴史
の経験則から十分に起こり得ることなのである。

西尾幹二のインターネット日録(過去ログ 2002年11月18日)
ttp://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/tui11.html
ttp://www.nishiokanji.jp/blog/
0016>>2
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2010/09/28(火) 23:02:54ID:NLpBeeiK
マキャベリ

「君主は、自らの権威を傷つける恐れのある妥協は、絶対にすべきでない。
たとえそれに耐え抜く自信があったとしても、この種の妥協は絶対にしてはいけない。
なぜなら、譲歩に譲歩を重ねるよりも、思い切って立ち向かって行ったほうが、
たとえ失敗に終わったとしても、はるかによい結果を生むことになるのが、ほとんどの常だからである。
もしも、正面衝突を回避したい一心で譲歩策を取ったとしても、結局は回避などできないものだ。
なにしろ、譲歩に譲歩を重ねたところで相手は満足するわけでもなく、それどころか相手の敵意は、
あなたへの敬意を失ったことによって、より露骨になり、より多くを奪ってやろうと思うようになるのがオチなのだ。
また、思慮もない単なる譲歩策によって示されたあなたの弱みは、味方になりえた人々をも失望させ、
彼らを冷淡にさせてしまうだろう。
反対に、もしもあなたが、相手の真意が明らかになるやただちに準備をし、たとえ力が相手に劣ろうとも
反撃に出ていたら、敵といえどもあなたに敬意を払わざるを得なくなるのである。
そして、他の国々も敬意を払うようになり、結果としてあなたは味方を獲得することになる」
0017名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 23:07:51ID:Fq0x0Y/O
日本国歴代内閣
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%86%85%E9%96%A3
50 第4次吉田内閣 1952年10月30日 - 1953年5月21日 自由党
51 第5次吉田内閣 1953年5月21日 - 1954年12月10日 自由党 閣外協力:改進党
52 第1次鳩山一郎内閣 1954年12月10日 - 1955年3月19日 鳩山一郎 日本民主党
53 第2次鳩山一郎内閣 1955年3月19日 - 1955年11月22日 日本民主党
54 第3次鳩山一郎内閣 1955年11月22日 - 1956年12月23日 自由民主党
55 石橋内閣 1956年12月23日 - 1957年2月25日 石橋湛山[11] 自由民主党


独島義勇守備隊
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E5%B3%B6%E7%BE%A9%E5%8B%87%E5%AE%88%E5%82%99%E9%9A%8A
独島義勇守備隊は1953年4月20日、初めて竹島に駐在した。常駐ではなく、定期的な駐在である。同年6月27日、
日本の巡視船2隻が来島して6人いた守備隊員を島から追い出し、日本領の標識を立てている。
しかし、巡視船はそのまま引き上げたので、義勇守備隊が再び島に戻った。
このことを聞いた李承晩大統領は慶尚北道警察に指示して迫撃砲1門と弾100発を義勇隊に支給させた。
義勇隊はこのほか、M1小銃とカービン銃で全員武装していた。さらに直射砲1門も配備されていたとする説がある。

1956年4月、韓国国家警察鬱陵警察署の武装警察官8人が常駐するようになり、独島義勇守備隊は同年12月25日
を以って解散した。

なお現在、島には武装した韓国警察官41名が駐屯し、周辺海域は海洋警察庁が警備を行っている。
韓国軍が駐屯しないのは、韓国による「占領」と見なされるのを避けるためであるが、
どのような軍備を持ち警備しているのかは定かではない。


【尖閣問題】 「中国、釣魚島問題で'韓国の独島戦略'見習おう」〜中国メディア報道と聯合ニュース[09/19]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1284942905/

尖閣問題とは竹島問題のことである
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1285671403/
0019名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2010/09/28(火) 23:24:44ID:OjKv3jC6
ラスク書簡-アメリカが「竹島は日本領」と韓国に回答した文章
ttp://nextxp.net/archives/2006/05/post_171.html
「 米国の力を借りて『竹島』を自国の領土としたい韓国の昔も今も変わらないその手法 」
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2005/04/09/post_331/
【竹島問題】米国、朝鮮戦争直後に『竹島は日本の領土』と一方的に結論[3/27]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1143428095/

何故、竹島問題が生じたのか(1)
ttp://blog.goo.ne.jp/charotm/e/132db4b15159e77377e9ed20d7e0f84d
 米国は、ハワイにいた反日運動家老人李承晩を連れ戻し、1948年2月(大韓民国成立)に初代韓国大統領とした。
竹島の日本復帰に不満な李承晩(当時73才)は、1952年1月18日に海洋主権宣言を行い、
マッカーサー・ラインの日本海側に変更を加え、竹島を含む形で自国に都合の良い「平和線」(日本名:李承晩ライン)
を設置した。日本には未だ占領軍がおり、朝鮮戦争(1950.6−1953.7)の戦闘が38度線で膠着していた頃である。
 時の首相は吉田茂、彼は3ヵ月後に発効するサンフランシスコ講和条約においては竹島が韓国の帰属になって
いないと言う訳で、安心していただろう。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2010/09/28(火) 23:26:02ID:OjKv3jC6
朝鮮
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/7712/antij_kore.html
1951年4月27日、南朝鮮が対馬について「歴史的にこの島は韓国の領土であり、日本によって強制的、不法に
占領された。」とし、対馬の「返還」を要求する文書を米国務省に送付。
→米国務省は「対馬は日本が長期間にわたり完全に統治しており、平和条約は対馬の現在の地位に影響を
及ぼさない。」として南朝鮮の要求を一蹴。

1952〜1965年、南朝鮮統領李承晩が「一国の領海は干潮時の海岸線より三海里を限度とする」という当時の
国際法上の慣行を無視して朝鮮半島周辺200マイルを領海とすることを一方的に宣言し、公海上に引いた
「李承晩ライン」を根拠として日本漁船の拿捕を実施し、乗組員を最長13年間に亘って抑留。

 南朝鮮が「李承晩ライン」廃止までに日本に与えた損害
  抑留者:3,929人
  拿捕された船:328隻
  死傷者:44人

1953年1月12日、南朝鮮統領李承晩が公海上に根拠もなく引いた「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の
徹底拿捕を指示。

同2月4日、漁船に偽装した南朝鮮船第一・第二昌運号(乗組員12人に加え、憲兵1、特務隊員1、情報隊員1、
警邏5人乗組)が公海上で操業中の第一大邦丸を銃撃し、漁労長瀬戸重次郎(34)を射殺(第一大邦丸事件)。
→南朝鮮は漁船員を脅迫して「領海侵犯した」という嘘の調書に捺印させ、これを根拠として「済州島から脱出
するのを追跡し銃撃した」と虚偽の説明を行い、「日本漁船の李承晩ライン侵犯に対する警告」と正当化を
図るも、公海上で操業中の銃撃と判明。朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が公海上で一般人を
射殺した南朝鮮軍を非難。

同2月7日、南朝鮮が竹島の「領有」を宣言し、翌年これを占拠。
→日本政府が竹島領有問題を国際司法裁判所に付託することを南朝鮮に提案するも、南朝鮮政府は現在に
至るまでこれを拒否。

1957年、南朝鮮政府が、1956年に日本に密入国した南朝鮮人の強制送還を拒否するとともに、「李承晩ライン」内
で不法拘束した日本人漁師解放の交換条件として密航南朝鮮人を「日本国内で釈放せよ」と要求。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 23:50:41ID:R3XTbvtL
【コラム】日本のエリート、その作られ方 [10/09/02]
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1283619885/
西欧のような明らかな階級社会であれば、たとえ形式的には競争という形をとっていても、
選抜方法自体の不平等さが目に見えている。だから競争に勝ち残った人々は、勝ち残ったと
いう事実だけでは自分の地位を正当化できない。自分がその地位にふさわしい人間であるこ
とを目に見える形で積極的に示さなければならない。そのため、「高貴な義務」(ノブレス・オブリージュ)
という観念がうまれる。
つまり、西欧の“勝ち組”は、自分が勝っているのは自分の実力ではない、と理解している。
もちろんそれは周りの人にもバレている。だから(後ろめたいから?)貧乏人に優しくした
り、進んで社会のために身を投じたりして、「ほら、ボクも頑張ってるでしょ」と証明しようとする、ってことですね。
ところが日本の選抜システムは形式的には高度に平等で、全員を同じ年齢で一律に選抜に
のせる。その上、選抜の方法も主観的な偏りが入りにくいペーパーテストが主で、選抜機会は強く一元化されている。
日本では選抜競争が平等な競争であると信じられてきた。だからその「高貴な義務」という
概念すらもたないエリート集団がつくりだされた。
一方の日本では、試験を勝ち抜いた人達があたかも「この結果は自分の実力で手に入れたもの
だ」と思い込み易い方式になっている。そのためノブレス・オブリージュもエリートとして
の責務感もない、単なる既得権益層としてのエリート(オレが実力で得たのだから分け与える
必要はない的な)を生んでいる、ということらしい。

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書) [新書]
佐藤 俊樹 (著)  出版社: 中央公論新社 (2000/06)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4121015371
0022名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/28(火) 23:51:33ID:R3XTbvtL
教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書) [新書]
竹内 洋 (著)  出版社: 中央公論新社 (2003/07)
ttp://www.amazon.co.jpdp/4121017048
教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化
竹内 洋  中央公論新社 2003-07-25
ttp://www.kei-g-star.net/2010/01/book-review-256.html


日本の教育ドイツの教育 (新潮選書) [単行本]
西尾 幹二 (著)  出版社: 新潮社 (1982/03)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4106002264
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/29(水) 00:33:51ID:/P4+eiql
> 泰平無事が続くと、われわれはすぐ戦乱の思ひ出を忘れてしまひ、非常の事態のときに
> 男がどうあるべきかといふことを忘れてしまふ。金嬉老事件は小さな地方的な事件であるが、
> 日本もいつかあのやうな事件の非常に拡大された形で、われわれ全部が金嬉老の人質と
> 同じ身の上になるかもしれないのである。

三島由紀夫「若きサムラヒのための精神講話」より


金嬉老(キン・キロウ)事件
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage68.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kimuhiro.htm

【韓国】1968年に静岡で暴力団員2人を射殺の金嬉老氏、日本に入国許可要請へ 韓国在住の元受刑者[02/27]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1267263804/
0024名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/29(水) 00:43:46ID:/P4+eiql
考えてみれば、
日ソ国交正常化交渉時はシベリア抑留数万人、
日韓国交正常化の時は李ライン内で拿捕された漁民数千人、
日中国交正常化の時は未釈放「戦犯」や満州残留孤児数千人、
対北朝鮮交渉では拉致被害日本人数百〜数十人

日本の戦後外交は全て無法に人質をとられた状態でやった身代金交渉になっている
そして相手の言うがままを受け入れる下手外交

戦後の様々な紛争や事件では
人命至上主義だから法や道理を曲げて屈服を強いられてばかりだった
戦後日本が育んだ価値観は欠陥品だったということだ
0025名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/29(水) 00:44:40ID:pF9KOLHw
西ドイツ再軍備までの動き
ttp://nagoya.cool.ne.jp/lazyman/saigunnbi.html
再軍備への動き
再軍備を推し進めたのは、憲法制定会議議長から首相となったアデナウアーであった。彼は朝鮮戦争をきっかけに
防衛力整備(再軍備)の覚書をだした。しかし、国民の間に厭戦ムードがあり、すんなりとはいかなかった。
時期尚早とする人、大国アメリカ主導の軍備に反対する人、アデナウアーが主張した周辺諸国との集団的安全保障
を前提とした再軍備反対などさまざまな意見が交わされたが、 4年近い政争を経て、1954年3月基本法改正法案が
議会で成立した。
当初、アデナウアーは基本法改正に必要な3分の2以上の議員を確保できず、解釈変更で再軍備しようとした。
しかし、1953年9月の総選挙で与党連合が3分の2以上の議員を獲得したのを機会に、「基本法上疑念のない防衛力
を保有する」ことにした。また野党の指導者が、「防衛力の必要性は認める。ただし基本法を改正しないまま再軍備
するのは容認しない」との姿勢をとったことも大きかった。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/29(水) 00:45:27ID:pF9KOLHw
敗戦国ドイツと日本の相違(2)
ttp://blogs.yahoo.co.jp/sanko24bun/archive/2010/8/15
 B 西ドイツはアデナウアー首相指導の下に、冷戦における西側陣営に積極的に参加することを通じて、
主権の完全回復と国際的地位の回復・向上を目指し、その中で長年のライバルだったフランスとの和解に努めた。

 このように西ドイツ国家は49年に成立したが、その時点ではまだ完全な主権の回復を遂げてはいなかった。
ところが、50年6月における朝鮮戦争(注)の勃発により、ヨーロッパでは西ドイツが次の東西の“熱い戦争”の
標的にされるのではないかと西側諸国間で危惧されるようになった。アデナウアー首相はそこに西ドイツの
主権回復と国際的同権化への「大きなチャンス」を見いだした(Manfred Mai;「Deutsche Geschicte」、ドイツ史。
2003、Beltz & Gelberg)。 
 以上のような情勢の下で、西ドイツは51年4月にフランスとともに西欧6ヵ国(仏独伊とベネルックス3国)による
「欧州石炭鉄鋼共同体」(今日のEU=欧州連合の原初形態)設立条約に調印、52年5月には同じ6ヵ国による
「欧州防衛共同体」条約に調印。そして54年10月には米英仏を含む西側9ヵ国会議の「パリ条約」で西ドイツの
占領の終結と主権回復およびNATO(北大西洋条約機構)への加盟が承認された。
 そして、55年5月にパリ条約が発効したことを見届けて、同6月に西ドイツは国防省を設置し、
56年7月には徴兵制を導入。こうしてドイツは西半分ながら敗戦後10年で通常の独立国家に戻った。  
0027名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/29(水) 00:46:12ID:pF9KOLHw
徴兵制の意味
ttp://blogs.yahoo.co.jp/shigekisatojp/16765086.html
ところで、私が今回の廃止論争で特に興味を深く思ったのは、徴兵制廃止に反対する人々の論調である。
意外にも、国防上・安全保障上の理由から反対論を展開している人が見当たらないのである。
反対論の一つ。これはCDUやCSUといった保守派(国防大臣のグーテンベルクはCSUの所属である)からの議論で、
「徴兵制は保守政党のアイデンティティである」というもの。徴兵制は、1956年、CDUのアデナウアー首相により、
国民からの強い反対論や平和運動に抗して導入された。保守派の政治家から見れば、「自分たちが導入した」
という意識が強いのだろうか。
もう一つ、これが興味深いのだが、徴兵制はドイツの民主主義にとって肝要なものであるという議論である。
これはおそらく、戦後ドイツ特有の考え方かもしれない。軍隊を軍国主義に結びつけ、それを民主主義と対立させて
考えがちな、私のような日本人的な考え方とは全く異なっている。
なぜ、徴兵制は民主主義にとって肝要なのか。曰く、もし徴兵制がなかったら、軍隊は市民社会と民主主義から
遊離した専門家集団になってしまう。「制服を着た市民」が存在することで、軍隊は市民社会一般との繋がりを
維持できる、というのである。
「徴兵制は民主主義の正統な子供である」と、徴兵制廃止に反対する人々は主張する。
それは、保守政党だけでなく、徴兵制が導入された頃にはそれに反対していたSPDの政治家のあいだにも共有
された意見のようである。
002827
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2010/09/29(水) 00:47:15ID:pF9KOLHw
西洋の歴史をさかのぼれば、確かに徴兵制による国民軍は、フランス革命の時にはじめてつくられた。
お金によって雇われた傭兵ではなく、自分の祖国のために進んで無償で戦う兵士。これが徴兵制である。
これが、フランス革命による民主主義と深い関係にあることは疑いを得ない。
しかし、ドイツにはこのような民主主義と徴兵制との歴史的な繋がりは見出しにくい。ドイツにおける徴兵制は、
プロイセンがナポレオン戦争に際して、住民を徴兵したのが最初である。
その後、帝政ドイツの時代にも、ワイマール共和国の時代には、軍隊はむしろ民主主義の敵であった。
いったいどこから、「徴兵制は民主主義の正統な子」なる概念が根付いてきたのか。
それは戦後のドイツ連邦共和国において、軍隊の「シヴィリアン・コントロール(市民によるコントロール)」を
模索するなかでつくられた、新しい思想であろう。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/09/29(水) 08:09:40ID:LCByy13h
人命は地球よりも重い―。

人質とられたら何もできない。
人命至上主義の限界だな
戦後日本の思想が完全敗北したということだよ

人命は大事だが、人命より大切な価値がないというのもむなしく悲しいことだねえ
人はパンのみにて生くる者に非ずという言葉があるが、
パンのみに生きてきたのが日本人だ


【尖閣問題】 「船長は�ォ質。起訴すべbォ!」と検察→=uフジタの4人bフ人命はどうなb驍ナすか」の�鼬セで釈放へ★bT
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1285598903/

 24日午前10時すぎ。法務・検察合同庁舎19階の最高検会議室。中国漁船衝突事件で
 逮捕、送検された中国人船長に対し、起訴を主張する幹部の声が響いた。那覇地検が
 中国人船長の釈放決定を発表する、わずか4時間前の出来事だった。
 集まったのは、大林宏検事総長、最高検の伊藤鉄男次長検事、勝丸充啓・
 公安部長と担当検事に加え、那覇地検の上野友慈検事正と福岡高検の
 岩橋義明次席検事。国会議員の逮捕など重要案件を最終決定する際に開かれた
 「検察首脳会議」ともいえる顔ぶれだ。
 この時点では、方針が釈放で一致していたわけではない。1時間に及んだ会議。
 出席者の一人の発言を契機に全員一致での釈放決定への流れが強まった。
 「4人の人命はどうなるんですか。(起訴したら)危ないんじゃないですか」
 準大手ゼネコン「フジタ」の邦人社員4人が軍事管理区域で撮影した疑いで中国当局に
 拘束されたことが前夜に発覚していた。ある幹部は「人命をてんびんにかければ、
 起訴という判断はできなかった」と悔しさをにじませた。
 船長の10日間の勾留延長が決定した19日の時点で、検察当局は「起訴」に向け
 意気軒高だった。「異論を唱える人は誰もいなかった」(幹部)という。
 潮目が変わったのは21日だった。中国の温家宝首相が「釈放しなければ、中国は
 さらなる対抗措置を取る用意がある」と揺さぶりをかけた。間もなく、邦人4人が中国で
 行方不明との情報がもたらされる。「すぐに身柄拘束を想像した」とある検察幹部。
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