>>636
例えば「信号で進む場合の合図として青色が用いられていることは是か非か」
これを強いて議論する場で「信号の青とはどのような色か」から「証明」する必要が生じたとする
その時に「○○先生が青色とはこの色だと仰っていたので青とはこの色です」と黄色を示す人間が居たらどうだ?
それは客観的な証明として採用されるべきソース、情報、事実だろうか?
客観的証明っていうのは実際に信号として使われてる現物、事実、万人にとっての共通認識としての合点、合意を得られる事象をそこに示して、信号の青色ならそこに点灯する青色を「これがそうだ」と意識的に提示することだ
個人主観の極限まで排除された事実、現実の提示こそが客観的な証明だっていうのもまたただの事実な
で、最初からこっちもお前がどう感じるかは自由だって言ってるだろ
黄色を青色だと思っていたければ思っていればいい
だがそれは事実とは明確に違うし「○○先生がそう仰っていたから」が通用するのは○○先生の信者間限定だ
それだけの話しな