マジカル・ミステリー・ツアーBEATLES
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>>193
あんた、最初のスレから
百回ぐらい同じこと言ってるな フォーシーズンズが唯一のビートルズ対抗馬だったが
あっけなく消え去ったな フォーシーズンズも好きだし評価するけど、歌うたいの集まりというだけではないBeatlesに偉大さを感じる フォーシーズンズやジョニー・キャッシュなど、ビートルズ以前のアーチストは
よく伝記映画化されたな 1964年のアメリカポップス界はビートルズの陰に隠れて細々と小さなヒット曲を出してた フランキー・ヴァリは「ライオンは寝ている」の裏声を担当してたんだよ シェリー、恋はやせがまん、恋のハリキリボーイとたて続けに3曲連続して
全米第1位のヒットを記録したが、それ以降はパッとせず消え去ったグループだったな 今でもファンは多いけどね
ビートルズ程ではないが
フォーシーズンズのことは2〜3年前にクリント・イーストウッド制作か監督で『ジャージーボーイズ』という映画になったね ヴィージェイからフィリップスに移籍して最初に放ったヒット曲が「悲しき朝やけ」
これがビルボード3位、次に出した「悲しきラグドール」が再び第1位にランクされた 映画観てると、メンバーで色々あったようだね
ビートルズも色々あったから、映画化すればストーリーには事欠かないけど
多くの人がほとんど承知の内容になってしまうな
配役も含めて、難しいわ 作品にするのは難しいが、角度、切り口によって幾らでも映画化・ドラマ化できる素材でもある。 ビートルズはレイ・チャールズの影響は受けなかった
チャック・ベリーからは多くを学んだが レイからの直接的な影響は無かったと思うけど
英国のMOD SCENEからの影響は大きかったと思うぞ
考えてみるとWHOは当然としてDEEP PURPLEの初期やエアロスミスもMODSなんだよな ジョニーBグッドを正規のスタジオ録音でカヴァーしなかったのは残念
おそらくジョンがリードヴォーカルを担当しただろう
あとメンフィステネシーもな ロックンロールミュージックは日本ではシングルカットされバカ売れした
本家よりもパンチがきいてて聞きやすかったせいもあるが >>211
この時期は、シングルが2枚同時に出ることが多かったね
ロックンロール・ミュージックとノーリプライ(エイト・デイズ・ア・ウイーク)
ミスター・ムーンライトとカンサス・シティなど リンゴの歌う「ハニードント」は聞いていて赤面するほ恥ずかしい曲
リンゴは道化役みたいな感じだったな 声は鼻声で良くないが、リンゴは意外と音は外さない
解散後の『思い出のフォトグラフ』なんか結構良いと思う ホワイトアルバムのエンド曲をリンゴが受け持った意味が分かってきた >>218
>>219
同一人物
自分で考えなよ、ガキじゃねえんだろw >>218
>>219
>>217も別に深い考えは無く、何となくわかった気がしただけだろ(笑) 空白の1日事件でしょ?
何があったのか分からないけどリンゴが帰って来てくれてメンバーは喜んだ リンゴに嫌がらせして追い出してしまったポールは腹黒い奴だった >>225
このジョンオタジジイ
朝の6時に誰かを叩くのが日課になったのか 音楽板からポールアンチ来たなWW
あっちでも有ること無いこと無いこと無いことレスしまくってる奴WW この作品は初めて観た時から大好きです??
ビートルズのモンティ・パイソン好きも影響している作品 >>213
> リンゴの歌う「ハニードント」は聞いていて赤面するほ恥ずかしい曲
> リンゴは道化役みたいな感じだったな
ハニー・ドントはBBCのライブ演奏でジョンがリード歌ってるのはファンなら知ってる >>196
> フォーシーズンズが唯一のビートルズ対抗馬だったが
> あっけなく消え去ったな
対抗馬ってかポップスだけだから
でもポップな作品として凄くイイ楽曲がいろいろあるよ >>210
> ジョニーBグッドを正規のスタジオ録音でカヴァーしなかったのは残念
> おそらくジョンがリードヴォーカルを担当しただろう
> あとメンフィステネシーもな
BBCライブで聴ければ十分
いろんなテイクがブートレグに残ってるし >>93
> 生まれも育ちも不幸だった4人
> その逆境をひっくり返した4人
> 人生はバクチだ
ジョージはさほど不幸ではなかったのでは!?
