単純な「夢」だとしたら老人編でフリスビーが出てくる時点でつじつまが合わない
かといって、普通の時系列の物語だとしても、つじつまが合わなすぎる

その結果としての、「夢」じゃなくて「予知夢」であり、その為にラストはアヘン窟で終わる

「杜子春」では夢(幻想)を主人公に見せるのは仙人の術によってだが、この映画ではそれを引き起こすのがアヘン