>>101>>102 おぬしがあればあるじゃろう。
 かなり年じゃな。

>>103 その苦も自ら作り出しているのじゃ。
 ありもしない社会に合わせようとか思ってのう。
 社会が存在し、正しくあわせなくてはならないならばなぜありんこの社会とかにあわせないのじゃ?
 それも立派な社会なのじゃ。
 社会とはどのような色や形をしているのかとか、どこにあってどのように動くのか誰にも答えられないじゃろう。
 それも親とか教師とかに条件付けされた仮想の観念に過ぎないからなのじゃ。
 そうであるから人によって社会の定義すらも違ったりするのじゃ。
 おぬしの社会に従わない人間が多くいるのもそのためなのじや。
 
 囚われずに生きるのじゃ。

>>105 そのようなところもあるじゃろう。
 自分で作り出した苦に悩んでいるとかのう。
 笑うだけではなくならないのじゃ。
 悟りではないのじゃ。
 価値は無いのじゃ。
 観察すれば無くなるのじゃ。

>>106 無いのじゃ。
 悟り向かう動機になった時だけ価値はあったといえるのじゃ。
 そうでなければ無価値なのじゃ。
 悟りの道に入らなければ人は無意味に苦しんで生から死へと向かうのじゃ。