マジカル・ミステリー・ツアーBEATLES
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>>114
さすが年寄り、朝が早いのう
それ書き込んだら、今日一日、もう何もすることなかったんだろ? >>118は朝早いんだから爺だろ
だが一々小競り合いしに出て来る低能児でもあるw ここはジジイでも低能児でもその他でも書き込み可でございます。
マジカル_のウエイター役のジョンがやたらニヤニヤして鋤みたいなものでスパゲティをオバサンの皿に盛り続ける。
あのスパゲティの中にガーゼが混じってドサッと皿に乗る瞬間が有り---どんな事情なんだか。 真のビートルマニアはジジィだぞ
なにしろリアルタイムでビートルズを見てるんだから
解散してからファンになったニワカの低能児とは違う >>122
>解散してからファンになったニワカの低能児
痛々しいレスだな
それぞれの世代がそれぞれに新たな発見をし、それぞれの観点から新しい価値を見出し
次の世代に受け継いでいくことのできる汲めども尽きぬ泉
それがビートルズだろうに
こうしてジジイは干からびた自分の殻(価値観)に閉じこもり
柔軟性を失って「老害」と呼ばれる存在になっていく ハイハイ、きみの言う通り!ご尤もだよご尤も!
さあ、もうおやすみ、良い夢を。 まあ、そう喧嘩しないで
トリニ・ロペスの「レモン・トゥリー」の話でもしようや
あれ、いつ聴いても、ほんといい曲だな ボビーライデルの「愛なき世界」のほうがピーター&ゴードンよりもいい >>128
ポール・マッカートニー作詞作曲の大好きな名曲だけど、ボビー・ライデルversionは知らない…検索して聴いてみる ボビーライデルはやさ男のわりには声量があったからいいよ。 ボビー・ライデルの「愛なき世界」は、日本の歌番組でよく聴いたね
ビーチボーイズの曲も、よくカバーされた。それぞれ良さはあるけど
「リトルホンダ」はホンデルスが
「踊ろよ、ベイビー」はデル・シャノンのが聴きやすかった
ただ、パット・ブーンの「リトルホンダ」は、ちょっと残念だったな
パット・ブーンは、「真珠貝の唄」も残念だったわ 「ハンディマン」もジミー・ジョーンズよりデル・シャノンのほうがいいぞ ビートルズをアメリカに紹介したのがデル・シャノン
真っ先に曲をカヴァーしたのもデル・シャノン
先見の明があった ただ、デル・シャノンが一番好きで高評価してたのは、実はストーンズなんだな
これは本人が述懐している
おっと、文句垂れジジイの反論は禁止だぞ デル・シャノンの「悲しき街角」はプレスリーもカヴァーしてる 街角シリーズで人気のあったデル・シャノンも自殺したなんて
ノイローゼになったんだろうな リンゴ・スターもアル中を何とか克服しsirの称号も授与され晩年に花 マジカル〜 のラストのYour mother should know オシャレな感じの曲調だな デル・シャノンといえば、ラジオの新曲紹介コーナーで
「太陽を探せ」を聴いたときは、嬉しかったな
あのデル・シャノンのサウンドと声が、何年ぶりかで帰ってきたと ステーツサイドから再スタートしたデル・シャノン
東芝から何枚かのレコードを出したが結局しぼんでしまったのは残念
そして自殺したときはショックだった ラジオの新曲コーナーは、いつも楽しみだったな
一度聴いて、おっいいなと思ったのは、ベタだけど
サーチャーズ「恋の特効薬」や、アニマルズ「悲しき願い」
「悲しき願い」は、前作の「ブーンブーン」がコケたから、なおさらだった
ビートルズでは、「恋を抱きしめよう」かな
スタイル変わりだしたなと、すぐに感じた BEATLESは歌手という存在であったばかりではなく音楽性が深化していったからね ブライアンエプスタイン亡き後の迷走がそのまま映像化された感じ
頭を失ったニワトリのような映画
それでもこの映画の実験精神は後の映画に影響を与えた部分もあるそう リンゴも映画界にけっこう顔出したけどポールもジョンもジョージも各々映画出演したり制作に関わったり
ビートルズってのはビートルズ時代も解散後も、映画、映像に縁が濃かったな 映画好き、映像好きではあったんだろうね
ジョンが言った、フェデリコ・フェリーニの映画に対する
「感覚に対する大変なご馳走」みたいな評言はよく覚えてる(うろ覚えだが)
そう思ってみるとMMTのそこかしこにフェリーニ的なタッチを感じないでもない
(表面的な模倣のレベルだが) ジョンもポールも、ブリジット・バルドーのファンだったから
仏映画なんかはよく観ていたんだろう 彼らは新曲のセール等に大いに映像を利用したバンドだしな。 ビートルズは常に先を読んでたバンド
だから今でも通用する飛びぬけた眼力があった うん、だから多くのアーティストからのリスペクトを映像面でも受けた。
David Lee RothバージョンのCalifornia Girls
http://www.youtube.com/watch?v=5GMoLENWsSk&sns=em
