>>334 >>335
thx
確かに生物が他者や他種生命の痛みや苦痛にばかり配慮してたら自分自身の方を末梢する以外になくなるよ
ただ前もここで書いたんだが、仮に全人類がもれなく100%エゴイズムにのみ忠実に従って生きるとすれば、それは自分自身の首を絞める結果になることも明らかだろ
誰の事にも一切配慮しなくていい世界は同時に誰も自分の事に一切配慮してくれない世界だからだ
いつでも好きな時に誰かの事を殺してもいい世界は、いつ誰かの好きな時に自分が殺されてもおかしくない世界だ
現状がそうでないのは法律や倫理観や道徳が機能してるからな訳だろうが
それを機能させてる動力、エンジンの部分が何かを考えると、結局は良心や善意であり利己目的と利他目的の両方だろうってところに行き着くんだ
他者の苦痛への配慮とケアが自分自身の利益にもなる仕組みが始まりの所からあるんじゃないかと
そこまでメカニカルに捉えずとも、例えば自分にとって愛着のある存在が苦しんでいたら自分も苦しくなる(少なくともその状態を幸福とは決して感じない)ようには出来てるもんだろ
だから共感性も同情心も元になってるのは思考的な理性として作り上げた部分ばかりとも言えない気がする
共感や同情心を覚えられる対象、他者が存在してる、その事自体が自己存在の肯定、充足に結び付く部分もあるんだろうしな
ただまあ虚無主義的な価値判断としての、どれもこれも皆、自己他者共の不幸であろうが幸福であろうが一切合財がどれも全てが虚しく無意味だってとこに行き着いてるのならそれはそれでアリなんだろうなって気もするよ
物事の解釈をする時の視界や視点はクリアになって確かに「シンプルに生きる」上では合理的かつ効率的だ
ある意味それも人間に運命付けられてる「生涯感情生活をする」上で殺伐とすることさえ厭わないなら
案外、人間そのものがお互いで利己と利他の最終的な(人類的な)ベストバランスを探るために各々自分の人生を使って実験してるようなとこもあったりしてな
こっちこそ長々悪い
飾らない真摯なレスをもらえて嬉しかった
改めてthx ありがとう