彼女のことを、今、記憶しているものはどれだけ居るだろう?
エプロン姿の彼女は忙しそうに部屋のなかを動き回る。
ここは神奈川県の大和駅から徒歩15分のところにある男性向けクッキングスタジオ。オープンして3年ほどになる。
室内は広く、シルバーのテーブルが9つほど並び、それぞれのテーブルに調理器具がある。また、スタジオには換気のため、窓が多くある。そこからは青く塗りつぶしたような空が広がり、
その下にはジオラマのような街の風景を眺めることができる。
「みなさーん。みりんは大さじ一杯じゃなくて小さじ一杯ですからね」
このスタジオの講師を務める彼女は
音を立てて煮えるステンレスの鍋を心配そうに覗き込んでは頷く。
ぎこちない造作に似合わないエプロンの男達はバラついた声で返事をする。
柱にかかった時計は午後1時をさす。
そしてガラス張りの壁にはその講師の名前が書いてある。
その名前は「秋元真夏」。

彼女は鏡の前にある椅子に座っておよそ女性らしくない派手な嚔をした。およそ20畳くらいの控室にその音は空しく響く。
そのあとテーブルにあるティッシュをとり、強く鼻をかむと、ゴミ箱へ投げ捨てる。そのあとで、鼻をすすりながら隅の方に置かれた白い冊子を取り上げた。
左隅には放送するTBSの名前があり、右隅には生と控えめに書かれている。そして中央には大きく「オールスター感謝祭」と印刷されていた。
その冊子には何回も読み込まれた跡があるった。彼女はその冊子をめくりブツブツとつぶやく。
ノックの音が聞こえ彼女が返事をしたのは、何分かブツブツ呟いたのちの事である。
「高山さん、そろそろスタジオにお願いします。」
ドアを乱暴に開け、慌しくそう言うとまた出ていった。高山さんと呼ばれた彼女は返事をするまもない。彼女は軽く息を吐くと台本を手に控室をあとにした。