このPVの冒頭辺りやツアー客の感じはマジカル・ミステリー・ツアーを意識してると思われ。 ポップスではアメリカにまったくかなわなかった英国が突然変異で生んだバンド 当時の今ごろを、振り返ってみた
昭和40年5月27日 ヒットチャート
1.ミスター・ムーンライト ビートルズ
2.涙の乗車券 ビートルズ
3.ダイナマイト クリフ・リチャード
4.十番街の殺人 ベンチャーズ
5.踊ろよ、ベイビー ビーチ・ボーイズ
6.パサディナのおばあちゃん ジャンとディーン
7.恋のダイアモンドリング ゲイリールイスとプレイボーイズ
8.ロック・アンド・ロール・ミュージック ビートルズ
9.あこがれはいつも心に ジリオラ・チンクエッティ
10.スイムでいこう エルヴィス・プレスリー
11.君に涙とほほえみを ボビー・ソロ
12.悲しき願い アニマルズ
13.アイ・ゴー・トゥ・ピーセス ピーターとゴードン
14.いついつまでも コニー・フランシス
15.エイト・デイズ・ア・ウイーク ビートルズ
16.ゲーム・オブ・ラヴ ウェイン・フォンタナとマインドベンダーズ
17.二人の恋は ピーターとゴードン
18.夢のマリナー号 ベンチャーズ
19.ミセス・ブラウンのお嬢さん ハーマンズ・ハーミッツ
20.イパネマの娘 ゲッツとジルベルト
21.アパッチ’65 アロウズ
16位の、ゲーム・オブ・ラヴだけ覚えていない
聴いたら思い出せると思うので、どなたか挙げてくださると有難いです >>151
『GAME of LOVE』Wayne Fontana & the Mindbenders
http://www.youtube.com/watch?v=gkbfEK_owGk&sns=em ビートルズから提供された「ミズリー」を
「こんな曲は歌えない」と蹴ったヘレン・シャピロはバカな女だった
その後ビートルズ人気爆発になってあとで後悔しただろう ヘレン・シャピロとビートルズ
Helen Shapiro - Look Who It Is (Ready Steady Go, 1963)
http://www.youtube.com/watch?v=Dw0N9oCZCdE&sns=em ヘレン・シャピロと言えば代表曲はご存じのこれ
YOU DON'T KNOW by HELEN SHAPIRO
http://www.youtube.com/watch?v=5I2cG-ed6hw&sns=em
日本では伊東ゆかりが「悲しき片思い」として日本語で歌ったよね >>157
カバーでは
弘田三枝子の「子供じゃないの」が、ちょっとした流行語になった
>>155
ジジイ、久しぶりだな
ストーンズから始まって、こんどはシャピロか
けなすのは、これで何人目だ? 初めてヘレン・シャピロの声を聞いたとき、男性歌手と思い込んでいた
まだレコードが買えるほどのお小遣いもなかったし
ラジオのヒットパレードで聞くしかなかったからね ピーターとゴードンはビートルズから提供された「愛なき世界」を
素直に受け入れたので一時的にも名を残した
あの1曲で終わった一発屋だったが ストーンズもビートルズに救われたバンドだったんだよ
なかなか芽が出ない下積みの頃に「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を提供されて
ようやくヒット曲が出て光がさしたんだ ビートルズに便乗して金儲けしたイギリスのアーティストはゴマンといた。 ピーターとゴードンは、>>151のランキングにもあるように
小さなヒットを何曲か出している。こういうのは一発屋とは呼ばないだろう
「恋の特効薬」のサーチャーズや
「フォー・ユア・ラヴ」のヤードバーズなんかも同様
ショービジネスでは、一応成功者といえるんじゃないかな イギリスにはサンディ・ショウなんていうヘンな歌手もいたな ビートルズの出現でいちばんあおりを食ったのがクリフ・リチャード
それまでは全英人気トップだったが、完全に無視されるほど王座から蹴落とされた
なにしろビートルズは全英どころか全米を征服してしまったんだからな クリフ・リチャード はかねてからアメリカ進出を狙っていたがまったく無視され
念願のアメリカ制覇はならなかった
あくまでも本国イギリスのみにて人気を得たショボイ歌手で終わった ビートルズ人気に便乗してアメリカで一時的にでも
成功したイギリスのミュージシャンはたくさんいたが
クリフだけは蚊帳の外だったな
なぜだろうか? マッチするかしないかもあるし、タイミングもあるんだろう
ビーチ・ボーイズもしばらく英国ではさっぱりだったし カンツオーネ歌手やフレンチポップス歌手なども
アメリカではまったくウケず成功しなかった プレスリーの影響を受けてジョンは歌手を目指したんだよ
でも除隊後のエルヴィスには失望し、けなし始めた ルルの「いつも心に太陽を」はビルボード年間第1位になった爆発的ヒット
これはビートルズでさえなしえなかった大記録だ エルトンジョンはホモで有名
だからアメリカでもウケたのだ >>175
ID:LrYPMG3i
この引きこもりのバカは親のすねをかじって就職もしない低能児なんだよ
働いてる人はもう仕事してるのも分からない世間知らずのクズさ >>177
お前は、いい歳こいて
バカ、ニワカ、低能児しかボキャがないんだな 同時期にゲーリー・ルイスの「恋のダイアモンドリング」がヒットした
喜劇役者ジェリー・ルイスの息子がバンドを組み全米第1位におくりこんだ
とにかく親父そっくりの風貌だった ゲーリーは徴兵から帰って来た時、音楽界が様変わりしたことに失望して即引退した ビートルズとベンチャーズ、それとリヴァプールサウンド
ビーチ・ボーイズのレコードを一手に販売していた東芝はまさに輝いていた 昭和39年、40年ごろは、赤黒両方出回った曲が結構あった
「朝日のあたる家」なんかは、黒を持ってるやつの方が希少価値あるように見えた あの当時の東芝はレコード生産が間に合わなくて他のメーカーに頼んでたからだ
ビクター、コロムビア、キング、ポリドールをはるかに突き放していたもの おおプリティウーマンもビートルズ人気爆発中にアメリカのアーティストが放ったヒット曲
高崎一郎は一聴しただけでこれは大ヒットすると予感したそうだ
その通りに全米第1位になった
この曲はのちに1990年の映画「プリティウーマン」でも効果的に使用された ビートルズが猛威を振るってたとき、一矢を報いたのがサッチモ
「ハロー・ドーリー」でそれまで1位を独占してたビートルズに歯止めをかけた 一矢を報いたは大げさ。ビートルズ以外はほとんど売れなかったみたいになる
昭和40年、ヘルプの年の全米年間ランキングでは、ビートルズをおさえて
「ウーリー・ブリー」のサム・ザ・シャム&ファローズがトップだった
ただこれは、本国でも意外な集計結果だったらしいけど そう、知名度と今でも世界中で記憶されている作品名と現在も続く売上高が、ビートルズの方が桁違いに高いだけ
ただそれだけの事 たったそれだけ ビートルズ全盛時のポップス界はその影響で大きく様変わりした
今まで活躍していたアメリカのシンガーもどんどん消え去っていった >>193
あんた、最初のスレから
百回ぐらい同じこと言ってるな フォーシーズンズが唯一のビートルズ対抗馬だったが
あっけなく消え去ったな フォーシーズンズも好きだし評価するけど、歌うたいの集まりというだけではないBeatlesに偉大さを感じる フォーシーズンズやジョニー・キャッシュなど、ビートルズ以前のアーチストは
よく伝記映画化されたな 1964年のアメリカポップス界はビートルズの陰に隠れて細々と小さなヒット曲を出してた フランキー・ヴァリは「ライオンは寝ている」の裏声を担当してたんだよ シェリー、恋はやせがまん、恋のハリキリボーイとたて続けに3曲連続して
全米第1位のヒットを記録したが、それ以降はパッとせず消え去ったグループだったな 今でもファンは多いけどね
ビートルズ程ではないが
フォーシーズンズのことは2〜3年前にクリント・イーストウッド制作か監督で『ジャージーボーイズ』という映画になったね ヴィージェイからフィリップスに移籍して最初に放ったヒット曲が「悲しき朝やけ」
これがビルボード3位、次に出した「悲しきラグドール」が再び第1位にランクされた 映画観てると、メンバーで色々あったようだね
ビートルズも色々あったから、映画化すればストーリーには事欠かないけど
多くの人がほとんど承知の内容になってしまうな
配役も含めて、難しいわ 作品にするのは難しいが、角度、切り口によって幾らでも映画化・ドラマ化できる素材でもある。 ビートルズはレイ・チャールズの影響は受けなかった
チャック・ベリーからは多くを学んだが レイからの直接的な影響は無かったと思うけど
英国のMOD SCENEからの影響は大きかったと思うぞ
考えてみるとWHOは当然としてDEEP PURPLEの初期やエアロスミスもMODSなんだよな ジョニーBグッドを正規のスタジオ録音でカヴァーしなかったのは残念
おそらくジョンがリードヴォーカルを担当しただろう
あとメンフィステネシーもな ロックンロールミュージックは日本ではシングルカットされバカ売れした
本家よりもパンチがきいてて聞きやすかったせいもあるが >>211
この時期は、シングルが2枚同時に出ることが多かったね
ロックンロール・ミュージックとノーリプライ(エイト・デイズ・ア・ウイーク)
ミスター・ムーンライトとカンサス・シティなど リンゴの歌う「ハニードント」は聞いていて赤面するほ恥ずかしい曲
リンゴは道化役みたいな感じだったな 声は鼻声で良くないが、リンゴは意外と音は外さない
解散後の『思い出のフォトグラフ』なんか結構良いと思う ホワイトアルバムのエンド曲をリンゴが受け持った意味が分かってきた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています