日本人のキリスト教徒が大嫌いなんだがどうしたらいいか?。
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日本人のキリスト教徒を見ると不愉快な気持ちになります。 >>私が難民キャンプに来てからほどなく、地元の新聞に強固な口調
で書かれた論評が掲載されていました。
「米政府は、なぜ納税者の税金を、難民キャンプにいる異教徒の貧しいベトナム人を助けるために使うのか?もしあわれな難民たちがクリスチャンにならなければ-----筆者ははっきり言いたい----地獄に行かせろ、と。
われわれの税金を、悪魔の宗教を広げるために使うべきではない」
私は差別を受けた時はいつでも、慈しみで対応しています。相手の幸せを心から純粋に願い、執着も期待せず、無条件で慈しみを実践するのです。
(慈悲の瞑想 慈しみの心 春秋社 P70〜71) 仏教も同じだ。悪いことすれば虫に生まれ変わるとか
脅して子供とか馬鹿を騙してる。 なんかお前ら自分の宗教を広めようとしてるだろう。
見え見えなんだよ。 こんなクダラナイ書き込みしてる
時間があるなら働けニート。 ∧_∧ 私は宗教というものは盛ってないんだなあ
( ´∀`) そういうのはだって、人間が作った、人間的な、
( ) 原典を人間的教義に置き換えた、
| | | 単に人間的団体である、仲介業者でしょう
(__)_) 本来は聖典というものを見て、個々人が個々人単位で悟り、救いに入るものだ
それを、共通の自分らの人間的教義・格言に置き換えた解釈やルールを
信じ、従わないならば、お前は聖書的で無いという‥実は、こういうもの達こそが、
愚かな道を行く多くのモノ達であるという事であり‥イエスが言う、「主よ主よ」といいながら
外の暗闇に放り出されるモノたちである‥なぜなら正しいモノは「少数」
そして「彼ら」と対峙してる所に居るっちゅ訳で‥ 僕は牧師先生全員が大っ嫌いです。なぜなら、神が養ってくれる、神が導いてくれる、神が与えてくれる、と言いながら、全部自分で信徒から給料を巻き上げているからです。
僕が聖書から読み取るなら、神が養ってくれるなら、人を頼るな! と書きます。神が導いて
くれるなら、自分で自分の人生の責任ぐらいとれ!と言います。神が与えてくれるというなら、信徒から
金を一銭もとらずに本気で生きてみやがれとか思います。
甘える牧師ばっかりだから、甘える信徒ばっかりになります。
本当に神が自分の人生を切り開いてくれるというのなら、牧師になろうとしてなった奴はみんな
辞めちまえ、牧師になりたくてなった奴は、神を否定して、自分でなったんだから、神はお前らみたいな団体をつくって維持して、献金を湯水のように、自分の生活のために使うやつらのためにキリストを送ったわけじゃねー。 ∧_∧ 新約聖書そのものにしょっちゅう場面が
( ´∀`) 記載されてるでしょう、イエスが「律法学者・
( ) パリ祭人は災いである」と言っていたり
| | | 彼らがイエスに石を投じようとする場面‥
(__)_) だから常に「神の名を被る者達」にこそ偽善者だらけって訳なんですよ、いつの時代でも
そこが却って紛らわしいでしょうが、「キリスト教」が間違いでも、「聖書」は正しいという
認識に、一体何人が至れるでしょうかね 盛つ・・・・もしかして持つだろう。
なんだ馬鹿の痴呆症かよ、もう相手にしねえ。 牧師・沼田和也
https://twitter.com/numatakazuya/status/1044403573138763776
もちろん牧師にも私人としての自由がある。わたしがツイッターで自由に意見を述べるように。
だが汲み取りトイレやシロアリと格闘しながら牧会してきた身としては、
ホテルのような礼拝堂で、中古でも300万以上するような車に乗っている牧師が差別や抑圧云々を語るのを聞くと、複雑な気持ちにはなる。
https://twitter.com/numatakazuya/status/1044409235868532736
認めたくないことだが、「誰が」「どこから」ものを言っているかで、
同じ内容が感動的にも、とことん不愉快にも、変容するんだな。
あなたが「わたしは排除された」とか言うてもなあ、
こんなにゆたかな老後を過ごしてるやん、若い人たちの上にあぐらをかいて、みたいな。
https://twitter.com/numatakazuya/status/1044410380519301120
どんなお金持ちでも、マイノリティになりたがるんだな。
喉から手が出るほど、マイノリティと呼ばれる権利が欲しいんだな。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) Re: ごもっともなご意見です。
> 僕も親や牧師が教えるキリスト教の価値観と、世間一般の価値観との余りの乖離に苦しみました。
いじめられても反撃できず、更にエスカレートの繰り返しでした。にもかかわらず親はあなたが悪いのだから、ネ申様に
祈りなさいとか、いじめる人を許しなさいと放言するだけでした。
まるで私が書いた文章みたいに同感です。
> こちとら、殺したいほど
憎いのに、何故許さなければいけないのかが分かりませんでした。
私の場合、いじめを受けても、相手を「憎い」と思う感情すら
ありませんでした。
キリスト教的に洗脳されて感覚がマヒしていたのかもしれません。今、同じ目に遭ったら相手をぶん殴る・・・・ところまではいかなくとも、少なくとも何か仕返しをするのは確実です。
> 女性を好きになったり、性的な関心を持つことも罪だと
教えられ、クリスチャン以外の女性は好きになってはいけないと教えられました。
>
> 専門学校に入学して、ある科目でサブカルチャーについて
勉強しました。(ゲイとかロリコンとかSMとか)。キリスト教で純粋培養されてきた僕は、そういうことは悪で、知らなくてもいいこと。と思っていた
のに、講師は知っていて当然という態度で授業を進めたので、自分の無知に悔しさを覚えた僕は、書店に行って、サブカルチャーについて書いてある本を立ち読みして、ある程度の所まで知識を得ました。
私の通っていた教会は、地味で穏やかな教会でした。そして、あからさまに恋愛や同性愛などがダメとも教える
こともありませんでした。
しかし、キリスト教の教えに洗脳されていると、「世俗的な楽しみ」に罪悪感を覚えるようになってしまうんですよね。
例えば、イエスは「お金持ちは不幸である」というようなことを言っていますから、私が社会人になって貯金が増えてくると、お金をたくさん持っていることに
罪悪感すら持っていたほどです。
あのままキリスト教に洗脳されたままだったら、もしかして教会のために
大金を捧げていたかもしれません。
こうなると霊感商法と変わりません。 ∧_∧
( ´∀`)そういうのは聖書で言うと
( )盲人が盲人の手を引けば二人とも穴に落ちるって
| | |奴です、前者はキリスト教であり、後者はキリスト教信者
(__)_) なぜキリスト教は、聖書に書かれていない教義を勝手に作り、
紙の教えより自分たちの人間的教義を優先するのですか、偽善者だからに
他なりません、そしてそれはすでに悪の実を結んでいることが明らかである
真理を冒涜したのだから、普通誰の目にも地獄に落ちるほどの悪を犯しているのは
当然、しかし盲人にはその認識や感覚すらない、これが悪人であり、盲人であり、
真理にいたれない者ということです、そんな者が真理の世界にいけるわけもない
教会に騙されて終わりです、ただのあほです、 Re: タイトルなし
> 天国の解釈については、桃栗さんが教会にいた頃に比べ、若干の変化が生じていると私は思います。
> イエス様に「私はあなたがたを全然知らない。」と言われる対象が、
> もしかしたら自分たちなのではないか?と、牧師たちに怖れが生じているんです。
> 聖書をよく読めば、確かにそうなんです。
>
> そうした背景があるので、このテーマを語られることが少なくなってきたと思います。
> 少なくともあまり強調されなくなった、とは言えます。
確かに、天国の情景について教会で教わったのは、
その1回だけしか記憶がありません。
結局、牧師も含めてクリスチャンは天国の情景について、
それぞれに一定のイメージを持っているのでしょうが、
その根拠や由来については関心がないのかもしれません。
特に、牧師さんなど聖職者にとっては触れられたくない箇所かも知れません。
天国の情景だけではなく、クリスマスツリーややイースターエッグなど、
クリスチャンが当たり前だと思っていることの根拠や由来を調べると、
聖書と全然関係ないことが多い、ということに私は関心があります。 > 又元有名俳優であったT,H氏によれば天国と言うところはその人その人が望むようなところ、その人にとって一番心地よいところと言って
いたことを思い出します。キリスト教が言っている天国と称している
ところははたして万人にとって天国なのかどうなのかは解らないと言うことだけは言えると自分は思いました。
長文となってしまいましたが是非ご意見をお聞かせいただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
私の思うに、天国というのは現実逃避の場です。
人間なら誰でも永遠に生きていたいと思いますよね。
しかし、それは不可能なのが分かっているから、
「この世で死んでもあの世で生きていける」と現実逃避するのです。
また、身近な人を失うと悲しいですよね。
その悲しさを和らげるために「天国」という場を想像し、
「あの人は死んだけど、あの世で生きている」と信じて悲しみを和らげるのです。
別に、現実逃避することは悪いことではありません。
むしろ、この世の辛さ、苦しみなどを和らげるために必要な場です。
ただし、クリスチャンの場合は、
まるで自分たちが特権階級にでもなったかのように、自分たちが天国に行けることをひけらかし、神を信じない=天国に行けない人たちを見下すのが不愉快なのです。そういう風に言うと、決まってクリスチャンからこういう類の反論があります。
「そういうクリスチャンは本当のクリスチャンじゃない」
「そういう信仰は正しい信仰じゃない」
「本当のクリスチャンならそんなことは言わない」
クリスチャンは、何か自分たちに都合の悪いことが言われると、それは正しいキリスト教じゃない、それは本当のクリスチャンじゃないなど、
言い訳ばかりして自分たちの正当性を主張します。では、正しいキリスト教って何ですか?
本当のクリスチャンってどんなクリスチャンですか?正しい信仰ってどんな信仰ですか?
クリスチャンが言う「本当」とか「正しい」ってどういう意味なのでしょう。
結局、それぞれに自分の判断基準こそが正しいと信じて疑わないのです。この記事に書いた通りです。 Re: ほとんどのキリスト教徒は天国へは行けないんじゃね?
> キリスト教嫌いの私の意見ですからかなり的外れかもしれませんけど、
> 信仰歴の長さが救済に比例しないとするのはあくまでも教会が触れないだけで、クリスチャンになれば誰でも天国へ行けると勘違いしているか、もしくは教会があえてそう教えている
詐欺的商法に引っかかった人の主張だと思うんですよ
> 桃栗さんも分かってるんだろうけど、キリスト教が信仰歴に触れないのはただ単に教会の経営戦略だと
思います。改宗しても最後の審判で神に裁かれますって言えば、誰もクリスチャン
になって募金なんてしないですよね。何も知らずに天国へ行けると盲信してる
人が神に裁かれる(いると信じてんなら裁かれるよね)なら、滑稽じゃね?
