【ジョージ】 1984 【オーウェル】
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続けるよ。
当時の英国では、進歩的な知識人は共産主義あるいは社会主義を支持するのが半ば
義務のようなものであったから、いかなる形であるにせよソビエトを批判する者は
ひとからげに反動的と断じられたのだ。オーウェルは、いわゆる上流階級の出身
ではなかったし、普通の作家と異なった生き方をしていたのも、謂われのない的外れ
な批判を受けた原因だったのだろう。 オーウェルが「1984」を書く上でスターリン体制を参考にしたのは、明白な事実
である。実際、オーウェルの想像力がいかに確かであったかは、後にソルジェニー
ツィンが書いた「収容所群島」によってソ連の内部から裏付けられることになった。
それでは、オーウェルが「1984」を書いた動機は、単にスターリニズムのみを批判
するためだけだったのであろうか。 オーウェルがスターリン体制を参考にしたのは、それが「善なる独裁」という美名
に隠れた超管理体制の最新モデルであったからである。しかも、スターリン体制は
世界大戦を勝ち抜き、東ヨーロッパに勢力を広げつつあった。
第二次世界大戦は、連合国側と枢軸国側に等しくファシズム体制の国家を抱えていた。
ソ連は連合国側に与したからである。いや、それどころか、国民総動員体制をとった
米国や英国でも、多かれ少なかれ国家による統制が行われ、正義の名の下で独裁に近い
状況が生じていた。今日のマスコミは第二次大戦を「自由主義国家群と独裁主義
国家群の戦い」と定義するケースが多いが、それは事実ではない。 つまりオーウェルは、どのような体制下でも、どこの国家でも、いつの時代でも、
超管理体制が実現し得ると認識していた。話は国家という括りにとどまらない。
「1984」的な状況は、あらゆる団体、あらゆる組識、あらゆる結社の中で発生する
惧れがある。狂信的な宗教団体から、競争を勝ち抜こうとする企業、教育機関、
クラブやサークル等に至るまで、人間が集まるところでは行き過ぎた管理が行われ
る危険が必ずあるのだ。人間は何らかのメリットを求めて組織を作るが、その構成
員には外部に対して防衛を行う義務が課せられる。それが過剰になると、組織は
全体のために個人の自由を圧殺するようになる。
そうした「人間が持っている傾向」を正確に指摘したのが「1984」なのである。 そろそろ結論が見えてきたので、もう少し我慢してもらいたい。
私が言いたいのは、特定の勢力、特定の体制、特定の国家を批判する道具として
「1984」を用いるのは、作者の意図に反しているし、作品の扱い方として適当でない
ということだ。「1984」を純粋に他人事として楽しめる者、もっぱら他国の実状に
なぞらえて憂える者に禍あれ。対岸の火事だと思って油断しているうちが花なのだ。
「1984」の評に、このような言葉がある。「この作品が最も価値を持つのは、この
作品を禁じる国においてだ」と。作者は主人公ウィンストンに禁書を読ませること
によって世界認識を授ける。いみじくもオーウェルは、超管理体制を布く国では
「1984」こそが禁書そのものになり得る、という二重構造を作品に与えている。 たしかに、>>177氏が言うように北朝鮮は目下「1984」の世界に最も近似した国家
の一つであることは疑いを容れない。しかし、わずか60数年前までは我々自身が
彼らと同じような境遇に置かれていたという事実を忘れるべきではない。
戦後60年を通じて、それ以前より我々が賢明になったという保証は何ひとつ無い。
我々が今日享受している自由は、我々自身の手によって獲得したものではないからだ。
「1984」を以て安易に他国を批判した者は、今度は逆に自身が「1984」によって
批判される危険を負うことになる。米国を見たまえ。たった一度のテロ攻撃を受けた
だけで、あっという間にあれほど不自由な国家に変貌してしまった。
為政者たちにとって「正義の戦争」という大義名分は便利この上ない方便となる。
しかし、その裏で何が犠牲にされているのかをじっくり考えなければならない。
一旦喪われた自由を回復するのは難しい。だから、何が大切なのかを常に注意深く
見極めねばならない。その作業を行う時に「1984」で描かれた悪夢のような世界は
普遍的かつ偉大な反面教師となるのだ。 補足しておくが、上の一連の発言は小説「1984」における「少数独裁制集産主義の
理論と実際」からの引用に対置する意図を込めて書いた。
したがって恋人と同衾する際の寝物語には不適切である。御使用には注意されたし。 なんかよくわからんが全体主義は良くないね。
共産主義と社会主義の行き着く先が1984だね。
小さい政府はこうはならないよね。 さて、>>177氏が提示した、もう一つの重要な問題を論じなければならない。
彼は「地獄の黙示録のように再編集して大々的にリバイバル上映されるべきで
ある」と主張した。彼は映画「1984」の尺を伸ばして、より「完全な」作品に
すれば良いと考えたのだろう。再公開、あるいはDVD化に際して編集を加えた
いわゆるディレクターズカットを制作するのが当たり前になったが、この風潮は
実に愚かしい。
映画というのは、長くすれば長くするほど良くなるというものではないのだよ。
それどころか、いまや大概のディレクターズカットには「映画を良くしよう」と
いう意思が最初から存在しないケースすら珍しくない。単なる話題作りのために、
尺を伸ばす必要のない映画を伸ばして平然としている。
再公開するなら、それはそれで意義深い。しかし、なぜ再編集する必要がある?
その根拠を>>177氏は明らかにすべきだね。 実のところ、ラドフォード監督には再編集を行うチャンスがあった。米国でDVDを
出すにあたって、彼は実際に作品の一部を改変したのだからね。具体的に述べると、
ユーリズミックスの音楽を完全に排除し、ドミニク・マルドゥーニーが作った音楽へ
全面的に差し替えた。その是非については、ここでも繰返し話題になっている。
映画の音声を作り変えるには、相応の予算が必要になる。その資金を監督が拠出した
のか、あるいは映画会社が負担したのかは判らない。しかし、差し替えが必要だと
監督が判断した故に実施されたわけだ。だとすれば、初公開版の編集に不満があった
なら、彼は音を変えるのと同時に編集を変えることもできたはずである。しかし、
私が見たところでは編集をやり直した形跡がない。ということは、監督は初公開版の
編集に満足していると考えるべきではないだろうか。 音声を改変するにあたって、ラドフォード監督は独特な美学を披露した。
映画「1984」の音声はモノーラルだ。それは初公開版からDVDまで一貫している。
この映画が公開された当時、一般的な商業映画であればドルビーサラウンドで
音声を制作するのが普通であった。また、音声を再構成するのに十分な素材が
残っていればの話だが、DVD化に際して5.1チャンネルにミックスダウンする
ことは可能だったに違いない。にもかかわらず、監督はモノーラルに固執し、
サラウンド化を避けた。
なぜか? それは「この作品の音声にはモノーラルが最適だ」と監督が判断
したためだとしか考えられない。DVDを売る側としては、予算をかけて新たに
音声をミックスするなら、サラウンド化した方が話題になるし売りやすいので
歓迎する。その種の商業的要請を退けてまで、監督はモノーラルにこだわった
のだ。そこまで頑固な人間が、自分の意に反する再編集を許すと思うかね? いや同志、ジューリアと同じで、世に出てしまったものには無頓着だった、ってのは?
ま、音楽のことは権利関係をすっきりさせるためにやむを得ず、という推理もできるし。 あ、ジューリアという曲のことではなく、
彼女が真理省で作ったポルノのことです。 >>177氏が憂慮するまでもなく、この映画を正当に評価している観客は少なくないし、
今日でも原作は着実に売れ続けている。ただし、この作品の主張を大多数の人間が
理解し実践する世の中は、決してやってくるまい。いつの時代でも、どこの国でも、
いかなる体制下でも、この作品に感応する尖鋭な人間は少数派に留まり、広範な人気を
得るようにはならないであろう。それは仕方のないことだ。理性的にものを考えられる
成員だけで社会が成り立っているなら、革命は腐敗しないし独裁も起こりようがない。
しかるに現実はどうだ? 人間の平均レベルは、それほど高尚ではない。それは歴史が
証明している。
むしろ警戒しなければならないのは、この作品を特定の政治勢力を批判する道具として
使おうと考えるたぐいの人々である。プロパガンダを全力で否定している作品によって
プロパガンダを行うというグロテスクな発想は、私の理解を超えている。
>>177氏のように「目的のためには手段を選ばない」という行動規範にしたがって
生きている者なら、「1984」で描かれた世界でも首尾良く振る舞えるに違いない。
我らがウィンストンは、残念ながらそうではなかった。 私はあらゆる可能性を否定しないよ。
単なる推理に過ぎないという点では、私の発言も>>198氏の発言と変わらない。 >>オブライエン君、お喋りが過ぎたな。101号室行きだ。 >>202
101号室行きの後、テレスクリーンで懺悔するオブライエンというのも一度見て見たい
気もする(w 復讐の反復という視座から1984の真意を見出す事はできない 1984で描かれた超管理社会はなんだか自壊してしまいそうな気がする。
プロレはずっと騙しおおせるとしても内局員全体に規律を守らせ続けるのは難しくないか? >>205
だから党はニュースピーク(新語法)を開発しているのだよ。
人間は言語によって思考を統御するのだから、反抗を促す言葉をすべて抹殺すれば
根本原因が絶たれ、反抗は生じなくなるという道理だ。「1984」で描かれた支配体制は
終局的なものではなく、あくまで発展途上の一断面に過ぎない。
ニュースピークの詳細については「1984」文庫版の巻末附録を参照してもらいたい。
より完成像に近い超管理社会の様子を知りたければ、ザミャーチンが書いた「われら」や
オルダス・ハクスレーの「すばらしい新世界」を読むといい。 デヴィッド・ボウイ『ダイアモンドの犬』紙ジャケCD絶賛発売中
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2000084
↑
何の因果か末尾が84 人間の言葉狩りをして体制を保つのが「1984」
人間に人工環境を与えて体制を保つのが「マトリックス」だなw
>>205
崩壊すると言われ続けている将軍様の国が保っているのを見ると、意外とイケるんでないの?
男も女も色気がまったくなかったことだけ憶えている。
それなのにヘア映画で売られていたな。
なに考えているんだか。 >>209
>それなのにヘア映画で売られていたな。
他に「売り」がなくて頭を抱えた宣伝部の苦肉の策でしょw 管理社会が進んでいてゾッとするけどな。よその国のこといってられないよ。
愚民化政策するのに、支配者も愚民化しているのが最近わかった。 議員や官僚が喋っている言葉、あれは一種のNew Speakかも知れないな このスレは政治板にも立ててほしい。極めて政治的な映画のスレだから。 >>212
あういうところでは、ダブルシンクで泳がないと、やってられません。 あ、そうか、日本って昔から建前と本音の二重思考の国だったんだ! >>213
超管理型社会の様相を分かりやすく絵解きしたという点では、たしかに君が言う通り
これは政治的な映画であるだろう。しかし、原作者オーウェルの目的が政治を描くこと
それ自体にあったとは思えない。彼は前作「動物農場」において政治の醜悪な実態を
十分に描き切り、更に深い主題を追求するために「1984」を書いた。
彼が「1984」で述べようとしたのは、政治が極端な方向へ進むと、それによって個人が
どのような圧迫を受ける危険性があるか、ということだったと考えられる。小説も
映画も、最後までウィンストンの個人的な視点から物語が進行する。「動物農場」で
採用したニュー・ジャーナリズム的な客観視点とは対照的にね。 この作品を「下手をすると、こうなりますよ」「狼が来るぞ!」と警告する目的で
賞揚するのも、一つの使い方であるには違いない。ただし、私が以前指摘したように、
それでは一種の政治的プロパガンダの道具として「1984」を利用する結果となるので、
積極的には賛成できない。
大切なのは、あくまでも個人なのだ。それも、ただ闇雲に「個人を大切にしましょう」と
いう空虚な掛け声で終わらせるのではなく、「守るべき個人の中身とは何か」「なぜ尊重
されねばならないのか」という地点まで踏み込んで理解する必要がある。
したがって、少なくとも政治の在り方と個人の在り方を等しいウェイトで語る姿勢が
なければ、「1984」をめぐる議論は無価値なものになりかねない。 私の希望を述べれば、せっかくスレが映画板にあるのだから、もっと映画として
評価してもらいたい。扱っているテーマ自体も重要だが、それを如何にして画面に
定着したのかという具象的な作業の面でも、この作品は実によくできているからだ。
たとえば、ジョン・ハートの演技をなぜ誰も褒めないのかという書き込みが以前
あったが、それも欠かせない要素の一つである。
まだまだ語るべきことは多い。 例えば、この映画のおかげでちょいブス萌えになってしまった、とか? 字幕批評なんかどうでせう?
冒頭の真理省の食堂のシーンでウインストンの同僚のパーソンズが、
シチューの中の赤みがかった魚肉ソーセージみたいな物を「肉の味
がするが肉じゃない。陽性物質だ(doubleplusgood)」という字幕にな
ってましたが、原作小説を読んで、ニュースピークとは何か予備知識
のあった自分は「いくら映画でニュースピークについて解説している
時間が無いからとはいえ、酷い翻訳だな」と思いますた。
まぁ、こういう問題は字幕に永遠についてまわる問題だとは思いますが。
字幕から離れますが、自分は小説版の上記シーンを見て、当時大学生
で自炊していたのですが、シチューを食べる時は必ず食パンにスライス
チーズを乗せて一緒に食べてました(w
さすがにコーヒーにサッカリン、丁子で味付けした勝利ジンまでは真似
しませんでしたが(w
オセアニア国は衣食住共に党外局員は酷い生活を送っているようです
が、お隣の半島の北よりかは「食える」国のようです(w 昼食前に勝利ジンを飲めるんだから、
日本よりもゆるいんじゃないの?
でも日本の飲酒規制は飲酒運転憎悪週間が終わると腑抜けになっちゃうから、
日本の方がゆるいかな。 >>221
本編の日本語字幕は清水俊二だが、晩年の作業とはいえ褒められない箇所が幾つか
含まれている。「陽性物質」も御指摘の通り。あのセリフ、予告編ではきちんと
「最高だ」と訳されていたように記憶する。清水訳ではなかったのかも知れない。 上で出てきた二重思考の話といい、憎悪週間といい、日本はとっくに1984状態だな。 >>225
それを言うなら、列強のアジア進出に対抗する目的で、天皇を絶対権力者とする
明治政府をでっち上げて富国強兵策を布いた時から、日本は「1984」的な状況に
あったと言えなくもない。先にも述べたが、「正義の戦争」というスローガンと
「1984」的な状況は必ず歩調を揃えてやってくるのでね。
何度でも繰り返し言うが、「1984」的な状況というのは時代や地域を選ばず、いつ
でもどこでも現出する可能性がある。だから、たとえば今の日本が“「1984」的な
状況”であるかどうか、という議論にはあまり意味がない。そうだといえばそうだし、
そうでないと言えばその主張も正しい。水掛け論だ。客観的な「1984」指数を正確に
計測することなど不可能だろう?
重要なのは、単に状況を「1984」になぞらえた段階で思考停止しないことだよ。 >>221
余談だが、「チョー○○」という言い回しが流行し始めた時に「ああ、来たな」と思った。
あれこそ「ダブルプラスグッド」の日本語的な表現であるように思えたのだ。
「これェー、肉みたいだしィー、肉の味するしィー、でも肉と違ぁーう。超サイコー!」 そうか、
チョベリバでdoubleplusungoodで、
女子高生はdoubleplusduckspeakerだったのか.....orz 1984を見てから学会員の実態を見ると色々分かる。 1984を見てから日本人の実態を見ても色々分かる。 1984を見てから地球人の実態を見ると色々分かる。 1984を見てから2chの実態を見ると色々分かる。 ふと、思ったのだが「プリズナーNo.6」は本作(原作)に影響受けているんだろうねぇ。 >>235
どちらも同じ系列に連なる作品だ。英国という土壌がなければ出てこなかった
であろうことは間違いない。プリズナーについては、東西冷戦を背景とする政治
謀略小説群や、これも巨大な山脈をなす推理小説の伝統が英国に存在することを
無視するわけに行かないと思うがね。もちろん、当時流行した007に対するアンチ
テーゼという意味合いも大きい。
1984が気に入った人なら、プリズナーは必見だ。その逆はどうかと思うが。
日本はイースタシアに属しているんだっけ?日本と同盟国、というかイースタシアには他にどんな国が入っているの? >>237
オーウェル公認の「1984」公式設定資料集が発売された訳ではないのだから、
原作に叙述がない事項に関して我々が知り得る手だては与えられていない。
実際、そんな事はどうでもいいのだ。
イーステイジアやユーレイジアが確かに実在すると断言できる者がいるかね?
のみならず、巨大国家オシオーニアというものが存在するのかどうかさえ、
大いに疑ってかかる必要があると言わねばならないだろうね。
この世界で何が実在するかを決めるのは客観的事実や記録ではない。党だ。
自分の記憶をしっかり管理しておかないと、厄介なことになるよ。 >>237
原作小説を読んだ限りでは、人民の敵、エマニュエル・ゴールドシュタイン著(実際は党の手による)
「少数独裁制集産主義の理論と実際」によれば、イースタシアは共産中国(と思われる国家)によって
日本や東南アジア等を版図に含んだ大国になっている感じです。
ちなみに三超大国の中で一番成立が遅かったのがイースタシアという事になっています。 >>239
執筆に協力した者の一人として云わせてもらえば、あの本の内容は信用するに価しない。 二拾年前に読んだが総て忘れてしまった。
思い出せない。 >>241は記憶をしっかり管理しているようです。
Doubleplusgood!
画面の前のあなた。6079号!
怠けないで記憶をしっかり管理しなさい! 努力が足りませんよ。
わたしは今年39歳で子供が4人もいますが、この通りきちんと管理できます。
今も灼熱のインド洋上で燃料補給に従事している自衛官に思いを馳せて下さい!
さあ、1、2。1、2。 これよくわからんかったなぁ
動物農場はどうなんだろ
ピンクフロイドが好きなんで気になる >>244
IDがBB降臨!キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
映画だけだとわからないかも。
原作読んでもわからなかったらプロレの家庭に生まれたことを呪え。 >>244
読めばいいじゃん。CD買うより安い。
>>245
プロレ馬鹿にすんな。残された唯一の希望なんだから。動物だけどなw プロレの爺さんに心底ガッカリするウィンストンに
最近親近感を覚える。
世の中DQNばかりだ。 物覚えの悪いウィンストンに心底ガッカリする私に
親近感を覚える者は?
世の中DPBばかりだ。 イギリス映画「1984」DVD化
http://www.tanomi.com/metoo/naiyou.html?kid=50117
賛同者8名、コメント8件
こちらはCD・DVD・VIDEO「DVD(洋)」ボードで現在216番目に賛同者が多い企画案です。 >>252
賛同してきたよ。現在の順位は190番目だ。 >>253 GJ
原作は有名小説だ。DVD化してもおかしくない。
吹替はいらないから、是非DVDで見てみたいな。 この映画リメイクして欲しい。出来ればストーリー(自覚−出会い−誓い−逮捕
−真実開眼−別れ−死)自体はそのままで、話に必要な周辺技術を現在2007年の
水準から可能な限り予測し得るハイテクに改変した壮大な作品に仕上げて欲しい。
そこはやはり超監視社会であり、管理された全体主義的超大国間の恒久戦争が実施
されていて、洗脳と純潔を強制される近未来が舞台。要するに自己矛盾した現代
社会と政治を風刺するリメイク映画だね。タイトルの年数は何年でも構わない。
1984年という時代は既に過去になったが、オーウェル的世界観は普遍性をもつから。
>>255
私は、とっくに『1984』が現代風にリメイクされていることを知っているよ。
それは映画ではなく、君や私が生きている現実そのものだ。
そう考える方が、映画をリメイクするよりよっぽど愉快だと思わないか?
君の言う通り「オーウェル的世界観は普遍性をもつ」という説が正しいと
するなら、映画化した時の表現においてハイテクに固執すべき必然性は
一つもない。ハイテクの表現は、いつの日か必ず古びる。さらに致命的な
ことに、現実のハイテクは映画を作る人間たちの想像力が及ばないほど先を
行っている。重要なのは「現在考え得るハイテクがなくともオーウェル的
世界観は実現可能である」という事実の方だ。 なんでリメイクしろとか安易に言うかな
ねた切れの映画会社じゃあるまいし それより、普通にDVDでリリースして欲しいんだが・・・
字幕や吹替も、日本公開時の物が残ってるでしょ。 >258
>>252に協力するのが第一歩。もう済ませた? >>257
まぁネタには困らないな。基本的に。既に“1984インスパイアもの”で
人気を博す「未来世紀ブラジル」のような作品もあるし、「トゥルーマン・
ショー」や「エネミー・オブ・アメリカ」は“オーウェルもどき”と言えるね。
リアリティ番組「ビッグ・ブラザー」は見たことないけどタイトルからして、
明らかにオーウェルにヒントを得てる。
ディストピアものの代名詞に「1984年」が選ばれるのは仕方ないけど、ディス
トピアの範疇をオーウェル的世界に限定してしまうのは、これはちょっと想像
力の貧困になるかな。 1984で本当に国家を支配してるトップの連中は二重思考なんてやっていない。
少なくともこの体制が成立した時点で支配者自らがシステムに組み込まれることになるが
支配者が支配のための道具を自分に使う決断をするとは考えにくい。
さらに、複雑高度化した思考統制装置を完全に管理することを簡略化された言語でやるのは難しいと思われる。
なぜなら、二重思考を普遍化させるための簡略化された言語でもって、
何が思考犯罪なのか定義すること自体が不可能だからである。
以上を前提とすると、
1984における国のシステムを円滑に動かすためにはトップが極めて機械的に動くことが必要なわけであるが
二重思考なしでトップの私欲を完全に抑えられるとは思えない。 >>263
「本当に国家を支配してるトップの連中」が実在するとは初めて聞いた。新説だな。
私の知らないところで刊行された1984公式設定資料集でも読んだのかね?
君は良からぬ妄想を抱いているようだね。「支配−被支配」という構図は「偉大な
兄弟−彼以外の全員」という関係を除いて一切存在しないのだ。君と同じような肉体を
持つ人間が、偉大な兄弟の名の下に私利私欲を発揮して権勢を振るうという事態は
あり得ないのだよ。 二重思考の機能に関して、君は極めて致命的な思い違いをしている。
たしかに、複雑高度化した思考統制装置を完全に管理することを簡略化された言語で
行うのは難しいだろう。よろしい。そこで我々は、管理を行う場合にのみ複雑な言語を
用い、それ以外の時には簡略化された言語しか使わない。その切換えは完全に自動的
かつ無意識的に行われ、何の矛盾も感じない。それこそが真の意味での二重思考なのだ。 かつて私は>>206でニュースピーク(新語法)開発の意図について述べた。
かいつまんで言うと、人間のすべての行動は言語によって規定されるのであるから、
人間の行動を改良するには言語を改良すればよい。これが新語法の狙いだ。
君の言う「私欲」とは何だね? 党はそんなものを必要としない。だから抹殺する。
私欲に基づいて行動する人間や、彼の意思を抹殺するのは過渡的な措置に過ぎない。
我々は私欲そのものを永久に消去する。私欲に結びつく言語と、それらが表す概念を
すべて消去することによってだ。
新語法による管理が完成した社会で私欲を発揮する人間は、単に規律外の行動をとる
者、すなわち狂人か反抗者と見做され、即刻蒸発するであろう。プロレ以外は。
君は、君が住んでいる世界の常識に囚われすぎている。
君が常識と呼んでいるものは、1984の世界において何の役にも立たないのだ。 >>264
その「支配-被支配」の構図が現有している限り、
その構造を破壊せずして1984におけるシステムを構築することはできない。
すなわち現有の構造を破壊した何者かが存在している(していた)わけだが、
俺はその何者かの存在に疑問を呈しているのだ。
つまり支配者が自らの意思で被支配者になるなど有り得ないとな。
権力者は常々自らの権力を失うことを極端に恐れるものだ。それを自ら行うとは考え難い。
>>265
その時点で複雑な言語体系を残していることになる。
したがって二重思考は行われない。
ゆえに切替を無意識的に行うことは不可能である。
>>266
人間の行動は言語だけによって規定されているわけではない。
よって言語のみによって全人類の行動を制御することは不可能である。
党は私欲を封殺するかもしれないが、上で述べたように「私欲」を定義できなければ封殺することはできない。
ないしは必要のないものを抹殺する意思決定を、行う者が、存在している。
これは思考犯罪を定義できる者の存在を示している。
つまり二重思考を行っていない者の存在だ。 >>267
もう一度>>140-141の問答を読み返してほしい。実を言えば>>141を書いたのは
私なのだが。
我々が「偉大な兄弟−彼以外の全員」という構図を巧みに利用している理由は、
それが権力の維持に最も適しているからである。独裁者が世襲に失敗した例は
歴史上枚挙に暇がない、というより大半のケースで失敗しているわけだが、それを
防ぐ有効な方策とは何か。寿命に限りがある一個人に代わって、集団で権力を
維持すればよい。
偉大な兄弟が実在し、彼が実際に権勢を振るっていた時代があったかも知れない。
或いは、彼は当初から架空の存在であったのかも知れない。それはどちらでも構わ
ない。重要なのは、偉大な兄弟が、或いは党が、この体制を維持するために有用な
道具であるということだ。我々は全てに関して無責任になれる。偉大な兄弟が、
或いは党が、すべてを引き受けてくれるのだから。支配する側にとって、これほど
楽なことが他にあると思うかね? 党に従う限り、個人が責任を追及されることは
絶対にない。君の言い方に従えば、我々は被支配者になることによって初めて支配者に
なれるのだよ。もちろん自分の意志によってではなく、それを党が望んだからだ。
1984の世界では、元来どのようなイデオロギーによって体制が確立したのか曖昧に
されている。どんなイデオロギーであるかは意味がない。堅固な支配体制を確立する
ことそれ自体が終局的な目的なのであって、イデオロギーを実現することが目標で
あった時代はとっくに終っているのだ。 第二点については1行で済ませることができる。
切換えを無意識的に行うことは可能だよ。党がそれを望んでいるから。 それでは第三点に話を進める。
我々は支配する対象によって手段を選んでいる。It varies from individual to
individualというわけだ。これは別に101号室の中だけで起こり得ることではない。
したがって、言語の管理が有効な手段となる場合は言語を管理する。複雑な思考を
行うことが可能な者たち、たとえば不幸なウィンストンもそうだが、彼らは思考の
手段となる言語によって自らをがんじがらめにしているのだ。本人は自由にものを
考えていると思っているが、実は言語に支配されているので自由ではない。そう、
「自由は屈従である」というテーゼそのものだね。
党が必要を認めない限り「私欲」を定義する必要はない。ただし、それが何であれ
党にとって有用であるかどうかの判断は行う。判断は自動的に、無意識的に下される。
仮に私がある種の意思決定をしたとしても、一瞬後には忘れている。それを党が
望んでいるから。 疑問に思ったんだが、>>267は「1984」の映画を観たことがあるのかね?
ここは1984よろず相談所ではないよ。ちょっとは映画について語ってくれないか。 >>268
それ循環論法。論理的でない。
「党は我々が無責任になるための道具である。なぜなら党がそれを望んでいるから」
証明対象が説明材料に含まれている。
>>269
党が望む思考形式を形成するのが簡略化された言語である。
したがって複雑な言語をも使用する者は、完全に党が望む思考形式とはならない。
>>270
「実は言語に支配されているので自由ではない。」は「自由は(100%)屈従である」という
テーゼを導くための不正確な論証だ。
「完全に自由ではない」とするべきでないのか。
上で述べたとおり俺は人間は言語で100%規定されているわけではないとの立場に立つ。
後段は党にとって不要なものを定義する必要はないと述べられているが、
判断を下すのに必要なものは言語である。
前段で言語に支配されているので自由ではないと述べたなら、明らかに矛盾することになる。
>>271
1984見てなかったらここ来ねえwwwwwwwwwwwっうぇwwwwww
モザイク異常にでかいwwwwwwwwwwwwwwwww
最後まで疑問だったのは、ジュリアが砂糖とか林檎?とか一体どこから持ってきたか分からん
あんなもん作ってるところ絶対厳重に監視されてるっしょ普通。
主食はソイレントグリーンwwwwwwっうぇwwwwwイラネ
こっからは完全に自説(珍説)なんだが、
俺が上でほざいてるような事は、
党のトップに居座ってるのは一台のコンピュータって事にすれば全部矛盾なく説明できる。
ビッグブラザーが支配のためのプログラム書いて死ぬ前にそれに全部委託したことにすりゃいい。
なんせ人じゃないんだからな。二重思考も必要ない。
たぶんビッグブラザーは誰も知らないところでミイラになってんぞ >>272
> 最後まで疑問だったのは、ジュリアが砂糖とか林檎?とか一体どこから持ってきたか分からん
原作小説によれば、ジュリアが隠れ家に持ってきた化粧品・飲食物は全てプロレの店から買った
(勿論党員がプロレから物を買うのは違法)事になっています。
> あんなもん作ってるところ絶対厳重に監視されてるっしょ普通。
なんにせよ、ウィンストンとジュリアがタイーホされた事を考えれば、思想警察に二人の行動は全て
最初から把握されていたんでしょうね。 >>272
主張する理論の正しさによって管理体制を引っくり返せるものなら、ウィンストンには
私に勝てるチャンスがあっただろうね。しかし、物語はそのように進行しなかった。
スターリン体制下や文化大革命における犠牲者たちも同様の運命を辿った。絶対的な
権力の前には論理的な正しさなど何程の意味もない。君が主張する論は無意味だ。
というか、これほど頭の悪そうな奴はスレ始まって以来だな。「循環論法」とか
「不正確な論証」などとほざいておきながら「どこから持ってきたか分からん」
「党のトップに居座ってるのは一台のコンピュータ」かよ。なめてんのか。
しかしそれでも希望ありとすれば、それは>>272階級の中にこそあった。
>>275
まぁ俺は、体制が成立するかどうか言ってるのであって
この体制が完成したら人の手でひっくり返せるなんて思ってないよ。
勝手にひっくり返るだけね。
あんだけ資源食いつぶしてたら、なるようになると思われ 設定に難癖つけて作品を否定する人って何とかなんないもんかねぇ
設定に難があってもそれを越えて言いたいことがあるから書いた/撮ったわけで
それを汲み取らなきゃだめだろ >>277
すまん。
それは確かに正論だな。
オーウェルは一つの極論を示したが、
彼が伝えたかったのはその対極にあるものは何なのか考えろということではないか。
それは、人はどう生きるべきかという最も本質的な問いを現代人にぶつける事。
これが一番ストレートな解釈だと思う。 >>278
やっと分かってくれたようだな。
言うまでもないが、>>277は私が書いた。正論は党の専売特許なのでね。
オーウェルが示したかったのは「人はこう生きると損をする」という反面教師の姿だ。
そう主張する者がいて驚いたことがある。ハウツー本の感覚で「1984」を読むとは、
あっぱれな発想だと思わないか。 昨晩NHKのラジオでニュースを聞いていたら、アナウンサーが植木均の訃報の中で
クレイジーキャッツの映画を「日本の管理社会の中で働くサラリーマンが云々」と
紹介していたんだよ。ふうん、そんな言い方をするのかと思ったものでね。
ウィンストンは 気楽な稼業と きたもんだ
日記をつけても 堕落をしても
拷問レバーを ガチャンと押せば
どうにか修正が きくものさ
ア ちょっこらちょいと 死刑には なりゃしねェ
ア ソレ
goodといこうぜ goodとね
ア doubleplus goodとgoodと いきましょう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています