観念に自分を乗っ取られると、観念そのものが自分であると勘違いしてしまう。
だから苦しむ。
本当は、観念やこの世界の全てと離れた、全てを遠くから眺めている自分がいる。
本当の自分から見れば、思考も肉体も、物理世界と本当の自分を繋ぐための一機能に過ぎない。
ただの一機能でしかないものを、自分自身だと勘違いするから、おかしなことになる。

例えるなら、鉛筆を使う自分がいる。その鉛筆が自分自身だと勘違いしてしまう。
鉛筆は単なる道具に過ぎない。
鉛筆が全てになってしまえば、鉛筆に何をどう書くかまで求めることになる。
単なる一機能である思考や肉体にそのような機能は元々ない。
できないことをやろうとしているから苦しむ。