HELP!4人はアイドル♪BEATLES
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
ストーンズをヨイショしてるへそ曲がりのひねくれ者には困ったもんだ
世間からも相手にされないカス野郎なんだなw 東芝オデオン盤は「ヘルプ!」から厚手見開きジャケットになった
価格が¥1800で赤盤だ モノラルが1500円、ステレオ1800円だったな
この年、確かシングルが330円から370円に値上がりした ビートルズのコンパクトは沢山あったけど
ヒット曲の少ないアーチストは、4曲はめこむのに苦労していたね 映画HELPの挿入曲Ticket to rideの短編映像
最初に映る巨大チケットには日本語で「プレイガイド」や「都電銀座二丁目(?)」等の日本語が見えるんだよね
http://www.youtube.com/watch?v=bYhok-oae_0&sns=em ハード・ディズ・ナイトは東銀座にあった松竹セントラルで
ヘルプは銀座にあったニュー東宝で観た
今はともになくなってしまった映画館だ やぁ!やぁ!やぁ!の時は予算約56万$、HELP!では一気に予算100万$のカラー作品になったんだよな いったんトップの座を勝ち取ると人間はだらけてくる
ハード・ディズ・ナイトの新鮮味がヘルプでは失われた 悲しみはぶっとばせのシーン
床を低くした住宅なんて初めて見て驚いた思い出がある ふっとばせの邦題が、少し流行ったのかな
暑い夏をぶっとばせ/ナットキングコール
GTOでふっとばせ/ロニーとデイトナス
「悲しみはぶっとばせ」はビーチボーイズもカヴァーしていたな あらゆるアーティストにカヴァーされたビートルズの曲
これは最多記録だ 涙の乗車券"Ticket to Ride”のカバーはカーペンターズが最高だな。 厨房の時、涙の乗車券はカーペンターズの素敵なオリジナルだと思うていた
ある日クラスメイトにビートルズが本家だと聞いて、そちらを聴いてみてheavyなリズムと歌に痺れた エルトンジョンはビートルズの曲をカヴァーして全米1位にランクインさせた ジョンのあの事件の直後、地方局で「HELP!」が昼間に追悼で
テレビ放映された!
昼間だったので部活さぼった 当然ビデオ・デッキはまだなかったから
ブラウン管にカセットくっつけて、一生懸命吹替え見ながら録音した
一度リバイバルで劇場で観てたし吹替えなのに、それでも十分嬉しかった
録音しながら、映像見て笑えるわ、ジョンを見て泣けて泣けて
カセットテープには自分の泣き声までしっかり録音されていたよ
その時、「65年の映画だもんなあ古いなあ」って80年に10代の自分は見てたけど
あれから今年で37年も経ってしまったよ こうしてみんなとまだビートルズについて語ってる不思議 12月はクリスマスと同時にジョンが亡くなった悲しい月でもある 12月8日は日米開戦の日と同時にジョンが射殺された日でもある。 ヘルプ!の頃まででジョンは創作能力を使い果たしてしまった
その後は駄作ばかりしか書けなくなった >>31
そう11月29日はジョージの命日だった
TVドラマ『家政婦のミタ』の主題歌、斉藤和義の『やさしくなりたい』
このPVは'66年のBEATLES来日武道館liveを再現しているパロディでありBEATLESへのオマージュ
斉藤がジョン、リリー・フランキーがポール、漫才コンビ2丁拳銃の小堀裕之がジョージ、そしてリンゴ・スターはauのCMの金太郎・浜田岳
特に小堀が当時のジョージに雰囲気そっくりw
(このYouTubeは約一分の短縮版) ラバーソウルからジョンとポールの立場が逆転した
このアルバムがビートルズの分岐点になった 次のアルバム「リボルバー」のアメリカ版LPなどはジョンの作品はカットされたもの リボルバーの収録曲「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」は
シングルカットされてれば文句なしに全米第1位になっていた。 ビートルズをかなり研究してるねw
それにしても小堀wWWW ヘルプ!のアメリカ盤のイントロにはオケが導入されていた 「プリーズ・ミスター・ポストマン」はカーペンターズ・ヴァージョンで
初めて聴いた。日本でもヒットしていたからね。
でも後で「ウイズ・ザ・ビートルズ」を買ったら同曲があったので、
「ああ、これもビートルズ・ナンバーのカヴァーか」とその時は思った。
実はビートルズもカヴァーしていたのは更に後になって知った。 ビートルズによるカヴァーはオリジナルを遥かに凌いでいる
それだけビートルズは音楽の感性がずば抜けていた >>43
アメリカ盤サントラは、007風にアレンジしたサントラ曲も入ってたよね
この頃の英国の最大の輸出品は、007とビートルズ
映画HELP!にも、流行のスパイ仕立てをおとぼけ風に取り入れてたな
それにしてもこの頃の公開映画は寝ても覚めてもB級モノも含めて
007に触発されたスパイ作品の応酬だった!70年代のカンフー・ブームの前哨戦のようだった 音楽学校時代アレンジの講義でドンセベスキーのアレンジ書を取扱った
カーペンターズのザ・ビートルズ・カバー曲のアナリーゼ(楽曲分析)において
カーペンターズの独自性、方向性は
ザ・ビートルズが他者のカバーをした音楽的コンセプトと真逆の方法であったとの事
ザ・ビートルズとカーペンターズのカバーの方法論は全く違うが
既製の方法論からの逃亡である点において、ザ・ビートルズもカーペンターズも同じであった
どちらもクリエイターとしての意地を見せつけた尊敬すべきアーティストだという話だ >>38
>>37
ファンなら誰でも知ってることを自慢気に知ったかするな liveでポールのサージェント-のパワフルな熱唱を聴いて感動した思い出 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのようなくだらない
アルバムからポールがのさばり始めたんだ マジカル・ミステリー・ツアーでは完全に狂人と化したビートルズが描かれている >>50
私もライブでポールを!ビートルズナンバーを生で現実に聞けて幸せだった♪♪♪
サージェントペパーズを初めて聞いたのは映画『イエローサブマリン』で サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド
Beatles、ポールにミュージカル音楽のセンスがあることを示す事になった作品。 あの異様なサイケ調のジャケットは誰のアイディアなんだ? 後期はすべてポールが3人をアゴで使っていた
ジョン、ジョージ、リンゴが反発したのも無理はない 音楽板のジョンオタ、ストーンズ、プレスリーオタが我慢できずに湧き出してるなw ビトルズ解散で裁判沙汰になったとき、ジョージはポールを徹底的に批判した この映画はカラーで絶頂期のビートルズが見れる
今となってはファンにとっては最高の映画!
しかしポール曰く「ずっと指輪どこ〜って言ってるだけの、つまらない映画だよね
僕らは完全にやる気を失っていた」と後で語ってるのは軽くショックだったな
「何より脚本がビートルズと仲良かった前作のヤアヤアヤアのアラン・オーエンと
違い「ヘルプ」の脚本のマーク・べームはビートルズの事をほとんど知らない
出来合いのセリフを与えられただけだった
みんなセリフを口に出したくもなかったという態度がスクリーンに出てるだろ」
そっかなあ 結構楽しそうに見えるよねw 適当具合がイイ 台本を読んでいちばん喜んでやる気まんまんだったのがポールだぞ ヘルプのA面はジョンの4作品が光っている
B面はポールのイエスタディ、夢の人が光っている ここのスレ面白い
リアルタイムにThe Beatlesを聞いてた人いらっしゃいますか?
そういう人達のご意見・ご感想・蘊蓄が聞きたいな ヘルプの東芝オデオン赤盤LPを持っていたけど、中古レコード屋に売ってしまった
いま考えるとバカなことをしたもんだと思う Help!が発売された当時、初めてLPレコードというものを買った
確か\1,500と記憶している
このスレを見ていたら、ステレオ盤は\1,800で、モノラル盤が\1,500だったと書かれている
一応、ステレオセットで聴いていたのだが、あれはモノラルだったのだろうか
そういうこともよくわからなかったのかなと我ながらちょいと驚く ヘルプの前後ぐらいが、ちょうど値上がりした時期だったと思う
シングルは、涙の乗車券あたりだったかな 中学生の頃、クラスメイトが涙の乗車券のepレコードを只でくれた あの当時のシングル盤はモノラルでしか発売されてなかった
1枚¥330だったよ まだステレオ装置が一般家庭に普及していなかった時代でもあった
よほどの裕福な家庭でしか買えなかった >>70
1960年代初頭に国内メーカーが大々的にステレオの売り出しにかかった
高いセットも安いセットもあり、特に裕福な家でなくても手は出せた
それでもステレオまで買って音楽を楽しもうという気がない家庭のほうが多かった時世ではあったが
うちは'62年に1万円の廉価版と言えるステレオを買った
今の貨幣価値で7〜8万円といった感じかな ジョージ・マーティンはsgt.peppersの頃までもLPをモノラル盤で作っていたが、イギリスあたりは随分保守的だと思う
日本人は新技術家電大好きで、テレビ、ステレオ、カラーテレビ、カラーフィルム、ビデオ、ウォークマン‥と飛びついてきた歴史がある イギリスではLPをモノラル、ステレオと作っていたのだろうが、日本では両方あるやつについては当然のようにステレオしか発売していなかったと思う
イギリスと日本は違う ビートルズが登場したころは
クラスの中で家にステレオあるのは、せいぜい2〜3割ぐらい
たいていは、安物のプレーヤーと170円のレコード針を使っていた
シングルが、330→370→400円と上がっていくのは、ガキにはこたえたよ
LP買えるのは、お年玉貰った1月2月ぐらいだったな >>75
友達のところにあった6万円のも載ってないな
極く一部が書かれてある記事だな
そんなにメーカーや機種が少なかったことはない
うちのはコロムビアだった ステレオ装置が家庭に入り始めた頃はターンテーブルが17pのものばかりだった
おまけに一体型の製品がほとんど 関係ないけど、コロムビア=現在デノンDENON大好き♪
今も老舗で頑張ってるし、イイ音出すよ
今もアナログ聴いてるがデノンで聴いてる 中学のクラスメイトから只で貰った涙の乗車券のシングルレコードは当時500円くらいでステレオ録音だった
B面はyes it isだった…かなあ? >>80
涙の乗車券のカップリングは、イエスイットイズで合ってるけど
500円でステレオなら、シングルではなく、コンパクトLPだな シングル盤は330円でモノラル
コンパクト盤は4曲入り500円でステレオ
コンパクト盤のほうが徳用だった ただ、コンパクトが発売されるのは
曲がヒットしてから、何ヶ月もあとだった ヘルプ!はジョンの心の叫びだった
映画の内容はコミカルに描かれていたけど
ジョンの心情はこんなものではなかった アイムダウンは、日本公演のラストで唄われたが
全体の選曲は、ちょっと違和感があったな
日本でのヒットを重視した選曲という話だったけど
その割には、国内でガンガン流れて、誰もが口ずさんだ
「プリーズプリーズミー」や「恋する二人」は入ってなかった ビートルズ公演の曲目は決まりきったどこでも同じもの
その年その年で改訂はするので、'66年には初期の曲はもう演っていなかった YouTubeで見ると1966年の各国でのコンサートはみんな日本公演と同じ曲目だったよ コンサートのトリを受け持ったのは必ずポールであった 一部のヘビーなファン以外は
「ヒット曲があまり入ってないな」と思ったのは確かだわな 映画『ヘルプ』の「恋のアドバイス」録音シーン
リンゴが葉巻かタバコを燻らせながら目を閉じ恍惚とした顔でリズムを刻む…と記憶
あれは普通のタバコではなかったのだろうか? タバコは吸い放題だったからな
ガムを噛みながら事務仕事をやると怒られたが、タバコは平気だったもの 4人ともタバコは吸っていたからな
だからみんな声が悪かった
歌手の声ではない タバコ以外を吸ってたのはアンソロジーでも話してるけど
さすがにカメラ前ではないだろう メンバーがマリファナを吸いだしてからヘンなアルバムばかり制作されたんだ 今日は命日か…
John Lennon "Happy Xmas (War Is Over)"Offical Video
♪http://www.youtube.com/watch?v=S84RLgnz7Rs&sns=em ジョンが射殺されたことをニュースで知ったときの衝撃は忘れられない
あの犯人がまだ監獄で生きてることがおかしい 何年経っても、あの日のあの時の事が忘れる事はないよね 寒い日だったね
夕方のニュース見て泣いて友達に電話して二人で泣いた
あの時でも本当に大きな事件だったから
今のようにネットのある世の中だったら情報は錯そうして
一晩中日本でもファンが集っていたかも知れない
ジョンが生きてる間にファンという認識を持てた事が振り返ってみてとても嬉しい 再スタートをきった矢先に殺されるなんて残念でならなかった スターティング・オーヴァー
この曲を聞くと悲しくなるよ
これから出直しだ、と言ってるときに殺されちゃうなんて 1980年12月8日夜、タクシーでダコタハウスへ戻ったジョン・レノンは玄関脇に男が立っているのを見て、昼間サインを求めた男だと気づいた
その数秒後、Mr.Lennonと言う呼びかけの声が聞こえ、同時に背中から飛んできた銃弾が頭のそばをかすめた
それから立て続けに背中左側に2発がヒットした
その後また2発が左肩を貫通した
ジョンは、I'm shot,I'm shotと言いながらハウスへの階段を登ったところで床に崩れ落ちた
ドアマンが銃撃犯マーク・チャップマンの手を揺さぶって銃を離させ、Do you know whhat you've just doneと大声で問いかけると、
チャップマンはYes,I just shot John Lennonと静かに答えた
救急搬送された先で医者は、このような重症を負って人は数分間も生きていられない、と言って死亡を確認した キース・リチャードが「早く犯人を釈放しろ、この俺が撃ち殺してやる」と
息巻いた気持ちがよく分かる 去、チャップマンの仮釈放申請があるたびに、「今度は私が狙われる」と懸念するオノヨーコが反対してきたという
向こうには仮釈放を検討するのに被害者側の意見を聞く制度があるらしい オノ・ヨーコの意向以外にも警察側には…
既に老境のチャップマンが今度はジョンの支持者に撃たれたり、またリンチに掛けられたりすることも懸念しての判断だとも ヨーコなんか音楽の才能もないし、カリスマ性もないから誰も狙わんのに。 広島の原爆式典にヨーコが招かれて歌って
どんなに素晴らしい歌かと思ったら呪文のような恐ろしい歌だった あの糞ババァのヨーコなんかと一緒にならなければジョンは射殺されなかったし
いい曲もたくさん書いてた 日本時間では今日 アメリカでは今日でしたよね
12月8日 忘れようにも忘れられない日 37年前のこの夜 泣きっぱなしだった
このスレの人達や世界中のビートルズ・ファンの人達と同じ気持ちだ
ジョンが1年中で一番恋しくなる日 この日が来て師走を迎えてクリスマス
37年間もうずっと年末は、こんな風に染みついてる
ジョンにもう一度会いたいなあ I miss you John ブスBBAのヨーコと一緒でなければさらに同情されてた
なんであんなドブスなんかと結婚したのか >>113
爺さん、いちいちID変えるの大変だろ? そう大変なんですよ
簡単なやり方あったら教えてください ジョンが射殺されたとき、真っ先に駆けつけてきたのがリンゴであった。 映画HELP!のレスター監督「この脚本は“ビートルズ 2”との仮タイトルのもと執筆され始め脚本家と僕は“Help”とタイトルにしたいと思った。
しかし著作権専門弁護士が『その名前は既に他が登録している』と言った。それでリンゴが“Eight Arms〜と案を出してくれたが…
言うまでもなくこのタイトルで曲を作ろうという意慾は伝わってこなかった。
もう一度、一か八か弁護士に電話してみたら『!記しを付ければOK』と、それからビートルズは作曲に取りかかり戻る車の中でも作業を続た。
翌朝、彼らは曲を持ってやって来た。ピッタリの曲だって思った。それからすぐにアビーロードで録音したんじゃないかな。その後のことはみんなが知っている通りだ」 映画に出てきたあのアパートがお洒落♪
あのデザイン考えた人スゴイわ
色合いといい、センスといい、とても50年前以上前とは思えん
ジョンの底下ベッドイイなあー
部屋の中に人口芝はあるわw
飲料水どころか、サンドイッチの自動販売機あるわ
4人一緒だから寂しくないし、個人空間あるからプライバシー守れるし
あんなアパートに住みたい 仕事を終えてそれぞれ隣り合う住居の扉へ消えてゆく四人
ところが入ってみれば仕切りもない大部屋
この意外性で笑ってもらおうというのだろうな
あんまりわざとらしくて笑うのも忘れてしまったが >>125
あれシーン見るとビートルズはホント今でも通用する
アイドルの原点だったんだなと何度見ても思っちゃう!
それにしても70年代名画座で見たガジガジの汚いフィルムより
現在の美しい画質で蘇った「HELP!」の方がずっとビートルズが
新しい存在として見れる不思議 シングル最強のカップリングは
ノーリプライ/エイトデイズアウイークだな
異論は認める なぜアメリカではノーリプライをシングルカットしなかったのか?
シングルカットしていれば間違いなく1位になったのに 「Eight Days A Week」は、アメリカではシングルA面としてリリースされチャートNo.1を獲得した レコードはとっくに失くしてしまったけど、日本では
フロムミートゥユー/アイソーハースタンディングゼアのシングルだったかな
これも高レベル ユゴナ ルザッガァ
ィエス
ィエスゴナ ルザッガァ >>132
you're gonnaだから、ユゴナでなくてヨゴナ
>>134
アナザーガールのギターはジョージが頑張って弾いていたものをポールがバッサリ切ってしまって、自分の弾くギターに差し替えてしまった >>132
♪ア シンカンゴナビセエ ア シンクットゥデー−−― イエッ ヘルプ!に次ぐ3作目に期待したが立ち消えになったらしい 1枚のアルバムのレコーディングは何日かかって終えたんだ? LP1枚は何日のレコーディング、と決まっているような質問をされてもなぁ
早いのも遅いのもあるわ、そりゃ 人体をチェーンソーで刻むシーンが出てきて驚いた
ああいうチェーンソーの使い方はウェス・クレイヴンの「鮮血の美学」が最初という
説を聞いたことがあって漠然と鵜呑みにしてたんだが、これが既にやってたんだな
リチャード・レスター偉い リンゴのズボンのチャックがずり落ちてくるシーンでは
観劇してた女の子たちがキャー!と叫んでたっけ
今から51年前のニュー東宝での体験だ この映画で初めて「英国式コメディ」というジャンルを知った気がする
アメリカ映画とはまったく違うギャグなんだよな ビートルズの、「悲しきカンガルー」は、誰が唄っているんだろう
ロルフ本人の声のような気もするが
https://www.youtube.com/watch?v=G2MoheiCmlg かってMLの付録として付いていた4人のメッセージとクリスマスソングを歌った
ソノシートを持っていたけど、どこかになくしてしまったよ クリスマスソノシートも初期の頃は"ポールです。クリスマスおめでとう"みたいなアイドルの挨拶然としたものだった
そのうちにそういうのがアホらしく思って来たのだろう、おふざけがひどくなってくる
ジョンなどは気味悪い声を面白がって出すし、後の"you know my name"のレコード制作の乗りだ
末期の"X'mas time is here again"の歌声も、「ま〜たクリスマスが来ちゃったよ」という感じに聞こえる ハニーカムズのソノシートもあった
来日直前のインタビューで日本のファン向けの
ザッツザウェイの替え歌を披露していたな >>157
MLの付録だったかな。デニスとハニーが喋りまくっていた
ジョン、ポールにクリフ・リチャードもあったね ハニーカムズは、来日を控えて日本で発売したシングル盤の曲(題名は忘れた)しか知らなかった
来日公演をテレビで見ていたら、その日本でだけのヒット曲は唄ったにしても乗り気でない感じ
対して、ハブ・アイ・ザ・ライトという知らない曲は気合の入った歌い方だった
あとで知ったがこの曲は全英第1位、アメリカでも5位を取った彼らの大ヒット曲だったのだ あの頃はのどかな時代だった
今なら著作権法がどうたらこうたらとうるさいからな >>159
何という曲だろう?
アイ・キャント・ストップなら、そこそこヒットしたし >>156
BEATLESの寸劇みたいなものがあり、ジョンあたりが女役で「Nowhere man」をふざけたオペラっぽい感じで歌ったりした内容だった >>145
映画としての価値なんてどーでもいーーー!
んだよ あの当時、バイトして買ったLPがベンチャーズとビートルズだった
東芝の赤盤がきれいで輝いていた
自分の稼いだ金で買えたうれしさは今もいい思い出だ 医大の解剖用死体がホルマリンのプールの中を浮かんでくるのを棒でつっついて沈めるというのが、高額アルバイト伝説だった
あと、高級ホテルで有閑マダムのお相手を務めるというのと この季節になると冬休みにアルバイトして小遣を稼いだ思い出がある
もちろん稼いだ金でビートルズのレコードを買った いたいけない子達がアルバイトをして貯めた金でレコードを買う
ビートルズは勤労生徒達の生き血を吸っていたのであるな ビートルズのレコードはLP、EP何枚も買った
当時の若者のハートをつかんだ東芝は大儲けした 当時の若者って今では60代から70代くらいの年齢の人だよね。
そう考えると感慨深いね。だって当時は戦後20年くらいしか経ってなくて、
上の年代は殆ど洋楽なんて聴いていなかった。
自分は今50代だけど、自分が小さい頃ですら長髪やロックは不良の代名詞。
逆に今の若者はあまり洋楽聴かないんだよね。 戦後間もないから洋楽はほとんど聴かれてなかった、と簡単に総括するのもなんだかと思う
敗戦でアメリカさんがどっと入ってきた
(戦前から西洋あちゃらか音楽の素地もあったけど)
40年代には早くも笠置シズ子のブギウギリズムがヒット
50年代のウエスタンやロカビリーにシビれる若者たち、
60年代の親しみやすいアメリカンポップスをラジオやレコードで聴き、
それをカバーする歌手達のテレビ出演など、一定の洋楽市場はあった
ほとんど聴かれていなかったというものでもない 音楽に限らず、全般にアメリカへの傾斜はたいしたものだったということ あの頃さかんに買った東芝レコードはいまはなくなった
懐かしくもあり、いい時代だったな 東芝にとっていい時代だっただろうな
東芝レコードのアメリカ勢はビーチ・ボーイズが目立っていたくらいのものだったが、ヨーロッパ勢が凄かった
英仏伊と目立つアーチストを網羅し、ローリング・ストーンズが他のレコード会社だなと思うくらいの程度
ブリティッシュ・インベージョンと言われた時代にこれは凄かった
前田武彦の『東芝ヒットパレード』をラジオで聞いていればその時々のヒット曲はたいてい聞けた気持ちになっていたものだ 東芝はビートルズ、ベンチャーズを抱えていたのが強かった
レコードは飛ぶように売れたもの ビートルズNo.5はなぜモノラルで発売されたのか? ドイツ語の2曲はいれる必要なかったな
ほんとうにズッこけたもの 日本でのビートルズNo.5のジャケットは米国盤ビートルズ65のジャケットを使用した オデオン以外のレーベルも、人気アーチストが揃っていたね
キャピトル…ビーチボーイズ、キングストントリオ
リバティー…ベンチャーズ、ジャンとディーン
ワーナー…PPM
デル・シャノンはどこだったかな? ステーツサイドに移籍してからハンディ・マン、太陽を探せのヒット曲を出したぞ
ビッグトップ時代は悲しき街角、花咲く街角、鏡の中のジニーのヒット曲で有名 デル・シャノンは移籍してから何枚かのLPを出していたけど
まさか自殺するとは思わなかった >>163
もしかして、映画のLet it beの価値を認めてくれる方?
あれBeatles解散直前の貴重なドキュメンタリーフィルムなんだよね。
しかも曲作りの過程が(真実かヤラセか知らないけど)記録されていて、
ファンなら一見の価値があると思うけどね。 初めてビートルズをアメリカに紹介したのがデル・シャノンであった
すでに彼らの才能を見抜いていた 「踊ろよ、ベイビー」は、いろいろカバーされているけど
デル・シャノンが一番聴きやすい 悲しき街角や、花咲く街角のころは
日本は、カバーポップス全盛だったな
デル・シャノンは、飯田久彦や坂本九がカバーしていた
どっちも、間奏部分が懐かしい ビートルズが1964年にアメリカへ初上陸したとき
デル・シャノンが滞在中のホテルに出向いて話してるフォトがMLに載っていた >>196
載っていたね
ポール・アンカが足止めを食らったという、おまけのエピソードがあった あの当時のアメリカポップス界はビートルズの凄まじい人気ぶりに嫉妬していた
これは紛れもない事実 そこでアメリカでの対抗馬としてプロデュースによりアメリカ人バンドのモンキーズを立ちあげた(デイビーはイギリス人) モンキーズの連中は楽器演奏もできない、作曲もできない
作り上げられたインチキグループだったんだよ マイク・ネスミスはガチのミュージシャンだったろ 当時から作曲もしてたし
てか今マイク・ネスミス検索してその容貌にたまげた あと経歴にも
多才な人なんやね ビートルズ人気に便乗してアメリカに殴り込みをかけた英国のバンドは数多かった
でもどれも1〜2年程度であっという間に消え去った サーチャーズ、ゾンビーズ、マンフレッドマン、ジェリーとペイスメーカーズ、アニマルズ
デーブクラークファイブ、ハーマンズハーミッツ、ハニーカムズ、ローリングストーンズ
スウィンギンブルージーンズ、みんなビートルズ人気に便乗してアメリカに乗り込んだが
いま生き残ってるバンドは一つもない
いかにビートルズの存在が巨大で偉大だったかが分かる >>203
>いま生き残ってるバンドは一つもない
いや、ビートルズも生き残ってないんだがw
その中ならストーンズだけは唯一生き残っているんだがw >>203
>アニマルズ
エリック・バードンの歌をちゃんと聴いたことないだろう?
レディ・ステディ・ゴーで彼がオーティス・レディングと共演した時は
負けずにシャウトしていて凄かったぞ。
それから、アニマルズの曲はヴァン・ヘイレンもカバーしてるし、
ロックの殿堂入りもしている。 いずれもBEATLESには及ばないが、なかなかに健闘したバンドはいた。 ビートルズのディスクは何回も内容を代えて発売され、そのつど売れている
ところが他の英国バンドはそれがまったくない
とっくに忘れ去られた エリック・バードンも、日本に居残ってあの声で浪花節をやればよかった フロムミートゥユー
アイソーハースタンディングゼア
ドゥユーウォントノウアシークレット
ビートルズは、曲名を
日本人の中1英語の文法に合わせてくれていた Can't buy me loveや I should have known betterはちょいと難しかったけれど ビートルズ解散後の英国にはアメリカで通用する歌手が一人も現れなかったな
いかにビートルズのおかげで得をしたか分かる ビートルズを持ち上げたいからって他のミュージシャンをけなすのはみっともない態度だな。
確かにビートルズは別格だが、アメリカで通用してるミュージシャンなら山のようにいるだろう。
ツェッペリン、クラプトン、ロッド・スチュアート等々。枚挙に暇がないわ。 ビートルズがいなかったら相手にされなかった連中ばかりじゃん イギリスのシンガーなんてビートルズ以外はカスばかり クイーンとかちょっと前はオアシス、今はコールド・プレイ
イギリスでは絶大な人気だけどアメリカではそれほどっていうバンドは多かったな
でも逆にアメリカでは売れまくっても英国では売上に結び付かないってのも多い
最近のイギリス出身アデルやエド・シーランはアメリカ=世界でも売れまくってる
アイドル枠から世界頂点のバンドへ移行してアメリカ席巻したのはビートルズだけ あれほどアメリカ制覇を願ってたクリフ・リチャードはまったく無視された
イギリスではナンバーワンの人気を誇っていたんだが クリフ・リチャードのヒット曲、バチェラー・ボーイ
♪ Son, you are a bachelor boy
Until your dying days
一生、女と結婚する気なんてないクリフの歌‥ オナンは女の身中へ射精する事無く、地に漏らすばかりだった
オナニーの語源であるオナンのやったことは手淫ではなかったのだ
途中で引き抜いたんだ いつものジジイ、こんどはクリフを目の敵か
もう、施設に入れや なぜイギリスのようなポピュラー歌手不毛の地で
ビートルズのような飛びぬけたバンドが出現したのか?
いまもって謎である イギリスでビートルズの後を継ぐアーティストは二度と現れなかったな >>223
ポールの父親は音楽家 小さい頃から音楽に飛びぬけて溢れた家庭に育つ
ジョンはおふくろさんが大の音楽好きでハンジョーの名手
ジョージは早くから音楽に目覚めロックン・ロール
リンゴは義理父のプレゼントで幼き頃ドラムをプレゼントされてからドラム一筋
やっぱり何だかんだでみんなルーツがあるのね
そんじゅそこらの連中が単に集まった訳じゃない4人が出会ったのが奇跡だ ジョンがバンドを組んでいなかったらポールとは永遠に会えなかった >>226
>ポールの父親は音楽家
音楽愛好家ではあったけど音楽家ではなかったんじゃないの?
セミプロとして稼いだときもあったけど基本的には綿花会社の勤め人。
ポールがジョンとの音楽活動でなかなか芽が出なかったときも
いいかげん堅気の仕事につけや、って圧力かけたらしいし。
で、自分も堅気の職につきたいと思ってたポールは(父親はポールの手本だった)
音楽活動を止めて工場に就職しちゃったことがあったそう。で、慌てたジョンに
「俺(音楽)と工場とどっちを取るんだ!」と迫られたとか。 >>228
ちゃんと>>226だが、と前置きしろよ
自演野郎w >>228
ポールが一度は工場に就職した-って話は初耳 >>229
自演じゃねえよ
低能野郎w
>>230
『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク著)
て本に書いてあったことだよ ウソかホントかは知らんw
「ポール 父親」でググれば見つかるよ(内容が読める) >>231俺も初めて聞いたエピソード
90年代前半の来日特番の際、飛鳥との対談でポールがレバー引いたり押したりする
仕草をしながら「労働しなきゃいけない人が多いのに、好きなことで生きていける事
は幸せだ」と言っていた。労働経験あるんだなポールも。 4人とも貧乏人の倅だったビートルズのメンバー
その逆境を跳ね返して地位と名声を得たのは凄い 4人が裕福な金持ちの息子だったら、あれだけの才能は開花できなかった ♪ Christmas time is here again ‥
https://youtu.be/_jxGnP536AU?t=9 確か、有馬記念のころだったな
日本で、アイ・フィール・ファインが発売されたのは Thank You>>237
♪Paul McCartney - Wonderful Christmastime
http://www.youtube.com/watch?v=fwd3J_f4F7w&sns=em ポールのつまらないクリスマスソングなど聞きたくもねえ ビートルズには正規のクリスマスアルバムを残してほしかった
いろいろなアーティストもちゃんとクリスマスアルバムを録音してるんだから >>241
ジョン・レノン
「僕たちはキリストより有名」 プレスリーもちゃんとクリスマスアルバムを録音してる ベンチャーズのクリスマスアルバムはじつに楽しい
赤鼻のトナカイの冒頭はアイフィールファインを借用してるし クリスマスソングのレコードなど、それこそどうでもいい
そんなもの、デストロイヤーでもLP出してるわ クリスマスにビートルズのLPを買った思い出がある。 クリスマス・セールとしてその時期にLPを出すのは定番だったな
日本のお年玉目当てのセールみたいなもんだ 僅かなお小遣いをためてLPを買った青春時代が思い出される
それがモノラル盤でもうれしかった ビートルズ!、ビートルズNO.2はオデオン赤盤で所有している 安物のプレーヤーに、でかいLP乗せて、針を置くのは
変な感じがした記憶があるわ うぇなんほん えびすぃん すぃんとぅびいらい!
うぇなんほぉん ふぃりんゆ ほうみたい たい ぃえぇ〜! >>252
LPだとフタが閉まらないんだよね、あれ。 持ち運びのできるポータブルプレイヤーでビートルズを聞いた日々が懐かしい
ステレオを持ってる友達がうらやましかった 1966年ビートルズ来日年の日本のヒット曲 今やスタンダードになった名曲多いなあ
青江三奈 「恍惚のブルース」
加山雄三 「お嫁においで」「蒼い星くず」「霧雨の舗道」
「夜空を仰いで」「まだ見ぬ恋人」
北島三郎 「兄弟仁義」「函館の女」
黒沢明とロス・プリモス 「ラブユー東京」西郷輝彦 「星のフラメンコ」
ザ・サベージ 「いつまでもいつまでも」「この手のひらに愛を」
「君について行こう」
ジャッキー吉川とブルーコメッツ 「青い瞳」「青い渚」
城卓矢 「骨まで愛して」水前寺清子 「いっぽんどっこの唄」
ザ・スパイダース 「夕陽が泣いている」「なんとなくなんとなく」
千昌夫 「星影のワルツ」
園まり 「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」
ダーク・ダックス 「銀色の道」 高倉健 「唐獅子牡丹」
デューク・エイセス 「いい湯だな」西田佐知子 「裏町酒場」「信じていたい」
バーブ佐竹 「ネオン川」橋幸夫 「雨の中の二人」「恋と涙の太陽」「霧氷」
ザ・ピーナッツ 「恋のフーガ」布施明 「霧の摩周湖」舟木一夫 「絶唱」
ブロード・サイド・フォー 「若者たち」「星に祈りを」
マイク眞木 「バラが咲いた」美川憲一 「柳ヶ瀬ブルース」
美空ひばり 「悲しい酒」都はるみ 「さよなら列車」森進一 「女のためいき」
森山良子 「今日の日はさようなら」ザ・ワイルドワンズ 「想い出の渚」
山本リンダ「困っちゃうな」 あの当時クラスでもプレスリー派とビートルズ派がはっきりと分かれていた
でもそのプレスリー派もビートルズの実力と新鮮味にはかなわず
ビートルズのレコードを買いあさっていた
これで完全にプレスリーは過去の遺物とされた 東芝はポピュラー部門でもオープンテープを販売していたんだな クラシックではオープンテープを発売していた
レコードより音質も良く高いのでオーディオマニア向け >>249
家にステレオがあって、LPいっぱい持ってる金持ちの子がうらやましかったな
当時は中学の小遣いが500円か、せいぜい千円。一日10円!というやつもいた
高校で2千円ぐらいだったか
LP買えるのは、お年玉の集まった1月2月ぐらいだった >>266
お年玉でLP買ったなー懐かしい
一気に4枚とか買えてもう嬉しくて嬉しくてな
今でも大事に持ってるわ 昔の正月はどこも4日からの営業だったよな
1月4日に銀座の十字屋(もうとっくに潰れてしまった楽器店)で
お年玉を集めてLPを買った思い出がある ここでジュークボックスを知ってる世代はいないだろうな >>269
入力ミス?
むしろ、知らないやつがいないだろう ジュークボックスにリクエストされた曲のレコードを機械がわしづかみにするため、
シングル盤の真ん中には大きな穴が必要だった(ドーナツ盤) どこのジュークボックスにも
なぜか、「ポケット・トランジスタ」は、必ず入ってた気がする ポケットトランジスタをヒットさせたアルマコーガンがジョンレノンと愛人関係にあったことが最近明らかになった
ジョンがシンシアとの婚姻中の不倫だったが、アルマは1966年に癌死した アルマ・コーガンといえば「グッドバイジョー」が日本で大ヒットした
いろいろな歌手がカヴァーしていたっけ アルマ・コーガンは、来日したときに
松尾和子だったかの歌謡曲を唄っていたな
>>274
園まりは、グッドバイジョーが、ほぼデビュー同然だったと ♪今夜BS JAPAN 7ch♪
年忘れシネマSP第2部
『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』(無料TV初登場!)
12月31日(日)夜9時15分〜夜11時30分
ビートルズの貴重な未公開映像に著名人のインタビュー
誰もが知っているバンドの知られざるツアーの物語がロン・ハワード監督の手で鮮やかに甦る!
1963年に始まった15カ国90都市166公演におよぶツアーの様子と世界中の熱狂
そしてザ・ビートルズの4人が最後に観客の前で演奏した1966年8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パーク公演まで
バンド全盛期を多数のライブ映像、著名人や関係者のインタビューを織り交ぜながら、彼らの曲の変遷と驚異的な人気の理由を探る。 イーストウッドの、深く、ツライ映画の直後だが、さて A HAPPY NEW YEAR!
^-^)/▼☆▼\(^-^)
ジョージのゆく年くる年
の歌
『Ding Dong♪Ding Dong』
http://www.youtube.com/watch?v=VggAH1dk3Qk&sns=em 今年はビートルズがコンサート活動をやめて50年
レコーディングのみに集まっただけの冷えたバンドになってから半世紀だな >>278新年おめでとう!!ding dong ding dong♪
>>279
いい歳の拗ねた独居老人の貴方にも今年がding良いお年となりますように。 ビートルズはわずか7年の間に永遠に名を残した超特級のバンド
そのリアル世代は幸せ者 ビートルズはいつだって現在進行形だった
回顧することになるなんて思ってもみなかった
アイムダウン アイムリアリダウン
アイムダウン ダウンオンザグラウン・・・・
老人はうわ言のようにそう歌いながら息を引き取った
だが私がこう歌いかけてやると一瞬かっと眼を見開いた
ハゲの裸婦! ウェニュノアイムダウン!
ハゲの裸婦! ウェニュノアイムダウン!
そして再び目を閉じると、安らかに逝った 日本独自でシングルカットしたレコードでよく売れたのが
ロックンロールミュージックなんだよな
たいしていい曲でもないのに ビートルズ65はよく聞いたLP
カヴァー曲もふんだんに取り入れてバラエティに富んでた カヴァー曲で人気のあったのがMrムーンライト
来日時のテレビ映像のBGMとして使用されていた カバーをやってたビートルズが次第にカバーやらなくなって
ロックン・ロールからロックへと移行していた時期だったよね
日本は来日時の翌年、GSとか空前のエレキ・ブームが起こったくらいだから
当時のリボルバーやサージェントなどハテナマークだったろうなあ
ポール曰く「うん、僕らの前座に、僕らをパロッたコミック・バンドが出てきて
僕らを歓迎してくれたよね。ああやって僕らを歓迎してくれたのはとっても嬉しいことだったよね。
あの頃の日本ってまだロックっていうのが浸透してなく未知で知られてなかったんだよね。
今の日本は勿論全然違うけどね。」とアンソロジーなとで語っております。 ドリフのコミックバンドはまァ許せたが、他のタレントどもの
みっともない歌は聞いていて恥ずかしかった 前座に出た歌手たちは控室に閉じ込められてコンサートを観劇するのを禁止された
なんでそんなことをしたんだろう 加瀬邦彦はナマで観たいがゆえに即ブルージーンズを脱退した
三原綱木は控室にあったスピーカーからテープレコーダーに録音した チケット入手がきわめて困難な中
当たり前のような顔して、前の方の席で観賞する芸能人もいっぱいいたな
荒木一郎とか。
子供心に、不条理を感じたわ 青春アイドル歌手、望月浩クンも「キミにしひれて」を歌ったんだよね
風が吹こうと 花散ろと ボクの恋人 キミひとり〜♪ 望月浩、こいつほど見ていて赤面した奴はいなかった
じつにみっともなく恥ずかしかったぜ 歌ってる最中にマイクが動いて、ポールがマイクを直しながら歌いづらそうだった 厨房の頃なけなしの小遣いを握りしめて迷いに迷ったあげく、
オールディーズとかいう初期ヒット曲を集めた糞LPを買ってしまった俺。
隣にあったアビイロードを買っときゃよかったと後悔すること幾十年… アビーロードの方を選ぶ中学生ってのもカワイくねぇな‥ ビートルズがベストオブのLPを出すなんて信じられなかった
通常は落ち目の歌手が出すもんなんだけど まあおかげで、ベストアルバムを何枚も出せるという
音楽業界にとっては新手が生まれた ベスト・オブなんちゃらとか、ゴールデンアルバムとかいうヒット曲の寄せ集めは
以前からもあったけどな ピート・ベストのLPで"ベスト・オブ・ビートルズ"というのがある ファンにとっては、ミート・ザ・ビートルズが、すでにベスト盤 ベストアルバムはラバーソウルだろ
それ以降のものは駄作ばかり オールディーズは俺も買った
いい買い物をしたと思った ビートルズを1枚で満足するなら買えばいいだけのニワカ向けのLP
俺はほんとうのファンだからあんなもの買わなかった ビートルズには
「ほんとうのファン」と「ほんとうではないファン」とがいるのか。
勉強になった。 真のファンなら東芝オデオン赤盤時代からのレコードを全部所有してるよ
キャリアをみてから偉そうなこと言え 年末の番組で知ったんだけど
車の中からポールに対してのエプスタインのラブレターの話が興味深かった
エプスタインの薬死亡説ってマネージメントの過酷さよりも
失恋の痛みって事かな? メンバーはみんなホモスタインにオカマ掘られていたのか >>308
俺はいい買い物をしたと思うんだからいいだろう
全く余計な世話だぜ、ほんとうの馬鹿ハゲ爺w >>308>>311みたいな無粋な禿は音楽板のスレへ逝けや。
おまえらみたいな感じのガキっぽいキモ禿が幾らかいるぞ。
レコードを1枚も持ってなくてもBeatlesが好きなら立派なファンだよ。 まあ、仲良くやろうや
ここは、ビートルズ板のように、変なやつだらけではない
モノラル盤の世代、CD世代、ネット配信の世代、みなそれぞれ
私は、ドーナツ盤を擦り切れるほど聴いた老世代で、いろいろレスしてきたけど
このスレと前スレで初めて知ったありがたい話も、いっぱいある 当時のMLなどは毎月ビートルズ特集をくんでた
これは異例な現象だった
その発売日が待ち遠しかったな〜 ミュージックライフは、大手の雑誌でもないのに、結構取材力があったね
毎月のように、アーチストのロングインタビューもあった
ハーマンズハーミッツ、デル・シャノン、ジョニー・リバースなど、旬の人ばかり 昔読んだ暴露本だとエプスタインの目当てはジョンだったって書いてあったな。
でも、暴露本は色々あるからどれが正しいかは分からない。 MLは編集長の星加ルミ子がやり手だった
渡英してビートルズに突撃取材したのがすごかった
あのときのMLの表紙が兜を持ったメンバー4人と中央に星加ルミ子であった
その他にクリフ・リチャードにも会っている ビートルズ来日記者会見で招かれた女性記者は2人
星加ルミ子と湯川れい子
ビートルズが会場に現れた時思わず感激で「キャア!」って声をあげてしまって
他記者から苦笑が起こったらしい
翌日の新聞に面白おかしく書かれてたってご本人達が笑いながら立腹してたねw
それにしても当時の日本で女性で活躍、英語が堪能ってそれだけで素晴らしいわ >>320
クリフ・リチャードと入れ替わりで、シャドウズとも会見したな
シャドウズは、別の記者が取材に来たとき
「なぜベンチャーズは日本であんなに人気があるのに、我々はだめなんだ?」
と質問して、記者を困らせていた
情報量がそんなに多くない当時でも
同業者というか、同タイプのアーチストの動向は、よく意識していたのかな シャドウズなんてあくまでもクリフのバックバンドに過ぎなかった
ベンチャーズのようなうまい演奏もできなかったレベルの低いバンド
「アパッチ」一つをとってみてもベンチャーズのテクニックにはかなわない イギリスにはシナトラのような大人の歌手がいなかった
どれも若者向けのアーティストばかり
そこがアメリカとの大きな差だ だから革命はアメリカではなくイギリスで起こった
そしてBEATLESは世界を席巻した 1965年の映画"ポップ・ギア"を放映してくれよNHK
前にやる予定だったのは震災でトンでしまった
BSの埋め草のように深夜放映するものだったから再放送もなかった
ビートルズを始めとして当時の英国ポップス勢がズラリと出てくる
EMI勢ばかりだったような気もするが ポップギアは、映画館へ観に行ったけど
ストーリー性は何もないよ。アーチスト演奏の羅列
つべを寄せ集めたら、近いのができそう。
ただ、日本でマイナーだったアーチストを、初めて見られたのはよかった
スーザン・モーンとか、フォー・モーストとか ミュージックビデオとして録画してたんだが、それもVHSの時代で既に失ってしまった
録画しなおしたいから放映してほしい ポップギアで初めて動くビートルズを観た感動は忘れられない
しかもカラーだったもの
今はない上野東急で観たんだよ ビートルズが、ツイストアンドシャウトとシーラヴズユー
アニマルズが悲しき願い、ハーマンズハーミッツが朝からゴキゲン
曲から察するに、収録の時期はとにかくバラバラ 自分は「Complete Beatles」をソフト化して欲しい。
昔、NHKで放送したのを録画して持っていたんだが、
LDが出たときに嫁が買ってくれた。
LDプレーヤーとBetaデッキが壊れてからずっと観てない。
権利の関係で難しいんだろうけど是非ソフト化して欲しい。 あの当時、英国のポップスシンガーはクリフ・リチャード、ヘレン・シャピロ
アルマ・コーガン、ジョン・レイトンしか馴染みがなかった
ただあくまでも英国国内で売れてただけ
そこへビートルズが出現し、アメリカへ進出して大成功を収めたので驚いたもんだ 英国のポップス歌手はアメリカに比べるとインパクトがなかった
そこにビートルズのような型破りのグループが出てきたなんて信じられなかった >>336
お前のレスは、毎回すべて、誰かをけなしてるな
もう、棺桶に残りの片足も突っ込んだら?
生まれてから、友達のできない70年、辛かっただろ? 東京オリンピックのころ、ガンガン流れていたのは
「恋する二人」と、チンクエッティの「夢見る想い」
この2曲は、ほぼ毎日聴いた
ライバルのグループのヒット
「テルミー」「ビコーズ」「朝日のあたる家」なども、ちょうどこのころ
いい時代だったな。歳とってしまったわ I should have known better with a girl iike you that I will love everything that you do‥
Non ho leta non ho leta per a marti non ho leta per usire sola conte‥
Tell me you gotta back tg me you gatta tell me you gotta back to me ‥
It's right that I should care about you just just be here with you‥
There is a house in Neworleans they call the Rising sun‥ ラジオのヒッパレードがどの局も華やかだった時代
DJも懐かしい名前が浮かぶ ヤフオクでストーンズの「ハートオブストーン」が破格のプレミア価格で出てる 日本ではストーンズなどまったく人気がなかった
あの5人のブサイクな連中など好まれなかったのも当然
どの曲もねちっこくて粗悪なものばかりだもの
日本で初めて発売されたテルミーのダサさのひどいのなんのって
それ以来、大嫌いになった そのバンドは不良っぽさが売りであってビートルズとは全く世界が違う
それにしてもここ映画板だよね 英国の60年代四大ロックはビートルズは筆頭で、ザ・フー、ストーンズ、キンクスもちゃんといたよ
ちなみにビートルズは英国の人気投票の1位を初めて
60年代後半レッド・ツェッペリンに奪われた
むしろここのオジサンはその時代の波についていけず66年頃で時が止まってるのでは?
だから他のアーティストやバンドばっかし貶してる 解散してから随分と時代・世相は変わったのにBEATLESの音楽、魅力とその名は健在なのがすばらごい >むしろここのオジサンはその時代の波についていけず66年頃で時が止まってるのでは?
これ、あのジジイの事を言ってるのか、
このスレの住人に喧嘩売ってるのか、わかりにくいな 星加ルミ子が初対面したときからジョンの毒舌は有名だったという フランスギャルの訃報はつらい
マージョリーノエルも随分前に亡くなった
フレンチポップスの女性人気歌手は、みんな日本に来ていた時代だった
シルビーバルタン、シェイラ、ダニエルビダル
来なかったのは「恋する風船」のダニエルドナンぐらいかな
ご冥福を 昔ビートルズの分厚い本を読んだが
人気投票すれば僕は2位になるはず
とリンゴが言ってたのが印象的だった
で鼻が大きいからユダヤ人では?とも書いてあった
今から考えればどーでもいいことばかり
「音楽的に素晴らしい」以上にアイドル部分もあったのかな 『リボルバー』や『ラバーソウル』前まではアイドル扱いだった
竹内まりやの『マージービートで歌わせて』の歌詞にアイドルとしてのBEATLESの存在が表されている >「エビデンス? ねーよそんなもん」!
教科書検定問題や売春婦問題(KY珊瑚事件は意図的な捏造)など裏取りをしない記事が世間を騒がし日本の国益を大いに損うことが山ほどあるが、今回高橋純子という政治部次長経験者の論説委員が記事の裏取りを否定したのである。
クオリティペーパーを自称する朝日新聞に取っては自殺行為という他はない。
報道機関としての朝日新聞は死んだ。この発言をもって自殺したのである。 フランスのプレスリーといわれたジョニーハリディもなくなったじゃん
60年代のフレンチポップス全盛時代をつくった歌手がどんどんいなくなる
イタリアのカンツォーネ歌手もみんな死んだし >イタリアのカンツォーネ歌手もみんな死んだし
ジャンニ・モランディ、チンクエッティ、ボビー・ソロ
ミーナ、ウイルマ・ゴイク
むしろ、みんな生きてるように思うんだが。誰が死んだの? https://www.1101.com/store/techo/ja/magazine/2018/suzuki_beatles/2017-12-20.html?device=pc
糸井重里とムーン・ライダースの鈴木慶一氏が昨年ビートルズ・トーク・イベントでビートルズ対談 糸井さんはビートルズリアル世代で当時高校生、鈴木氏は中学生
このスレのオジサン達と同世代 クラウディオ・ビルラというカンツォーネのベテラン歌手がいたな
あと「アルディラ」の世界的ヒットを飛ばしたエミリオ・ペリコーリもいた アル ディ ラ デル マレ ピュ プロフォンド チ セイ トゥ チ セイ トゥ〜 ♪
‥お粗末でした >>360
『バラはあこがれ』のジルベール・べコー御大が亡くなっているのは寂しいが『you』のシャルル・アズナブールが90才代で御存命なのは嬉しい ドイツにはガス・バッカスという歌手がいたな
元々はアメリカ軍の兵士だったけど、ドイツが気に入って居着いてしまった
「恋はスバヤク」なんていうヘンな曲を出してたっけ ジョニー・アリデイは、日本では一時期までハリデイと呼ばれていた
小島正雄さんだったかが、仏語ではHを発音しないらしい、アリデイですと言って
その後やっと、誰もがジョニー・アリデイというようになった
こういうことを知っている小生も、いいかげん歳だが
いまだにハリデイと呼ぶ>>360は、もはやシーラカンス爺さんだろう >>367
そいつマカロニスレ荒らしてたイカ臭いゲイの爺だよ
誰も居なくなったからここ来て荒らしてるんだわ
横浜市立市民病院通ってる大腸癌患者なんだって ジョニー・ハリディのレコードはフィリップスレーベルから発売されてた
自分のオリジナルはなく、ほとんどがアメリカポップスのカヴァーで食ってた ジョニー・ハリディとシルヴィ・バルタンが結婚した知らせには驚いたもんだ
当時のフランスの二大ビッグスターだったからね ジョニー・ハリディより、ジョージ・ハリスン
映画ヘルプでは車の屋根上に貼り付いてちょっとカッコいいアクションも ビートルズはフランス公演のときにバルタンと会っている
YouTubeにもUPされてる C Am ン〜 ラプリュベルプアリドンセ〜 C Am はい、皆さんご一緒に ア〜ンジェリータ〜 ティサレスティキアマータアンジェリータ アンジェリ〜タ ♪ あいすぃんかん ごなびさぁ あいすぃんきつでーぃ ぃいぇ
ざがぁー ざっどらびまぁ いず ごあぬうぇーぃ ぃいぇ
ビックリシタナモオ ビックリシタナモオオオ ビックリシタナモオ
ばっ しどんけあ この頃ポールがよく来日してたけど
さすがに今年は来ないよね 小遣い稼ぎに来るだけ
別に日本に行かなくても食って行ける資産があるんだから 小遣いにも困ってないだろうから、好きな仕事としてコンサートを続けているんだと思う リンゴもナイトの称号をもらい順風満帆だしね
最後まで生き残った二人は得をした 熱狂的なポールファンの友人は「もうライブやめて欲しい。聴いてらんない。」と嘆いてたな。
俺もYouTubeで観たけどあれで大金を取るのはどうかと思った。 https://www.youtube.com/watch?v=yYvkICbTZIQ
「ペイパーバック・ライター」ザ・ビートルズ
今じゃyoutubeで無料でこんな高画質で公式の当時のプロモが見れるんだからねえ
50年前じゃ、こんな時代が来るなんて夢にも思わないだろう
みんなのコメも「これが本当に50年前のグループ!?信じられない」てのが多い ビートルズは100年に一度のアーティストどころではないよ
今後絶対に現れない超がつく特別なバンドだ 別に反対はしないが、ポエマーみたいなレスが続くのも気持ち悪い
みんないい歳なんだし ポップス界の歴史を変えたビートルズ
数多くの輝かしい偉業を達成できたグループは他にいない
一つとってみても全米ヒットチャートの1位から5位まで占めたのがいい例 自作自演バンド、アイドル映画、PV、国家顕彰受賞ミュージャンの走りでもあるしな ビートルズ 1964年4月4日のビルボードチャートの記録は永遠に破られない >>390
中に自演してる人もいるからマジ読みしなくてもいい 東芝のシングルジャケットは、裏表紙が、ヒットレコード選になっていて
曲名とレコード番号が載っていた
オデオンの場合
アダモ「ブルージーンと皮ジャンパー」
ビートルズ「プリーズプリーズミー」「抱きしめたい」
クリフリチャード「ヤングワン」以下4曲
など。一年ぐらいで変更したのかな 中に音楽板ビートルズスレでも嫌われているアンチやアンチポールも来ている
だから匂ったらマジ読みしなくてもいいw >>395
Mrベースマンもリバティの赤盤で買ったよ
裏には東芝のステレオ装置の広告が載ってた 東芝のレーベルにはオデオン、キャピトル、WB、キャップ、リバティ、ステーツサイドがあった
どれもLPやシングル盤で買ったレコード クラシック部門にはエンジェルレコードがあった
1950年代はシャンソンもエンジェルレーベルで発売されてたんだよ サ・セ・ラ・シャンソンというシャンソンの3枚組LPが欲しかった
シャンソンの名曲がズラリ選曲されたもの
ただ残念なのがすべてモノラル録音だった 以前は、アメリカの音楽番組をよく放送していたんだけどね
アンディウイリアムズショーは毎週だったし、一時はエドサリバンショーもやってた
「大騒ぎ」という意味の番組もあったな。題名何だったか
ペトゥラクラークをあれで初めて見たわ
音楽番組じゃないけど、デビーワトソンのカレンもあった 昔60年代末から70年代前半は
イギリスの歌とコントの番組トム・ジョーンズショーやエンゲルベルト・フンパーディンクショー等の放送も毎週あった
アメリカのモンキーズショーやパートリッジファミリー等も それよりも昔に「ペリー・コモ・ショー」もあったんだよ
コニー・フランシスも初めて映像で知った
日本では「カラーに口紅」「大人になりたい」「夢のデイト」で知られている 日曜の朝11時ごろの30分番組もあったな
旬な歌手ばかり出ていた。フレディ・キャノンとか 話はよく聞くんだが、パティ・デュークショーを、観たことがない
うちの家が、別のチャンネルを見ていただけかもしれないけど
日本で、実際に放送あったの? おっす、オラ ジョニー病葉! 来た質問に全部答えるチャレンジしてんだ。
荒らしからクソ質問まで全てに答えてやらぁ!
匿名で質問出来るからどんどん質問してくれよな!
https://peing.net/silly_maggot >>407
海外ドラマとして「パティ・デューク・ショー」は実際に日本でも放送されたらしい
「奇跡の人」のヘレン・ケラー役で天才子役と騒がれていたパティ・デュークがパティとキャシーという従姉妹同士を二役で演じた-と
パティ・デュークショーの頭部分『Patty Duke Show, The (Intro) S1 (1963)』
http://www.youtube.com/watch?v=dIzGzFmCVqM&sns=em >>409
>>410
407です。ありがとう、観たかったな パティ・デュークは来日したこともあるんだよ
和服姿の島かおりと一緒に写ってるフォトがある パティ・デュークにデビー・ワトソン
日本で言う「アイドル」が、アメリカにもいたと、あえて考えるならこのあたりかな デビー・ワトソン来日のとき、テレビでスリーファンキーズがエレキを弾き(カッコだけだったが)
カレンのテーマ音楽を歌って歓迎し、デビーも喜んで中に加わり喜んでた ビートルズには、ああいったTV番組は無かったのかなアニメ以外で 不定期ではあったが、
レディ・ステディ・ゴーにはよく出てたな。 ビートルズはコンサートで忙しかったから、テレビショーが組めなかったんだろ
モンキーズのようなつくられたイカサマグループなんかとは違うもの レディステディゴーで、視聴者の女の子が何人か出てきてレコードの歌に合わせて当てぶり
優勝者を決める審査員役はポール・マッカートニーがうけたまわる
ポールらしく真面目に審査して真面目にコメントしていた トランプの衣装で出演したテレビ番組はなんだったの? 403だが、いろいろ検索して自己解決しました
「フラバルー」という番組名だった
この番組から、ゴーゴーダンスも生まれたらしい 同じように大騒ぎみたいな意味でのSHINDIGというTVショーもあった イギリスのテレビ番組はアメリカの番組に比べたら面白みに欠けてた ヘレンシャピロの前座までやったビートルズだが
あっという間に立場が逆転した アメリカ進出の前にビートルズが一番受けなかった国はフランスだったらしいね
観客も静かで、しかも男の観客が多かったらしい
フランスは自国愛が強くて、なかなか他の国の文化まで受け入れる感覚が少ないからと書いてあった 「カレン」の主題歌のサファリーズは、他にヒットらしい曲のない
いわゆる「一発屋」に分類されるだろうな
他にも、アメリカにはこんなバンドが多かった
ブライアン・ハイランド 「ビキニスタイルのお嬢さん」
トーケンズ 「ライオンは寝ている」
ロニーとデイトナス 「G.T.O.」
他にもいっぱいいる
アメリカの巨大な音楽市場だと、1曲だけで十分この世界の成功者といえるのかな
チャートのトップ5にでも入れば、スタンダードとして残るだろうし サファリーズは「ワイプアウト」というエレキのビッグヒットがあるだろ
ベンチャーズもカヴァーしてる有名なサーフィンナンバーだぞ
何も知らぬ小僧は恥をさらすなよw >>427
あのニール・セダカ殿もトーケンズ出身だじぇい >>428
お前のようなアホが、もしかして食いつくかとは思ったわ
427の文面で、ワイプアウトを知らない世代に見えるのか?
そもそも言いたかったことは、一発屋かどうかではないし
お前は会議の席でも、日常会話でも、人の話の腰を折るか、けなすだけで
誰からも相手にされなかっただろう >>429
承知してるよ。さすがに「ライオン…」のころは小学生だったけどね >>425
フランスは自分達なりに消化して
シャンソンとは違うフレンチポップスの流れを作った
ビートルズが出てきて触発されたと聞いたが
ビートルズそのものは、まんま真似できなかったんだと思う >>430
図星を突かれて発狂するなよ低能ヤロウ
知ったかぶりはやめたほうがいいぞ、ガキンコめw 伝統あるシャンソン派と新世代のポップス派はレベルが違ってた レベルが違うってどういう事かな どちらかが優れているって事?
どちらも比較出来ないジャンルだし、それぞれ違う分野で熱烈な支持を得たよ シャンソンはいつまでも歌われて心に残るが
フレンチポップスはそのときだけの流行歌 ポールにはデビュー当時からメンバーを加えないソロ録音が多い
それだけ身勝手な考えを持っていた 自分の好みを押し付けるだけの身勝手な考えを持つファン ティル・ゼア・ウォズ・ユーの原曲はミュージカルナンバー
ハンブルグでくすぶってた頃からのポールの持ち歌であった。 ポールの音楽性・傾向にはミュージカル志向、クラシック志向が初期の頃から見える 家の中整理してたら、ヘルプの映画パンフが出てきたわ
懐かしい
4人のプロフィール
好物は、そろってポテトチップス。それにビーフステーキ
好きな女性は、ポールがナタリー・ウッド、ソフィア・ローレン
リンゴはダイナ・ワシントン、ブリジット・バルドー
ジョンはジュリエット・グレコ。ジョージは名前はなし
他にもシェーンやらいちご白書やら、いろいろ出てきたけど
こんなの、いくらか金になるのかな。
もし二束三文なら、興味のある若い人にあげようと思う
先の人生も長くないし、持っていても仕方がない 映画のパンフは大量にあったけど何年も前に処分したよ
何の値打ちもないゴミだ
持っていてもなんの自慢にもならん
自分自身の思い出としてとっておけばいいだけ 当時の映画プログラムは写真も解説もすべてレベルの低いものばかり >>443
いや、その辺りのパンフ「まとめて」なら
ヤフオクやメルカリとかでは、捨てるよりはなかなか良い値で落札されと思うよ
ただリバイバルではなく必ず初公開のモノである事、
またその劇場の名前なんかが入っていれば尚いい
特にスティーブ・マックイーン物とクリント・イーストウッド物なんか
相当な高値がつく 次はアラン・ドロン
このレスにいる多くのおじさんはヤフオクやメルカリなんて
やった事ないから信じなくていいw 訂正 レス→スレ
ちなみに、ビートルズ来日の本物のパンフレットは大体2万円くらい
この間、当時の関係者だかがビートルズ来日に撮った複数の生写真、
当時の切り抜きスクラップ何冊かなどは、5万円くらいで落札されてた
まあ、良くああいうのちゃんと几帳面にとってある人かいるんだあっ驚いた >>443
彼らの好物のポテトチップスってフレンチポテト、フライドポテトのことなんだよね 英国で定番の国民的フード、フィッシュ&チップスのことなんじゃないかな 新大陸からジャガイモが入ってくると、ヨーロッパはそれに頼って命をつなぐようになった >>447
引越ししてなくて、かつ広い家に住んでれば
自分もいっぱい保存しといたな 外国では映画プログラムなんて出さない
これは日本だけのやり方
金儲けにもなるし なんでもケチつけたがるんだね
一番デイサービスでも嫌われるご老人だうです 気をつけましょう
話すのは過去の仕事の事と自慢話 人の話は聞かない みんな仕舞には総スカン >だうです
日本語の不自由な朝鮮人は書きこむなよw >>455
ここは前スレから
誰かが何かの話題を持ち出して、それに他の人が呼応してスレが伸びてゆく
ずっとその流れで来ていたけど
お前だけは、何の話を出すこともなく、毎回人の話に食いついて文句垂れるだけ
救いようのないぐらい、ひん曲がってるな。消えろ、もう来るなよ その人わざと喧嘩吹っ掛けて怒る人がでると喜ぶ人だよ
いろんなスレでやってる 暇な老人なのよ 些細なことにいちいちキレる神経質なバカは書きこむな
きっと友達もいないんだろうな ビートルズ世代はみんな老人じゃん
解散してから何十年経ってると思ってるんだよ リアルでビートルズ体験した人はすでに60を超えてるぞ
解散してから何10年ケ後にファンになった連中とはキャリアが違う ぎりぎり小学生でBeatles体験をした自分は50代。 ビートルズは年齢に関係なくどんな世代にも受け入れられる
それだけ偉大なバンドなのだ
今でもビートルズをコピーして食っているバンドがあるくらいだから 新小岩に「キャバーン」というライブハウスがあって、そこでコピーバンドが演奏してるよ。
あと、六本木の「アビーロード」に出てるザ・パロッツとか色々。
前にやってた紀行番組ではリバプールにも観光客相手のコピーバンドが出てたな。 ビートルズは英国の誇り
クラシック作曲家ではドイツ、オーストリア、イタリア、フランス、ロシア
などにはかなわなかったけれど、ポップスでは永遠に語り継がれる業績を残した その昔イギリスは国力を強くするために音楽を封印してた時代があってだな
クラッシック音楽は国王に仕えるヘンデルみたいな作曲家のみに限られていた
その時代のことを ヘンデルは元々ドイツ人でイギリスに帰化しただけ
イギリスの生んだ作曲家ではないぞ
あの国は昔から音楽の不毛地帯と言われてたことも知らんのか >ヘンデルは元々ドイツ人
んなこた知っとるわ
クロムウェルの清教徒革命で音楽などの芸術派封印された時代があったと言うとんのじゃ
勤勉勤労を妨げるのが音楽!楽器壊しまくりしてたの!
世界史勉強しなさい イギリス人に音楽の才能無かったのでは無く
自らそういう土壌を作らなかったってこと
おかげで世界進出著しくあちこちに植民地できまくり
音楽やったらやったで80年代なんかいろんなブームが花盛り
やる時ゃ徹底してやる国なのよ 産業革命の時代を迎えると、工業立国に邁進
食品もそれまでの地場の食材から、全国流通の規格品に
食事は生命維持のためと割り切り、イギリス料理にうまいものはなくなった 英国といえば紅茶しか知らんよ
他に名物の食材ってあったっけ? なに、なに、冴羽獠?
‥マンガの主人公、マンションの管理人をしていて、スケベで巨根の持ち主、裏稼業でスイーパー(掃除夫)‥
知らんわ イギリスといえばフィッシュ&チップス。
恐ろしく美味くない。 前の方で出てきた、ビートルズで前座をつとめた望月浩
彼のパートナーが、スクールメイツで同僚だった恵とも子
この頃からハーフタレントが増えてきたが、可愛さはずば抜けていたな 恵とも子は人気絶頂のときにヘンな男に引っかかり
突如、芸能界から消え去ったアイノコだよ その後は銀座や四谷でクラブのママをおやりになっていたようですが、母子家庭でご苦労なさっていたとか >>484
わしは運良く倫敦で美味いフィッシュ&チップスに当たった
またテムズ川の岸の食堂で安いローストビーフを食うた時、店内にBEATLESの♪yesterdayが流れておった 英国はアジア全域を植民地にしていたが
日本軍によってすべてを失った
それゆえ日本にはいい感情を持っていない
シナ以外のアジア諸国は日本に感謝しているけどな 6人編成のスパイダースは
ビートルズみたいに4人にしようと
2人誰を削るか悩んでたと堺正章が言ってた ビートルズにマチャアキみたいなヴォーカル専門は居ないだろ あんなサル軍団などと一緒にするな
ビートルズに対して失礼だろ >>493
低能児だの、朝鮮人だの、サル軍団だの
お前は、残りわずか数年の人生を
そんな言葉遣いで終えるつもりなのか >>490
一人がボーカル専用だと、4人はきついな
エリック・バードンがサイドギターでもできれば、アニマルズも4人は可能だったが
井上順のタンバリンは、楽器のうちに入らないし ビートルズが人気絶頂の頃は毎月発売されるMLが楽しみだった
レコードも小遣を貯めてせっせと買ったものだ
夏休みと暮れには必ずアルバイトをしてな >>497
こいつのような70のじじいが、夜中の2時に草生やす状況
まさに異様だな。想像するだけで気分が悪くなる 想像しなくていいと思う
しかしBEATLESには売り出しの巧いエプスタインというマネージャーがついて幸運だった
才能・センスあるアーティストが売り方が分からなくて燻っている場合が多々ある… リアルにビートルズを体験したことの世代は幼稚すぎるね 50年前のことは昨日のことの様に話せるが多分後期のビートルズやソロはほとんど
聴いてないしアンソロも知らないし、それ以後ポール他のライブも行ってない
情報も50年前のまま そういうのがわが物顔で自慢して貶してるんだろうね 全角で書きこむとこしかできない低能児
自ら能なしであることをさらけ出してることすら気づかない低能児w >>503
2行目までは、合っているところもある
だが、「情報も50年前のまま、わが物顔で自慢」など、誰もしていない
そういう煽るような口調だと、あのジジイと同じレベルに成り下がるよ >>461.>>472>>493などは明らかに「我が物顔で貶す」の三行目に当てはまってると思うけど そうムキになるなよ、低能野郎
図星なもんで悔しかったのかw >>506
それ、全部一匹のアホ老人だから、放っておけばいい
他の板でも湧いてるよ。 例えば洋楽板。ボキャのワンパターンで丸わかり
19ベストヒット名無しさん2018/01/09(火) 19:25:57.30ID:P8WCCLl5
全角で書きこむバカw >>501
ネムズのレコード店の店主だったエプスタインが全てを投げ打って
ビートルズの為に、その道ではド素人なのにマネージャーになったってのがスゴイよね
それまで俳優志望で演劇学校通ったり、家具店やったり、でも全て上手くいかず
自分では成功しえなかった全てをビートルズにかけたんだろうな
BSのエピーのドキュメントで何度レコード会社に売り込んでも
ビートルズが落ちるもんだから、机に伏して「悔しい」って大泣きしてたエピソード知って
ホントにビートルズが好きなんだと思ったな
そのエピーの下で首切られ何クソッって学んだこと生かして
ストーンズのマネージャーになったのがアンドリュー・ルーグ・オールダムってのも不思議な縁だ 映画板なのに映画への言及は殆ど無し
昔ビートルズにかぶれたボケジジイの黴臭い昔語りばっか
ビートルズ板でジジイスレ立ててやれよw HELP!はBeatlesのアイドル映画だから、Beatlesの話題でいいんだよ。 プレスリー世代がビートルズに心が傾いていった1964年は歴史が変わった時代 加山雄三もプレスリーから愛想を尽かしてビートルズ派になった一人 嫌なら、このスレに来なければいいだけの話
大体、ヘルプの映画の話題だけだと、スレがどれだけ続くのか もう映画関係なく老人ホームでいいじゃん
昔喰ったフィッシュ&チップスにビネガーを強制的にかけられたのが
ロンドンだったかダブリンだったかも思い出せない
認知症 来たな 湯川れい子というエルヴィスヲタのBBAもビートルズに寝返った 次のスレタイの候補は「マジカルミステリーツアー」か「イエローサブマリン」のどっち? スレ立てはまだ早すぎるだろ
これだからジジィはせっかちで困るんだ >>527
せっかく推薦していただいたのですが、(私はこれまでスレ立てしたことがないので、)
どなたか篤志のある人に次スレ立てはお願いいたします。
でもホントにどっちなんだろう?
制作年だと「マジカル」→「イエロー」だけど、「マジカル」はTV用で劇場用映画じゃないし… 1965年
映画雑誌「スクリーン」読者が選んだ1965年度映画ベスト10
1位「サウンド・オヴ・ミュージック」
2位「007 サンダーボール作戦」
3位「メリー・ポピンズ」
4位「007 ゴールド・フィンガー」
5位「グレート・レース」
6位「わかれ道」
7位「素晴らしきヒコーキ野郎」
8位「HELP! 4人はアイドル」
9位「コレクター」
10位「シンシナティ・キッド」 >>528
バカ、今スレ立てろなんて言ってないだろ
次スレはそれで宜しく-と言ってるんだよ
あんたが幾ら先が無い爺でも少しは落ち着けよな
>>530
当時ベスト10に入ってたんだね ジジイ ジジイよ 焦るなジジイ
焦るはずだよ さきが無い ってかwwwww >>530
9位の「コレクター」ってイギリスの犯罪映画かな
女の子誘拐してペットみたいに飼うやつ >>530
ほとんど、映画館へ観に行ってるわ
この頃はよく映画観に行ってたんだなと、改めて思う
プレスリーのフロリダ万歳も、この年だったね エルヴィスは「ハレム万才」のようなつまらない映画しか制作されなかったな >>533
そうそうそれネ
サマンサ・エッガーっていうヒロインやった女優さんがキュートでね
主役のテレンス・スタンプも味のあるいい俳優でね 今でも頑張ってる
>>534
エルヴィスの相手役だったアン・マーグレットの人気がむしろ爆発した年だったね
ベスト10見ると007とジュリー・アンドリュース、そしてビートルズの黄金期
何か映画館なんかも熱気で輝いてた頃ってのがベスト10からも伝わる! ビデオが普及してなかった時代は映画を観て感動して
サントラ盤で余韻に浸るのが精一杯だった
でもお小遣いがなくてLPが買えずシングル盤で我慢するしかなかった >>536
バッグや何かを売ってるサマンサタバサって会社があるが、
「奥様は魔女」の魔女がサマンサで、その娘がタバサだったな >>533
忘れた頃にテレ東でやるね。
たしか去年もやってた。
吹き替えは故・岸田森だ。 ヘルプ!で初めてカーリングという競技を知った
今では冬季五輪種目になっている ヘルプ!のあとのアルバム「ラバーソウル」からビートルズは変わった ポールがリーダーの座を奪ってからビートルズはおかしくなった
我儘なポールに反発した3人はそれでバラバラになったんだ >>533
日曜洋画劇場で、淀川長春が、フロのバスタブからお湯が流れ出て、階下に落ちるスリリングな場面の解説してたな。 >>546
ジョンがバスタブに沈んだのに気付いてお湯を抜いたが、お湯が流れ出てしまっても発見できなかった
ハードデイズナイトであったシーンだな 世界で(特にアメリカ)64年と65年「ビートルズ旋風」が吹き荒れたって
言うけど、どれくらい凄まじいものだったんだろう
自分は解散後の世代だけど、振り返ってみて芸能史で「旋風」って言葉が
後にも先にも当てはまるのは、ピンク・レディーだけだ
マジでピンク・レディーの絶頂期の2年間の人気は凄まじかったけど
64年と65年の全米におけるビートルズ旋風ってのも正にそんな感じだったのかな >>544
音楽板の粘着アンチポールハゲ乙 うざいよwwww >>549
ピンクレディーにはかなわなかったのでは 旋風は別にピンクレディーだけのもんじゃねぇぞ
1969年のコント55号旋風も凄かった
ビートルズと時を同じくして007映画の人気も大変なものだったし‥‥
ま、今時は幅広い世代を巻き込む芸能ブームってのはなくなってきただろう
昔はもっと単純だったんだよ ピンクレディーとビートルズを一緒に語られても困る
ピンクレディーはダンスミュージックでしょ
皆が踊れるってだけよ >>554 ピンク・レディーとビートルズの評価や功績を一緒にしてる訳じゃないよん
「社会現象」にまで及んだ嵐のような異常な数年間の「旋風」のスゴサよ!
老若男女みんなジョン・ポール・ジョージ・リンゴを知らない人はいなかった
ミーとケイもそう 出すシングル全部1位 かつてない程の売上枚数 球場ライブ
スゴイ数のグッズ テレビをひねれば出てくる ラジオからも有線も流れる
ビートルズの髪型ファッションギター少年が増えたようにピンクも皆が振付真似した
全米上陸後のビートルズのアメリカでの2年間は正に日本のピンク状態だった思う
ジョージ曰く 「あの2年間、地球はビートルズを中心に回ってた」 >>555
なんだ爺か 今日は病院行かなくていいの 診察券失くさないようにしっかり持ってくんだよ ビートルズは全世界的なムーブメントだったからな。ピンクレディー。。。 >>553
さすがに「コント55号」の時代は知らないんだよね
でもスゴカッタのは分かる
自分にはその後の完璧ドリフ世代だからね
とにもかくにも今は多様化であんなブーム出ないよな
アメリカのABCが2年前位に「ビートルズ上陸50周年記念」の特番組んだんだよ
その当時の関係者やポールもジョージも出てきて楽しかったな >>561
おまいのは「枯れ木に草を生やしましょう」だな クソジジィがピンクだのコントだのわめいてるけど
何なの、そいつら? >>563そいつスレを引っ掻き回したいだけなんで
真面目に読まなくていいよ >>566
3年前の4月1日にスペインで亡くなったよ >>567
スペインにシンシアの自宅があったらしい 消防の頃、HELP!を映画館で観て、
TVでモンキーズや日本のグループサウンズの歌番組を観て、
みんな三流タレントだと思っていたら、
最初のグループだけ超一流のミュージシャンだったでござる。 近所のレコード店は、年配のおじさんがやってる個人商店だった
昭和30年代後半では珍しく、スタンプカードをやっていて
シングル1枚購入で1個捺印、10個貯まればシングル1枚もらえた
小遣いの乏しい子供には有難かったわ
普段なら買わない「キューティ・パイ」や「ドゥ・ワ・ディディディディ」などを貰ったな >>571
ビートルズの音楽を何にも知らない小学生としては、アイドルとやらが悪ふざけしてる映画だものな
>>574
マンフレッドマンのポール・ジョーンズは評価してなかったのか
ミック・ジャガーのボーカルが下手くそだから、ブライアン・ジョーンズが引き抜こうとしていた男だぞ >>575
好きなものを何でも買う余裕などなかったからね
レコード一枚が高かったから、小遣いはとにかく慎重に使った
マンフレッド・マンやフレディとドリーマーズなども好きだったが
購入するとなると、そこまで手が回らなかった 英国の歌手を大量にかかえていた東芝はいつも売り上げのトップだった
ビクター、コロムビア、ロンドン、ポリドールなどは歯ぎしりしていただろうな マンフレッドマンは友達がレコード持ってたから、自分では買わなかったけどな そうそれでオールディーズとしてビートルズを聴いていた >>579 >>581 FM開始前のレコードしかなかった時代の話ですね・・ AMラジオのヒットパレードは当然聴いてた
重要な音楽聴取手段でもあった 昔の民放ラジオの夜の人気番組は洋楽ヒットパレードだったな
高崎一郎、前田武彦の声は今でも耳に残っている どこの民放かは覚えていないが当時爆発的人気曲だった
「ワシントン広場の夜は更けて」が5回もリクエストされて流れたことがある
そんな時代だった
DJのバックでは電話受付担当の声が聞こえていた番組だったよ 9500万人のポピュラーリクエスト
年間ランキング(1964年)
1.恋はスバヤク ガス・バッカス
2.恋のパームスプリングス トロイ・ドナヒュー
3.夢見る想い ジリオラ・チンクエッティ
4.恋する二人 ビートルズ
4.ロシアより愛をこめて マット・モンロー
6.プリーズ・ミスター・ポストマン ビートルズ
7.プリーズ・プリーズ・ミー ビートルズ
8.太陽の彼方 アストロノウツ
9.ワシントン広場の夜は更けて ヴィレッジ・ストンパーズ
10.花はどこへ行った キングストン・トリオ
11.ポエトリー ジョニー・ティロットソン
12.ツイスト・アンド・シャウト ビートルズ
13.ほほにかかる涙 ボビー・ソロ
14.ネイビー・ブルー ダイアン・リネイ
15.ラスベガス万歳 エルヴィス・プレスリー
16.抱きしめたい ビートルズ
17.マイ・ボニー トニー・シェリダン/ビートルズ
18.アカプルコの海 エルヴィス・プレスリー
19.淋しいだけじゃない クリフ・リチャード
20.レッツ・メイク・ア・メモリー クリフ・リチャード
21.ア・ハード・デイズ・ナイト ビートルズ
「ああ、この曲、よくヒットしたな」という実感と
ランキング内容とは、必ずしも結びつかないところもありますが
当時を知る者にとっては、まあなるほどの一覧でしょう
他にも、僕のマシュマロちゃん、マイ・ボーイ・ロリポップなど
いろいろな曲が浮かんできます
あと、毎年の事でしたが「アイドルを探せ」のような、年をまたいだヒット曲は
集計方法上、ランクが低くなっていました >>588
Thank You so much,
錚錚たるヒット曲(今では喫茶店やメディアで流れるスタンダード)の中でも、やっぱりBEATLESは凄かったんですね 60年代中頃からカンツォーネが流行り出した
日本でサンレモ音楽祭が注目され出した時代には多くのレコードが発売された
すべてキングのセブンシーズレーベル
でもウケたのは本国のイタリアと日本だけ
アメリカではカンツォーネはまったく流行らなかった
かって一度だけ「ヴォラーレ」がヒットしただけ
これはボビー・ライデルもカヴァーした ボビーソロの「ほほにかかる涙」はアメリカでも売れたよ? ビートルズに似たバンドが出てきて
それ聴いたあとでビートルズ聴いても衝撃は無い
その1964年のランキングみると似たようなバンドまだ無いもんね
みんな夢中になるはず >>510で恥さらしたのに
また、のこのこ湧いてきたか >>594などを見てると
恥の上塗りにならないように、自分では語彙を選んでいるつもりのようだが
程度が程度だけに、救いようがない
前レスからずっと、他の人のような情報交換や意見交換は全くせず
ただ、文句を垂れ続けるだけの障害老人としか言いようがないわ >>593はあたしだよ
初めて聴く人間には、何も無かった中でのビートルズと
少し経って、似たようなバンドが色々出てきた中でのビートルズは
衝撃度が違うねって言ったんだけど
>>594には通じなかった >>599
わかってる
>>594は、いつものアホジジイ。相手にするなよ
こいつ一匹で、無駄にスレを消化している 64年のランキングを挙げた>>588です
>>593さん
他の英国グループを見ると
9月 ピーターとゴードン「愛なき世界」
10月 ローリングストーンズ「テル・ミー」
アニマルズ「朝日のあたる家」
11月 デイブ・クラーク・ファイブ「ビコーズ」
がランクインしました
当時のヒット時期は、英米とタイムラグがありましたが
グループバンドの人気が活況になったのは、この年後半といっていいでしょう
5月6月は、ビートルズ初期の曲が日本で集中的にシングルカットされ
この時期はずっと、6曲ほどランクインしていました 602の続き
ランク外では、「愛しのラナ」「バイバイ・バーディー」「ビー・マイ・ベイビー」
などが、前年との年またぎです
「ラ・ノビア」や「ブーベの恋人」などは、
当然ランクインしているかと思いましたが、意外でした
「恋のパームスプリングス」と「レッツ・メイク・ア・メモリー」は
曲の構成や女性のバックコーラス、ヒット時期と、よく似ていますね
以上、年寄りの回顧でした ああ、ピーターとゴードン「愛なき世界」はポール・マッカートニーの作品だったね ピーターの妹のジェーン・アッシャーはポール・マッカートニーと夫婦同然だったな
ビートルズが世に出て来たときにはもうそういう報道だった
なかなか結婚しないなと思って延々5年近く、68年になって別れてしまったが
結婚はしてないんだから女漁りしてもいいんだとポールが思っていたのが原因らしい ポールの歌った「愛なき世界」はYoutubeで聞くことができる 子どもの頃 FENばかりをきいていた
This Is The Far East Network というジングルを
This Is The Party Network ,,,,だとばかり誤解していて友達に自慢していた
PXや本牧、座間、相模原基地内では無料で映画が見れた
もちろん字幕無し
今の日本は東京以外アメリカ白人を見かけないよな >今の日本は東京以外アメリカ白人を見かけないよな
米軍基地のあるとこだったら居るべよ >>610
今でも基地の近くに住んでるけど本当に少ないよ
スクールバスも4人ぐらいしか乗ってないし
Yナンバー見つけると懐かしくなっちまうぐらいだ
スワップショップも1、2軒に減ってしまった
立ち入り禁止!ココから先合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ市
という看板少なくとも神奈川にはもう無いわ
沖縄や三沢、岩国、佐世保はどうなんだろう 物資不足の敗戦ニッポンで米軍基地の中だけは戦勝国らしく食い物からなにから溢れていた
それが魅力で、基地めぐりのバンド活動に日本人が殺到したんだと 逆に、ビートルズは戦勝国イギリス国民だったのに敗戦国ドイツへ出稼ぎだったな‥ 個人的に哀しいのは中高年以外英語を喋る事に抵抗の無い人が減ってしまった事だ
今の子はネットのお陰で読み書きは凄いし喋れば実務レベルなんだろうけど
ビートルズ取材の星加さんを初め当時のMLの編集の人は
その時代の人だから英米人と会話がしやすかったのだろう
何時頃からだろう?日常会話を話しただけでも「凄い!」って言われるようになったのは
今の若い子はブライトバートが読めるくせに英語で話すときは小声で小さな声で話すよね
よっかむ、しらんぷり、はーうぉん、じょすせけん。アノ時代の方が英米は近い国だったんだよな。 >>614
うざい、うざいと言ってるヤツ、うざい! >>615だからあんたの言ってる通り外人が少ないからでしょ
対象物が無きゃ英語を使う必要ないんだから話せなくなるのは当然
野球の大リーグから帰ってきた日本人も英語は忘れたって言うし
曙なんかも相撲と離れたから英語ばっかり言うようになったし 鈴木やすしは進駐軍の関係者に積極的に話しかけて英語をマスターした
おかげで渡米したときも言葉には不自由しなかったと言っている メロディーは単調で、話題になることも少ないが
「アイル・フォロー・ザ・サン」が大好きだ ペギー・マーチのやつですね わかります
I wll follow him, follow him wherever He may go,
There isn't an ocean too deep,‥♪ >>623
私も大好きな優れた小品だよ ポールは今でもliveで演ることがあるみたい
♪I'll Follow the Sun by BEATLES
http://www.youtube.com/watch?v=_Uk_6WWy0RA&sns=em ポール・マックアートニー氏16歳の若書きであります
リンゴ・スター氏は自らの膝を叩いて居ります ビートルズは適当に作った曲がヒットする場合がある
これが他の作曲者と違うすごいところだ ペギー・マーチは、日本語の曲がよかった
「霧の中の少女」「いつでも夢を」 初期の作品It Won't Be Longをシングルカットしてれば大ヒットしてたのに
あのシンプルで軽快な曲は覚えやすい >>628-629
たとえばI'll Follow the Sun を作った時なんかも
「16才の頃、風邪をひいて寝込んでた時タバコを吸ったら凄くまずくて…そんな時ギターを持ちレースカーテン越しの窓の外の気色を見ながら書いた」
等と気負わずに作った歌であることを述べている ペギー・マーチとかコニー・フランシスはイタリア系だろう
根っからの英米系にくらべると日本語の発音がキレイ 日本に来て歌謡曲を唄ったのは、ペギー・マーチとアルマ・コーガンぐらいかな
ジョニー・シンバルの「明日があるさ」と
ジョニー・ティロットソンの「涙くんさよなら」はヒットしたけど
唄っているのは見たことがない
他では、シルヴィ・バルタンの「レナウン娘」のCMぐらい >>634
このスレはビートルズの話題のスレだ。
ポールの話題を嫌がるいつものポールアンチ屑爺とっとと逝けや!もう来るなよ!wwww >>637
ま、そいつは音楽板でも嫌われてるアンチ爺さんだから(笑) いるんだよね、わざわざ来て嫌味を書いていくアンチの老害
Beatlesやポール・マッカートニー嫌いなら来なきゃいいのに ↑おまえは糞ジジイだが話に花を咲かせられないスレ荒しだね 2スレ目で、レス600消化か
アホジジイ一匹がいなければ、まだ新スレにギリギリ突入したぐらいだろう やっぱり荒らしの類は無視でOKだと。昔のBSの超longビートルズ特番で誰かが…
映画HELP!でビートルズを助けるカーリー教の女役の女優は撮影時ジョンといい仲になったと言ってたな。 映画『ヘルプ!』の話題も裏話とか結構あるだろうな
作品中ドーバー海峡目指して泳いでるのにオーストリアの雪山とか、バハマの海に現れるおかしい水泳男が出てくる
このシュールなギャグキャラを演じているのはビートルズのロードマネージャーであるマル・エヴァンズ
映画『レット・イット・ビー』では屋上ライブの際、警官たちの対応に当たっているスタッフが彼このマル・エヴァンズ やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 発売した全アルバムがすべて第1位だもの
これだけの記録は誰も達成できていない 当時、アメリカの二流メーカーだったキャピトルはビートルズのおかげで救われた ジジイが、性懲りもなく湧いてきたな
けなさずにはものを言えない、まさに末期老人 >>652
お前、それだけ嫌がられると、老人ホームも無理だな
孤独死しかないわ。くたばるときぐらいは他人に迷惑かけるなよ ビートルズ映画見てもそうだが、芸達者だよね
パイレーツ・オブ・カリビアンのポールも中々いい味出していた 「ヘルプ」の収録曲は、シングル出た時期がバラバラだったな
春の「涙の乗車券」と、秋の「恋のアドバイス」では、半年以上あいていた
先行して出した「涙の乗車券」は、サントラ盤とはいわないのかも さあ今日は大雪が降って外にでられないので、
昼間っから酒飲んで喚きまくるぞ、かかってこんかい若造ども。
俺はジョンレノンの大傑作はドントレットミーダウンだと思っています。
とくに最後のジョンがひーひー言ってるところの
ビリー・プレストンのキーボードが好き、この部分がもう少し長ければと思っています。 不潔イメージ…ローリング・ストーンズ、アニマルズ
清潔イメージ…デイブ・クラーク・ファイブ、ハーマンズ・ハーミッツ
ビートルズは、それらの中間ぐらい
まあ、ストーンズやアニマルズは、ボーカルの印象が強いかな 楽曲の良さとメンバーの魅力が断トツなのがBEATLES
キャラクター、ルックスも良かった メンバーの中でいちばんブ男だったのがリンゴ
鼻ばかりがでかくて何だこいつは、と思ったよ アメリカ初上陸のインタビューでリンゴは左右の両指にはめた指輪を指摘されて
「いやぁ、鼻輪にしょうとしたんだがはめられなかったんで指にはめたんだ」と記者団を笑わせた ビートルズというバンドを初めて知ったのが中三のとき、クラスメートに洋楽に詳しい奴がいて
イギリスからすげえグループが出てきたぞ、と教えてもらった
当時のイギリスにはクリフ・リチャード、ヘレン・シャピロ、ジョン・レイトンぐらいしかいなかったからな
マジで信じられなかったよ 「HELP」は、ヒットした時期から、個人的には夏歌のイメージになっている
同時期の曲が
クリフ・リチャード「オン・ザ・ビーチ」
プレスリー「スイムで行こう」
ゴーゴーズ「チキン・オブ・ザ・シー」
ジャンとディーン「青春の渚」
ベンチャーズ「クルーエル・シー」
など、いかにも夏の曲が多かったせいだろう
同じ理由で、「イエスタデイ」や「夢見るシャンソン人形」なんかは、秋か冬の曲
ファンにはみな、自分なりの勝手な印象があると思う ポールはヘルプ!のアルバムからジョンを逆転し始めた
イエスタディ、夢の人がいい例だ リーダーの座を奪われる予感のしたジョンは気が気ではなかっただろう っていうかバッド・フィンガーの話も聞かせてくれよ
Magic Christianはポールの曲だし
Day after day はジョージとの共作 ビートルズの再来、二代目ビートルズみたいなふれこみで騒がれてましたね、当時
その後、ベイ・シティ・ローラーズもビートルマニアの熱狂、ビートルズ旋風が再び、みたいなこと言われてましたね、ハイ アイドルバンドは売れなくなってからがミジメ
メンバーの誰かが日本人のファンと結婚して食わせてもらってたよ バッドフィンガーの作曲能力には負けたとポールが言ってた(ジョークかも)
I can t live without your love とか叫んでる歌
ネルソンを始めどんだけ沢山の人にカヴァーされてるんだろう? 人気絶頂のビートルズに対抗したもののあえなく消え去ったバンドは数えきれない
どれだけビートルズの才能が抜きんでてたかが分かる 若い人は知らないだろうけど
バッドフィンガーはビートルズに対抗したんじゃなく
ビートルズが育てたんだよ初期はね グレープフルーツのこともたまには思い出してあげてください 日本では山田隆夫がビートルズをもじってずうとるびでデビューした
いまでは座布団運びをやっている ずうとるびはパロディーで名づけたグループ名だが、オリジナルは1968年"水虫の唄"を発表したザ・ズートルビである クイズ・タイムショックで、「ビートルズを反対から読むと?」
という問題。
「ずうとるび」と答えて、不正解になっていた Seltaebは、1963年に設立されたビートルズグッズを管理する会社 セロテープは、大日本絆創膏(ニチバン)が自社のセロハンテープに付けた商品名 ビートルズの曲を楽団のみで演奏したLPも発売されてた
はじめはホーリッジストリングスのものが一番手 >いまでは座布団運びをやっている
あの人不動産管理で物凄い不労所得があるんだぜ オブラディオブラダはNHK子供向けの「みんなのうた」にも採用された 幼稚園の時 altogether now を歌わされた
楽しかったのは幼児期にリエゾンを自然に学べたことだ
♪エロオレジェンブルー 日本では毎年、男の子女の子につける名前のランキングが発表されるが
60年代のキリスト教国家では、男の子は「ポール」が増えたらしい
著名人の影響というのは、どこでもあるんだね すごくおもしろいネットで稼げる情報とか
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
PNY9U ラジオ深夜便でビートルズのラヴソング特集を聞いた
やはりポール作の曲が多かった ポールはバラード向きのソフトな声もロック向きのシャウトも様々な歌声が出せるのも強味
BEATLESで最も歌唱力があるのがポールだ あんなかすれた声のどこがいいんだ
おめえ耳鼻科に行って耳をみてもらえ >>698
お前に、頼みがある
コテつけてくれ。みな速攻でNGにできる
さもなければ、さっさと死んでくれ 医師・古川優樹は今年4月、愛知県名古屋市のホテルで、当時17歳の無職の少女に現金3万円を渡してみだらな行為をしたとして逮捕されました。
愛知県警によりますと、古川容疑者は知人の16歳の少女にツイッターで「16歳か17歳の女の子を紹介してくれたらお金あげるよ」とメッセージを送り、
17歳の少女を紹介してもらった見返りに現金約2万円の報酬を渡したということです。
古川容疑者は取り調べに対して容疑を認めているという。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170827/k10011114441000.html
https://dotup.org/uploda/dotup.org1462270.jpg
古川優樹の勤務先電話番号
058-389-2228 >>699
ワロタ 大いに同意
BEATLESは最高峰!! ビートルズを聞き飽きたなんて人に会ったことがない
それだけ偉大なバンドであった 何度となく再発売されても売れるディスク
それはビートルズだけ 米国盤の例のバラバラの人形を抱えてる気味悪いジャケットは発売禁止になった シングル盤は何度もジャケットを代えて再発売されてた 医師・古川優樹は今年4月、愛知県名古屋市のホテルで、当時17歳の無職の少女に現金3万円を渡してみだらな行為をしたとして逮捕されました。
愛知県警によりますと、古川容疑者は知人の16歳の少女にツイッターで「16歳か17歳の女の子を紹介してくれたらお金あげるよ」とメッセージを送り、
17歳の少女を紹介してもらった見返りに現金約2万円の報酬を渡したということです。
古川容疑者は取り調べに対して容疑を認めているという。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170827/k10011114441000.html
https://dotup.org/uploda/dotup.org1462270.jpg
古川優樹の勤務先電話番号
058-389-2228 愛なき世界を歌って一躍名が知れたピーターとゴードン
これ一発で終わったカスだったなw >>708
一曲でも大ヒットを出したピーター&ゴードンではなく、ケチつけるだけで何の取り柄も無いおまえの方がカスなんだぜ、カスww >>708 爺さん、アンタどこでも嫌われてるなww
ここ、そこ、そして至る所でwww コテ付けろと言ったのにな
まあ、付け方も知らんのだろう Life is very short, and there's no time
For fussing and fighting, old man カヴァー曲を取り入れてた初期のアルバムは楽しく聞ける ハードディズナイトのときは忙しかったから日数をかけず撮影完了したが
ヘルプのときは余裕があった
メンバーみんなロケ地で楽しんだという ヘルプ!の台本を渡されたメンバーの感想
ジョン「これはいける」
ポール「すげえ、すげえ」
ジョージ「アハハハハハ」 日本ではヘルプ!から厚手見開きジャケットになった
もちらん、まだ赤盤だった ビートルズ65、ビートルズNo.5まではペラジャケだったな。 なぜ「シーラヴズユー」のステレオ音源は破棄されたのか? 破棄されたという事実を述べる記事はよく見るが、何故なのかを明解した記事等は見たことが無い 次から次に発売される流行り歌の、それもマスターテープですらない素材テープなんて廃棄するのが当たり前だから
あと、ステレオ音源なんて最初からないわ
ステレオと銘打ったデビューLPの曲も歌と演奏が左右泣き別れのインチキステレオ
ステレオ録音自体やってないんだから
それでも"抱き締めたい"はなぜか素材テープが残ってたから後でステレオ盤を作り上げることができたけど あの当時は左右の音源を別トラックで録音するやり方だったから
ステレオとしても充分通用するわけだろ No,no 最初の二枚のアルバムはモノラルでしか出さないつもりだった
会社から急にステレオ盤も出せと言われて、最終的にモノラルにミックスダウンする直前の泣き別れテープを流用しただけ
3枚目のハードデイズのアルバムはちゃんとステレオ録音している
泣き別れではない 楽器とヴォーカルが左右にはっきりと分かれているじゃん
ツイスト・アンド・シャウトなんかいい例だ ツイスト・アンド・シャウトは一枚目のアルバム収録曲だもの 1987年のCD化のとき、初期のアルバムはモノラルでしか発売しなかった
変な泣き別れ録音で出すわけにはいかないなぁという気はあったと思う そのとき、ヘルプ!とラバーソウルはステレオCDで出したけど、
元の録音がやっぱり変だった
(ラバー・ソウルなんてほとんど泣き別れ録音に近い)
この2枚のアルバムはジョージ・マーティンがステレオミックスをやり直してステレオCD発売にこぎつけた
初期の泣き別れ録音は、素材のテープ廃棄済みだからやり直そうにもできない
もうこれはモノラルでCDを出すのが我々の良心というものだとG.マーティンも思ったんじゃねーかな
09年のリマスターでは、ビートルズ音源は最早文化財だから、昔発売したものをものをそのままブラッシュアップしようという方針にしたんだろう
(それでもヘルプとラバーソウルは87年のやり直しステレオミックスで発売されてるけど) ビートルズストーリーという2枚組のアルバムが発売されたことがあった
4人のインタビューや成功するまでのナレ、歌はちょぼちょぼのマニア向けの内容
オリジナルは米国盤で国内盤もすぐに出た ビートルズのLPは中古レコード屋でも高く買い取ってくれたな
反面、プレスリーのものなどゴミ扱いだったよ 00家
02A家
「家」(2019年家)
家監督 家 家 家 家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
(声)家、家、家、家ほか
解説・家
10:55家 シングル盤よりもコンパクト盤のほうがお買い得だった
ステレオだし4曲入りで¥500だったもの 本当に破棄されたのかな?
割れサイトにはマルチトラックがアップロードされてるんだよな
誰かがコピーしてたとかテイクが違うバージョンは残っているとか?
まあ今だとiZotope等のプラグインでトラックを別ける事も出来るかもな ユーチューブでもビートルズ初期曲のリアルステレオバージョンとかがアップされているが、みんな今の技術で作り上げたもの
元のテープが残ってればそういう海賊版ではなくて本家のレコード会社が出す あ、ビートルズの人気がホンモノになってからは、テープは全部残せと命令が出てる
そういう時期のものだったら、こっそりコピーして社外へ持ち出したものがが出回ることはある >>740
もうその話、4回目か5回目
高齢者の宿命ですかな 当時はビートルズはカス扱いされてからステレオテープもすぐに消去されてた
先を見ないレコード会社にはあきれる 「ステレオテープ」ってわけでもないんだがね
あきれないでやってくれ
誰も未来はわからなかったんだから
当時、リンゴがインタビューで将来について尋ねられて答えている
「こういう商売も何年もやってられるわけじゃないから、将来は美容師をやりたい」 シーラヴズユーのステレオ音源ならYoutubeで聞ける
オリジナルのオープンテープを所有してた人がいたから有難い オリジナルのステレオというのはそもそも作られたことがない って言うかさ初期の原盤制作権を持ってた奴って誰なの?
エプスタイン?
投資家?
債務処理や投機関係でマルチが世界中を回ってしまって確認が取れないってだけでは? 権利はそりゃレコード会社
マルチとか初期の頃は無い時代だった
初期ステレオとして出回ってるのはみんな今の技術ででっち上げたヤツ BzやYOSHIKIさんや虎舞竜は特別だとしても
レーベルとかバーニングみたいなエージェントとかフジパシフィックみたいな
音楽出版社って無かったのかな?
初期の音源は録りから2MIXの一発録り?
信じられないけど 初期はチャンネル数が少ないからダビングを繰り返して編集してた シーラブズユーの段階では2チャンネルレコーダー
抱きしめたいから4チャンネル
SGTペパーズでもまだ4チャンネルだったから、ダビング必至だった ビートルズは最初からEMIで録音できたわけではない
EMI傘下のマイナーレーベルで録音開始したはず 最初からEMIでジョージ・マーティンの下でレコーディングしている
(1962.6.6 アビーロド・スタジオでEMIのオーディションを受けて合格)
アメリカではキャピトル傘下のヴィー・ジェイ・レコードというマイナーなところからレコード発売して、売れなかった
その後、キャピトル本体が売り出した ドイツに出稼ぎにきてショボクレてたビートルズを拾ってくれたのがトニー・シェリダン
同じイギリス出身だということもラッキーだった 日本ではマイボニーはザ・ビートルズのクレジットで発売されてた
あとで伴奏しているだけだと分かった マイボニーは、ポリドールだったかな
日本では、日本語カバーが、プリーズ・プリーズ・ミーよりも先にヒットしたけど
当時はまだ、ビートルズというグループの認識はほとんどなかった
とにかく、プリーズ・プリーズ・ミーからだった。日本は。 アメリカ、日本ともにビートルズのレコード発売は遅かった
日本盤シングル発売
1964.2.5 抱きしめたい/ こいつ (東芝音楽工業)
1964.3.5 プリーズ・プリーズ・ミー/ アスク・ミー・ホワイ (東芝音楽工業)
1964.4.21 マイ・ボニー/ ザ・セインツ (ポリドール) (アメリカはマイナーレーベル、ヴィー・ジェイからもっと早く出ていたが、そのときは話題にならなかった) 1963年の春先には、イギリスでビートルズというグループのプリーズ・プリーズ・ミーという曲がヒットして人気爆発しているとの芸能ニュースに接していた
しかし、日本ではレコードも発売されないし、どんな曲かもわからずそのまままた忘れていた
ところが64年初頭にはアメリカで「抱きしめたい」が発売されて大人気と伝わってきた
日本もアメリカにならってレコード発売
すぐに大変な話題となり、レコードを早速買った者から聞かせてもらった
レコードを聴くだけだったので、今この曲を歌っているのは誰で、ジャケット写真のどの顔なんだろうと思ったものだ なるほど…
後追い世代の自分の中学生の頃もヘルプ!のボーカルをポールと思っていた奴が結構いたりしたな 英本国と比べると
ラヴ・ミー・ドゥが1年半遅れ
プリーズ・プリーズ・ミー、アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア、ツイスト・アンド・シャウト
このあたりが1年遅れの発売
「ヤア・ヤア・ヤア」のサントラぐらいから、やっと追いついた 「恋する二人」はラジオのヒットパレードで嫌になるほど聞かされた
日本人ウケした曲だったんだろうな >>766
日本人好みって、とらえ方はさまざまだけど
そう言われる作品はあるね。人物でもある
ビートルズの初期の曲だと
プリーズ・プリーズ・ミー
オール・マイ・ラヴィング
恋する二人
アンド・アイ・ラヴ・ハー
なんかが、よく言われた プリーズミープリーズミーは当時の日本人にはどう聞こえたのかな?
ポールとジョンの2声で始まるAメロ
(上声)RーRーーR ーRーRーRーR、、、、、
(下声)RーM7ー6ーP5ー6ーP5ー3、、、、、
あのAメロは和声に敏感な白人には好感持たれたんじゃ無いかな?
しかも全て4分音符とおもいきや終止形は付点4分音符プラス、裏拍からの16分音符
ビートルズはこういう事を感覚的にやってたんだよな
考えてからメロやハモを作っってない所が天才なんだよ 恋におちたらにおけるジョンの歌いだし、それにポールとの二重唱は素晴らしい かつての「題名のない音楽会」で今は亡き黛敏郎氏が
「恋に落ちたら」の歌いだし(のコード進行だったか)を褒めておったな
ガキだった俺にはその意味がはっきりとは分からなかった
だがこういう世界に通用する大家が俺の大好きなビートルズを褒めておったのが
誇らしかったもんじゃった
昔々
遠い遠い銀河系での話じゃ >>772
コードと言えば、黛氏は、某映画音楽だか何かで使われているメロディーを聴いていたらコード進行が完全に『ヘイ・ジュード』だったとも。
また、ビートルズはジョンが作詞でポールが作曲担当だwとか愛嬌のあることも言っていた。 >>773
いちばん最初は自分もそう思っていたよ
日本の曲でも、作詞・作曲の順に名前が載るからね
レノン/マッカートニーと書いてあれば、勘違いしても不思議ではない せやな
リードギターはジョージ・ハリスンという触れ込みだったんで
「タックスマン」やら「グッドモーニング・グッドモーニング」のリードギターも
ジョージがやってんだと信じて疑わなかったもんじゃったw 当初、ジョン・レノンが作詞で、ポール・マッカートニーが作曲をすると紹介されていた
ジョンは作詞が根柢にあり、先ず詞ができてそれに曲をつけるのに対して、ポールは曲が先行する
インタビューなどでそういう二人の曲作りについて答えた事から、その特質が単純化されて作詞、作曲を分担するという話になったのかも知れない ( ,_ノ` )y━・~~~
兎も角 BEATLES… ( ,_ノ` )y━・~~~
THEは付けずとも
本当にファンさ
心配ご無用 アメリカは敬意を表して THE をつけなかった
それだけ世界一と認められたバンドだったから GOD (John Lennon)
‥ I don't believe in Beatles
I just believe in me
Yoko 吉田英男(自民) 三浦市長まとめ
・ 親族を市役所に勤務させて市から給与を支払わせていた。
・ 市長が公用車で川崎のソープ街に乗りつけていた。
・ 京急長野カントリークラブの接待も公用車を使っていた。
・ 旅行の羽田空港まで送り迎えにも私用していた。
・ 更に愛人宅まで公用車で帰宅もしていた。
・ 上記をチクった市職員は降格している。
・ 公用車運転記録を住民監査請求したら秘密委員会で破棄された。
・ 上記を議会に問いた議員は現在村八分にされている。
・ 市長報酬の値上げをしている。(市長年収1800万 会社不労所得2200万)
・ 前年の台風被害の復旧工事は特別会計から数割しかされていない事実。 フロム・ミー・トゥ・ユーもつまらない曲だよな
デル・シャノンがカヴァーして初めて全米にビートルズの存在を知らしめたが フロム・ミー・トゥ・ユーは、63年春に英国でシングル盤として発売
大ヒットして全英1位を7週間続け、シングル盤として70万枚を売り上げた
63年春の渡英でビートルズと同じテレビ番組に出演したデル・シャノンは出たばかりのこの曲を知り、帰国して早速カバーしたレコードを出し、全米77位となった
64年、ビートルズによりあらためてプリーズ・プリーズ・ミーの B面として発売、ビルボード誌、キャッシュボックス誌ともに全米41位を記録した 今、フォーシーズンズの映画が始まった
これを観れば、50〜60年代アメリカンポップスの雰囲気がわかるし
ここにビートルズが飛び込んできて、どんな影響与えたか、想像するのも面白いと思う "The Beatles Vs The Four Seasons"
1964 Vee Jay Records VJLP1062
ビートルズとフォーシーズンズの曲が12曲ずつ入ったお買い得な2枚組LP! なにかご用命のものがございましたら
なにか私どもがお役に立てることがございましたら
一発ポチっと下さいませ すぐにお送りいたします
愛をこめて 尼からあなたへ ♪あ 悲しくなるだろう 今日からあ〜〜〜〜〜 いぇいっ! ギター、ドラムだけで演奏してたシンプルな頃のビートルズはいい 楽器の種類が素朴なのはいいね
他のグループだと
サファリーズのピアニカ
ゲイリー・ルイスとプレイボーイズのアコーディオンなど 恋する二人は二重録音なのだ
ハモニカ吹きながら歌えるわけがない >>594
スタジオ録音でわざわざしないだろうけど
歌えないことはないだろう タバコふかしながらドラムを叩くリンゴには呆れた思い出がある。 ボブ・ディランの風に吹かれても自力だろう
ハーモニカは間奏だけだし そういえば、恋する二人以外
ビートルズは、間奏のない曲が多いな
間奏といえば思い浮かぶのが、サーチャーズの「恋の特効薬」
タタン、タタン、タタンタタタンタ
ここを聴くだけで60年代が蘇る、まさに、ザ・間奏だと思う ちなみに、ザ・前奏なら
「悲しき雨音」か、「朝日のあたる家」な
異論は認める のっぽのサリーのリードは前半がジョン、後半がジョージなんだよ ロール・オーバー・ベートーヴェンのイントロはじつにカッコいい
本家のチャック・ベリーを上回る わしは涙の乗車券、BACK IN THE USSR、DRIVE MY CAR等のイントロ大好きだ 逆に、記憶にはよく残るが、あまりいいとは思えないのは
ディジー・ミス・リジーかな 初期のビートルズは激しくシャウトしていた
若さにあふれていたからね ビートルズ以前にシャウトしてた歌手はリトル・リチャードだけ
プレスリーでさえシャウトしなかった ロックンロール・ミュージックの最後の方
明らかに息を切らして唄ってるのが、人間臭くていい
撮り直しする時間余裕がないぐらい、忙しかったんだろうな ビートルズ65のアルバムは忙しくて曲が間に合わず、カヴァー曲を入れて制作された >>813
シャウトの起源はスクリーミン・ジェイ・ホーキンス!
宗教的祭事のシャウトの起源はメソポタミアのシュメール人!
(下の文は多分ガセネタね) 「ゼアズ・ア・プレイス」のシンプルな歌唱は好きだ。 日本盤2枚目のアルバムは1枚目に比べるとシングル盤B面の曲ばかりが寄せ集められてた
いい曲はほとんど1枚目のアルバムに収録されてしまっていたからね 日本では2枚目まではモノラル盤で発売されてたんだよ
3枚目の映画盤からステレオで出るようになった 本邦初発売のハードディズナイトのジャケットは日本オリジナルのもの イギリスNMEが紙の毎週発売していた紙の発行を終えることを今月発表した
ポール他有名ミュージシャンが感謝と感慨のコメントを伝えた
今後はネットでの配信に力を入れるという 時代は確実に進んでいる 東芝オデオン盤のジャケットが黄ばんできた
どうすればいいのか? おせーろ 当時はペラジャケが多かった
厚手ジャケットになったのは「ヘルプ!」から 前田武彦と木元教子の東芝ヒットパレードは
ハガキのリクエストが、曲名ではなくレコード番号だった
だから、スローダウンはマッチボックスにカウントされ
エイト・デイズ・ア・ウイークはノー・リプライにカウントされた
名コンビで好きな番組だったが、そこが欠陥だったな 木本教子はTBSのアナウンサーとなってニュースキャスターのはしりとなり、その後フリーとなってフジテレビのワイドショー司会者となったその頃、東芝ヒットパレードを前田武彦とやっていた
ラジオを聴いていた頃は経歴など知らず、ただもう年齢を食った落ち着きのあるしゃべりをするオバハンという感じだった
マエタケはその後、テレビ生番組で共産党万歳と叫んでディスられ、没落一方
対して木本教子は道をあやまたずその後もご活躍、今も政府委員などやって勲章ももらっている マエタケは、昼12時の番組と、夜のヒットスタジオの司会をやってるころは
地球はマエタケを中心に回っている、それぐらいの人気だったな
東芝ヒットパレードでも、そこそこ洋楽の造詣はあった 俺が俺がの巨泉よりは、よほどマシだったわ
当時の洋楽解説者なら
福田一郎、高崎一郎、小島正雄が詳しかったかな 高崎一郎は主婦相手のくだらない番組を担当してから地に落ちた ポピュラー音楽の評論家では福田一郎がいちばんまともだった。 糸居五郎は評論家ではなくてアナウンサーだが、DJをやってりゃ似たようなもんだったかな S盤アワーというラジオ番組もあったが、かかる曲が古臭く、S盤とはSP盤のことかいなと思ったりした
日本ビクターのレコード番号らしいが 昔のラジオは各メーカーがbackupした音楽番組がいろいろあった
ビクター、コロムビア、キング、東芝、グラモフォンなど
毎月の新譜を流して宣伝したり、専属歌手の特集を聞かせてくれた 毎週、ラジオのヒットパレードが楽しみだった青春時代が懐かしい >>838
たいていの番組にあった新曲紹介コーナーが、楽しみでわくわくしてた
「太陽を探せ」を聴いたときは、「おっ、懐かしのサウンドが帰ってきた」
「悲しき願い」のときは、「アニマルズがついに神曲を出したか」
いつも、そんな期待感があったね
アニマルズは、前作のブーンブーンがだめだったから、なおさらだった 毎月、レコード店に行くと各社の新譜案内カタログが店先に置かれてあった
いろいろもらってきて見るのが楽しみだったな そんな皆様の次世代だな。僕は。オールナイトニッポンの糸居さんしか知らない。 レコードマンスリーは無料でくれたレコード店と
50円で売ってたケチなレコード店もあった 東芝のシングルは、文字通りドーナツ盤だったが
ビクターなんかは、中央部がアダプターのいらない構造になっていたね 糸居五郎は戦前の満州で森繁久彌とともにアナウンサーをやっていたというから古株だ
だが、オールナイトニッポンでのしゃべりは、「ハイハイ五郎で〜す」と全体にラップ調の軽いもの
その古い履歴などこかへ置忘れてきたようなノリだった 60年代の半ば、キャピトルレコードのカタログでよく見かけたミセス・ミラー
年配の女性シンガーだがなかなかに味わい深い
久しぶりに聴いてみたい
https://youtu.be/fODWNiUct_Q ビートルズが登場する前のキャピトルの看板スターは
ナット・キング・コール、ビーチボーイズ、フランク・シナトラしか知らなかった なに、ミセス・ミラーを知らなかったのか
ネタレコードだぞ ババァであるところに反応してもつまらんよ
歌、歌の下手さに呆れかえって面白がるのさ 日本ではオデオンレーベルだったからキャピトルは無関係だったな ベンチャーズのノーキーも、亡くなったんだな
我々も、どんどん近づいている ガッツだぜ、愛は勝つ、それが大事
そして2018年は
『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 リアルタイムにビートルズを聴いて人にお伺いしたいのですが
当時、モッズ系の音楽はどう捉えていらっしゃいましたか? モッズは黒人音楽のことをいう
ビートルズとはまったく違う リンゴがインタビューに答えている映像があるな
−あなたたちはモッズなんですか、ロッカーなんですか
「モッカー」 ビートルズのモップヘアはプールで泳いだあとのジョージの頭を見て思いついた
これは本当のことなのか? まあ諸説あるけど
売れないバンドは、売れるためにいろんな事をやったらしいからな
当時のビートルズも、例外ではなかった モップヘアは全世界のアーティストが真似た
それだけビートルズは音楽以外でも大きな影響を与えた 日本でビートルズがまともに評価され出したのは赤盤・青盤が出てからってホント? >モッズは黒人音楽のことをいう
違うよ
モッズって言うのはR&BやSoul, Funkなど黒人音楽に憧れたイギリス白人の若者が
勘違いして作ってしまった白人音楽の事だよ
ザ・フーとかスモール・フェイセズとか
モッズとは呼べ無いけどエアロスミスもボーカルとドラマーが
ロックバンド形態でJBをやろう!というアイデアから始まって、ああいうロックバンドになった >>861
評価の意味が、よくわからないな
日本のファンに人気が出たのは、昭和39年春
したり顔の評論家どもの評価なら、いつかわからないし、どうでもいい 昭和38年、洋楽に詳しい友達からいまイギリスから凄いグループが出てきたぞと
教えてもらったのがビートルズだった >>847
ナットキングコールやサムクックは
ビートルズの人気が出たころに亡くなったな 東芝が販売権を持ってた外国のレコード会社にワーナーレコードがあった
映画会社のスターなどが歌手としてレコードを出していた
コニー・スティーブンス、トロイ・ドナヒュー、ロジャー・スミスなど
当時の赤盤シングルで買ったよ トロイ・ドナヒューは来日したこともある
品のいいおぼっちゃまだった 「恋のパームスプリングス」というレコードを出してたが、歌手じゃない感がよく出てた 映画「パームスプリングスの週末」は面白かったよ
サントラ盤も発売されたことがる ワーナーにはジョニー・ソマーズがいた
すごいハスキーな声の美人歌手だったな ジョニー・ソマーズと言えばワン・ボーイ
それがヒットした'62年だったか、テレビを見ていたらアメリカ帰りだという松島トモ子が出てきて、向こうで流行っている曲だと言ってワン・ボーイを歌った
子役という齢ではなくなった松島トモ子はこれからは歌手なのかと思いながら見ていたが、‥ならなかったな
ライオンに噛まれてた 「内気なジョニー」の裏面が「避暑地の出来事」
両面ともいいカップリングだった ジョニー・ソマーズは「すてきなメモリー」を日本語ヴァージョンで歌ってる
発音もなかなかのものだった ワン・ボーイ、ヤング・ワン、トゥ・ヤング
こういう曲には、邦題つけなかったんだな 「ヤング・ワン」はコロムビアに販売権があったときは
「ぼくは若いんだ」という邦題がつけられてたぞ ビートルズに"その時ハートは盗まれた"というのがあったな
"こいつ"というのも EAST WESTのサブスクリプションを始めたんだけど「Fab Four」という
ビートルズ音源も選べる。んでDAWで打ち込みしたんだけど
SGTのアノSGギターとかcome togetherのタオルミュートドラムとか完璧過ぎる
おまけにジョンレノンとケンタウンゼントによって開発されたADTのプラグインも入ってる
これはちょっとビートルズマニアには驚くよ 普通のデジタルディレイじゃ無い音んだから ビートルズ好きが学生時代バンドをやり
社会人になってからはその暇もなく
定年退職してようやくパソコンの前で音楽制作を趣味にしている人は意外に多いぞ ビートルズは常に時代の先端を走っていた
いまだに再編集したディスクが発売されると売れるのはビートルズだけ ジョンの死後未発表のデモテープはポールが全部押収したんだろ ポールはビートルズは俺が存続させたんだ、という思いが強すぎる
確かにビートルズの後半はポールの曲がすべて1位になってたからな
ポールのおごりでビートルズが解散した原因になったのに ジョンは1966年来日のときにすでに解散を匂わせてたからな
その場にいた星加ルミ子はホモスタインに「絶対に言うな!」と口止めされてたし ホモスタインって、牛の種類か
パーカー大佐も、パーか?とか言われてたな 来日したときのビートルズはすでにコンサート活動に嫌気がさしていた
このあとフィリピン公演での事件で決定的になった すぐ前の日本公演の警護体制が万全すぎたから
落差がひどかったのもありそう 全盛時のコンサート動画を見てもファンの歓声ばかりで肝心の歌が聞きづらい
あれじゃ演奏するほうだって適当にやればいいんだって気になるよな ぼくたちの歌を聞きたければレコードを聞け
ぼくたちを見たければコンサートに来てくれ
そうジョンが言ってたな 当時のビートルズが英国にもたらした利益は莫大なものであった 何を今さらとか、それがどうしたとか、そう突っ込みたくなるレスが続くのも
老人スレならではか >>899
おまえの様なヘイト専門レスの嫌われヘド爺のレスよりずっーとマシな流れだと思うな。 >>900
899だが、いつものけなしてばかりのジジイではないぞ
スレが、年寄り特有の同じ話の繰り返しになりそうだったので、突っ込んだんだ
すまんかったな
また、新しいネタ出し合おうや >>902
うわっ、本物登場か
お前さえいなければ、このスレ平和なんだよ
前も言ったが、とっとと死ねや Life is very short, and there's no time
For fussing and fighting, old man ビートルズ世代とそれ以降の小僧世代は受け方が全然ちがう ビートルズ全盛時代を知らぬガキどもの妬みには苦笑するばかりだなw レコード時代のファンこそが真のビートルズファンだよ >>907
このたった一匹のアホが、どれだけレス消費してるんだ あんなもん英国でしか通用しないただの飾り
見栄っ張りが好むだけ リンゴは病弱で小学校もロクに通っていない
ビートルズの他の三人と比べても劣悪な環境で育った
そのまま行けば最底辺の生活しかできなかっただろう
だが、しかしビートルズに誘われた御蔭で一転勝ち組
このたび騎士にまでなれましたとさ ジョンは>>913よりちょっと豊かな家庭で育ったけどな
まあ、そんな4人が音楽でKnightにもなり世界的名士になった物語 リンゴはラスベガスのショーで観た朱里エイコを気に入り、先ずはメシを一緒に食おうと誘った
私もまだ何にも分からなくて‥誘いを断ったの、後に朱里エイコは述懐している
誘いに乗って勝ち組となったリンゴ
誘いを断って最後には生活保護の身となって野垂れ死んだエイコ‥ ジョン・レノンはミミおばさんに大切に育てられた
>>917みんな上手いんだろうけど、結構ポールだという声も聞く ジョージはクラシックに造形が深かった
ベートーベンの詞が素晴らしいと評価してた ハードディズナイトの中間部のギターは当時のジョージは弾けなかったから
録音操作でごまかしたんだよ アイ・フィール・ファインもジョンがリードを受け持った エリッククラプトン曰く
「ホワイト・アルバム」の時、スタジオに行って驚いた
ギターが一番弾けたのは、メンバーの中でポールだったんだ」 "I Feel Fine"でジョンがリードギターというのは少し違う
あのリフは歌いながらでも弾けるように工夫したものだから、ジョンもリフを弾いては居たが、全編に渡ってリフを弾き、間奏を弾いたのはジョージだ >>921
「ベートーベンは好きです 特に彼の詞が」と言ったのはリンゴ鼻スター ゲットバックのリードもジョンが担当したんだよ
ジョージではあれだけのテクニックはなかった あと、You Can't Do That
ジョージは初の12弦キターを弾き続けていたため間奏はジョンのギター
Slow downの間奏
ジョージリフを弾き続けてたのかな
Long Tall Sally
間奏の一発目はジョン、二回目の間奏はジョージ
Revolution
ジョンが割れたギター音を出している生演奏PVがある
Get Back
ルーフトップコンサートの映像でおなじみ
The End 三人によるギターバトル
And Your Bird Can Singのツインリードは、ジョージと‥ポールらしいが リンゴ、英国政府により処刑?
http://i.imgur.com/tAo1kw9.jpg
リンゴマンガ
twitter.com/motomotohide/status/976318561080627200?s=19 ↑ああ、リンゴ正式にsirの称号授与されたんだね
有名な儀式の画像だ ビートルズのレコードはいつからオデオンからアップルになったの? 1968.4 ビートルズがアップルの会社を設立
レコードもアップルレーベルで出せという
8月発売のシングル"ヘイ・ジュード"が最初のアップル作品だが、9月に日本で発売されたのは従来のオデオン・レーベルのまま
翌年くらいからアップルレーベルになった模様
11月、ホワイトアルバムがアップルレーベル最初のアルバム、69年1月の日本発売盤でもアップルレーベル アップルの名称は1966年に来日したときに湯川れい子が
リンゴに「あなたの名前は日本ではりんごと言う意味のよ」と教えたことが由来 前スレでも出たが、日本のアップル第一号は
メリー・ホプキンの「悲しき天使」だったと思う アップルはいろんなことをやってて、服を売るアップル・ブティックという店もあった
けれど、店員は酔っぱらって床に寝てる、客は万引きし放題
一か月ももたずに行き詰まった
それで閉店セールというところだが、閉店プレゼントだ商品はただで持ってけとやった
大混乱
ビートルズのやることだから、いろいろユルかった ♪ わたしは マッカなリンゴです〜
しょ しょ しょジョン ジョージの庭は つんつん月夜だ みんな出て コイコイコイ ビートルズのコピーで食ってるバンドってまだ活動してるの? なんだよ、親切にメシ食ってるか心配してやってるのか 今夜(29日(木)午前2:30〜3:20)NHK総合『サージェント・ペパー〜ビートルズの音楽革命』
♪The Beatles - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
http://www.youtube.com/watch?v=guiNy0jSKkI&sns=em 高校三年のときビートルズ公演のチケットを学校に持ってきて見せびらかしてる奴がいた
あのときは羨ましかったな 爆発的人気だった頃によく来日してくれたよ
それまで来日する外タレは落ちぶれて小遣稼ぎに来る奴らばかりだったもの
人気絶頂時に来てくれたビートルズには感謝したい >>946
あの時期は、人気ピークのアーチストが、次から次へと来日した
前スレでも、無知なやつが
お前と全く同じような書き込みして、馬鹿にされていたよ ビートルズは一回だけ来日の序の口
横綱ベンチャーズなんて毎年だぞ >>949
回数勝負じゃねえぞ、クソッパゲ!
ビートルズは1回の来日でベンチャーズ来日1万回以上の価値だ、デブ!! いや、50年間来日を続けたのはたいしたもの
ギネスの1ページ目に載せたい! 質というものがまるで分かっちやいないバカがいるんだな わかっているのをまるで分かっちゃいないのはオマエだ ビートルズは今やキリストより有名なんだからと言ってヒドい目に遭ったジョン・レノン
世の中には軽口というものが分からない人種は居るもんなんだよな そういえば、複数回来日したアーチストは、そんなにいないな
ビーチ・ボーイズやブラザーズ・フォーも、再来日したのはだいぶ歳食ってから
旬のころに何度も来たのは、あまりいない 日本でしか稼げない来日回数を誇るバンド 出稼ぎお疲れ
幸多かれと祈る 三流の外人アーティストたちにとって日本はいい稼ぎ場 ベンチャーズが二度目の来日公演のとき、ライヴ盤が発売されて売れに売れた
これをきっかけに日本では1965年からエレキブームが起こった ベンチャーズインジャパンのLPは俺も買った
あまりに売れたんで第2集も発売された ビートルズとベンチャーズのおかげで当時の東芝レコードは売り上げ1になった 当時の東芝はビートルズに便乗したイギリスのバンドを多く抱えていたしね アニマルズの「朝日のあたる家」は45回転盤での盤面は細かい音溝だった >>962
6分ぐらいあったからな
ボブ・ディランのライクアローリングストーンも長かった
ベンチャーズのキャラバンのロングバージョンは、シングル出たのかな? キャラバン65のタイトルでコンパクト盤のB面に収録されて出てた パイレーツオブカリビアン出演のポール・マッカートニー
この映画の中で『マギー・メイ』を鼻唄で歌ってるんだな >>965
あの歌はリバプールの古い戯れ歌なんだと。Let it beに収録になってるけど。 ヘルプ!の日本初公開は今はなくなったニュー東宝だったんだよ おぉ、おぉ、あったねぇ、新東宝
エログロ、大衆娯楽路線の映画会社
労働争議の続く東宝からスピンアウトしてできた会社だ
「地獄」「黄線地帯」「女王蜂」シリーズ」‥‥
え、なに、違う?、そんな話じゃないって‥‥
‥‥‥‥ お呼びでない、こりゃまた失礼いたしましたっ
ギャフーン 当時は特別鑑賞券というものがロードショー前に発売された
通常の入場料よりも格安で買えた
あの当時は確か450円で観劇できたと思う 上映前の無料試写会
ハガキで申し込めば、たいてい当たる時代だった 作家の松村雄策氏によると
映画HELPの中でジョンが「ロンドン!」と発するそのセリフに合わせ
映画鑑賞中の客席のファンらが一斉に「ロンドン!」と唱和していたと ハード・デイズ・ナイトの時は女の子がキャーキャー歓声をあげ、スクリーンにカメラのフラッシュを浴びせた ヤァ!ヤァ!ヤァ!は東銀座にあった松竹セントラルで初公開された 前スレは、ヤアヤアヤアだったけど
次スレのタイトルは、どうする?
一応、映画板だし ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!邦題の元となった Beatkes Come To Town
ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! - A Hard Day's Night
ポップ・ギア(オムニバス) Pop Gear
僕はいかにして戦争に勝ったか(ジョン・レノン) How I Won The War
4人はアイドル - Help!
マジカル・ミステリー・ツアー - Magical Mystery Tour
イエロー・サブマリン - Yellow Submarine
レット・イット・ビー - Let It Be
マジック・クリスチャン(リンゴ・スター ) Magic Christian
ザ・ビートルズ 〜エイト・デイズ・ア・ウィーク - Eight Days A Week -The Touring Years- リンゴのチョイスは数ある中で何でそれ?
だったらヤァブロードストリートくらいは入れてやれよ ドリフのロング・トール・サリー 〜'66 The Beatles Budohkan Concert より そこは、ドリフのロング・トール・サリー('66 The Beatles Budohkan Concertより)を貼るべきでは ビートルズも、ブルー・コメッツに伴奏してもらったら楽だったのに 歌う最中にマイクが安定せずにポールがしきりに直しながら歌ってた マイクがスタンドを軸に旋回するように動いていた
テープで固定出来なかったのか・・・本番で初めて気づいたのか・・・ このスレッドは1000を超えました。
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