セルジオ・レオーネが精を出して撮り続けたバロック風の西部劇には、その最後にきまって
大袈裟な決闘シーンが用意されていた。
 思い入れたっぷりの編集にモリコーネの音楽をかぶせながら、対決する二人、ときには三人
を俯瞰する全景から始まって、イーストウッドとリー・ヴァン・クリーフの全身ショット、そしてその
バストショット、腰の拳銃の周囲に揺れる手のクローズアップに続いて顔が短いカットで示され、
遂には瞳に向ってズームアップされるといった技法がいかにも凝視の緊張感をたかめて監督
ひとりが悦に入るといった苛立たしさをかもしたものだが、そこには西部劇はすべて決闘に
集約され、しかも決闘は凝視の争いだといった俗説が、重たく横たわっていたにすぎない。
 それが如何に致命的な錯誤であり、また映画なるものへの誤解からなっているかを示すには、
西部劇作家であることによって言葉の真の意味での映画作家たりえているジョン・フォードが、
個人的な果し合いの一瞬をきまってその作品から排除している点を想い起してみるだけで充分
だろう。

識者が選んだ西部劇50〜100選
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kazu60/zakka2/best100.htm

蓮實重彦はレオーネの作品を1本も選んでいない。