マジカル・ミステリー・ツアーBEATLES
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>>534へえ…憐れな呆れ爺さんがいるもんだよな
>>535
(・ω・)b大変に参考になる長文ものでした 大変にありがとうございます 不真面目な話をさせてくれ
ハーマンズ・ハーミッツにもアヴォイドがあった
A Must To Avoidというヒッ曲を持っていた ハートがドキドキな情報をありがとう
一方戒名爺は、朝からゴキゲン、じゃなく朝から文句垂れか。やっぱり >>539
なに!そいつぁ大変だあ〜!(笑)
Σ\(^ワ^)/ 007トウモロー・ネバー・ダイもパクリみたいな題名だな 「マイ・スウィート・ロード」もシフォンズの「He's So Fine」のパクリだしね もともとジョージには作曲する才能などなかった
ビートルズ時代もジョンに提供された曲を歌っていたし たまたま突然変異で「サムシング」がひらめいただけなのに
ソロ活動になってから盗作で実力のなさを露呈してしまったジョージ
みっともない歌手人生だったな しょせんはビートルズのリードギター担当をあてがわれただけ >>549オマエは出て行け
オマエとオマエとオマエは残れ リンゴも元々、なかなかの郎(やから)
まだリンゴがビートルズ加入前、ジョンもポールもリンゴは乱暴な不良という認識
酔っぱらってビートルズにリクエストなど出されると緊張した
それでもビートルズに後から加入したということで遠慮をし、他の3人と良好な関係を最後まで続けられたのは彼だけ
リンゴと言えば可愛い、人柄がよいという印象のままやってきている
怒ったら怖いらしいけど ジョンが射殺されたとき、真っ先に駆けつけてきてくれたのがリンゴ
人の良さが出ている >>554
「人柄の良さ」なら分かるけど「人の良さ」は違うだろ ハード・デイズ・ナイトの映画の中で、テレビ局員がドラムセットを動かそうとしたらリンゴが「勝手に触るな」と口を尖らせるシーンがあった
なんでわざわざ感じの悪いシーンを挟むのかなと思ったが、あの映画の脚本家は事前にビートルズのメンバーを観察したうえで本人が言いそうなセリフ、やりそうな事を描いたという
リンゴの持つ一面を表したかったのかも知れない
他のメンバーの場合はいかにも本人が言いそうなセリフがしっくり来ていたが、リンゴが怒るシーンはイメージと違うせいかしっくり来なかった やんちゃ坊主臭が抜けない他の3人と違って
昔からリンゴには自分をわきまえた大人のプロフェッショナル感が漂っていたな 66年来日の時リンゴに「あなたの名前は日本語でりんごと言うのよ」と教えたのが
確か星加ルミ子か湯川れい子のどちらかだった
その後エプスタインの死で立ち上げたレコード会社が
リンゴにちなんでアップルとなったんだ 来日のときの楽屋でプレゼントされたPENTAXの一眼レフで
メンバーそれぞれがカメラで写しあったフォトがピンボケだったのもご愛敬だったな https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/3e/7c06086f1a1852431b3e2daef926b5c5.jpg
この写真が載っているブログでは、来日時に購入したペンタックスと書いてあるが、これは66年の写真ではないな
2年くらい前だ
ハード・デイズ・ナイトでリンゴが水没させたカメラもペンタックスだった
当時は日本でも一眼レフ初心者がまず買うのはペンタックスだった
時代は移ろい、ペンタックスは今やコマーシャルを打つ力も無くなり、消滅へ向かっている 当時の一眼レフはカメラ好きのあこがれだったな
自分の好みでレンズを替えられるのが最大のメリットだったし
家にあったバカチョンカメラではどうにもならなかった
お金を貯めてやっと一眼レフを購入したときは嬉しかったね
ペンタックスはニコンやキャノンと比べると幾分小型に出来てるので使いやすかった ミノルタもあったしミヤマもあった
みんな潰れてしまったけどな オリンパス、フジペット、コニカなどフィルム時代にはたくさんのメーカーがあった
機種も金属なので重たかった 来日ビートルズにオフィシャルカメラマンとして密着、写真集を出した浅井慎平
今でもビートルズ関連のコメントやトークを求められ、取材を受け続ける
ビートルズ七光りみたいなもんだな 66年来日の時にホテルを抜け出して皇居の二重橋前を散歩してるポールの写真がある 66年来日時のMLや新聞社の特別グラフを所有してる奴は神! 加山雄三も東芝専属歌手だったからビートルズと面会している
持参した「ハワイの休日」のLPでメンバーは「アロハオエ」を何度も繰り返し聞いていたという すき焼きをやって食わせたそうだ
面会の様子を写した写真を見たり、このことについての加山のインタビューなど見ると、映画スターでもこんなに気さくなんだよと見せつけているが‥
ビートルズへのリスペクトというものが感じられない 加山さんは会社に「来日するビートルズに会うか」と訊かれた時、「どっちでもいいや」と応えたくらいだからw
家族や周囲に「絶体会うべき!」と言われたので会社に改めて「会います」と
そしてホテルで会見となった 加山雄三の話は前スレで既出
>>573
アロハ・レイな。アロハオエはハワイ民謡 案外ジョージ・ハリスンより加山雄三の方がギターがうまかったなんてことはなかったのかなww 不可能だと思ったのに来日公演してくれたビートルズには感謝しかない
それ以前の来日したアーティストはすでに落ちぶれた奴らばかりだった
それなのに現役バリバリ人気絶好調の超一流アーティストが来てきてくれたんだから
これもMLの編集長であった星加ルミ子の存在が大きかった >それ以前の来日したアーティストはすでに落ちぶれた奴らばかりだった
この数レス、何もわかっていないやつの知ったかが目立つ
戒名爺の方が、まだ知識はあるわ。うざいけど ビートルズが来日した陰には星加ルミ子の力が大きかったんだぞ
まだネットのない時代に積極的に英国に出向いて交渉をしたんだから アレサ・フランクリン、まだ76歳だったんだな
もっといってると思っていたわ
われわれが10代の頃は、やはり子供の目なのか
活躍していたアーチストがみな、おじさんおばさんに見えたせいかな フランクリン・ルーズベルトは大の人種差別主義者だったんだよ
とくに黄色人種は大嫌いだった
そのなかでもいちばん優秀な日本が憎くてたまらなかった
それでわざと戦争をけしかけたんだ
日本さえ潰しておけばアジア人なんて奴隷としてこき使えるからね
さらに原爆投下を命令したのが朝鮮人と同じ恩知らずのユダヤ人、トルーマンだった
日本がすでに戦う力がなくなったのを知っていて落とした
原爆の効果を試したかったし、黄色人種なら皆殺しにしてもかまわんという
白人のエゴ丸出しだった >>581
星加ルミ子はイギリスでビートルズやエプスタインと会ったりして結果を誌上でファンに知らせたり
ミュージシャンビートルズに関するの外交面での第一人者だと思う(商売上他にも存在するけど)
湯川おばさんは基本的に誠実なビートルズ評論家だと思う >ハード・デイズ・ナイトの映画の中で、テレビ局員がドラムセットを動かそうとしたらリンゴが「勝手に触るな」と口を尖らせるシーンがあった
それミュージシャンの常識
ドラムでもギターでも素人のチューニングとプロのチューニングの意識は違うんだよ
野球には詳しく無いが、プロ野球選手というのは自分のグローブを他人に絶対触らせないと以前聞いた。
プロとはそういうものだ。 湯川れい子は個人的にアカ思想で好きになれないが
アポなしでビートルズに会いに行った度胸は認める >>589
チューニングを触るのとちょいとタイコ移動するのとはまた違うだろう、
ま、せいぜい、映画を観ている素人にそのミュージシャンやら野球選手の常識とやらを説教してなさい あの時代の楽器は今のデジタルシンセサイザーやパソコンのDTMとは全然違うんだよ
今でもコブクロさんなどの意識の高いアーティストのマイク管理、位置調整や
テックさん達がミュージシャンの決め打ちで楽器を管理している。
確かにスタジオに入った事が無い人には理解出来ない事を言った。
それに関しては謝る。 リンゴと湯川のツーショットはポールが撮影したんだよ。 ジョンがシェーッのポーズ、リンゴが笑顔で凧を持ってる
ジョージがカメラを贈られてニコニコしてる
ポールがテレビカメラを手で邪魔してレンズを向けられたら直立不動の姿勢をとった
どれも思い出深い写真が盛りだくさんだったな ビートルズ来日にケチをつけた老人は時代遅れであった。 マジカル…は、音楽に絵がついているところはやや悪乗りっぽいのが玉に瑕だがまあ
悪くないけど、それ以外の所って何が面白くて撮ったのか、という感じだった。
「追いかけっことかするじゃん、そしたらさ、自動車とかで走るやつが出てきてww」
「バスが追っかけてきたりwww」
「何それwぎゃははは」
「よし、それ撮ろうww」 … みたいなノリだったんだろう。正直、全体としてはつまんない。 フランスのニースで撮影したフール・オン・ザ・ヒルの映像が美しい >>597
そうそう、何を撮りたいのか自分らでも分からない(充分に詰めない)まま
思い付きを行き当たりばったりに撮ってる
つまらんよね
たぶん、作曲するのと同じように映画も撮れると思ってたんだろうな ツアー時代末期に、スタジアムに入れないバス対暴徒化したファンの追いかけっこを
マジでやってたらしいから、それを思い出してたんだってな ↑棺桶の中から戒名爺さんの呻き声w
迷わず成仏しろよ ↑
ビートルズ全盛時代を知らぬ
ニワカの小僧が悔し泣きして悪たれついてるw ↑
こいつやっぱり戒名爺だったわけかwwww
ID変えまでしてご苦労Ww リアルタイムでビートルズ見たこともない糞ガキ
悪たれついて負け惜しみを言うだけ
ほんとうに情けねえ世間知らずのガキだぜw 戒名ジイさんはリアルタイムでビートルズを見たというのが唯一の売りなのに…
ケチばかりつけてるのは不満だらけの恵まれないリアの鬱憤からかな ジジイは子供に退行するからおおむね大人げないよ
もちろん例外もある 人格者なジジイもいるけどね あのときのステージ上の4人の中ではジョンがいちばんおちゃらけていた
それと演奏中にマイクが動くのでポールが気にしていた
がっちりと固定できなかったのか疑問だった
リンゴは何か不機嫌そうにドラムを叩いていたし
ジョージはあまり目立たなかった
やはりビートルズはジョンとポールがメインであると確信したもの >>614
…の内容は、全て後年のテレビ放送やビデオその他で何度も大勢の人が見たもので、関連板・スレ等でも語り尽くされた内容
このスレに本当に'66年当時あの現場に居た人がいたら、現場にいた人独自の話をお願いします
放送されなかった回に武道館に行った人などね >リンゴは何か不機嫌そうにドラムを叩いていたし
PAというかモニターが無かったからです。
収録のない日にアンプ録りのマイクさえ無い時代です。
VOXの100Wのアンプとドラム生音、ボーカルアンプだけは客席前に設置
こんな状況でドラムは叩けませんよ
初めて文化祭でバンド(大音量の)演奏する子達が一度は経験する事です。
完璧なPAシステムは後にWHOと日本ではサディスティックミカバンドが導入したのが初めてです。 だいたい同じ時代、高校生のときに一度舞台で演奏したことがある
スピーカーなんてのは自分が立っているところより前で、さらに前へ向かって音をだす
そのせいか、自分の歌っている声が聞こえないのにはびっくりした
ギターのアンプは後ろにあるから聞こえそうだけど、上がっているせいかそれも聞こえない感じだった
もう無茶苦茶だった‥‥だろう >>237
亀レスだが、マジカル…のアイアム・ザ・ウォルラスでジョージが弾いて
いるのが、サイケに彩色されたフェンダー・ストラトキャスター
実際にはラバーソウル辺りからストラトとか使っていたというよ。 前座のカスどもがつまらない下手くそな歌を披露した時は恥ずかしかったね
どいつもこいつもみっもない醜態をさらしてさ 前座でエンターティナーぶりを見せたのはドリフだけというオチw 今だったら連日ワイドショーの目玉として取り上げられていた
当時は時代遅れのジジイどもが討論でビートルズをけなしていただけ
時代も変わったもんだ 辛口批評の福田一郎もビートルズの熱演を評価をしていたな ホテルに缶詰め状態だった4人はさぞかしストレスが溜まっていたと思う
若かったしね 極東の全っ然違う神秘的に感じる国に来たんだもの
アブナイ国だったら外出は控えるだろうが、先進国だ
これはちょっと外に出てみたい 1964年6月、ビートルズ香港公演
ホテルに着いた後、ポールは街をぶらつこうとしたがファンに見つかってすぐに引き返した
ジミー・ニコルは顔が売れていないので自由に行動できた
翌日、2回の公演
チケットは売れ残りが出た
料金が75香港ドル(日本円3525円)と高かったし、ビートルズを知らない人も多かった
観客は静かなものだった
赤字だっただろう
翌日すぐにオーストラリアへ発った
オーストラリアでは雨の中、空港から無蓋トラックに傘をさして乗った
(ファンがよく見えるように)
すると一人の女性が「ポール、この子を受け止めて」と叫びながら6歳の精神障害児をビートルズに投げつけた
ポールはその子を受け止め、少年はすぐに母親の元へ戻された
ビートルズなら面倒見てくれると思ったのだろう ジュリアンは少年時代、ジョンから父親としての愛情を受けられなかった
コンサート活動が忙しくてかまっていられなかったこともあるけど
そにため大人になって変態男になった理由かもな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています