日曜洋画劇場の思い出【遠くなった昭和】
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明日から学校というぎりぎりの手前で
最後の非日常の世界だった 今と違いショートフィルムのような
美しいCMも多く淀長の語り口で幕を閉じる いいホスト役だった 「ゴッドファーザーPARTゼロ」というイタリアの喜劇を放送したとき
のこと。
主人公の平凡な男とマフィアのドン(二役、吹き替えはフランキー堺)が
うり二つでドタバタになる。二人を見分けるには、尻のほくろを見て確か
めるしかない。押さえつけたりズボンを下ろされたり、自分で下ろしたり
する場面が頻出。
その設定を説明する淀川さんが「おいどが・・・、おいどが・・・」と
異様に嬉しそうだった。
映画そのものよりも
魚眼レンズ?で歪んだ映画の1シーンがダーッと流れるオープニングとか
ネッスルにっぽん(ネスレじゃなく)とか
ラストの“ソー イン ラブ”の音楽とかが印象深い 日曜洋画劇場といえばレナウンのCMだな
あの独特なシュールさが良かった 音声は二ヶ国語の自然な迫力と臨場感がイイ!ちゅう変な記事をあったのを思い出した
確か日劇の事だったと思う 淀川さんはハリウッド女優なんかに会っちゃったから、
現実の周りに居る女性に、恋が出来なくなったんだって。 >>9
消防時代は笑点よりもサザエさんよりもキツい旋律 さいなら、さいなら、さいなら…「あぁ明日学校かぁ〜鬱・鬱・鬱…」 会社に就職しても同じ
明日から会社かぁ〜嫌だ嫌だ 嫌だ〜 マッドマックス→ファイヤーフォックス→ジョーズ2→ナイトライダー2→必殺!Aチーム
という今後の放送ラインナップを見て凄いワクワクした ゴールデン洋画劇場を見終わったあとは幸せなのに
日曜洋画劇場を見終わったあとの絶望感 >14 あったあった 放送した映画が短かった回は予告編がやたら長かった
いつまで続くって でもわくわくしながら見てた エロシーンのある映画は
必ずそこだけ予告でフューチャーされてて大人になった今でも憶えてる
思い出補正あるかもしれんがハリウッド映画の話題作というよりいかにも
アメリカ映画ってかんじのB級アクションが多かった 飾り気のない普通の風景
をみて これがアメリカかと憧れたもんだ
洋画劇場と言いながら、最後の頃はやたら寅さん放映してお茶濁してたな。 >>17
白い家の少女の、向こうむいたフォスターが裸になるとことか、スペースバンパイアのマチルダメイの裸とかな >6
85、6年にはゴダールが撮ったレナウンのCMも流れて面白かった >>9
くどいようだけど絶望的な音楽(笑)
土曜映画劇場の方がホルストの木星だったっけ?まだ、あっちなら良かった アラン・ドロン出演、城達也ナレーションのCMシリーズは贅沢で落ち着いてたな。
民放にCMは不可分である以上、「またCMかよ!」とイラッと来ないCMは番組全体の質を高める。 魚眼レンズ?で歪んだ映画の1シーンがダーッと流れるオープニング〜と書いたが
よーつべで見たら、TBSのと勘違いしてた。
日曜は万華鏡みたいなやつでしたね。オープニングのイメージが似てたんで… それは荻さんの月曜ロードショーじゃないだろうかとおもったが、やはりそうだったか 月曜ロードショーだよそれは
淀川さんで伝説なのは
「ポセイドンアドベンチャー」で無名だったジーンハックマンに
「あなたは将来いい役者になる」みたいに
言って感涙させたことと
シュワちゃんに「今度一緒にお風呂入りましょうね」 >25
ほんとうに? ジーン・ハックマンはそれより前の「フレンチ・コネクション」
でアカデミー主演男優賞を授賞して既にメジャーな存在だったんだけど。
以前テレビで彼の私生活の一部を紹介していたけど、健康のためという
理由で裸足で散歩したり、自宅に作った日本式茶室で茶をたてる姿が
映されていた。 次週予告での女性ナレーションの落ち着いた口調が良かった 怖かったですねー
女優さん綺麗ですねー・・・・・・
解説にも何にもならん、あまりにもつまらん、
あのジジイをなんでしゃべらせていたか分からん。
>25
個人的に印象に残ってるのは、ジョージ・ペパード追悼での
「特攻野郎Aチーム」の解説だな。
淀川さんが「この映画を見て、元気だったころのジョージぺパードを
みて、よくやった。頑張ったといってあげてください」と
訴えてたのが感動的だったなあ。
淀川さん独自のイントネーションによる「コンラック先生」が今も耳に残ってるぜ。 あ〜私も「愛すれど心さびしく」を観て号泣、月曜日に目を腫らして登校したっけ。
あと「真夜中のカーボーイ」でも泣いたな…
とにかくあの頃は感受性も豊かで、映画に対する情熱にあふれてた。
ビデオ録画もできない時代だったから、見逃したらもう観れないっていう気持ちが強かったよね。
ナイトライダーとAチームを初めて放送したのが日曜洋画劇場からだっけ?
当時は二つとも日本未公開の映画だと思ってた
Aチームのタイトルは最初「特攻野郎」じゃなく「必殺」だったよな 一番何回もやったのってなんだろう。
ザ・フライ2あたり?
ゼイリブ、未来警察あたりも何回か見た気が。 あの頃は各解説者にカラーがあった。
荻さんは、映画の背景や論理的なところも含めた解説。
水野さんは意味不明の警察コーナーW 「ハイ、皆さん、こんばんは」の笑顔にホッコリしてたあの頃。 「ターミネーター」放送後、ロスの夜景を前に、後ろ姿のヌードシュワが映る
シーンを「かわいいお尻でしたね〜」とかなり嬉しそうに解説してたのが印象
に残っている。 子供の頃は優しそうなおじさんだと思っていたけど、同性愛者だと分かってからは
微妙な感じがした。でも、だからこそ独特の感性を持っているんだと大人になって分かった。
それにしても映画評論家はそんな人が多すぎる。やっぱり淀川さんの影響かな?
淀川さん、水野先生、おすぎ…と同性愛者が多いなぁ映画経論家 >>39
リーサルウエポンシリーズは日曜のイメージが強いなぁ。
後、燃える昆虫軍団とか吸血の群れなんかでも当時は嬉しかったんだよな。 >>40
あの水野センセイの警察訪問自慢のコーナーは子供の頃は疑問もなく見ていたが
今考えると番組ディレクターもよくあの企画通したよね。
毎回水野センセイがアメリカの警官のコスチュームを着た
記念撮影写真を視聴者に見せびらかすだけだもんなwww 晴男ちゃんはネタとしてホモと、いわれてもどーんと構えていた。
本人もそれを楽しんでいた。
報知新聞のインタビューで、ホモといわれてますがと聞いたが
本人は知ってるよ、それでみんなが楽しんでくれればよいと答えていた。
それより、昔はいろんな女性とやりまくっていたし、
女性を酷い捨て方をして泣かせまくっていた。
それを見てした周辺が、ホモの噂をばら撒いたともいっていたとも言っていた。
>>22
日曜洋画は、9時半、45分、10時15分、30分過ぎは2分、10時またぎは3分を基本としてCMを流していた。
それも、戻しなしで、1段落したところにCMを入れていた。
淀川さんはたとえ再放送でもその週に放送する映画を最初から最後まで全部見てから
解説をしていた。放送内容もCMも入れるところもすべて確認していたと著書に書いてあった。
日曜洋画劇場は他局ですでに放送したものをリピートする場合でも、
使いまわしはせずに必ず吹き替えは新録して自局版の吹き替えに
こだわった、特に大作は。
それが崩れた最初は確か「タワーリング・インフェルノ」だった。 テレ朝(旧NET)はマックィーンの吹き替えが宮部さんじゃないんだよね。
「荒野の七人」の時は内海さん。(もっともこの映画は土曜洋画劇場だったけど)
本人の声も割合甲高いから内海さんだと渋すぎて違和感があった。
あと、ビスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」をやったのを憶えてるんだけど、
今考えると淀川さんの好みだったんだろうなと思う。どう考えてもお茶の間で観る
タイプの映画じゃないもんね。
淀川サン亡き後も
日曜は微妙にBスピリットが継承されてて
時々ヘンなのやってるな
「ビースト 巨大イカの逆襲」とかは
まだ生前かな 土曜ゴールデンはアイリスオーヤマのCMで日曜はネスカフェのCMでやんわりしてたわ・・
あの、迎える週末、見送る週末、みたいなあの時間が当時の生きる糧みたいなとこあって
ゆったりとした時間なんだけど急かされてるようなあの独特な感じが今でも好きだね 邦画の時は解説が無いのが不思議だった。
あれは淀長さんのポリシー? 邦画の時は「特別企画」として解説無しだったね。
でも、絶賛していた「ふるさと」を放送したときには解説してい
たから、やはり淀川さんの意向では? 「バンデットQ」をカット部分も含めて放送してくれたから、いい番組なのだ。
(淀川さんが好きな作品だったからね)
淀川さんと言えば黒澤明のことを「くろざわさん」と呼んでいたね。
邦画では黒澤と北野武は好きだけど小津は嫌いなんだよね。
「戦争と平和」を3週連続で放送したことがあったけど、評判はどうだったの? >>60
「アナザーウェイ D機関情報」と「夢」のときは解説してた。
黒澤はともかく、前者は謎だったな。 「戦争と平和」を3週連続って「ひまわり」に出てたリュドミラ・サベーリエワの
ソ連版のこと?
>>59
そういう事らしい。「自分は洋画配給出身の洋画評論家だし、この番組は洋画を紹介する番組なので
番組としての意向で邦画を放映する事があっても、基本的に評論は加えない。」という信念。
淀川先生の中には「映画」という括りの他に「外国文化」という括りがあって、
「洋画という外国文化を伝えるのが自分の使命」と考えていたようだ。
もちろん邦画に関する造詣は深いし、「敢えて語らねばならない」と思ったら、
「映画評論」という形でなく「映画文化論」という形で語る事はあった。
黒澤追悼インタビューではOKが出た後も「もういいか?もっとお聞きなさいよ?」
と自ら申し出る程の熱の入れ方だったし、『もののけ姫』のヒットを評して
「良い物をきちんと良いと評価する邦画ファンに敬意を表する。この人達がいる限り日本映画は大丈夫。」
と書き記している。 >>65
日米合作だったとか。
ロバート・ボーンが矢島さんで吹き替えてあったような。 70年代までは名作映画中心だったのに、80年代からB級C級映画中心になり、
また同じ作品の放映が何度も繰り返された(エイリアンやらコマンド−やら)。
水野さんや荻さんの所も似た事情だったけど、
こういう映画セレクトの質的低下については
淀長さんはどういう見識だったのだろう。
解説ではC級映画も事細かに語るけど、講演ではボロクソに言ったりしたようだな。
けど、特効野郎Aチームは(お世辞にも名作とは言わないが)
淀長さんも好きだったみたいね。
最初は嫌いだったらしいが Aチームの解説は完全に投げていたな。
前説ではキャスト紹介、後説では最近の映画紹介とか全然別の話をしていた。 Aチームはあの音楽とミスターTしか憶えてない。
そういえばナイトライダーシリーズもここで放送してたね。 >>66 それです。
父が放送を見て、とても感動したそうなんですが、他にも見た人いませんか? >>73
それなら私も観ている。と言っても30年くらい前でよく憶えてないけど。
僅かな記憶から辿るとハリウッド版よりも原作に忠実で
ソ連が国家の威信を賭けて予算をつぎ込んで制作したという様なことを
淀川さんが解説していた記憶がある。クライマックスのナポレオン軍との
戦闘シーンは確かに圧巻だった。
>>68
海外ロケで向うの役者は出ていたが、あくまで邦画。
なのに完全に洋画扱いで解説してた。
「オーロラの下で」も「舞姫」も吹替だったが、洋画扱いはしてなかった。無論淀長の解説もなし。
「アナザーウェイ」だけは異質。 もともと観て死にたくなるような鬱映画のあとの「SO IN LOVE」は格別。
「ジョニーは戦場へ行った」「冷血」「愛すれど心さびしく」
「センチュリアン」etc... >>74
地上波で放送したのは、その1回だけだったのでしょうか? >>77
自分が知る限り1回だけですね。
何しろとんでもないくらい長い映画ですから。
深夜や他局だけど、午後のロードショーあたりで集中放送してほしいな…。
最近はBSでもやらないし…。 「探偵!ナイトスクープ」で取り上げられた
伝説のホラー映画「シェラデコブレの幽霊」は?
さすがにこのスレでも観たことあるヤシはいないか。 >>82
昭和特撮板かどっかで話に出てたけど、本当は劇映画じゃなくて、TVドラマのパイロット版として作ったもののようだね。
作品だけじゃなくて、淀川センセの解説込みで「番組」まるごと再放送してくれないかな。
もちろんあの鬱エンディング音楽も込みでw
ある一定の年代以上の視聴者層にとってはかなりな優良コンテンツな気がする。
権利関係で問題があって無理なのは承知の上だけど。
同じように高島忠夫のゴールデン洋画劇場とか水野センセの水金ロードショーとか。 名解説者の存在って大きかったんだなとつくづく思う。本当にあの解説込みで映像ソフトにして欲しい。
コース料理をバラバラに切り離してしまったら料理人の戦略は伝わらない。
やはり「訴えかける淀川」「考えさせる荻」「盛り上げる水野」「親しみの高島」が解説四天王か。 淀川長冶、荻昌弘、水野晴郎、高島忠夫
皆、それぞれの視点での映画解説で長い間お茶の間に親しまれた。
日曜洋画:荒野の七人、コマンド戦略、ナバロンの要塞
月曜ロード:007シリーズ
水曜(金曜)ロード:風と共に去りぬ、ゴッドファーザー
ゴールデン洋画:大脱走、フレンチコネクション
それぞれの番組での代表映画ってあったよね。 荒野の七人、コマンド戦略、ナバロンの要塞
残念ながら、この三本の初放送は日曜ではなく
90分枠の土曜(増田)で二週分けだったと記憶している
荒野の七人 も分けていたからノーカットだったんだろうな
ところで「シェラデコブレの幽霊」の時
淀川さんは浴衣姿で団扇を持ってお盆用の解説だった
尺が短いので付け合せに
それ以前に「ショック」で放送した
カーロフのミイラ物(ハムナプトラのオリジナル)短縮版を
付け合せの豪華?二本立て 「荒野の七人」、「ナバロンの要塞」は日曜でもやってる 007シリーズは月曜ロードショーはショーン・コネリー、日曜洋画劇場はロジャー・ムーアの印象が強い 日曜洋画の代表作って言ったら
スーパーマン、2001年かな >>93
それは分っている
「初放送」でないとは書いてはいない 淀川さんは死の前日まで解説を続けた、しかも健康な人が明日の運命を知らず突然の死を遂げたんでなく、
本当に最後の力を振り絞って命と引き換えにしたんだから、凄まじい情熱と精神力だ。
しかも撮り終わってモニターで確認し「汚い。やり直そう」と自ら撮り直しを要求した。
「映画評論家」という作品を完結させた完璧な人生としか言い様がない。
そういえば荻さんも最後の放送で「一旦降板しますが、必ず戻って来ます」と挨拶したそうだし、
水野さんも臨終の床で「映画を撮らなきゃ」と言って立ち上がろうとしたそうだ。
こんなに夢中になれる物を持っている人を尊敬し、羨む。 >>90
「シェラデコブレの幽霊」観たんだ。
凄いな。
一体どういう感じの映画だったんだ? 日曜洋画劇場は、「鉄道員」とか「尼僧物語」とか
「まぼろしの市街戦」とか、地味な名作映画をよくやってたな
「荒野の七人」 1975年4月5日/12日 土曜映画劇場
「コマンド戦略」 1975年7月5日/12日 土曜映画劇場
「ナバロンの要塞」 1975年10月4日/11日 土曜洋画劇場
これがTV初放映だったけ? >>99
「荒野の七人」 1974年2月2、9日 土曜映画劇場
「コマンド戦略」 1973年10月6、13日 土曜映画劇場
「ナバロンの要塞」 1972年10月7、14日 土曜映画劇場
これが正解。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています