子供を作る事が一番子供の事を考えていない!74
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
人は自分の為に生きている
親が子供を一番に考えてるなんてありえない
子どもがいる方の閲覧はご遠慮下さい
子どもがいる方は書き込まないで下さい
☆ ローカルルール ☆
・子どもがいる方の閲覧はご遠慮下さい。
(不愉快な気分になる恐れがあるからです)
・子どもがいる方は書き込まないで下さい。
(親目線のお説教、罵倒等は無用です)
・スレの本題からかけ離れた無根拠な悪口・決めつけは止めましょう。
※ 上述はスレの流れが荒れる要因ですので遵守して下さい。
・否定したい時はまず意見を聞いてから言いたい事を相手に説明する事。
お互いに相手の考え方や価値観を尊重し合うようにしましょう。
子作り否定者のみのスレ進行を希望される方は下記スレへどうぞ。
子作りは大罪 59 (ワッチョイ)
http://krsw.5ch.net/...i/mental/1523783861/
前スレ
子供を作る事が一番子供の事を考えていない!73
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1525211921/ 一応どういうヤツが粘着してるかな
187 名前:マジレスさん (アウーイモ MMcf-bcUX)[sage] 投稿日:2018/05/08(火) 18:30:52.62 ID:FMU+ykp0M [1/2]
ここは、出生派が反論しても良いスレですか? >>59
いつになったら非対称性を証明してくれるの? お前は非対称を知らなくていいよ
決定論者だろ?生まれたら100%苦しむ100%死ぬという決定的な事から目を背けてる
まずその事を自覚することから始めような 粘着せざるを得ない心理状態
こいつはずっとこれに苛まれている
なにが幸福だって?
鏡を見ろ
自分をずっと偽り続けることが出来て他人にもこれを押し付けようとする
治療が必要なレベルだ >>45
わかろうとしない、またはわからないまま自分の書きたいことを書くあなたにとって都合のいい言葉ですね >>46
反論するのはかまいませんがあなたのは反論ではなく自分を励ます言葉を連投しているだけでしょう。
反論するのなら相手の書き込みをよく読んで、自分の考えをまとめてからレスしてください。
ごめんなさいと何度もあやまりながら同じことを繰り返さないでください。 >>62
何を根拠に決め付けているのかわかりませんが、私は決定論者ではありませんし、生老病死から目を背けてもいません。
純粋に非対称性について知りたいのです。
説明していただけませんか? Aさんがもし存在するとしたら、そこには苦と快が存在する。
苦が存在するのは悪いことで、快が存在するのは良いことです。
一方、Aさんがもし存在しないとしたら、苦も快も存在しません。
その場合、苦がないことは良いことであり、快がないことも悪くはないということになります。 >>68
>ということになります。
じゃなくて、
何故そうなるのかの説明をしていただけませんか? あるものの売買取引が行われるとき、売り手と買い手の情報に差があることを情報の非対称性といいます。
片方に比べてもう片方は情報が少ない、または誤った情報しか持っていない場合、売買は納得いく価格で行われないことが多いです。
なぜなら、普通買い手より売り手の方がその商品の情報を多く持っているため、無知な買い手を出し抜きやすいからであると考えられます。
情報量に歴然たる差がある場合の売買行為は、特に買い手は注意を払った方が良いでしょう。 「苦痛と快楽の非対称性」です。
ここでいう苦痛 pain とは害悪 harm の一例であり、
快楽 pleasure とは利益 benefit の一例です。ベネターはまず、
以下の2つの命題は議論の余地なく正しいとします。
(1)苦痛の存在は悪い。
(2)快楽の存在はよい。
快と苦を善と悪に対応させていることから、
功利主義的な考え方が土台にあることが示唆されます。
(1)と(2)からわかるように、苦痛の存在と快楽の存在の間には対称性が見出されるのですが、
しかし、苦痛の欠如と快楽の欠如との間にはこのような 対称性は見出されません。
(3)苦痛の欠如は、たとえそのよさが誰によっても享受されていない場合であっても、よい。
(4)快楽の欠如は、快楽を剥奪されたがゆえに快楽を享受できなくなるような人間がいるのでない限り、悪くない。 決定的な事に重要性を置いてるのか
なら100%死ぬのは決定的 BAD
死ぬのは100%嫌なのは決定的 BAD
生まれると100%死ぬ BAD
生まれないと死なない GOOD
決定的だな
出生や反反が例外的な死ぬのが怖くないだとかいう少数派もってくるなよ? >>71
>しかし、苦痛の欠如と快楽の欠如との間にはこ>のような 対称性は見出されません。
何故そうなるのかのの説明をしていただけませんか? そもそも出生行為自体に生む事による利己的な思考するだけで
出生主義者の思考そものモノが非対称な思考
現実逃避しているだけ
説明しろ論法が有効だと思ってるんだろうけど
自分が無知なのを連呼して自己紹介してるだけ 生まれたからには、幸せになりたいから、幸せになる=これから生まれる子供も生まれたからには、幸せになろうとして幸せになる。
ではありませんか? >>75
>苦痛の欠如と快楽の欠如との間にはこのような 対称性は見出されません。
>快がないことも悪くはないということになります。
何故このキモの部分の説明のみ曖昧にするのでしょうか? >>79
>>71
>苦痛の存在と快楽の存在の間には対称性が見出されるのですが、
先程と言っていることが違いますが、どういうことでしょうか? 快の為に生きているとしたら、苦があっても気にしない。 生まれてしまった人間はそれでよいが
それを生まれてないものを産んで存在させてまで味合わせるものではない
自分は気持ちが良いからといって相手をレイプしているようなもの ID:Cbum9qV5さんは論理が破綻してしまったようなので、
他にはいませんか?
快苦の非対称性について説明できる方? つまり
Aさんがもし存在するとしたら、そこには苦と快が存在する。
苦が存在するのは悪いことで、快が存在するのは良いことです。
一方、Aさんがもし存在しないとしたら、苦も快も存在しません。
その場合、苦がないことは良いことであり、快がないことも悪くはないということになります。 生まれて良かったと感じている人間がいる以上、 これから生まれる人間が、そう感じる可能性を完全に否定して生まないという選択はおかしい。 生まれて良かったと感じている以上
生まれて悪かったと感じる比較対象が存在しているため
その良は悪によってもたらされるものであって
良であって良でない
良があって良いとするならば GOODとするならば
悪はあってはならない BADになり
が、良はなくても良い NOT BAD
よって生むべきではない
もし良いと感じている部分しか見ていないならその思考はポリアンナ症候群という現実逃避であって
更に生むべきではない状態である 生まれて良かった。という気持ちは、生まれて悪かったと比較しての感じ方ではないでしょう。 今自分が持っている気持ちや感じている感覚に対する感謝が、生まれて良かったという感覚です。 もし良いと感じている部分しか見ていないならその思考はポリアンナ症候群という現実逃避であって
更に生むべきではない状態である もし生まれなければ、苦痛は無かった
と考える事の方が現実逃避に見えるのだが・・・ 非対称が分からないとかの前に物事が対称である事が分かってないんだから分からないんだろうな
幸せが幸せだけで存在してると勘違いしてる
不幸があるから幸せが感じられている事を理解できない脳で子供を生もうと考えてる事が悪だと擦りこんでおけ
出生反出生以前の知能だわ Aさんがもし存在するとしたら、そこには苦と快が存在する。
苦が存在するのは悪いことで、快が存在するのは良いことです。
一方、Aさんがもし存在しないとしたら、苦も快も存在しません。
その場合、苦がないことは良いことであり、快がないことも悪くはないということになります。
だから生まれなければ、苦痛は無かった
文章と全体の構成が理解できないから
一文だけで勝負しようとしてるんだろうな
そのうち単語で勝負すっか? >>88
生まれて悪かったと感じている以上
生まれて良かったとの比較対象が存在しているため
その悪は良によってもたらされるものであって
悪であって悪ではない。
悪はあくまでも、ない方が良いだけで、良はなくては生きる希望を失うので、なくてはならない。 苦があるから幸せを感じるのなら、苦がある事もまんざら悪い事でもないな
そして幸せは良い事、なら、結構、良い事多いのかも。
生まれなければ苦は無かったが幸せも無かった。
生まれれば苦もあるが、苦があれば幸せを感じる事が出来た。
そんなとこかな。 >>91
おう!いたんですね。
快苦の非対称性を理解できている人が。
じゃあ彼の代わりに説明していただけませんか? はい残念
言い換え当てはめ変えで頭使ってる気分になったんだろうけど
苦はBAD であるから無い方がよい
快はGOOD であるが無くても問題ない NOT BAD
よって生むな >>96
そうですね!
苦や悪い事も、あるからこそ、
そうじゃない時の幸せをより感じられるって事ですものね。 こいつはそもそも物事に対しての対称性理解してないから非対称が理解できる知能がない
何を納得して日々の暮らしの商品売買して生活してるんだろうな
そういうところから何も考えてない頭脳が議論ぶってる
商品の非対称性でも知恵つけたらいいんだけどな 苦は無い方がよい
快は無くても問題ないかな?
快の中に寝るや食べるが含まれてるから、ないといけない。 理解できない人は、すでに生まれている者の快と苦で比べてるからじゃないの?
だから快と苦の強度の問題とか人それぞれとかそういう誤解をしたままなんだろう
快はなくても問題ない、というのは存在してないから
苦はないほうが良い、というのは生まれて存在してるから
生まれなければ、快も苦も死もない
作られる前に「生まれたいからどうしても作ってくれ」と考える主体は絶対に無い
つまり作らなければ、作られる側のリスクは当然存在しない
良いか悪いかは置いとくとしても、これが事実ではないと言えるのはなぜなのか? 快は良い事ならずっと続けたらいい80年寝続けたらいい事なんだから寝続けたらいい
食事も良い事なら続けたらいい一日中飯を食い続けていたら100キロでも毎日米食ってみて
快が苦に変ったらダメだよ
そもそも生まれてない人間に快苦なんてないから
何の話してるんだ?
論点ずらすなよ 今日本で生きてる人で、すごく生まれて良かった人と、生まれたくなかった人とのバランスで、実質的な環境が同じだった場合、それでも生まれて良かったと感じている人と生まれたくなかったと感じている人がいる場合、あなたは、どちらを選びますか? 今まで読んでなかった
今まで知らなかった
今も理解できてないw 売り手 買い手
生む側 産み落とされる側
快 苦
ほらよく考えろよ
わからないなら言う事をそのままコピペで暗記して生むな >>101
まさにこれなんかそうだな
存在しなければ寝るも食うもないんだよ
強制的に存在させられてしまえば、寝るのにも食うのにも困る可能性は大いにある
ほとんど快楽に満たされた人生を送ったとしても最後は苦しんで死に、すべてがなくなる
そういう構造の世界に勝手に参加させるのは、生まれてくる子供のことを考えていない
参加させてくれと言われてないのだから、作らない事が生まれてくる子供のことを考えていない事には絶対にならない
単純な事実じゃないか? 今、生まれて良かったと感じている人に、もし生まれてこれなかったら?と質問したら、
今こんなに素敵な感覚があり、良かったと感じているのだから、生まれてこれなかったとしたら、すごく悲しいと答えるでしょう。 >>104
生まれたあとの、「生まれてよかった」と「生まれたくなかった」を比較してるスレじゃないってことはわからない?
生まれる前に「生まれたい」とは絶対に考えないが、生まれたあとに「生まれたくなかった」とは考える可能性がある
この構造がある以上、勝手に作るのは「子供のことを考えていない」
これだけの話なのだが
あなたにはもっと別の適当なスレがあると思うが わざと論点ずらしに来てるのか本当に論点がわからないのか、どっちだと思う? >>106
反出生主義者の特徴
・何を質問しても言いたいこと言うしか能がない。
・結論だけがあって質疑応答が成り立たない。
・自信の無いレスにはアンカーを打たない。
・形勢不利になると「とりあえず産むな」を連呼する。
>>4
言い得て妙だだな。
正に一語一句おまえのことだw
さっさと質問に答えろよwww 出生 反反の口癖
・どうでもいい
・どっちもどっち
・同罪
・だったらやめろ
・でもね○○も悪いんですよ
・お前がーお前もー
・捏造
言い得て妙だだな。
正に一語一句おまえのことだw
さっさと質問に答えろよwww>>3 出生派の人も>>101とかがスレの論点と違うのは分かってるでしょ? 出生派というか本当に反反
質問くんが沸いてるけど
質問に全部答えてるから折れちゃって質問連呼してるだけ
そもそも質問っていう言葉だけで質問してないからな
反反も折れて消えていってる中で
何とか噛みついて反出生の但しさを証明してるだけ
対称 シンメトリー 非対称 アシンメトリー
一生単語の意味を辞書で引いてるのが反論と思ってるだけ >>115
質問に答えてる??
レスしてるだけだろww
自信がないからアンカー打たずにw
反出生主義者の特徴
・何を質問しても言いたいこと言うしか能がない。
・結論だけがあって質疑応答が成り立たない。
・自信の無いレスにはアンカーを打たない。 今、あなた方の想像上のまだ生まれてない赤ちゃんが生まれた場合に、苦があるけれども、生まれてこれて本当に良かったと考えるようになった場合の事は考えなくて良いというのは、おかしい。 >>102
存在していないのだから、快も苦もあっても無くても問題ない。
よって快苦の非対称性は成り立たない。
反出生主義者はなぜ
快が無いことだけを問題ないとするのか? ・何を質問しても言いたいこと言うしか能がない。
自分の思ったような返答をしてくれなくて苦しい
・結論だけがあって質疑応答が成り立たない。
自分の思ったような質疑応答をしてくれなくて苦しい
・自信の無いレスにはアンカーを打たない。
自分の思ったような行動をしてくれなくて苦しい
辛そうだな >>120
あなたには聞いてませんよ。
質問しても意味がないので。 >>118
反出生主義者がそうする訳じゃなくて理論的にはそう帰結するのが極めて妥当というだけだよ
ごくごく一般的、直観的な感覚で苦=悪いもの、快=良いものという定義付けて非対称性について立論すればね >>122
結論だけ言われても理解できないです。
何故妥当なのかを聞いているのですが?
存在しない子供にとって、
快がある。
快が無い。
苦がある。
苦が無い。
これら4つは対等に問題ない(意味がない)ことですよね?
何故快が無いことだけを問題ないとするのですか? そもそも正対象or非対称を導くために両者比較してる相手は「快」対「苦」じゃないからね
>>102の端的な説明が全てだと思うんだけど >>125
では快苦の非対称性とは、
「何」対「何」を論じているのですか? >>124
緻密で正確、詳細に最初から整理して考えてみましょうか
>存在しない子供にとって、
> 快がある。←不成立 、不可能
> 快が無い。 ←問題無い(自然)
>苦がある。 ←不成立、不可能
>苦が無い。←問題無い(自然)
>これら4つは対等に問題ない(意味がない)ことですよね?
その時点ではそうであっても後に重大な意味を持ち始めるということ
> 何故快が無いことだけを問題ないとするのですか?
その質問がまず理論的な読み違え、誤解から端を発しているということ >>126
もちろん感覚や感情、五感を備え持った一個の存在としてこの世界に「作られた場合」と「作られなかった場合」だよ 生じさせるかさせないかでの比較に決まっているよね
非対称など全ての人間が暗黙に理解しそのように行動しているんだよ
言葉で考えると
快=善という自然主義的誤謬がどうして混入してしまう
直観的にわかるように言うと
君が一定期間目の前に快を享受する人間を存在させることができるとしよう
別に存在させても好ましいが、存在させなくて一向にかまわない
また一定期間苦を経験する人間を存在させることが出来るとしよう
このばあい存在させないほうが好ましいとなる
何もない空間を見て快を享受する個体が存在しないからといって
人的問題はなんにも生じないが、苦を経験する個体を存在させることは回避した方がよいだろう
きちんとした比較分析はここにある
批判者の指摘する問題点まで書かれている
本当に理解したければここを読むことをおすすめする
http://www.philosophyoflife.org/jp/seimei201404.pdf >>127
快苦の非対称性の論理は
苦がある→BAD
快が無い→NOT BAD
ですよね?
苦がある→不成立、不可能
では
苦がある→BADが矛盾しませんか? 生むシナリオと生まないシナリオを比較していないと
何のことかわからないよ? 快苦の人の痛みを感じれない思考してるのは自覚できただろ?
子供生むなよ >>133
反出生主義者の特徴
・形勢不利になると「とりあえず産むな」を連呼するw >>131
あなたの示した一文を再掲するよ?
>存在しない子供にとって、
存在しない子供にとっては苦も快も平等に、等分に不成立でなくては理論的におかしいでしょう
どちらかに重きを置けばその時点で存在しないはずの子供の主観がそこに存在してしまうのだから
そしてそれを「そうである」とするのは当然もう存在している我々でしかない
そして改めてあなたがそこで言う
>苦がある→BAD
>快が無い→NOT BAD
これもまた、あくまでも生まれた後の我々が導く帰結だということだよね
元より作られる前の存在としてそうすることは一切不可能
誰にもそうするしか出来ないでしょう?
それを踏まえてさえいれば特別な矛盾は起きなくなるはずなんだけどな >>134
反反の特徴
・反論できないので特に議論には参加しないが、とにかく対人論証と揚げ足とりには躍起になる
・特大ブーメランが刺さっていることに気づいていない
・己の理解力の低さを他責にし、しつこく同じ話題を繰り返し説明させる 苦から逃れようとする割りに
苦をスパイスにして快を得てるのが
まるでヤク中やアル中だよな
なら最初から辞めておけばいいのに
やってしまった自分を否定したくないから悪事でも必死で正当化しようとする
これをどうするかだよな
そこからまた反反は自己正当化の為に菜食や人間動物論展開してくるから
洗脳を解くためのカウンセリングしてるのかと思うくらいだな >>132
存在しない子供にとって、


快がある。←不成立 、不可能 

快が無い。 ←問題無い(自然)
苦がある。 ←不成立、不可能 

苦が無い。←問題無い(自然)
存在する子供にとって、
快がある→GOOD
快が無い→BAD
苦がある→BAD
苦が無い→GOOD
両方比較しても快と苦は対称にしかなりませんが? で、その苦痛を子供に同意を得て生んだのか?
同意を得れないものに対して無理やり苦痛を与えて殺害してるのを肯定してるんだよな? >>137
>苦がある→BAD
>快が無い→NOT BAD
これは私が言った言葉ではなく反出生主義者が快苦の非対称性を説明するのに使っている言葉です。
あなたの言う
苦がある→不成立、不可能
では
苦がある→BADが成り立たないですよね? >苦が無い。←問題無い(自然)
ここを正しく査定できないんですよ
あくまで生じさせるか生じさせないかという二択が場合の数です
例えば一定期間、苦を享受する個体を100人存在させるか50人存在させるか
という選択があったとしましょう
一人の人間の苦を生じさせないほうの選択に対して+1の査定を(−1の逆ベクトル)
していないと50人のほうを選択できなくなります 一人分の苦を生じさせないことに対して+1査定をしない
これはわかりやすく言うと人でなしです 「問題ない」に対して一定の数値を割り振らないと正しい判断が出来ない
1問題無い より 2問題無いのほうが 好ましいとなる
これは要するに一人分の苦を生じさせないことに一定の評価が必要となるわけだ >>141
後半は作られた人間にとっての「快」と「苦」の問題に変ってるよね
この理論上には二人の人間が居ると思ってもらえればわかりやすいかな?
ここに現に存在している、子供を作るか作らないかを選べる親(可能性込み)としての「私」と
今後作られて生まれて来る予定(可能性以前の未定未決も含む)としての「子供」が居る
「私(親)」にとっては
>快がある→GOOD
>快が無い→BAD
>苦がある→BAD
>苦が無い→GOOD
が「成立する」
※>存在する子供にとって、←と同じく
未だ非存在の「子供」にとっては
>快がある→ 不成立
>快が無い→ 自然
>苦がある→ 不成立
>苦が無い→ 自然
以外の状況は現実を鑑みた場合に仮定不能である
=
未だ非存在の「子供」にとっては
>快がある→GOOD
>快が無い→BAD
>苦がある→BAD
>苦が無い→GOOD
が「成立しない」
上の図の「成立する」と下の「成立しない」が正に非対称的であるということだよ
作る側にとって自明のものとして成立する図式が作られる側にとっては成立不能になるでしょう?
そこを踏まえた上で、そこから、それではと「快=良い、苦=悪い」をあてはめていくことで成立するのが反出生論なんだってことだろうね 数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事はできない。 生きている人間から苦を取り除くのとまったく同じ査定となります >>144
論点がずれてきましたね。
>苦が無い。←問題無い(自然)
これについては私の解釈もあなたの説明通りですよ。
存在しない子供にとって、
快がある。←不成立 、不可能
快が無い。 ←問題無い(自然)
苦がある。 ←不成立、不可能
苦が無い。←問題無い(自然)
存在する子供にとって、
快がある→GOOD
快が無い→BAD
苦がある→BAD
苦が無い→GOOD
両方比較しても快と苦は対称にしかなりませんよね? >>150
そのレス内の「存在する子供」と「存在しない子供」の両者比較だとどうかな?
決して正対象にはなっていない=明快な非対称性が生まれているはずだけど 価値は、存在しないことではなく奪う場合に反価値を生じます
反価値は存在させない選択をすることにより価値(効用)を生じます
生まないで快を存在させなかった場合は反価値を生じませんが
生まないで苦を存在させない場合、生きている人間から苦を除去するのと同じだけの効用が生じたことになります
これは全体に、快の非存在自体(選好主体がないため)は不充足感も害は及ぼしませんが
苦を存在させた場合(選好主体も同時に存在させることになります)害が出現します
そもそもここが非対称です >>147
ベネターの言っている快苦の非対称性とは全く違う解釈ですね。
それでは非対称性の説明にはなってないですよ。
快と苦をひとまとめにして成立する場合としない場合があると言っているに過ぎない。
反出生主義はあくまで「快」と「苦」に対称性がないと言っています。 比較していってるから図のほうがわかりやすいね
生きている人間(選好を持つ)に苦を与える−1、苦を除去する+1
この両極の間には0があり両端の差は2あります
このスケールを持ってきちんと考えないと何のことかわからなくなるよ >>154
なるべく分かりやすく誤解を解きたかったから説明がそうならざるを得なかったんだよw
まあ元からベネターの論だけに忠実になる気もないけれどね
快苦の対称性が消えるのもベネター論でも理論の後半部分からでしょう
頭からそれ(結論)を押し通そうとして理解出来る人がどれだけ居るのかな というか人間の神経系や認知は不足や異常を察知することが優先的な機能だから
苦や不足、不充足のほうが優位なのは当たり前なんだけど
そういうこと抜きにして非対称が成り立っちゃってるんだよね >>153
快の非存在自体(選好主体がないため)は不充足感も害は及ぼしませんが
苦を存在させた場合(選好主体も同時に存在させることになります)害が出現します
まさにこれですよね
快が無い→NOT BAD
苦がある→BAD
存在しない子供にとっての「快」と
存在する子供にとっての「苦」
を持ち出して対称でないと言われても
以前誰かが言っていたように言葉遊びですよね。 快というのは快だけプラプラ存在しているわけではありません
快という現象は「快を経験している状態の主体」のことです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています