マジカル・ミステリー・ツアーBEATLES
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>>420
インジャパンを即興で唄った曲は、「ザッツ・ザ・ウェイ」な
ヴォーカルのデニスとドラマーのハニーが、デュエットしてた
ビートルズやクリフの声も入ってたが
同じソノシートか、別だったかは忘れた ビートルズのメンバーの声をソノシートに収めた号もあったな
あの頃はメーカー著作権もなく自由でよかった >俺が気に入った曲は「見つめあう恋」だけ
あの曲聴いた時鳥肌が立ったよAメロとサビのコード進行が斬新過ぎる
I-III7-VIm-VII ハ長調だと
CーE7ーAmーBb
でメロがGーAbーAーBbを強調した旋律でさ カーペンターズは「ヘルプ」と「涙の乗車券」もカヴァーしている
他にもビートルズナンバーを取り入れたアーティストは数えきれない MLの表紙でコニー・スティーブンスが和服を着てポーズをとってるものがあったな
ビートルズの4人が兜を手にして星加ルミ子が着物姿で真ん中におさまってる表紙など
どれも懐かしい思い出だ ジョン・レノンが缶詰のホテルを抜け出して骨董品屋で買い物をした福助人形の焼き物
sgt.peppersのLPジャケット写真の中に写っていたが、今は福助なんて見かけなくなったな MLは、今と違って
洋楽ファンにとって、数少ない貴重な情報源だったな
毎月、いろいろな特集を組んでいた
ビートルズのヘアメイク担当女性の特集もあった
「髪質が一番いいのはジョン、次はリンゴ。でも最も素晴らしいのはポール」
などと、「ン?」な記述もあったが、まあ面白かった 今とは違って昔は何の情報も得られなかった時代だったからね
MLのような底辺向きの雑誌が頼りだった
各レコード会社の宣伝など見るとそのレコードが欲しくて仕方なかった
レコード批評の執筆陣がろくなもんがいなかったのも覚えている MLはいい加減な執筆陣ばかりだったね
まともなのは福田一郎ぐらいなもんだった 福田一郎は、音楽評論家よりも
エレキ合戦の審査員の印象が強い
エレキ合戦のハーフタイムは、シャープファイブ&シャープホークスによる
ヤードバーズの「フォー・ユア・ラヴ」だった ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
連れてってあげよう
すべては無であり架空である 勝ち抜きエレキ合戦の司会をしていたのが鈴木やすし
ジュディオングがアシスタントで出ていた 鈴木やすしはジェニジェニ、ラバーボールのカヴァーで名が知られた
歌手として売れなくなってからは俳優に転向して活躍した
コミカルなキャラがうまい具合に生かされていい結果が出た ビートルズがトニーシェルダンのバックバンドをやってた時期の音源って聴いた事ある? 鈴木やすしは木の実ナナとホイホイミュージックスクールも受け持っていたな
当時としては英語が喋れたのも強みだった >>435
やってたというか、レコードのときに呼ばれただけだから普通に聞けるのだけ 「いい娘じゃないか」、「クライ・フォー・ア・シャドー」、ビートルズが売れた後にシングル盤が出てた
これはその時に主役のトニー・シェリダン抜きでビートルズだけでレコーディングさせてもらった曲 あの当時でマイナーレーベルなのにちゃんとステレオで録音されてた
だからEMIは何やってんだ、というくらい録音にずさんだったよな 60年代の半ばだったか、ラジオを聴いていたらビートルズ無名時代の録音が新たに発見された、これから曲を流しますと言っている
聴いている方も大興奮
流れて来たのがAin' She Sweet. いい娘じゃないか
‥なんだかビートルズサウンドじゃないなぁ、もひとつだなぁという感じだった
既にポリドールからシングル盤として出ていた筈だから、それを聴いていた人にとっては何が新発見だと思っただろう あ、そのラジオのDJはヨーロッパへ行って発見したレコードだと言って紹介していた
情弱な人だった 追伸、追伸
重大なことを忘れてた
そのラジオから流れたのはトニーシェリダンが歌うAin't She Sweetだった ビートルズが日本で出てきた昭和39年ごろは
まだ日本人歌手が、日本語カバーで歌うことの多い時代だったけど
「マイボニー」は、「プリーズ・プリーズ・ミー」より少し先にヒットしていた
ビートルズのヒットと言えるかは、ちょっと微妙だが あの当時、ビートルズのレコードがなんで東芝以外のポリドールから出るんだ?と
思っていたらあくまでもトニー・シェリダンの伴奏としての無名時代のビートルズだった
最初、ポリドールから30pモノラル盤が出て、そのあとすぐにステレオ盤が出たんだ
早合点してモノラルLPを買った人はバカをみた あのLPも怪しげなもので、ビートルズが伴奏とあるけれど、実は一部だけだ
クレジットされてるのは全てビートブラザースだが、聴いていてあきらかにビートルズではないものがある
キーボードがあるし、リードギターがジョージより滑らか、達者だ
どれがビートルズの演奏で、どれが違うのか判別しながら聴くように
マイボニーはコーラスを付けているのがジョンとポールだとはっきりわかるけど
(そのマイボニーもパワフルなギター間奏はトニーシェリダン自身のもの) 音源なんていくらでも誤魔化せるからな
ビートルズのクレジットで発売すれば売れた時代だった 大瀧詠一が言ってたけど
トニーシェリダンは実は相当のリードギタリストだそうで
他のバンドでもギターだけ参加していたという話をしていて
それを聞いていた坂崎幸之助が「えー!そうだったんですか?」とちょっと驚いていたよ ポールはシェリダンをティーチャーと呼んでいた
共にドイツでがんばる者として、ビートルズのステージにもシェリダンはギタリストとして参加したりしていた
その様子をみていたポリドールレコードのエージェントだったベルト・ケンプフェルトが声をかけて一緒にレコードを作ったらどうかと勧めた
こうしていわゆるポリドールセッションが行われた
1961年に録音され、ドイツで最初に発売されたMy Bonny/The Saints(聖者の行進)のシングルレコードは骨董品として未使用品に最近1万5千ドルの値が付いた
ビートルズという名前はドイツ語の変な単語pidels(男性器を指す)と間違われるとして、ビートブラザースに変えられた
後にベトナム戦争慰問に出かけたシェリダンは銃撃によって死亡したとして米軍名誉大尉とされたが死亡は誤報だった イン・マイ・ライフは以前から気になっていた
ポップスの歴史の中でコード進行
IV - IVm7
の影響を一番与えた曲だ
勿論ポールも IV - IVm7進行の曲は作っているのだが
ポールのどの曲をアナリーゼしても
IV - IVm7 においてイン・マイ、ライフのようなメロの置き方
ちょっと詳しく言うとサブドミナントからトニックに安定したリゾルブする、、、
ちょっと書きすぎたゴメン
とにかくジョンが作ったのでは無いかとずっと疑問だったよ。楽理的にはね。 ポールによれば、「ジョンの詩にボクが曲をつけた」
ジョンは「ポールがやったのはミドル8の部分とコーラスをつけただけだ」
そのポールがやった部分というのはポールらしさが出てるの? もうジョンはいないし死人に口なしだからな
ポールが思う存分自分の曲だと言い張るだろうな 作風にポールらしさは出ていると思うが、ジョンオタも含めBEATLESファンは冷静に考証しないとね
答えの出にくい一件だ
【スピリチュアル・ビートルズ】ジョンとポールの食い違い「イン・マイ・ライフ」と「エリナー・リグビー」
https://ovo.kyodo.co.jp/column/a-870043 2人で一人前だったビートルズ時代
ソロ活動になってから作風も変わったし、差も出てきた ジョンはポールに比べて才能がなかった
ジィージ・マーティンはそうコメントしている ジョージ・マーテインはポールヲタだったからね
ジョンのことは見下していた ジョージ・マーティンは、わざわざアビイロードスタジオの近隣に家を買い毎日音楽作りや録音機器をいじりに来る熱心なポールに関心していたからね ビートルズ最高傑作アルバムがサージェント・ペパーだと言う人がいる
これは賛否両論がはっきりと分かれている
このときからビートルズは別の世界に舵を取り始めた 髭を生やし始めたのもこの頃からだった
なんか清潔なイメージがなくなってしまった ポールの自己主張が激しくなり始めてからビートルズはおかしくなった 戒名爺が文句言い始めてからこのスレはおかしくなった 戒名爺というアホがこのスレに湧いてきたが誰にも相手にされなかった ヨーコのような基地外BBAに出くわさなかったら
ジョンはいい曲をもっと出していた ビートルズ後半の末期にポールは必死にジョンに呼びかけた
Get Back とね
でも糞ブスBBAのヨーコに洗脳されたジョンは振り向きもしなかった ビートルズ解散の原因はすべてドブスババァのヨーコにある
ヨーコに洗脳されたジョンはやる気を失ってしまったからね ポールはホワイトアルバムは駄作だった、とコメントしている ホワイトアルバムはつまらない駄曲を2枚にして詰め込んだだけのゴミアルバム 末期のビートルズメンバーはポール以外、やる気をなくしていた 最悪の結果になったビートルズ解散劇
お互い罵り合って別れて行った >>479
お前が、棺桶に残りの片足突っ込まないのが、スレ荒れる原因 ラバーソウルのLPジャケットからビートルズは変身した >>479
おまえのつまらんワンパターンとウザさは音楽板のおまえそのまんまだなw 何年か前、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターは観たわ 加瀬邦彦はナマでビートルズを見たいがためにブルージンズを辞めた
勇気ある行動だった 前座の連中に公演を見せなかったというのが可哀そうだった
スパイダースはそれで前座出演を断った 前座出演者を特別に公演観覧させるとか考えもしなかっただけだろう
楽屋に閉じ込められて漏れ聞こえてくる音を聞いていたとか TBSテレビの時事放談という番組が今度終了するとか
66年当時の放送ではビートルズ来日を年寄り政治評論家があげつらっていた
「ペートルズとかいう不良グループ、ありゃ何だ
演奏会に神聖な日本武道館を使わせるわけには行かん
夢の島でやらせとけ」
*夢の島:東京湾のゴミ捨て場、ゴミで埋め立てていた >>490
特別扱いしなかった割りには
客席の前の方には、芸能人がゴロゴロいたぞ
荒木一郎とか
一般の人はチケット入手絶望的なのに、思いきり不条理を感じたわ 控室にあるスピーカーからテープレコーダーに録音した前座がいたっけ テレビで放映したのは二日目の公演
一日目のはVHSビデオソフトで販売されたことがある
いずれも演奏の出来は悪い
ところが映像も録音もない最終公演は出来がよかったそうだ
誰かこれを体験した者は居ないのか どんだけ稼いでいたんだろうとうらやましげな質問だが、
もう金が欲しくてコンサートやってたんではないな
やめたがっていた
日本にも行っておかねばとエプスタインは安目の額を提示してきたとのこと
日本では3日間5回公演
ギャラは10万ドルと言われている
さぁ、今なら1千万円‥じゃないぞ、4億円以上はあるだろうな
まずエプスタインが取り、ジョン、ポールが取ってゆき、残りをジョージとリンゴで分けた
−なぜビートルズはこんなに人気があるのですか
ジョン:それがわかればビートルズなんかやめてマネージャーをやるさ あ、所得税あるからね
当時の英国所得税最高税率83% 日本公演のあとフィリピン公演へ行ったものの例の暴行事件がおきて
メンバーはすっかりコンサート活動に嫌気がさしてやめてしまった
ジョージなど頭にきて「フィリピンにミサイル射ち込んでやりたい」とコメントしたほど >今なら1千万円‥じゃないぞ、4億円以上はあるだろうな
君は算数1か。どんな計算すれば40倍以上になるんだ
400円のシングル盤が、16000円もするのか 誰もが観れるようにと
日本公演を低価格の料金で抑えてくれたエプスタインとメンバーに感謝 >>500同意
♪奇しくもポール・マッカートニーの来日公演のお知らせが入った
東京ドームが10月31日(水)と11月1日(木)、ナゴヤドーム11月8日(木)だと >>499
1ドル360円だったぞ
円だけで見て当時2100円のチケットが今の25000円くらいにあたると言われている
さらにギャラ10万ドルについては、今は1ドル100円ちょっとなのが当時360円だった ビートルズ来日の影の力になった星加ルミ子の存在を忘れてはならない また、当時の今ごろのランキング出しときます
(8月第2週)
64年
1・太陽の彼方に アストロノウツ
2・ロシアより愛をこめて マット・モンロー
3・ポエトリー ジョニー・ティロットソン
4・ラスベガス万歳 エルヴィス・プレスリー
5・淋しいだけじゃない クリフ・リチャード
6・サスピション テリー・スタッフォード
7・ツイスト・アンド・シャウト ビートルズ
8・マイ・ボニー ビートルズ
9・プリーズ・ミスター・ポストマン ビートルズ
10. ネイビー・ブルー ダイアン・リネイ
11. 悲しきヤング・ラヴ レ・プレイヤーズ
12. 花はどこへ行った キングストン・トリオ
13. フロム・ミー・トゥ・ユー ビートルズ
14. 恋のスライディング ケヴィンとグレッグ
15. オール・マイ・ラヴィング ビートルズ
16. 恋の波乗り サファリーズ
17. 太陽の中の恋 ポール・アンカ
18. ホワイト・オン。ホワイト ダニー・ウイリアムス
19. 夢見る想い ジリオラ・チンクエッティ
20. ほほにかかる涙 ボビー・ソロ
21. 恋のチャペル ディキシー・カップス
65年
1. キャラバン ベンチャーズ
2. ヘルプ・ミー・ロンダ ビーチ・ボーイズ
3. アパッチ‘65 アロウス
4. ヘルプ ビートルズ
5. いとしのパオラ アダモ
6. 青春の渚 ジャンとディーン
7. 涙のチャペル エルヴィス・プレスリー
8. オン・ザ・ビーチ クリフ・リチャード
9. 青い渚をぶっとばせ ベンチャーズ
10.ダイナマイト クリフ・リチャード
11.涙の乗車券 ビートルズ
12.ウーリー・ブリー サム・ザ・シャムとファラオス
13.サティスファクション ローリング・ストーンズ
14.悲しき叫び アニマルズ
15.イパネマの娘 ゲッツとジルベルト
16.悲しき願い アニマルズ
17.ヘンリー8世君 ハーマンズ・ハーミッツ
18.バイバイ・ブロンディ トリニ・ロペス
19.リーリン・アンド・ロッキン デイヴ・クラーク・ファイブ
20.かわいい小鳥 マリアンヌ・フェイスフル
21.サーフ・ジャム ビーチ・ボーイズ
記憶が飛んでいるのも何曲かあります
ポール・アンカがサンレモに出ていたのも意外でした アストロノウツが来日して、テレビをみていたら歌もうたってた
演奏しながら歌うのはビートルズみたいでカッコいい、その路線でゆけばよいのにと思った
今思うとヒット曲の安易なカバーばかりだったからムリだったんだろう サファリーズも来日したときにヴォーカルも入れていた
ドラマーがハッスルし過ぎて椅子から転落してしまう事故もおきた ポールも90を超えているんだろ
老人の小遣い稼ぎに金出すバカがまだいるとはw さんざん馬鹿にされても書き込む戒名ジジイがまだいるとは >>508
戒名爺、乙 終に音楽板のビートルズスレにも居場所が無くなったかw
ここも時間の問題だぜ そもそも、ポールが90超えてるだろうって
算数もできないほどボケてるのか そもそもポールが小遣い稼ぎをしなくてはならんほど貧乏と考えているのか
ビートルズ来日当時に報道されていたことだが、65年まででジョンやポールは15億円は稼いでいた
当時の15億円だぞ
その後ももの凄く稼いでいる ジョンはヨーコのようなブスBBAなんかと出会わなければよかったんだ
そうすればビートルズは解散せずにすんだ このスレは、アホの戒名爺が早くくたばればよかったんだ
そうすれば荒れずにすんだ 誰かに相手にされるレベルではないアンチである寂しい戒名爺
この滓の存在なんぞ1ミクロンの埃ほどの影響もなく、ポールのツアーはまた大成功し多くのファンが歓声を上げるだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています