悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておくだ
さい。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1571473656/
※前スレ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1576570254/ 碧巌録(へきがんろく) 第8則 翠巌夏末示衆 (翠巌(すいがん)、夏安居末(げあんごまつ)に衆(修行僧たち)に示す)
本則
翠巌、夏末に衆に示して云く、「一夏(げ)以来、兄弟(ひんでい)のために説話(せった)す。看よ、翠巌が眉毛ありや?」。
保福云く、「賊となる人、心虚す」。
長慶云く、「生ぜり」。
雲門云く、「関」。
本則
翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、
「この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた
(昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。
もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。
どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな?
(言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。
保福は言った、
「ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。
長慶は言った、
「眉毛はチャンと生えているじゃないか」。
最後に雲門が言った、
「ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。
注
翠巌:翠巌(すいがん)令参 法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 翠巌令参
保福:保福従展(?〜928)。
この公案に出る翠巌、保福、長慶、雲門、の四人は雪峰義存(第5則を参照)門下の兄弟弟子である。
四人はほぼ同年齢だったようだが翠巌が一番若かったと考えられている。
眉毛ありや:仏法を誹謗すると眉毛が落ちると言われる。
仏法は言説を超えたものであり、言説に頼れば仏法を誹謗することになる。
ここで眉毛という言葉は悟りの本体としての父母未生以前の本来の面目(=真の自己=下層脳中心の脳)を表わしていると考えられる。
「賊となる人、心虚す」:盗人は内心ビクビクしている。
盗人は賊機を持った翠巌をさしている。
長慶:長慶慧稜(854〜932)。
「生ぜり」:眉毛は生え揃っている。
「関」:ピシャリ。
「門は閉められたぞ。ここが通れるか」という意味。
「関」は悟りへの関門という意味。
○ 長い夏安居の期間中、何を解き明かしつくした、と言うのか。説くべきものがあったのか。眉毛は有る。抜け落ちず、生えず、関も無い。 >>442 それは広果天の中にあるのじゃ。
他の宗教での最高の境地なのじゃ。
無想になる故に無想天なのじゃ。
心の作用が止まってしまうのじゃ。
死ねば生まれかわるのじゃ。
碧巌録(へきがんろく) 第9則 趙州四門(じょうしゅう しもん)
本則(ほんそく)
修行僧、趙州に問う、「いかなるかこれ趙州!?(地名、僧名がどちらも趙州)?」。
州云く、「東門、西門、南門、北門」。
注
趙州: 趙州従?(じょうしゅう・じゅうしん)禅師(778〜897)。唐代の大禅者。南泉普願(748〜834)の法嗣。趙州観音院に住んだので趙州和尚と呼ばれる。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン
本則
ある修行僧が趙州に聞いた、「趙州とは何でしょうか?」。
趙州は言った、「東門西門南門北門」
〇
趙州禅師は、河北省西部に位置する趙州の観音院に住んでいた。
趙州の観音院に住む趙州和尚に「趙州とは何でございますか4」と問う修行僧が居る。
勿論、
佛、真理(さとり) とは何でございますか、と突きつけたのである。
この問いに
極めて丁寧に、しかも解かりやすく答えた。
その観音院に東西南北の出入りする四つの門が有ったのかどうかは知らないが、大陸では城郭の中に生活の場があった、それは戦争や盗賊や武装集団の略奪襲撃から守るためである。
その外界への出入り口が、四つの門である。
シャキャ族の聖者に「四門出遊」の生老病死」の初めて見た、初めて知った、大発見があったが、王や市民は城郭の中で暮らしている。
趙州従?(じょうしゅう・じゅうしん)禅師は、真理(さとり)は東西南北の四つの門である、と答える。
わたしはほとけとは、
麻三斤(ま さんぎん)
家の前のこの小路(こみち)は都(みやこ)長安(ちょうあん)に通ず、
花薬欄の公案が有り、
これによってこの四門が同じ枝の葉っぱである、と透る。 足元の確認、床が土台石が地球が有り、
入退院の繰り返してるんだってな、どうだぁ調子は、イヌヤマ
荒らしクチャイガチのキチガイw だっぺよ仏教棄民のイヌ山 ぁ〜♪ってさぁ
イヌヤマが相手にされない時、犬嫁麦になるの原則、(笑い)
>公案が進んで無くよくわからないのです、法相宗ですから、唯識ですby無脳イヌヤマ
5ちゃんねるの会話の形式は、バトルです、馴れ合いを禁じています。
彼はお前はえらい、と認めてほしい、のです、ほめて欲しいのです。
それは彼がリアル世界での無視されている現状があるのです。
一見、相手を罵倒しているように見える悪口雑言の数々は、彼の抱え込んでいるリアル社会での彼に対する社会の評価です。
眼は外を見るが、オマイの内側に在るそれは赤肉団上を真人が出入りす、会すや。
糞邪鬼は月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証
命取りの摂心に親子で家族で100回参加と虚飾。
もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ。
ググるシッタカ糞邪鬼は、褒めてクレヨの哀願奴隷。
相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞邪鬼へのリアル社会の絶対評価です。
糞邪鬼は「暴れさせゴミが溜まれば透明あぼ〜ん,NGID登録が適切で決してレスしない事。
病識が無いイヌヤマ カワイソス (-∧-)合掌ナムナムΩ\ζ°)チーン
|| ○荒らし粘着糞イヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。
|| 荒らしイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる。
|| ○荒らし糞イヌヤマは、自己の内側、佛心が観ず。
|| 荒らし糞イヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求します。
|| ○荒らし糞イヌヤマは問いに問いで返す無答、脊髄反射のパープリンです。
|| 荒らし糞イヌヤマは悟前(ごぜん)、金魚ドジョウと救い難い。
|| ○荒らし粘着糞イヌヤマの重複スレには誘導リンクを貼って放置プレイ透明アボーンが一番。
|| ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。
|| ○放置された荒らし糞イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘います。
|| 荒らし糞イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
|| ○反撃は荒らし糞イヌヤマの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
|| 荒らし糞イヌヤマにつけ入るエサを与えない
|| ○荒らし糞イヌヤマが枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除です。 相談です
わざわざ底辺糞5ちゃんに来ないと
相談相手すらいません
どうしたら
友人ができますか? さあ?死ぬしかないんじゃないの?
底辺糞5ちゃんと馬鹿にしながら相談せざるを得ないほどの重症者が
底辺糞5ちゃんでまともな回答がもらえるはずがないだろう
分かっていながらやっているんだろう?
要するにお前にはどうするつもりもないしどうもならないし
死ぬ以外に方法はないんだよ 碧巌録(へきがんろく) 第10則 睦州(ぼくしゅう)、掠虚頭(らっきょとう)の漢(かん)
本則
睦州、僧に問う、 「近離(きんり)いずれのところぞ?」。
僧すなわち喝す。
州云く、 「老僧、汝に一喝せらる」。
僧又喝す。
州云く、 「三喝四喝の後そもさん」。
僧無語。
州すなわち打って云く、 「この掠虚頭(らっきょとう)の漢(かん、おとこ)」。
注
睦州(ぼくじゅう):黄檗希運禅師の法嗣睦州道明禅師(780?〜877?)。
若い時代の臨済を策励したり、雲門文偃の脚をヘシ折ってまでして接得した人である。
親孝行の人で、陳尊宿と呼ばれ、名利を嫌い生涯韜晦して世に出なかった。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 → 百丈懐海 →黄檗希運→睦州道明
掠虚頭(らっきょとう)の漢:たわけもの。
本則
僧が睦州和尚の処にやって来た。睦州和尚はその僧に聞いた、 「お前さん何処から来たのか?」。すると僧は 「カーッ」と喝した。
睦州は言った、 「わしはお前さんに一喝されビックリしたのー。一本参ったわい」。
と僧の足下に落とし穴を掘った。僧はそれに気付かずまた 「カーッ」と喝した。
睦州は言った、 「お前さん、三喝四喝と喝の一つ憶えのようだな。喝の後はどうするんだい?」。
僧は黙ってしまった。
睦州は僧を打って言った、 「このたわけもの!」。
〇 禅の公案には、「解答集」がある。
或る王の時代、禅宗は禁止され、寺や仏教聖典は焼かれ、僧は首をはねられた。僧達は中国各地の奥地へと隠棲した。
真理(さとり)を伝えるために、むらの童謡、里謡に託して第三者が聞きとがめたとしても、禅の真理(さとり)を透過してなければ、解からないようにした。
許されたのち、戻ってきた禅宗は爆発的大領好機を迎える。弾圧の時代、禅僧はいのちがけの修行僧たちで、少数であり、質が高かった。
だが、大興隆のなか、急に増えたそうは量的拡大は、必然的に質が落ちる。そこに「公案解答集」が出回った。
形式化していった、のである、堕落したのである、安易に走ったのである。
そこで、アンチの新興宗としての曹洞宗が発生した。
この修行僧も、現在で言えば、ググる、コピペマン、だったのである。睦州禅師は見破って、叱咤し、激励をした。 >>443
他の宗教とは、仏教以外のすべての宗教ということでしょうか?
それとも、仏教以外のある特定の宗教ということでしょうか? >>446 おぬしが寂しい者の友達になってやるとよいのじゃ。
そうすれば友達が出来るのじゃ。
友達とは相互関係であるからのう。
自ら他人の友達になるのじゃ。
>>450 全てなのじゃ。
本当は違うがのう。
そのように信じられているのじゃ。
>>451 色界12番目の天じゃな。
善事を積んで生まれかわれる最大の天なのじゃ。
そのために大果天ともいうのじゃ。 碧巌録(へきがんろく) 第11則 黄檗酒糟の漢(おうばく しゅそう、酒かす の かん)
【本則】挙。黄檗示衆云、汝等諸人、尽是酒糟漢。恁麼行脚、何処有今日。還知大唐国裏無禅師麼。 時有僧出云、只如諸方匡徒領衆、又作麼生。檗云、不道無禅、
【本則】挙す。黄檗、衆に示して云く、「汝等諸人、尽く是?酒糟の漢なり。恁麼に行脚せば、何処にか今日あらん。還た大唐国裏に禅師無きことを知るや」。
時に僧あり出でて云く、「只諸方の徒を匡し衆を領いるが如きは、又作麼生」。
檗云く、「禅無しとは道わず 、只是師無し」。
【本則】(黄檗禅師が聴衆に話し始めました。「看たところ、お前さん達は皆な酒粕の様な役立たずの人間に看える。何処を如何うろつきまわれば何処かに何か有ると思っているのか。この大唐国には禅師などいないのを知っているか」。
すると一人の僧が黄檗に質問した、「それなら黄檗さん、多くの大衆に説教をたれ、門人を沢山引き連れている、その有様を如何説明するのです?」と。
黄檗はそれに応える。「禅の道に在る人が居ないと云っているのではない、只、禅の道に、これこそ本家本道等との定義付けは為らないと云う事さ」。)
【本則】
黄檗、衆に示して云く、 「汝等諸人、尽くトウ酒糟の漢、いんもに行脚せば、いずれの処にか今日あらん。 還って知るや。大唐国裏に禅師なきことを」。
時に僧あり出でて云く、「只だ諸方の徒を匡し衆を領いる如きは、又そもさん」
檗云く、「禅なしとはいわず、ただこれ師なし」。
【本則】ある日黄檗希運禅師は、門下の修行僧達に示して言った、「お前達は誰も彼も酒粕をたらふく食べて酔い心地の男のようだ。 そんな体たらくで、うろうろだらりと修行していてはとても今日のわしみたいにはなれんぞ。大体この大唐国四百余州には本物の禅師らしい禅師はおらん」。
その時一人の僧が出で来て言った、「和尚は大唐国裏に本物の禅師はいないとおっしゃいますが、あちこちの道場には大勢の修行者達を集めて指導している老師方がおられます。 あれは一体どう見たらよいのでしょうか?」
黄檗、「わしは禅がないとは言っていない。 ただこれ明眼の禅師がいないと言ったのじゃ」と言った。
〇 そこに人が居ようが居まいが、真理(さとり)である。人は、覚らなければ真理(さとり)は分からずじまいで終わる。 >>453 色界14番目の天じゃな。
もはや苦も楽も離れて煩うことがないのじゃ。
故に無煩天なのじゃ。
40代男性3人と2時間ばかり話し込んだ。
その中で禅の話しをする事があった。
話しはあれこれ飛び飛びに進んでいつのまにやら散骨についての話しが出た。
しばらくお互いに遣り取りがあって、わたしは禅の話しを切り出した。
ぜん? なんですか、ぜんって?
禅に他の意味があるとも思えないが共通認識ではないことに踊画起き、とっさにわたしは次に言うべきことばがさっと出てこなかった。
単にことばの音である、ぜん、
わたしは禅を説明しなければならないところに、初めて居たのだった。
ぜん、それはなにか?と言うことである。
わたしは達磨さんから話しを始めた。
高崎名物だるまさん、の事か、と言う。
起き上がりこぼしや、大願成就の縁起物のだるまさん人形の事では無いよ、とまず断りを入れた。
ダルマと言うインドからヒマラヤ山脈を回避して洋上をバナナの葉の船に乗って中国へやってきたと言う伝説を持つダルマさんと言う人物の事なんだよ。
そして、サンスクリット語でダルマとは法、真理と訳されるものだ。
しんりって、心理の事ですか?
うーん
心理ではなく、真理、さとり、だね。
こんなふうであった。
わたしは禅と言い出せば、すぐになにかしらの受け取りを誰もが持っているという固定観念、先入観があった。
単に「ぜん」と言う音のひびきとしてしか通用しないのだと言う、事実がある、と知った。
ここは、2ちゃんねるの「宗教」板であり、禅スレである。
そこに出入りし、書き込む人は、いくつものハードル越えをしてきた人たちなんだ、と思う。
ダルマ、法、真理、、を求める人を参ずる、と言うのだろう。
わたしは米国人神父が日本で禅に出会い、隻手の音声、と言う公案に取り組んで、挫折した、と言う本を読んだ。
これまでに旧約新約が1冊になっているカトリックの本を数回、頭から全部読んでいた。
わたしとは真逆にこの米国人神父は西洋から東洋を知ろうとしている。
隻手の音声を一音(いちおん)ずつ書き出しても見たそうである。
在日期間も短かったようで、数年で帰国したらしい。
わたしは唯心論的思考と実践をする中にも、その逆の唯物的思考と実践をする中にもいたことがある。
この隻手の音声は、両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、である。 んなもん片手で腿を叩けば
片手の拍手の音ですやん何言ってんの
腿使うなって制約は無いですやん
何を悩むことがあるねん ※ ご 注 意 下 さ い ! ※
※鬼和尚と名乗る人に注意して下さい※
1.相談しない事。
2.スルーする事。
この人は自分を仏陀やメシア(救世主)と妄想してる重度の統失で、相手の弱みにつけ込み精神的な支配を目論むサイコパスです。
誤魔化されないで下さい。 >>458 色界十五番目の天じゃな。
依処なく煩悩の熱から離れているのじゃ。
それ故に無熱天というのじゃ。 ※ ご 注 意 下 さ い ! ※
※鬼和尚と名乗る人に注意して下さい※
1.相談しない事。
2.スルーする事。
この人は自分を仏陀やメシア(救世主)と妄想してる重度の統失で、相手の弱みにつけ込み精神的な支配を目論むサイコパスです。
誤魔化されないで下さい。 碧巌録(へきがんろく) 第12則 洞山麻三斤(とうざん ま さんぎん)
本則
修行僧、洞山に問う、 「 如何(いか)なるかこれ仏?」
山云く、 「 麻三斤」。
?
注:
洞山:雲門文偃の弟子洞山守初禅師(とうざんしゅそ、910〜990)。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃→ 洞山守初
麻三斤:洞山守初が居た湖北省襄州は有名な麻の産地だったと言われる。
麻三斤は三斤の麻糸であり、ちょうど僧衣一着分の重さに当たる。
斤:昔の重さの単位。普通、160匁(約600グラム)。
本則
ある僧が洞山禅師に聞いた、 「 仏とは何ですか?」
洞山は言った、 「 麻が三斤だ」。
〇
ほとけとは、真理(さとり)を言う。
問う、ほとけとは!?
答える、ちょうど1着の服を作ろうとして、小脇に抱えている麻布の重さは三斤ほど有るよ。
世界はどのように成り立っていますか!?
世界はこのように成り立っているぞ!?
世界とは1着の服であり、それは麻布であり、その重さが三斤ほどだ!? 碧巌録(へきがんろく) 第13則? 巴陵(ぱりょう)銀椀裏(ぎんわんり)に雪を盛る
本則
修行僧、巴陵に問う、 「 如何(いか)なるかこれ提婆宗(だいばしゅう)?」
巴陵云く、 「 銀椀裏に雪を盛る」。
注
巴陵:巴陵鑑(こうかん)禅師。雲門文偃の法嗣。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 → 雪峯義存→ 雲門文偃→ 巴陵鑑
提婆(だいば)宗:迦那提婆(Kanadeva)の宗旨学説。
迦那提婆(Kanadeva)はもと96外道の一人であったが 龍樹尊者の指導で仏門に入り「百論」という著書を書いた。 彼は学者であるとともに雄弁家であったと伝えられる。
その弁才で外道や異端を破り縦横無尽に宗風学説を挙揚していたので、 時の人が提婆(だいば)宗と呼んでいたと伝えられる。ここでは提婆(だいば)宗とは仏法とか禅を意味している。
銀椀裏に雪を盛る:銀椀も雪も白く、見分けがつかぬが、全く違う。 禅の悟りの世界はそれと同じようだという比喩。
本則
ある僧が巴陵鑑(こうかん)禅師のところに来て聞いた、 「 禅宗の奥義はどのようなものでしょうか?」
巴陵は言った、 「 真っ白に輝く銀製の椀に白い雪を盛ったようなものだ」。
〇
この公案は、隻手の音声、あるいは 無字の公案を透過したあとでは、続いてスッと透る。
なにを言ったものか。
銀椀と雪は、一と一であって、二である。
銀椀と雪は、二であるが、二ではない。
銀椀と雪は、二ではないが、二である。
而二不二、不二而二、
ににふに、ふににに
二であるが二ではない、二ではないがんである
二は 一の如し、一如 である。 性体験や経験人数がすごく多い人は逆に性を楽しめていないからじゃないかと思うのですがどうなんでしょうか?
例えば過食症やアルコール依存性は人より多く摂取しても満足できずに更にそれを繰り返していると聞きます。
それも一種の逃避なんでしょうが。 >>463 色界16番目の天じゃな。
優れた色形の身体をよく現すのじゃ。
それ故に善現天というのじゃ。 ※ ご 注 意 下 さ い ! ※
※鬼和尚と名乗る人に注意して下さい※
1.相談しない事。
2.スルーする事。
この人は自分を仏陀やメシア(救世主)と妄想してる重度の統失で、相手の弱みにつけ込み精神的な支配を目論むサイコパスです。
誤魔化されないで下さい。 鬼和尚、とんちのきいたおもろい脱力話を何か語って下さい > 禅はサボりたい楽したい僧侶が悪どさから考えた方法でしょう。 なぜ禅は室内で座るの?サボって楽したいのが見え見え。
ちゃんと外で座らないと修行にならないでしょう。 夏なら熱い岩の上、冬は凍りついた岩の上や雪上に座り、雨の日は雨に打たれながら座る。
食事は3日ぐらいの短時間は摂らないとか。 日本の禅って甘えすぎてる、修行しないならやめればいいのに。 』
否定から何事であれ入れば、それは歯科医でしょうね、歯 入れ歯。。
人が集まる噴水のある広場で、これを見てくれと 派手にお祈りをする姿を見せるもの、これを歯出、と言う。
ダメダメ デツヨー、とヨハネの長男は喝破する。
パフォマーだね、ねねね。
坐禅は瞑想と言えば、解かると思うよ。
そして坐禅は同行二人(どうあんふたり)
自己とも一人の真の自己 との対話だ。
真の自己を佛 と言う。
佛とは、人格的存在ではない。
法、ダルマ、真理(さとり)、を佛と言う。
内在の神を見ないのが、一神教だが、誰が人を作ったのか、その人は神に似せてそっくりに作ったのだ、神と人はふたり ではない。
内も外も、自己も他も、二は二ではない、一の如し。
主とは主人。ご主人さま。支配者を言う。
主人が有るから、奴隷がある。
古代社会は、自由市民が一方的に消費者であり、戦争に負けた国の自由市民は奴隷で生産者である。
奴隷制経済だね。
汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公で有り得るか
これは主体性、主人公を言い、現代語で云うと、自由と言う。
奴隷にはなるな、こき使われるだけの人になるな、真の自己を引き渡すな。
汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公で有り得るか!? >>466
優れた色形の身体とはどのようなものですか?
このあたりの天にいる存在にも身体はあるのでしょうか? 27考える名無しさん2020/10/09(金) 00:41:42.120>>29
// ノ: ハ:. :.|: : ノ.>-≦===ミ,/: :イ_ゝ:.| \:
ヽ __/-イ: ノ´ ̄/フイ_ノ /l{__ .イ:,ィ≦ ∨ゝ、 \: \
\ _..ィ仁: :/´ ,r=彡 // , イ ,.イ: :/ ∨: ハ } }、ハ
\ `{: : / / // /,ィ≦彡リ:/ / ト、: :} /イ .}: }
. \ .| :/ \/ //イ/ .{/{{ ./ 八.}:リ/ ノイ
‘., 〉{ / .}彡' Y _ .|{{ /
‘, /ゞ ./ | / .l\|.ゞ _ _
_ .、 ‘, ./ ./ ゞ | |.ノ > ‘ `ヽ
イ ./ ‘, ./.イ __ 、 / ! > ‘ }
_ノ }、 _ノ二ィ≦__ \ / > ‘ ,′
_ノヽ ノ/ハ、__{,..-=≦::rク:::
__ ノ . イ///.ハ::::::::::::::/:::::::::: ̄::/\\._\. Y>‘ _ .f Y\ ヽ/ ./
≧====≦//////. `ヽ<:≧::::、:::::::/:::::::::`:::}:::::::::>‘ } ヽ!. ヽ. Y:,′ /
∨///////>‘ } `¨¨¨ー==ニニ二二.ィ≦{ | { \ \.}' /
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‘, { .ハ:リ .: .?.///\  ̄`ヽ,′ ./
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‘., 、{、ヽ}'_/, \///////フ / / ※ ご 注 意 下 さ い ! ※
※鬼和尚と名乗る人に注意して下さい※
1.相談しない事。
2.スルーする事。
この人は自分を仏陀やメシア(救世主)と妄想してる重度の統失で、相手の弱みにつけ込み精神的な支配を目論むサイコパスです。
誤魔化されないで下さい! >>465 そうじゃろう。
満足できないから次々に経験を求めるのじゃ。
完全に満足できればもはや求める必要も無いからのう。
それも逃避なのじゃ。
快楽に逃避しているといえるのじゃ。
>>468 昔、ジャンキーと名乗る外道のバラモンがおったのじゃ。
お釈迦様の境地と智慧に嫉妬して、>>467 みたいなことをほざいていたのじゃ。
するとなぜかジャンキー外道の寺から檀家が一人一人減っていったのじゃ。
それに気づいた家族がジャンキー外道を止めようとしたが、やめなかったのじゃ。
最後にはジャンキー外道の寺はつぶれてしまったのじゃ。
家族全員ホームレスになり、ジャンキー外道は毎日えびのように体を跳ね回らせ死ぬまで泣き暮らしたのじゃ。
>>470 自由に変現できるのじゃ。
ある時は金色に輝き、ある時には銀色に輝くというようにのう。
色界の天の者にはまだ身体があるのじゃ。
自由に変えることが出来るだけなのじゃ。 ※ ご 注 意 下 さ い ! ※
※鬼和尚と名乗る人に注意して下さい※
1.相談しない事。
2.スルーする事。
この人は自分を仏陀やメシア(救世主)と妄想してる重度の統失で、相手の弱みにつけ込み精神的な支配を目論むサイコパスです。
誤魔化されないで下さい! * ご 注 意 下 さ い ! *
☆鬼和尚と名乗る偽僧侶がいる様です☆
1.相談しない。
2.スルーする。
あなたの心の弱みにつけ込む新手のカルト商法?!
私は仏陀やメシア(救世主)と名乗って相談にのる
偽僧侶がネットに出現している様です。
誤魔化されない様に注意しましょう。 >>473
身体を自由に変えることは善現天の娯楽ですか? 碧巌録(へきがんろく) 第14則 雲門対一説(たい いっせつ)
舉。僧問雲門。如何是一代時ヘ。雲門云。對一説。
挙こす、僧そう、雲門うんもんに問とう、「如何いかなるか是これ一代いちだい時じ教きょう」。雲門うんもん云いわく、「対たい一説いっせつ」。
?
本則:
僧、雲門に問う、「如何なるか是れ一代時教?」 雲門云く、「対一説」。
本則:
ある僧が雲門に聞いた、 「ブッダ一代の教説はどのようなものですか?」
雲門は言った、 「相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ」。
僧、雲門に問う、如何なるか、是れ一代時教、雲門云く、對一説」。
雲門禅師に弟子が、一代時教(釈迦の教え)とは何かと尋ねる。雲門禅師は「對一説(応えて言葉にせよ)」と答えた
本則での僧の質問「ブッダ一代の教説はどのようなものですか?」 は雲門に対し何か深く詳しい解説や返答を期待して聞いたものと思われる。
しかし、雲門の返答「相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ」 と簡単で僧の期待に反するものだった。
雲門の返答「対一説」 (相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ)。
注:
雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の祖。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→ 龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃
一代時教:ブッダの一生涯における教説。
対一説 :1つずつ答える。目前の機に応じ、方便に徹して1つずつ答える。
〇 Buddhaが一生かかってわたし達に説いたものは、いったい、何を説いたっものでございますか!?
一人一人の疑問に答えていったんだよ。
如是我聞 にょーぜーがーもん
100人居れば、100通りの受け取りがある。
だが、それ以上の説き方、聞き方が、他にあるだろうか。 >>476 そうじゃ、人が服を着替えて楽しむようなものじゃ。
或いは仮面をかぶって楽しむようなものじゃ。
>>477 色界17番目の天じゃな。
善く十方を見ることができる故に善見天というのじゃ。
天眼じゃな。 些細な相談です。
スーパーやコンビニの入口、列車などで、ガン見されて咳払いされると殺意がわきます。今日も久々に咳払いをやられ、とりあえず咳払い10倍返ししました。こういう不可抗力的、交通事故のような状況に、どう対処すれば良いと思いますか? * ご 注 意 下 さ い ! *
☆鬼和尚と名乗る偽僧侶がいる様です☆
1.相談しない。
2.スルーする。
あなたの心の弱みにつけ込む新手のカルト商法?!
私は仏陀やメシア(救世主)と名乗って相談にのる
偽僧侶がネットに出現している様です。
誤魔化されない様に注意しましょう。 病識が無いイヌヤマ カワイソス (-∧-)合掌
>公案が進んで無くよくわからないのです、法相宗ですから唯識ですby無脳イヌヤマ
入退院の繰り返すってどうだぁイヌヤマが相手にされない時、犬嫁麦になるの原則(笑い
逝けば解かるさ、イヌと酢昆布を蹴る功徳がぁ
ガチのキチガイw だっぺよ仏教棄民のイヌ山 ぁ〜♪ってさぁ
クチャイキチャナイ安藤犬山色情魔栄進鬼和尚くちからでまかせを蹴り[age]
5ちゃんねるの会話の形式は、バトルです、馴れ合いを禁じています。
彼はお前はえらい、と認めてほしい、ほめて欲しいのです。
それは彼がリアル世界での無視されている現状があるのです。
一見、相手を罵倒しているように見える悪口雑言の数々は、彼の抱え込んでいるリアル社会での彼に対する社会の評価です。
糞邪鬼は月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン法相宗唯識の会に出ると偽証
講習会レジュメ収集に親子で家族で100回参加と虚飾。
もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ。
相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞邪鬼へのリアル社会の絶対評価です。
ググるシッタカ糞邪鬼は、褒めてクレヨの存在確認、承認欲求、の哀願奴隷でつ。
|| ○荒らし粘着糞イヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。
|| 荒らしイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる。
|| ○荒らし糞イヌヤマは、自己の内側、佛心が観えず。
|| 荒らし糞イヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求、承認欲求します。
|| ○荒らし糞イヌヤマは問いに問いで返す無答、脊髄反射のパープリンです。
|| 荒らし糞イヌヤマは悟前(ごぜん)、金魚ドジョウと救い難い。
|| ○荒らし粘着糞イヌヤマの重複スレには誘導リンクを貼って放置プレイ透明アボーンが一番。
|| ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。
|| ○放置された荒らし糞イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘います。
|| 荒らし糞イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
|| ○反撃は荒らし糞イヌヤマの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
|| 荒らし糞イヌヤマにつけ入るエサを与えない
|| ○荒らし糞イヌヤマが枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除です。
|| 糞邪鬼は暴れさせておいてゴミが溜まれば透明あぼ〜ん,NGID登録が適切で決してレスしない事 いくら、この世で金持ちになろうがあの世には持って行けない。
あまり残し過ぎると子供や親類を巻き込んだ騒動に
なること多々。(うちの家も曾祖父が高利貸しで稼いだから騒動になった)
だから、遺言残しても後々で必ず揉める。
一番は、均等に配分して残るなら寄付がいい。
ビル・ゲイツは子に数%の資産しか残さない。あとは
寄付と名言。
西武グループは創業者の遺産が莫大で後に兄弟喧嘩して
西武グループは真っ二つ。百貨店グループは青色吐息。
鉄道グループもコロナの煽りをもろにくらう。 大体この時間から鬼和尚の自演レスが始まって、10時になるとレスが始まる。 >>480 すでにそのように対処しているのじゃ
なぜそのようなことで怒るのか、心の中にある原因を探すのじゃ。
原因から怒りが起こることを観察できれば怒ることも無くなるのじゃ。
>>485 色界18番目の天なのじゃ。
色界最後の天なのじゃ。
ここから上にはもはや肉体が無い天なのじゃ。
全て自在なのじゃ。
>>486 兜率天なのじゃ。
色界より下の欲界の天なのじゃ。 * ご 注 意 下 さ い ! *
☆鬼和尚と名乗る偽僧侶がいる様です☆
1.相談しない。
2.スルーする。
あなたの心の弱みにつけ込む新手のカルト商法?!
私は仏陀やメシア(救世主)と名乗って相談にのる
偽僧侶がネットに出現している様です。
誤魔化されない様に注意しましょう。 碧巌録(へきがんろく) 第15則 雲門倒一説(うんもん とう いっせつ)
本則
修行僧、雲門に問う、「これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何(いかん)?」
雲門云く、「倒一説」。
本則
ある僧が雲門に聞いた、 「目前に説法する相手がいないし、説法する課題もない場合にはどうしますか?」
雲門は言った、「引っくり返して説きなさい」。
注
雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864〜949)。雲門宗の祖。 法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→ 徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃
若くして出家し、刻苦精励して大悟されたが、更に境涯の円熟を期して幾多の名僧に歴参された。
「雲門天子」と称された高邁な宗風をもつ雲門宗の開祖であり、その「日々是好日」の句は一般にも良く知られている。
雲門文偃禅師は唐末から五代(864 ? 949)にかけて活躍された名僧である。
その伝記は、何といってもその言行録である『雲門広録』(とりわけ、その末尾の「雲門山光泰禅院匡真大師行録」)が基本となる。
雲門禅師は諱(いみな)が文偃といい、俗姓を張という。浙江省・嘉興の出身であった。幼時から俗世間を厭(いと)い、17歳の時、遂に嘉興の空王寺の志澄律師の弟子となって出家した。
禅師は生まれながら賢く聡明で、経典を読んでも一度で理解して再見を要しないほどであったので、律師も大層その器量を称(たた)えたという。
20歳にして江蘇省・毘陵(びりょう)の戒壇で具足戒を受け、再び志澄律師のもとに戻って、戒律を集大成した四分律(しぶんりつ)を学んだ。
これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何?: 目前に説法の相手もおらず、また説法する課題もない時どうしますか?
倒一説:一つずつ反転する。一切の定言を価値転換する。
問う、「説法の相手もいないし、テーマもない場合どうしますか?」
答える、「一説など蹴っ飛ばせ! 」
〇
禅は何を伝えるのか。
主人公である、平等である。平等であり、主人公である。この事である。
これは、わたしが、と言うだけではない、全存在が、全宇宙が、主人公である。それぞれは違うが、違っていて同じ、平等である。 鬼和尚、年末の件は進展ありますか?
あと、元気かやる気が出る噺を何かお願いいたします 碧巌録(へきがんろく) 第16則 鏡清(きょうしょう)裏裏(そうり)の漢(かん)
本則
僧、鏡清に問う、「学人ソツす。請う師、啄(たく)せよ」。
清云く、 「還(かえ)って活を得るや、也(ま)た無なや。」
僧云く、「もし活せずんば人に怪笑せられん」。
清云く、「也たこれ草裏の漢」。
本則
挙す、僧鏡清に問う、學人?(そつ)す、請(こ)う師啄(たく)せよ。
清いわく、還って活を得るやまた無しや。
僧いわく、若し活せずんば、人に怪笑(くわいせう)せられん。
清いわく、また是れ草裏の漢。
本則
一人の僧が鏡清禅師の処にやって来て聞いた、「私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています。老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」。
鏡清は言った、「そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫か。」
僧は言った、「もし私が悟りを開く事ができなければ、老師がかえって世間の笑いものになります」。
鏡清は言った、「このたわけ者め!」。
注
鏡清:鏡清道フ(きょうしょうどうふ。雪峰義存の弟子で浙江省紹興府の鏡清寺に居住した。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ
草裏の漢:妄想の草の中に埋まっているたわけ者。落ちこぼれ野郎。たわけ者
ソツ啄同時(そったくどうじ)
ある僧が、鏡清和尚に【學人ソツす、請う師啄せよ】と問う。
この鏡清和尚は日頃から『行脚(あんぎょ)の人は、須(すべか)らくソツ啄同時の眼を具し、ソツ啄同時の用ありてまさに衲僧(のうそう)と称すべし』と弟子に教えていた。
その僧は「私は、内部からツツイテいます、どうぞ外からツツイテ下さい」と言ったのである。
鏡清和尚いわく【還って活を得るやまた無しや】ところで、その雛は生きているのか、死んでいるのか?と聞いた。
そこで僧は、生きておりますとも、死んだ雛が殻の中からものを言ったとしたら人から怪しまれ、物笑いの種になりましょうぞと答えたのである。
そこで鏡清和尚は、真に生きているのなら何のために外からツツイテ下さいなどと云う必要があるか『生きていると言うが草葉の陰で生きているらしいぞ』と冷やかしたのである。
→この公案も悟後(ごご)の公案である。 *皆 さ ん 、 ご 注 意 下 さ い !*
人生を滅茶苦茶にされてしまう前に!
☆鬼和尚と名乗る偽僧侶に注意しましょう☆
1.相談しないこと。
2.スルーすること。
無駄スレ乱立イヌ蹴り[age] 足元の確認、椅子が床が土台石が地球が有り、
入退院の繰り返すってどうだぁイヌヤマ
荒らしクチャイガチのキチガイだっぺよ仏教棄民のイヌ山 ぁ〜♪ってさぁ
イヌヤマが相手にされない時、犬嫁麦になるの原則(笑い
>公案が進んで無くよくわからないのです、法相宗ですから唯識ですby無脳イヌヤマ
5ちゃんねるの会話の形式は、バトルです、馴れ合いを禁じています。
彼はお前はえらい、と認めてほしい、のです、ほめて欲しいのです。
それは彼がリアル世界での無視されている現状があるのです。
一見、相手を罵倒しているように見える悪口雑言の数々は、彼の抱え込んでいるリアル社会での彼に対する社会の評価です。
眼は外を見るが、オマイの内側に在るそれは赤肉団上を真人が出入りす、会すや。
糞邪鬼は月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証
命取りの摂心に親子で家族で100回参加と虚飾。
もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ。
ググるシッタカ糞邪鬼は、褒めてクレヨの哀願奴隷。
相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞邪鬼へのリアル社会の絶対評価です。
糞邪鬼は「暴れさせゴミが溜まれば透明あぼ〜ん,NGID登録が適切で決してレスしない事。
病識が無いイヌヤマ カワイソス (-∧-)合掌ナムナムΩ\ζ°)チーン
|| ○荒らし粘着糞イヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。
|| 荒らしイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる。
|| ○荒らし糞イヌヤマは、自己の内側、佛心が観えず。
|| 荒らし糞イヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求します。
|| ○荒らし糞イヌヤマは問いに問いで返す無答、脊髄反射のパープリンです。
|| 荒らし糞イヌヤマは悟前(ごぜん)、金魚ドジョウと救い難い。
|| ○荒らし粘着糞イヌヤマの重複スレには誘導リンクを貼って放置プレイ透明アボーンが一番。
|| ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。
|| ○放置された荒らし糞イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘います。
|| 荒らし糞イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
|| ○反撃は荒らし糞イヌヤマの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
|| 荒らし糞イヌヤマにつけ入るエサを与えない
|| ○荒らし糞イヌヤマが枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除です。 >>492 もはや身体がない世界なのじゃ。
無辺の存在としての意識だけがあるのじゃ。
サマーディに達していなければ来れないのじゃ。
>>493 三月ごろに伸びたかもしれん。
人々が苦しい生活でもよいことをしていれば、災害もよけていくのじゃ。
悪いことをしてればすぐに来るのじゃ。
元気がでない者は自分で自分を非難していたりするからなのじゃ。
何か失敗するびにこれだから自分はダメなのだとか心でつぶやくのじゃ。
それぐらいは大したことはないとか大抵の者は思うかもしれんが、実はそれがかなり心を弱らせるのじゃ。
今からは自分を決して責めないようにするのじゃ。
失敗しても直せばよいという位に思うのじゃ。
そして一日に20回位は自分をほめるようにするのじゃ。
うそをついてはいかんのじゃ。
自分でうそは分かるからのう。
小さなことでも何かよいことをしてその度に自分をほめるのじゃ。
そうすれば元気もでるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>497
ありがとうございマッスル。
私の年末へのネガティブな期待の心が未来に起こる現象に何か影響を与えると思うのですがどんなもんでしょうか?
例えば、医療業界の手洗い法や東京の大学病院でパンデミックが未来に起こると数年前からフォーカスしていたら世界規模でパンデミックが起こりました。
こんな事が沢山あるのでなんか疲れます。 >>382
無駄なことしないから
心が疲れなくなつた
...!!!
素晴らしい
悟りましたね >>497
身体のない世界にいても輪廻はするのでしょうか? 1: う ん こ 製 造 機 板 だ ね (4)
2: お ま ん こ 舐 め た い (558)
3: あなたをいじめた人は何をしていますか 10 (936)
4: 悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 (500)
名スレ並び >>498 そのようなこともあるじゃろう。
想いが対象を引き寄せるのであるからのう。
善事を積めば善いことが引き寄せられるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>500 そうじゃ、まだ想念とか分別とか認識があるからのう。
それらに囚われていれば個我があり、輪廻も起こるのじゃ。
更に修行が必要なのじゃ。
>>502 無色界二番目の天じゃな。
もはや思考や感情も無く認識が無辺に広がっている天なのじゃ。
かなり悟りに近いとは言えるのじゃ。 碧巌録(へきがんろく) 第17則 香林坐久成労(きょうりん ざきゅう じょうろう)
本則
擧。僧問香林。如何是祖師西來意。林云。坐久成勞。
挙こす、僧そう、香林きょうりんに問とう、「如何いかなるか是これ祖師そし西来せいらい意い・」。林りん云いわく、「坐久ざきゅう成労じょうろう」。
僧、香林(きょうりん)に問う、 「如何なるかこれ祖師西来意?」。 林云く、 「坐久成労」。
香林のところにある僧がやって来て聞いた、 「禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。 香林は言った、 「長く坐っていてくたびれたなー」。
祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが 禅宗では禅の究極の所や本質をさす。坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。
→ テレビで、現代の中国南方での禅宗僧侶たちが銘々、岩の上や、庭の風通しの良い大きな木の下で、ゆったり座っている姿を見た。
南方地域なので、手に棕櫚の葉で作った団扇を持ち、あおいでいる。
日本の禅僧の腰を固めて背筋を伸ばして、眼は半眼で、手は親指を軽く触れた姿ではなかった。
むしろ暑いので静かに坐って休んでいる、と言える。
わたしは股関節を傷めて以来の椅子禅である。
いすに坐って頭のてっぺんを引っ張り上げられる、という思いで坐る。
また、これは、黄檗宗の僧侶の話しだが、和尚は足が悪く、檀家まわりの時は、正座が出来る補助具を携帯して使っていた。
死んだとき、坐禅の姿勢が出来るよう足の骨を折って坐棺に収まった。
生涯の念願だった、坐禅の姿だった。
こうあるべき、ほとけのおすがた、内外の統一、 そんな事だったのではないか。
股関節を傷めて以来のわたしの椅子禅も20年以上が過ぎた。
それは、木陰で棕櫚の葉の団扇をゆったり使う中国南部の禅僧のように坐る。疲れは無い、長く坐っての疲れない。
18年の侍者としての修行、同行二人(どうあんふたり)のもう一人の真人、を看たか!?
香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師に 師家は遠侍者、と、と呼び、はい!と18年間、答え続けた、と言う。そして、大悟した。
真理(さとり)とは!?と尋ねられて、必ず、あなたもさとるよ、わたしがさとったのだから、と優しい。 >>503
身体を持たない世界にいる者には、死はどのように起こるのでしょうか? >>505 身体が無いだけでほかの衆生と同じなのじゃ。
想念が止まって全ての能力と記憶を失うのじゃ。
そして生まれかわるのじゃ。
>>506 無色界三番目の天じゃな。
空間と時間が無く、物もないから所有することもないのじゃ。
故に無所有処というのじゃ。 碧巌録(へきがんろく) 第18則 忠国師無縫塔 (むほうとうみることかえってかたし)
本則
粛宗皇帝、忠国師に問う、「百年の後所須何ものぞ」。
国師云く、「老僧のために箇の無縫塔を作れ」。
帝云く、「請う師、塔様」。
国師良久して云く、「会すや」。
帝云く、「不会」。
国師云く、「吾れに付法の弟子耽源というものあり、却ってこの事を諳(そら)んず。請う詔して之れに問え」。
国師遷化の後、帝耽源を詔してこの意如何と問う。
源云く、「湘の南、潭の北」。
雪竇著語して云く、「独掌みだりに鳴らず。中に黄金あり一国に充つ」。
雪竇著語して云く、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影(むよう)樹下の合同船」。
雪竇著語して云く、 「海晏河清。瑠璃殿上に知識無し」。
雪竇著語して云く、 「拈了也」。
本則
粛宗皇帝が慧忠国師に聞いた、「国師の死後、こうして欲しいというものが何かありますか?」。
国師は言った、「そうじゃな、老僧のためにひとつ縫い目に無い塔を作って下さい」。
帝は言った、「国師よ、その塔は五輪の塔ですか、それとも卵塔でしょうか?」 具体的に塔の様子を図面などで示して下さい」。
国師はしばらく沈黙した後言った、 「分かりましたか?」。
帝は言った、 「いえ、分かりません」。
国師は言った、 「私の嗣法の弟子に耽源(たんげん)という者がおります。彼はこの事を良く分かっています」。 彼を詔して聞いて下さい」。
国師が遷化した後、帝は耽源を詔して、この事について聞いた。
耽源は言った、 「湘の南、潭の北」。
雪竇は著語して言った、「片手だけでは音も出ない。中に黄金があって一国に充ちている」。
雪竇は著語して言った、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影樹下の合同船」。
雪竇は著語して言った、「海は安らかで河は清らかである(天下泰平)」。 この極楽世界の瑠璃殿上(悟りの世界)にはあなたの知り合いは誰もいない」。
雪竇は著語して言った、 「話はこれでおしまい」。
→ 問う、真理(さとり) とは!? 答える、縫い目のないお墓だ。死期を目前にして問われた問いと答えである。色即是空。悟前(ごぜん) 未悟(みご)の人に問う。 鬼和尚、非想非非想処とはどのようなところでしょうか? 碧巌録(へきがんろく) 第19則 倶胝(ぐてい)只(た)だ一指(いっし)を(た)堅つ
本則
倶胝和尚、凡(およ)そ所問あれば、只だ一指を堅つ。
本則
倶胝和尚はいつも何を尋ねられても、一本の指をさっと立てて答えた。
注
倶胝和尚:馬祖下の大梅法常(752〜839)の法嗣 天竜禅師(生没年不明)の法を嗣いだ人。馬祖の孫弟子に当たる。
はじめ浙江省の金華山にいたが後に福建省の倶胝寺に移ったと伝えられる。
いつも「七倶胝仏母所説准提陀羅尼経」を誦したので倶胝和尚と呼ばれた。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→大梅法常→天龍→倶抵
倶胝和尚は臨終を迎えた時、門下の修行僧達を集めて「わしは天竜和尚の処で「一指頭の禅」を得たが、一生かかってもそれを使い切ることができなかった」 と言ってすぐに息を引き取ったと伝えられる。
この公案の主題は倶胝和尚が天竜和尚の処で得た 「一指頭の禅」とは何かということである。
倶胝和尚の「一指頭の禅」 はなかなか理解されなかったようであるが「心境一如」の状態をさすと考えれば良い。
禅者は真の自己を「仏性」、「如来蔵」、漆桶(しっつう)(5則)、 眉毛(8則)「無縫塔」(18則)、「シュ杖子(しゅじょうす)」(18則)、 「蓮花」(21則)、 「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)
(説似すれども一物として中(あた)らず、何かと言えばもう的を外れているという意味)」(南嶽懐譲)、 「無一物」(六祖慧能)、無字(無門慧開、「無門関」第一則)、 「般若の体」(90則 )など種々に表現する。
→ この公案は、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)、と言う公案の後に続いて透った。
もちろん言うまでもないが、わたしは師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)である。
問う、如何なるか是れ祖師西来意!? 答える、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし) 以前 わたしは 二人のイスラエル人と知り合うことがあった。
一人は空手家で、もう一人は柔道家であった。
空手は日本人の妻をめとりイスラエルで盆栽家となる。
柔道家は、指圧師で、帰国後、開業した。
そのイスラエル人が、言う。
Jesusと言う人物はかって存在しなかった。
存在していた、という証拠がない、と言う。
死後、50年後から、140年後の書かれた数冊の本があるだけである。
ヨーロッパの科学、文化芸術は全てイエスの存在証明であり、2000年間続く宗教哲学がある。
そfれはいまだに、解(かい) を得ていない。
永遠の証明問題である。
曰く、無いものの証明は出来ない、それは悪魔の証明、と言う。
また、Jesus自身はユダヤ人であり、ユダヤ教徒である。 >>509 無色界の最高天じゃな。
もはやこの上は無いのじゃ。
想念が消えて想念以外も無いのじゃ。
認識が残っているからまだ輪廻するのじゃ。
認識も消えたら悟りなのじゃ。 //
/ .人
/ (__) パカ
/ ∩(____) やぁ!
/ .|( ・∀・)_
// | ヽ/ 久し振りだね?
" ̄ ̄ ̄"∪ 鬼和尚、地獄には八大地獄や八寒地獄などいろいろな種類があるようですが
実際の地獄を一番適確に表現されていると感じるものを教えていただけませんか? ↑戦争じゃな。
戦争の悲惨さは正に地獄なのじゃ。
愚かな者達は自分で地獄をこの世に作り出しているのじゃ。 //
/ .人
/ (__) パカ
/ ∩(____) やぁ!
/ .|( ・∀・)_
// | ヽ/ 久し振りだね?
" ̄ ̄ ̄"∪ >>516 チョモランマの中腹にあるというのじゃ。
四天王がいるというのじゃ。
迷信なのじゃ。 鬼和尚、忉利天とはどのようなところですか? 宗教板の廃人化パターン
1.知識も体験もないくせに大口を叩く。
2.次第に相手にされなくなる。
3.注目をされたいので体験を大げさに吹聴する。
4.周囲から無視され始める。
5.論破された相手の人格中傷が始まる。
6.しばらく論戦が続く。
7.やはり論破され相手にされなくなる
8.周りは完全無視を決め込む。
9.馬鹿にされてもコケにされても反応されることに喜びを覚える(=廃人)。
レベル9.
でおー、ひふみ、ポタ公、野良
レベル8.
サーバント、馬鹿鬼
レベル7.
バカムイ
レベル6.
ハゲ
レベル5.
トム 廃人化パターンのステージ7とステージ8の間には大きな壁があって、その壁を乗り越えられるのは素質のある者に絞られてくる。
大抵の者は呆られつつもそのレスへの反応があるが、ステージ8となるとほぼ完全無視状態に等しい。
その素質とは
1.重度の統失
2.中程度以上の知的障害
3.中程度以上の認知症
である。 >>520 とうり天じゃな。
チョモランマの頂上にあるというのじゃ。
帝釈天が住むというのじゃ。
雷の神なのじゃ。 碧巌録(へきがんろく) 第21則 智門蓮花荷葉(ちもん れんげ かよう)
本則
修行僧、智門に問う、「蓮華、未(いま)だ水を出(い)でざる時 如何(いか)ん?」。
智門云く、「蓮華」。
修行僧云く、「水を出でて後 如何ん」。
門云く、「荷葉(かよう、ハスの葉)」。
注
智門:智門光祚。雪竇重顕(980〜1052)の師。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→・・・雪峰義存→雲門文偃→香林澄遠→智門光祚→雪竇重顕
水を出でざる時:成仏前の俗人の時。
蓮華:仏の比喩表現。
荷葉(かよう):成仏前の俗人の比喩表現。
水を出でて後:見性成仏した後。
本則
智門光祚禅師に僧が聞いた、「蓮華が未だ水の上に出て咲いていない時は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の華だ」。
僧は聞いた、「では、水の上に出た後は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の葉だよ」。
→ 色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。である。
聖体長養三十年。である。 心の内面の不遜を改めるにはどうすればよいでしょうか? 悟り
@人生の意味を考えないこと
絶対的意味は回答されない
質問自体が無意味と知れ 碧巌録(へきがんろく) 第22則 雪峰鼈鼻蛇(せっぽう べつびじゃ)
本則
雪峰義存禅師、衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「南山に一条の鼈鼻蛇(べつびだ)あり。汝等諸人、切に須(すべか)らくよく看るべし。」
長慶云く、「今日堂中、大(たしか)に人の喪身失命(そうしん しつみょう)するあり」。
僧、玄沙に挙似(こじ)す。
玄沙云く、「須らくこれ稜兄(長慶慧稜)にして始めて得べし。然もかくの如くなりと雖(いえど)も、我は即ち不恁麼」(ふいんも)。
僧云く、「和尚そもさん」。
玄沙云く、「南山を用いて何かせん」。
雲門柱杖をもって雪峰の面前に付き付けて怕(おそ)るる勢いをなす。
注
雪峰:雪峰義存(822〜908)法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存
南山:雪峰山
鼈鼻蛇(べつびだ):鼻のひしゃげた毒蛇(コブラか?)。「真の自己」を毒蛇に譬えている。
長慶:長慶慧稜(854〜932)。
玄沙:玄沙師備(835〜908)。出家前は釣りを好んだことで知られる。
雲門:雲門文偃(864〜949)。
長慶慧稜、玄沙師備、雲門文偃は雪峰義存の法嗣である。
本則は雪峰義存と3名の弟子の問答になっている。
本則
雪峰義存禅師がある時、大衆に示して言った、「この雪峰山には一匹の毒蛇がおるぞ。お前さん達、その毒蛇に呑み込まれないよう気を付けるが良い。」
すると長慶が進み出て言った、「いや、たしかに堂中の雲水達はその毒に当てられて一人も生きていませんよ」。
ところがその時側にいた僧にはこの問答の意味が分からず、玄沙師備禅師にその話をした。
玄沙師備はそれを聞くと言った、「なるほど、さすがに長慶慧稜兄だ。彼だからそういう答えができた。しかし、わしだったらそうは言わんな」。
僧は言った、「和尚だったらどう言われるのですか?」。
玄沙師備は言った、「その蛇は何も南山(雪峰山)だけにいるわけじゃない」。
雪峰義存禅師と長慶慧稜が交わしていた問答を聞いていた雲門文偃はいきなり柱杖を雪峰の面前に投げ出し、「そりゃ、出たぞ!」 とぶるぶる震えて恐ろしいといった様子をした。
この公案は禅の中心課題は「真の自己を明らかにすること(己事究明)」にあると言っている。
〇 分別しない。 >>526 欲界三番目の天じゃな。
チョモランマの上空にあるというのじゃ。
その天人は五欲の快楽を受けるのじゃ。
長生きなのじゃ。
>>527 それを観察するのじゃ。
どこまでも観察して原因から起こることまで観察できれば消えるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 人生一度きり。
いくら稼いで貯めてもあの世には持って行けない。
楽しく後悔ないように生きろ。
人生は次の人生へのステップ(修行)だ。 毎日毎日、自作自演・自問自答・自画自賛。
楽しいですか? 鬼和尚、兜率天とはどのようなところですか?
鬼和尚が前世でいた天ということなので、少し詳しく解説していただければ嬉しいです。 >>534 欲界四番目の天なのじゃ。
チョモランマの更に上空に在るのじゃ。
雲間から娑婆世界が見えるのじゃ。
五欲の快楽を受けるのじゃ。
この下の天は欲に溺れ、上は天界の安らぎに溺れているから修行しないのじゃ。
多くの菩薩が住むところなのじゃ。
菩薩は体から光が出ているのじゃ。
地面も白く光輝いているのじゃ。
わしも雲間から下を見て娑婆世界に来たのじゃ。
チョモランマの中腹にあるというのじゃ。
四天王がいるというのじゃ。
迷信なのじゃ。
鬼和尚のこちらの回答は、四天王という存在が迷信なのであって、四天王天は実在しているということでしょうか?
それとも四天王天自体が実在していないのでしょうか? >>535
兜率天とこの地上が修行者のいる場所ということでしょうか?
兜率天のほうが圧倒的に悟りに至る数は多いですか? 宗教板の廃人化パターン
1.知識も体験もないくせに大口を叩く。
2.次第に相手にされなくなる。
3.注目をされたいので体験を大げさに吹聴する。
4.周囲から無視され始める。
5.論破された相手の人格中傷が始まる。
6.しばらく論戦が続く。
7.やはり論破され相手にされなくなる
8.周りは完全無視を決め込む。
9.馬鹿にされてもコケにされても反応されることに喜びを覚える(=廃人)。
レベル9.
でおー、ひふみ、ポタ公、野良
レベル8.
サーバント、馬鹿鬼
レベル7.
バカムイ
レベル6.
ハゲ
レベル5.
トム 結局、馬鹿鬼は宗教板で潰されて、したらばに引き篭もって細々と自演を続けてるだけなんだろ?
何が鬼和尚プロジェクトだよwww
知識も体験もないのにハッタリかましやがってwww
そんで時々名無しで潰した個人の中傷を執拗に繰り返してるんだろ?
無駄な投資だったなwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています