もう水掛け論です。

「プラセボ」の勉強不足は自覚して下さい。

>あなたの想像ではどうですか?その程度も出方も分からないですか?
想像出来ていても、「分からない」という立場をとるのが「医学的科学的な態度」だと僕は思います。

だから薬の場合はプラセボの効果を差し引く為に真薬と偽薬の群に分けてランダム化する訳です。
実験する人は当然「効果はあるorない」と信じているはずですし「プラセボもどう出るか分からない」と考えているから偽薬群を置いてRCTなどの実験をする訳です。

想像が容易に出来ていても、それを確実にするために設定する訳です。

想像だけでやるならば、それは医学や医療ではなく呪術です。
マジナイとして行うなら別にいいです。

>>貴方自身が信じている「意識」もご自分を納得させるには証拠として“不十分”となります。
>面白いことを言いますね、信じるかどうかなんて人によりませんか?
「信じている」ことを「科学的、医学的に」納得させるには不十分、ということです。

「信じる」だの「納得」だのは、まぁこっから先は国語表現の問題ですので意味がありません。

要は「現時点では、それはどこまで行っても貴方“たち”だけが信じている事ですよね?」ということです。

僕は「意思が作用する」というのは「医学的、科学的にどうなんですか?」という事を終始一貫して問題点にしている訳です。

これが仮説です。そして貴方がおっしゃるような実験してその結果について考察する、これが医学的科学的態度だと思っています。

>解釈の話ですが一般的な解釈と言う意味ですよね、「分からない」なら上出来ではないでしょうか。
そうです。
現在の鍼灸師を含めた医療従事者、患者さんを含め、医学的にも科学的にも、常識でも「分からない」が妥当だと僕は考えます。

そして、それとは別にEBMというのは、レベルに応じたエビデンスを取り入れながら上のステップを踏んで治療する、
それが一番患者さんにとって最良の治療になることだと思います。

繰り返しますが、「自分の治療に確信がある」と「その科学的根拠は分からない」とは別です。
エビデンスは低い、あるいは無いが、自分は何例も経験していて確信はある、それを患者さんに提示して選ぶ、あるいは同意して治療をする、
これが正当な医療ではないでしょうか。