やはり、信仰歴の長さと救われるか救われないかの可能性については、
教会ではタブーになっているのか誰一人として触れないのです。
そして、クリスチャンが死んだら、
なぜかそのお葬式では
天国に行けたことにされているのです。
死の直前に病床で
洗礼を受け(させられ)て一度も教会に来たことがない人も、
やはり天に召された
ことになっていましたから。
キリスト教は、その場その場の都合でなんでも美化してしまう宗教です。 @全知全能とかいう厨二病設定の癖に、その力の片鱗も見せない。
A生まれつき原罪とか言う訳わからん罪を持ってたのをイエスが清算してくれたんですよ、感謝しなさいよっていう恩の押し売り。
特にAなんて、モラハラ野郎のやり口と一緒じゃん。
悪くもないのに「お前が悪い」と思い込ませ、お前は助けて貰ったんだと恩を着せる。
知らんがな。こんなん信じる奴の気が知れん。 この掲示板にも子供を産むのは子供の事を
考えてないというスレがあるがその通りです。 毎年日本の出生数は3万人は減少していく。
そうなると昨年の出生数が94万だから、あと
32年で出生数0になる。 教会にお試しで通ってみた感想だけど、最初は耳障りのいいことを言う。嘘は良くないとか人に優しくしようとか。
でも少し聖書を読み進めるとすぐにきな臭くなる。信仰心を試すとか言って息子を生け贄に求める、親父はなんの疑いも持たずに捧げようとしてるし。
そもそも全知全能と言うわりにはソッコーで楽園に蛇が入り込んでるし。警備の天使何してた。
人に優しく、隣人を愛せ、ここで言う「人」とはクリスチャンのこと。異教徒は犬扱い。犬にパンはあげられないとか言い出して相手がテーブルからこぼれたパンくずならよろしいでしょうかとかへりくだってやっと人間扱い。(パンとは恵みのこと=クリスチャンになります)
つづく 日本人が外国で好かれてると思うの
バカなんじやないの。 私はキリスト教世界に生きていました。
以前の投稿をお読みになった方ならば、私がどの様な世界に生きており、また現在キリスト教に対してどの様な感情を抱いているのかお分かりだと思います。
キリスト教の世界では、神・主イエスへの服従が尊ばれ、その生き方に向かって歩むのがクリスチャンの人生の目的とされています。それ自体は素晴らしい生き方だと思います。しかし、日本のキリスト教の教育は歪んでいます。
自己謙遜という名目で、実際上は自己卑下の生き方を徹底的に教え込まれます。
自分を価値の全くない罪人として、尊厳を全て剥奪され、だから神の救いが必要なのだ、神の救いがなければ生きていけないのだと叩き込まれます。
それは教会学校であったても、説教であっても、神学校であっても同じ教育です。
現在の日本のキリスト教は人間本来が持っている善性、尊厳、価値を根本的に否定します。
教会にとって人間性の全否定こそが、神への服従の根拠となるのです。
これが文字だとどれほど恐ろしいことか十全には伝わらないと思います。
人間性の全否定の烙印を押された信徒は、自分の価値・潜在能力を根こそぎ奪われた人生というものに喜びはありません。歪んだ偽りの喜びはあります。
それは「こんなどうしようもない自分を生かしてくれたてありがとうございます」という自己卑下から生まれる感謝です。
また、そんな自分を受け入れて繋げてくれる神と教会への感謝のしるしとして献金をしなければならないという強迫観念です。
過去の自分を見ると、なんて愚かな考えに支配されていたのだろうと感じます。 私はキリスト教世界に生きていました。
以前の投稿をお読みになった方ならば、私がどの様な世界に生きており、また現在キリスト教に対してどの様な感情を抱いているのかお分かりだと思います。
キリスト教の世界では、神・主イエスへの服従が尊ばれ、その生き方に向かって歩むのがクリスチャンの人生の目的とされています。それ自体は素晴らしい生き方だと思います。しかし、日本のキリスト教の教育は歪んでいます。
自己謙遜という名目で、実際上は自己卑下の生き方を徹底的に教え込まれます。
自分を価値の全くない罪人として、尊厳を全て剥奪され、だから神の救いが必要なのだ、神の救いがなければ生きていけないのだと叩き込まれます。
それは教会学校であったても、説教であっても、神学校であっても同じ教育です。
現在の日本のキリスト教は人間本来が持っている善性、尊厳、価値を根本的に否定します。
教会にとって人間性の全否定こそが、神への服従の根拠となるのです。
これが文字だとどれほど恐ろしいことか十全には伝わらないと思います。
人間性の全否定の烙印を押された信徒は、自分の価値・潜在能力を根こそぎ奪われた人生というものに喜びはありません。歪んだ偽りの喜びはあります。
それは「こんなどうしようもない自分を生かしてくれたてありがとうございます」という自己卑下から生まれる感謝です。
また、そんな自分を受け入れて繋げてくれる神と教会への感謝のしるしとして献金をしなければならないという強迫観念です。
過去の自分を見ると、なんて愚かな考えに支配されていたのだろうと感じます。 今、私はキリスト教世界から解放された人生を歩んでいます。
イエスの教えの素晴らしさは尊重しますが、いわゆる教会が教える事柄はもはや信奉していません。しかし、私が今の様に人間性を取り戻すには多くの時間がかかりました。
長年に渡って当たり前のように刷り込まれてきた価値観というものは簡単には消えません。
それは心の中に染物の様に染み込んでいます。隅々に渡って漂白することは短時間ではできません。
私は自分が今まで手を付けなかったような本を読むことを通して、色々な価値観を触れました。
その様なリハビリ作業によって徐々に支配されていた価値観をいつしか俯瞰することができるようになりました。完全に支配されているときは、その価値観に疑問すら抱くことができないものです。
その状態から脱却できたということは、自分が人間性を取り戻し、解放されたのだという証拠だと思います。
現在、この様な自分の復帰をかけるということが奇跡的なことだと思います。
私は人一倍キリスト教世界で生きることにのめり込み、その世界が最も正しいものであると確信していました。
それゆえ私はキリスト教が教えているように、自分という存在に全く価値を見出していませんでした。自分に価値を見出すということが罪だったからです。
深淵に突き落とされた状態から、復帰できたことで、私は本当の意味での人間の価値、生きる価値、人間性、人間の尊厳というものを実感しています。
多くの人はこれらを当たり前のように感じているかもしれませんが、私にとっては一つ一つが非常に貴重な宝のようなものです。 日本人が世界から嫌われてる。
日本の将来も暗い少子高齢化社会で若者は減る
いっぽうだから。それを喜んでいる国もいる東アジアにね。 冷戦が終わり日本の存在価値がなくなったから
日本の将来も暗い。 中国の昨年の出生数1785万人
日本の出生数94万人 キリスト教社会の闇
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_ha/_floorA6F_ha.html
キリスト教ヨーロッパが中南米を侵略した際に、1000万人以上の原住民インディオが、イエス・キリストの名において殺された。
その他の虐殺を合計すれば、キリスト教会が犯した宗教的殺戮は、1億人を超えるといわれている… 新井白石の話も出てるが
他にもルイス・フロイスが日本の農民に宣教した時の事を書いた手紙に
日本の農民は頭が良く自然科学方面の話には興味を示し理解が早いけど
キリスト教の宗教的な理念の話になると合理的でないと聞く耳を持たず
日本に派遣する宣教師はこのことを理解して、天文や自然科学の知識があって
かつ論理的な人物でないと難しいとある
日本人はもともと
全知全能のはずの神なのに、信じる者は救われる=信じない者は救わないと言う考え方に懐疑的だったってこと >家庭は心の憩いの場所であると共に、愛の戦場だ。
>愛の戦場からの兵役逃れに人は魅力を感じ、その教えに耳を傾けるだろうか。
名言ですね。
独身制たる理由が「子供がいたら相続問題が…」と言うけれど、そもそも教会の財産は公的なものであり神父個人のものではないと考えれば、相続問題など初めから無いはず。(子供が一人であろうと複数であろうと。)
それでも相続問題が起きるのが懸念されるなら、それに関するルールを決めれば良いだけの事。
カトリックが神父の独身制を廃止できない理由は、小生が思うに、当方氏仰るように「愛を家庭という形で結実させる自信がない」という事が一つ。もう一つは、「神父は世俗の下々とは異なる特別な(使命を持った)存在である」という(変な)自尊心ではないかと推測します。
勿論、世の中には、その時々に於いて特別な使命を持った人達は居ると思うけれど、それが「家庭を持たない」使命である必然性は全くないように感じます。
カトリック含めキリスト教がこの2000年間に果たしてきた役割は非常に大きいけれど、旧来の教義や慣習は、今のこの歴史の大転換期に於いては、輝きを失ってきたと感じます。 Re: 初めまして
> 私は一宮城県民です。幸いなことに3.11大震災で私の家族や家屋、親戚、殆どの友人は無事でした。行方不明になった知人が1人いますが、被災者でなかっただけで幸運でした。グラハムのことなら私も今年3月の記事「震災を利用する者たち」で取り上げています。
>http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/c546df8cba22d5db42c6e27be118b4eb
ご訪問ありがとうございます。
クッキングホイルさんおブログでmugiさんのお名前は拝見していましたが、
mugiさんのブログは一度も見たことがありませんでした。
しかし、その「震災を利用する者たち」の記事を読むと、
私と考え方が一致する部分が多いことに驚きました。
>昔から「タダくらい怖いものはない」というではないか。
>「見返り」 を求めない支援などあるのだろうか。
まさにこれは同感。
結局、あの手の伝道は震災に遭った人の弱みに付け込んでいるのです。
被災地に行って聖書を配るとはなんとおマヌケなのでしょう。
お金や食料や住宅よりも聖書が大事だと思っているアッパレな人たちですね。
そういう人たちは、何も食べないで聖書だけで生きて見せればいいのです。
> 私は小学三年生の頃、校門の前に陣取っていた白人宣教師に「キリストを信じない者は地獄に落ちるからね」と脅されたことがあります。それが私の耶蘇嫌いの原点でした
私は、この教えを小さい頃から教会で聞かされてきたがために、
ずっと死後の恐怖を背負いながら生きる羽目となってしまいました。
キリスト教とは、信者に死後への恐怖心を植え付け、教会につなぎとめる宗教なのです。
教会側は、「そんな風に教えたつもりはない」と言ってもムダです。
雰囲気や言葉遣いだけはきれいですが、
結局は死後への恐怖心を植え付けて献金や懺悔をさせるようにできているのです。 少子化と放射能汚染は解決できないから。
人口減少も続からね。 Re: 手法は説かない?
> 奇異に感じたのですが……、「罪とキリスト様による救い」を説くだけなのですか?
これが教会の説教でよく取り上げられるテーマですね。
2年前の大阪のフランクリン・グラハム大会の時もそうでした。
日本の宗教は罪を救えないとか、罪を救えるのはキリストだけだとか、
もうお前はそれしか言うことがないのか?と思うほどでした。
> 私は「歩んだだけ、行っただけ、救われる(磨かれる)」とお寺で学びましたが……。
>
> 『「利他」の善行により、自らが磨かれ、自らを救う』
>
> そんな意味合いです。つまり「自分を救うのは自分」。日本の諺で言うなら「情けは人の為ならず」?最近、この意味を理解してない人が多いですけど。
「情けは〜」についてですが、言葉の意味が時代とともに変わるのと同じように、
ことわざの解釈も時代とともに変わるのではないでしょうか。
「自分を救うのは自分」の部分は同意です。
現実の世界では、いざと言う時に誰も助けてくれないものです。
> 「祈れば、信じれば誰か(神様)が助けて下さる」と言うのは……、言っちゃ悪いですが、確かに阿呆ですワ。
> 「んーなバカな話あるかい!」ですよ。
> 「他力本願」。こんなん教えられたらたまったモンじゃないですね。「自分で未来を切り拓いていく子供」に教えるものではありません。
世の中、信仰だけで解決すれば苦労はしませんよね。
まずは自分が努力しなければならないという現実を子供に教えるべきです。
私は、純粋な気持ちで信仰していれば、
いつか神様が手を差し伸べて下さるといちおうは信じていましたが、
本当に無駄な信仰生活でした。 生まれるから不幸になる、産まれなければ苦労や不幸もない。
いつ死ぬか分からないけど死ぬまで生きれ。 子供産むのは子供の事を考えてない。
子供に苦労させるために産むようなものだ。 勝つと
意外と何を言われても響かない
負けるから
何か言われても悔いのである
最初にすべきことは
勝つことである おめーら過去にキリストの名の下に散々悪事働いてきたじゃねーかw
十字軍然り奴隷貿易しかり・・・なんてことない、神様に責任押しつけているだけで自分の行動に関しては抑制できていないってだけじゃねーか。
そもそも懺悔すれば贖罪されるなんて都合の良い事をずっとやってきて、あまつさえ免罪符だかを金で買ってたんだろ?
「地獄の沙汰も金次第」なんて言葉がこっちにはあるが、少なくとも何かやらかしたら地獄行決定されている時点で、現世での金で免罪されるよりかは遥かに道徳的だ。 切支丹取締の理由としてよく挙げられるものとして「神の下に人類は平等とかいう教えは幕府としては気に入らなかった」というのがあるが、
その手の「幕府(やら大名やら)は全て悪の独裁者で民衆は抑圧され思想や言論を厳しく統制されていた」的な見方はパヨ系の教師の与太話w
当時のキリスト教ってのは、神は絶対の存在であり、その神に祝福された白人こそが真の人類であり至上である。
有色人種は類人猿に近い亜人類(ヒトモドキ)で、平等なのは人類である白人同士だけだが、亜人類であっても神を信仰し白人に仕える事で神の国へ近づける、みたいな感じでね。
その教義でもって日本人(連中から見ればニッポンヒトモドキ)を信者として洗脳して海外に連れて行き奴隷として売ってたのが発覚してたのよ。
中には奴隷商人と結託して領民の娘を売っては火薬やらなにやらを買い込んでた大名やら豪族なんてのがいてね。
そんな大々的に人身売買なんかされたらそりゃ幕府だって怒るだろと。 そりゃ
これだけコテンパンに負けりゃ
文句のひとつも言いたくなるわな >>34
ゴーマンていうか、預言者気取りの変なやつって感じかな
ユダヤのラビの教えを否定したり
宮殿で商売してんじゃねーよ!ってムチ振り回して暴れたり
決して温厚な人じゃないしKYなとこあったから>キリスト >>1
自分は元キリスト教徒だが、今はよくわかんねー
教会で見たものは醜かったし
最近も分裂だの破門だのあったし
イエス・キリストは多分好き
でも教会にはもう行きたくない >>9
イジメに遭ってる子供がうちの牧師(アメリカ人)に
イジメられてるんです、と相談した。牧師の返事は
「神に祈りながらブン殴れ!ヨシュア記を読め!敵は殲滅せよ
殴り方はこうな、相手が複数の場合は云々…
君が勝利することを我々一同が神に祈っている、
サタンに屈するな!」って凄かったw
「あのー右の頬を殴られたら左の頬を差し出せって聖書に…」
「細けえこと気にすんな!そんなことしたら舐められてアイツはイジメても大丈夫な奴って
周りのやつが思い始めるだろうが!サッサとやり返すんだよ!」
結局いじめられっ子が勝った
アメリカ人は合理的だなあと思ったのを覚えてる 論戦は走り幅跳びと同じである
8mしか飛べない人が100万人雁首並べていても仕方ないのである
9m飛べる人が一人いればよい ∧_∧
( ´∀`) そっす‥
( ) だから聖書とキリスト教は
| | | 全然違うっつ‥サタンというのは、
(__)_) 真理の鍵のすぐそばに立ちはだかってるって訳です、それが宗教 ∧_∧
( ´∀`) お前が出てくると
( ) むかつく訳では無いのだな
| | | で‥
(__)_) キャンピングトレーラーなどにも
引っ掛からなくなってまいりました 外国人のキリスト教徒は良くて、日本人のキリスト教徒だけが
嫌いって完全に差別じゃん 気持ち悪い 新顔で失礼しますが、どうしても聞きたいことがあるもので・・・。
みなさんは、ずっと教会を実家として生きてきたことでしょう。
その中で、信仰が厚くなったり薄くなったり、いろいろあったことでしょう。私も、高校卒業までは『将来は牧師』を目指していましたし、それが神の御心だと思っていました。なので、大学卒業したら
神学校へ行こうと決めていました・・・が、その大学時代、実家を出て他のいろんな教会を見て、『キリスト教ってこんなものだったのか?』と、強い失望を味わいました。それは、牧師やクリスチャン達の強烈なまでの排他主義的信仰観や、『信仰という名の虐待』
を経験したり目の当たりにしたりと、それ以前の教会観、キリスト教観が覆されたからです。しばらく、教会から遠ざかり、信仰を捨てようとさえ思ったものです。
今ではなんとか首の皮一枚で留まっていますけどね(笑)
そこで、みなさんにお伺いします。牧師の子としてこれまでに、『キリスト教・教会ってこんなもの?』
と、キリスト教界に失望した経験はありますか? キリスト教のプロテスタント教会は一回つぶれた方がいい。
建設的な意見として書きます。
はっきり言って、日本各地にあるカトリック(と聖公会正教会)以外のプロテスタント教会は、あるだけムダです。
キリスト教系の大学のみ残して、あとは全部なくした方が自分たちのためでもあります。「反キリスト教会」で言ってるんじゃありませんよ。
プロテスタント教会は、組織化されてないから教理(教え)とかめちゃくちゃです。
組織的になってないから、牧師同士で教理について、社会問題について、議論して切磋琢磨する機会なし。
そのくせ、集会のメインは牧師の説教なもんだから、牧師の一個人の意見がすべてになって危険極まりないのです。
だって説教は牧師の思いつきなんだから。例えていうなら、プロテスタントは民進党です。個人個人が好き勝手にギャーギャー言って、なんにも話が深まらないのです。そういう牧師に、信徒からの献金の5〜8割が支払われているそうです。統計によると。
結局、ボクがプロテスタントなんていらないと言う核心もココにあります。
要するに、牧師とその家族を養うために、信徒は毎週教会に通って、大切なお金を献金してるのです。
しかもその額がハンパじゃない。
1回の集会で差し出す献金は、だいたい1000円が目安とされているそうです。
それプラス「十一献金」といって、信徒が汗水たらして働いた給料の10分の1を教会に献金する制度もあります。
ついでに献金の規模について書いておきますね。日本のプロテスタント教会の一教会あたりの出席者数は平均で20-30人と言われています。さらに、中央値(一番多い数)は、10人程度。
だいたい信徒は家族で来るから、3-5世帯で、牧師とその家族を経済的に支えていることになります。
ほとんど超高齢化が進んだ社会なみの負担の重さです。とにかくプロテスタントの信徒は、教会というか牧師に尽くしています。それもブラック企業レベルで。
信徒の側からすると、毎週教会に通って、給料の10%近くを献金して、それで得られるのは牧師の思いつき説教。 明治以降、欧米の文化、習慣を取り入れ先進国になることを国是として
発展をする過程で、キリスト教会、あるいはその精神を活動に取り入れた医療機関や、教育機関を通してキリスト教
の布教に、膨大な人員と多大な費用を投入したもかかわらず、キリスト教信仰を求める日本人は、ごく一部に度どまり、さらに戦後、信教の自由が
認められ、誰でもキリスト教に入信できるのにも関わらず、未だに全人口の1%にも至りません。
これは入信の際に契約を伴う(法的な拘束力は全くありませんが)
宗教は日本人には合わないからでしょう。
日本人は古来から多神教の環境であり、複数の信仰を持つことに違和感を覚えない他、キリスト教のように
『信仰と思想を絡めた主義主張』がないため、、日本古来の神道と大陸から伝来した仏教とは良好な関係を築いています、あるいは山河や樹木に
神が宿る故に自然を尊ぶという信仰の他、神社で神が宿るというご神体に手を合わす姿など、日本古来の文化や風習とも調和を保ち共存しています。
しかし、海外から来たキリスト教宣教師、特にプロテスタント教会
ではこれら日本人の持つ宗教観
を理解しようとせず、逆に仏像に手を合わす姿を偶像礼拝あるいはサタン崇拝と決めつけ、山河や樹木、先祖が敬う信仰対象になっている姿を、原始的で劣った
信仰であり、根絶やしにするべきだと主張していたことを覚えています。
異なる価値観を認める寛容さは
他の信仰や文化に対する敬意であり、自身の信仰心を貫く決意とは別であると私は見ています。自身の持っている思想、宗教、価値観を他の人や国家に押しつけず、互いに認め合い、共存していくのが
愛であり、平和に至る道ではないかと考えています。
この考えが日本人の美徳であり、また識字率を見ても判るように、開国以前から勤勉さと高い教育水準を
保っており、幕末から欧米文化が流入後、わずか100年で欧米先進国と肩を並べる経済や
文化水準になったのはそれ故です。
残念ながら、大多数のプロテスタント教会、及び海外から来た宣教師
はこの日本人特有の価値観の尊さを理解していないようです。 キリスト教は愛や許し、寛容さを唱えながらも、一方で、自らの価値観が絶対正しいと主張し、力づくでも押しつけ、宣教の名の下に、異教徒を
屈服させ、多くの文化を破壊し、古代、中世ではインカ、アステカ、近代ではアフリカ、中東、東南アジアなどでは
植民地支配による搾取、資源の略奪、人種差別などが広がり、当事国には荒廃した国土と貧富の格差が広がり、新たな争いの
火種となっており、彼らの信条とは異なる結果を招いているのは歴史が証明しています。
欧米の価値観を含め、天地万物をすべて創造した、ただ一つの神が存在するキリスト教が唯一正しいと主張し、他の信仰対象は邪教と唱え、近代欧米の
砲艦外交が示すよう、に力を用いてでも、正当性を主張するキリスト教国家やクリスチャン像が、融和や協調性を重んじる
日本人には受け入れられず、明治以降、布教のために膨大な人材と労力を投入したにも関わらず、未だに日本の総人口
に占めるキリスト教信者数が1%に至らないのはそれ故です。
私も以前クリスチャンをしてましたが、この件に異議を唱えると、信仰の弱いもの、迷いがあるものと
決めつけられ、教会内で糾弾される羽目になり、最終的に棄教しました。
元プロテスタントより。 ∧_∧
( ´∀`) そうそう‥心と宗教板があるジャマイカ‥
( ) 教会に失望して信仰をも捨てるとは、
| | | 正に真理の前に立ちはだかる、サタンの思惑通りですね
(__)_) 聖書は正しく、その仲介業者である教会団体だけが躓きだと言うてるに ∧_∧
( ´∀`) 何せ、なぜ世界中の自称信者は、
( ) 居すらミック・捨ていつにしろ‥
| | | ハンムラビ法典やらモーセの律法に書かれている様な
(__)_) 殺すな、姦淫するな‥をさえ守れて無いのか?教えと全く逆の事をしているのか?
正しい教えの前に立ちはだかって、人々をその教えから遠ざけるためである‥ 【URIであーる】 国々の連合から、神々の連合へ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537936227/l50
日本に入ってきてるキリスト教は、残念ながらシオニスト製エセキリスト教 日本人クリスチャンって人間のクズだしな。日本から出ていけばいいのに。 日本に一神教は相容れないのよ。
神を信じれば救われるとかってのは自然災害大国の日本ではね…
神様を信じました、どれだけ熱心に信じても毎年台風や地震やその他の災害でボロッボロにされるからねwww
信じても救われない宗教じゃ信者は増えないのは当然
今世紀入ったくらいから、ようやく、受け入れの素地ができて来たような気はする。・・・神を畏れ(敬う)ってのが無くなって対等な契約系の考えが増えて来た感じがするからね この時代になってみると、日本の自然観も含めた精神的風土は
現在の科学的世界観に最も無理なくマッチをしているものの一つでもあると思う
そういう意味で、この精神的風土が、途中で他の一神教等に潰されずに、この時代まで生き残った事は日本自身にとっても大きな「勝利」であり、また現存の世界にとっても大きく資するものの一つともなっていると思う。 >>319
牧師が韓国人だったことが判明
道理で韓国ゴスペルとか、韓国教会との交流とか
韓流ゴリ押しが酷いと思った
「親分はイエス様」も在日ヤクザが韓国行って十字架背負って回る話だし
なぜ韓国?意味わかんねえ、とゲンナリ
なので民主党=プロテスタントというここのレスに超納得
あと日本基督教団と早稲田のテロ組織の住所が同じです
自分日本基督教団でずっと汚鮮されてきて
サヨクや朝鮮半島にはホントうんざりなんで抜けました >>319
今はブレズレン派というプロテスタントの一派にいます
牧師は欧米人で、ウォッチマンニーの流れを汲むところです
白人至上主義ではないのですが、とりあえず白人なら
コリアンがなりすましてる可能性はありませんからね
その点は安心できます
ご存知と思いますが、ウォッチマンニーは中国共産党に殺されました。
復讐心を持つのはよくないですが、我々ブレズレンは中国の地下教会に
中国語の聖書を送り続けています。
中国の地下教会は水面下でどんどん増えており、
いつか中国共産党を内側からボロボロに食い破るかもしれません。
ローマですらキリストに屈して滅びたのですから
中国が滅びない保証はないのです。
まあ我々はただ聖書を黙って送り続けるだけですがね 日本人のキリスト教徒が大嫌いなどと良識に欠けることを言ってる人は
マーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』という映画を見て欲しい
日本でキリスト教を信じてるというだけで酷い拷問にかけ殺した歴史が描かれている
「踏み絵をしないと家族を焼く」と脅す、「波打ち際に張り付けて徐々に迫る水で殺す」
日本人がキリスト教徒にして来た冷酷な拷問と虐殺の数々・・・
まぁここの腐った人間が見ても「よくやった」「これは正しい行いだ」
「自分も現代のキリスト教徒に同じようなことをしたい」と思うのかも知れないが >>336
自分、日本人のキリスト教徒だけど
日本基督教団がサヨクテロリストの巣になってる事実をどう思う?
牧師や神父のなり手が少ないせいか、
在日コリアンがやたら多いのも事実だし
在日コリアン牧師は世界中で強姦事件を起こして問題になってる。
その在日コリアン牧師や神父が日本には非常に多いワケで
江戸時代の迫害とまた違った理由があるんだろうなと考えてるよ
嫌うな、というのなら在日コリアンに奪われたキリスト教界を
日本人の手に取り戻して、テロリストやサヨクと縁切りしないと無理だと思う
でも、日本人はすっかりキリスト教に不信感持ってるから
おそらく不可能だと思うんだよね
在日コリアンを全員祖国に強制送還出来れば、可能性もあるけど >>336
今、日本人にとってキリスト教のイメージって
・牧師がレイプ、とか
・テロリストと繋がってる、とかだと思うんだ
同じキリスト教徒同士でも何か嫌だと思うし、他宗派に対しては
「この人は日本人か?」「西早稲田のテロ組織と繋がりはないか?」
って疑いの目で見てしまう
あの映画は素晴らしかったけど、今はあんなことされてるわけじゃないし
ネットで「嫌いだ」って言われるくらいは我慢しようと思うよ
だって嫌われるだけのことやってるし。
貴方が怒るべき相手はキリスト教徒を名乗りながら日本でおかしなことを
やらかしてる連中だと思うよ。 宣教師が黒人奴隷(弥助)連れて物扱いしてどや顔していた時点で、「こいつらやべぇだろ」と思われてたし。
さらに日本人を輸出品にしていた某きりしたん馬鹿のお陰で「あいつら頭おかしい」「好きにさせると黒い奴らの二の舞になる」と正しく危険性を理解できたから。
特に信長に連なっていた連中は弥助から西洋人の本性を聞けていただろうことが大きいと思われ。 言うまでもなくキリスト教は一神教ですから、
他の宗教は一切認めないことになっています。
しかし、前回の記事に書いた通り、クリスマスは他宗教のお祭りに由来しています。
それが、長い月日の間に無意識のうちにキリスト教に取り入れられたのです。
そして、実は日本のキリスト教も、
無意識に日本の宗教の影響を受けていることに
クリスチャンは気付いているでしょうか?
1月1日と言えば、日本人はこぞって神社に初詣に行きますよね。
普段、宗教とは全く無縁の生活を送る日本人も、
元日だけは初詣に行くという人が非常に多いです。
そしてもちろん、キリスト教信者は基本的に初詣には行きません。
個人的に観光目的で行く人はいるでしょうが、
キリスト教では、行事として他宗教の神社にお参りする習慣はもちろん全くありません。
しかし、日本のキリスト教も、実は元日にある行事をする習慣があります。
そう、それは「元日礼拝」です。 聖書には、別に元日には神を賛美せよなどという記述はありません。
もちろんイエスもそんなことは全く言っていません。
では、なぜ日本の教会は元日礼拝を行うのでしょうか?
答えは簡単。
日本人として、元日に何もしないのは物足りないからです。
だから、元日礼拝と称して日本の初詣のまねごとをするのです。
こうして、無意識のうちに日本のキリスト教は日本の宗教の影響を受けているのです。
もう一つ、日本のキリスト教のお葬式も日本の宗教の影響を受けています。
私の知る限り、日本のキリスト教の葬儀にも通夜があります。
もちろん、聖書には葬儀の前夜に通夜をせよなどという記述はありません。
これも、無意識に日本の風習がキリスト教に取り入れられたのです。
また、私が今までに何度か立ち会ったキリスト教の葬儀では、
火葬場での「お骨拾い」がありました。
炉から出てきたお骨を菜箸のようなもので拾い上げるあの儀式です。
葬儀は教会で行われるのに、お骨拾いが日本の風習に従って行われることに、
滑稽さを感じてしまいます。
しかも、私が体験した葬儀ではお骨拾いの場で讃美歌を歌ったのですから、
私は恥ずかしくて仕方ありませんでした。
別に、他宗教の風習が取り入れられることが悪いというわけではありません。
宗教、文化、風習というものは、
長い年月の間に様々なものがお互いに影響し合って成り立っているのですよ。
やれうちは正統派キリスト教だの伝統的キリスト教だの言っても、
結局は無意識に他の宗教的習慣や儀式を取りれてるものですよ。
クリスマスにチキンを食べるのもイースターに茹で卵を食べるのも、
どこかの風習が知らず知らずのうちに取り入れられているのです。 >>337-338
日本基督教団がサヨクテロリストの巣になってる事実なんてないよ
あるなら今までにどんな事件があったかいくつか挙げてみな?
「在日コリアンがやたら多い」というソースは?君の主観では?
まぁ韓国はキリスト教徒が多い国だから「やや多い」ぐらいは言えるかも知れないが
「キリスト教がテロリストと繋がってる」ってのも君の妄想だよね
イスラム教はあちこちでテロやってるけどキリスト教のテロなんて聞いたことがない
仏教の僧侶が暴れてるのも見たことあるけど世界で一番信者の多いキリスト教だけは無いなぁ >>342
キリスト教が世界各国の植民地支配の前段階で宣教されていったの
には理由がある。それはキリスト教会の教えが服従の構造を生み出してくれるからである。
キリスト教は神、キリストへの服従、愛、受容(または寛容)、忍耐を教える。これら一つ一つは
素晴らしい道徳であり、これらを守り生活すればより豊かな人生を歩めるだろう。しかし、これは個人レベルの話しである。
民族とか国家という大きな枠組みでキリスト教の教えを受け
入れてしまったならば、それは悲劇をもたらすことになる。
支配者にとって被支配者はなるべく自分たちに従順であることが望ましい。その次に望ましいのは
不満を持ちながらもそれを爆発させずに反抗しない被支配者である。
キリスト教の教えは被支配者に服従の構造を与えてくれる。
たとえ、自分たちの支配者が自分たちに不利益な行いをしようと、愛と受容と忍耐を教え込まれた被支配者たちは、支配者たちに抵抗することは無い。
それは、抵抗することは教会が教える愛の精神に反するからである。殴られたら殴り返すのではなく、ただ無抵抗に耐えるのが教会が教える愛と受容と忍耐である。 >>342
日本基督教団ではないが、カトリックは既に公安警察の監視下に置かれているそうだ。
公安警察によれば、在特会よりも危険だそうだwww
↓下記参照
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