碧巌録(へきがんろく)  第43則  洞山無寒暑(とうざん む かんじゃく)

本則

修行僧洞山良价禅師(とうざん りょうかい ぜんじ)に問う、「寒暑到来(かんじゃく とうらい)、如何(いかん)が回避せん?」。
山云く、「何(いずくん)ぞ無寒暑(む かんじゃく)のところに、向って去らざる」。

僧云く、「如何なるかこれ無寒暑の処(ところ)?」。
山云く、「寒時(かんじ)は闍黎(じゃり)を寒殺(かんさつ)し、熱時(ねつじ)は闍黎(じゃり)を熱殺(ねっさつ)す」。



洞山:洞山良价禅師(とうざん りょうかい ぜんじ)(807〜869)。雲巌曇晟の法嗣。曹洞宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→雲巌曇晟→洞山良价→曹山本寂  

無寒暑のところ:寒さ暑さのない所ではなく、生死煩悩の無い世界を指す。

同様に寒暑到来とは生死の一大事に直面した時という意味。

闍黎(じゃり):阿闍(じゃ)黎(あじゃり)(梵語、アーチャリヤ)の略。先生、師の意味。

本則

ある僧が洞山良价禅師に聞いた、「生死の一大事に直面した時、どのようにすればその問題を解決できるのでしょうか?」
洞山は言った、「生死・煩悩を超えた世界に行ったら良いではないか」。

僧は聞いた、「どのようにすれば生死を超えた世界に行くことができるのですか?」。
洞山は言った、「生きる時は徹底して生き、死ぬ時は尽天地に死に切るまでだ」。

 【本則】
 僧が洞山に質問した。 「寒暑が来たら、どうやって避けましょうか?」
 洞山 「どうして寒暑のないところに行かないのか?」

 僧 「寒暑のないところとは、どんなところですか?」
 洞山 「寒い時には、そなたを凍えきらせ、暑い時には、そなたをこの上なく熱くする」

→ 無寒暑の処(ところ)は、「寒時(かんじ)は闍黎(じゃり)を寒殺(かんさつ)し、熱時(ねつじ)は闍黎(じゃり)を熱殺(ねっさつ)す」。
   つまり、空である。
   片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。である。