親父さんがバスの運転手で質素な生活だったとは思うけど >>100
> ビートルズの最高傑作アルバム
>
> サージェントペパーズ
>
> 最悪の駄作アルバム
>
> マジカルミステリー
マジカルは駄曲なしの名盤
サージャントに紛れ込んでても良いぐらいの楽曲ばかり
最悪の駄盤はテイチクから出た日本公演の演奏カットwのMCとかだけが抜粋で収録されてるやつ ポールがプレスリーの入隊前の曲をいろいろカヴァーしてる動画があるけど
あれは本物か? ビートルズはアメリカ最大のメーカー、フェンダーを使わなかった さっきニュースで言っていたけど
日本公演最終日の新たなフォト60枚近く
見つかったみたいだね 全部未公開
最終日は音源も残っていなかったらしいが
出来が一番良かったと当時ライブを見た人の
間でも評判だったらしい
いまだにこんなに話題になるとはさすがだね >>237
> ビートルズはアメリカ最大のメーカー、フェンダーを使わなかった
レコーディングではストラトキャスターも使った事があるらしい
あとレット・イット・ビーの頃にジョージがテレキャスターを使ってるよ ヘルプは007みたいな映画ってリクエストしたんだよね
これはマルクス兄弟かな
グルーチョ風のヒゲとか、スパゲッティのシュールコントとか、大階段の登場・退場とか
クイーンもアルバムタイトルにマルクス兄弟の映画使ってるし
イギリスでこの時期、マルクス映画再評価の動きでもあったんでしょうか 人気絶頂になったときのお遊び映画
前回のような活気のある作品ではない HELP!面白かったし音楽も良かった
髪型、雰囲気等キャラがBEATLESとして完成した感じ >>246
ああTurkeyの雰囲気あるよな
ジョンの彼女になったという噂もあるようだ やはりエキゾチックな宗教のある国から来てる女の設定だからアングロサクソンぽくない女優が選ばれたんだね 【貴族きどり、俳優″】 マイトLーヤ『すべての人間を選び分け、偽善を暴き、彼らの本性を示そう』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529460111/l50
国会前デモを尻目に、安部と会食するバカ垂れントたち、金持ち、喧嘩せず? 1964年、ビートルズが荒稼ぎしたもんでアメリカ政府は納税を請求した
ところがビートルズはイギリスに税を納めてるんでこれを拒否した
当然だよな ビートルズがアメリカを征服したことはアメリカ人にとって面白くなかったんだろう 「抱きしめたい」が爆発的ヒットとなりレコード売り上げもすごかった
そのため生産が間に合わず、キャピトルはRCAに生産を依頼したのは有名な話 日本では「プリーズ・プリーズ・ミー」が初めて発売されたビートルズのレコードだった。 ビートルズ「抱きしめたい/こいつ」
↑1964.2.5日本で最初に発売されたビートルズレコード
「プリーズ・プリーズ・ミー/アスク・ミー・ホワイ」のレコードは1964.3.5の発売 本邦初発売されたときのLPのジャケットがカッコよかった
米国盤と同じデザインのハーフシャドウのモノクロジャケット
オリジナルは英国盤のものであったが、米国盤のほうがいい
ただしモノラル盤でしか発売されなかった セカンド・アルバムのジャケットもセンスがあってよかった 日本独自のアルバムジャケットは初のステレオ盤「ハード・ディズ・ナイト」と
「ステレオ! これがビートルズ」第1集、第2集だけ 解散後だけど、プリーズ・プリーズ・ミーって、ガムのCM曲に使われてたよね
製品名わからんけど ビートルズのモップヘアは世界中の若者に影響を与えた ヘルプの冒頭(サビ始まり)4小節目のギターアルペジオは今聞いても斬新だね
一小節目がBmで始まりアルペジオ部分はE7を受けてのA7だ
そしてAメロはAで始まる、で終止形のHelp in anywayはDーGーAと
ミクソリディアン・スケールを強調して
Bメロは(help me if you canから)Bmに戻る
これって良く考えると凄いわ
あの四小節目のギターアルペジオって誰が考えたの?やっぱりジョン? >>268 ついこの前までnot a secondtimeなんか
作ってたのに驚異的な成長。 作り方が違うので
多分違うと思う。 >>268
基本ヘルプ!はジョンのアイデアをベースにポールといじって作り上げたらしい
また、「この頃のジョンの曲は転調を色々試しているような印象のものが多い」という話しもあるから意外とアレンジもジョン主導かも だよね、きっと
ジョージはマージーやモッズ系の音とイン哲は得意だけど
ジョンは何かが凄い。才能が。アイアム・ザ・ウォルラスとか聞くだけで嬉しくなる
ポールは、、、子供好き アイアム・ザ・ウォルラスなんて駄作じゃねえか
おまえ精神科へ行けよw >>273
そんな程度の事で精神科へ…なんて発想は、精神科に行きなれているお爺さんくらいのもんですよ、お大事にねw ジョンがあんな糞ババァなんかと知り会わなければビートルズは解散せずに済んだ ポール新曲発売!
この人本当にスゴイよ
いまだにオリジナルアルバム作って
元気でとんでもない再生回数
マジカルから50年だよ〜考えると感慨深い NHKFMでジョンの魂を聞いた
ひどいアルバムだよな
ただ叫んでるだけの駄作ばかり 解散後、ジョンは2枚のアルバムを出した
「イマジン」と「ジョンの魂」である
だが聞く価値のある曲はイマジンとラヴのみであとは遊びで作曲したもので
聞くに堪えないごみアルバムであった ソロ活動後、初の全米1位になった「真夜中を突っ走れ」は親友のエルトン・ジョンのおかげ エルトン・ジョンはビートルズの
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズをカヴァーしてNo.1ヒットさせた
そのお礼にジョンはエルトンのコンサートに特別ゲストとして参加した ビートルズ前半はジョンの独断場
後半はポールが支配した ポールはジョンと出会ってから才能を開花させた
お互い刺激し合って数多くのヒット曲を生んだ そうだな。そして彼らは世界中の音楽好きな青少年を刺激して、世界の多くの才能を開花させた。 自作自演のアーティストはいろいろいたが
ビートルズは別格
比べるほうが間違ってる 1950年代から1960年代前半に至るまでアメリカにはポール・アンカ、ニールセダカという
自作自演の有能歌手がいたが、ビートルズ出現と同時に忘れ去られてしまった 年寄りどもは、同じ話を何度もしないと気が済まないのか
この数レス見てると、気持ちだけは若くありたいものだと、つくづく思うわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています