子供を作る事が一番子供の事を考えていない!74
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人は自分の為に生きている
親が子供を一番に考えてるなんてありえない
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※ 上述はスレの流れが荒れる要因ですので遵守して下さい。
・否定したい時はまず意見を聞いてから言いたい事を相手に説明する事。
お互いに相手の考え方や価値観を尊重し合うようにしましょう。
子作り否定者のみのスレ進行を希望される方は下記スレへどうぞ。
子作りは大罪 59 (ワッチョイ)
http://krsw.5ch.net/...i/mental/1523783861/
前スレ
子供を作る事が一番子供の事を考えていない!73
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1525211921/ 苦は無い方がよい
快は無くても問題ないかな?
快の中に寝るや食べるが含まれてるから、ないといけない。 理解できない人は、すでに生まれている者の快と苦で比べてるからじゃないの?
だから快と苦の強度の問題とか人それぞれとかそういう誤解をしたままなんだろう
快はなくても問題ない、というのは存在してないから
苦はないほうが良い、というのは生まれて存在してるから
生まれなければ、快も苦も死もない
作られる前に「生まれたいからどうしても作ってくれ」と考える主体は絶対に無い
つまり作らなければ、作られる側のリスクは当然存在しない
良いか悪いかは置いとくとしても、これが事実ではないと言えるのはなぜなのか? 快は良い事ならずっと続けたらいい80年寝続けたらいい事なんだから寝続けたらいい
食事も良い事なら続けたらいい一日中飯を食い続けていたら100キロでも毎日米食ってみて
快が苦に変ったらダメだよ
そもそも生まれてない人間に快苦なんてないから
何の話してるんだ?
論点ずらすなよ 今日本で生きてる人で、すごく生まれて良かった人と、生まれたくなかった人とのバランスで、実質的な環境が同じだった場合、それでも生まれて良かったと感じている人と生まれたくなかったと感じている人がいる場合、あなたは、どちらを選びますか? 今まで読んでなかった
今まで知らなかった
今も理解できてないw 売り手 買い手
生む側 産み落とされる側
快 苦
ほらよく考えろよ
わからないなら言う事をそのままコピペで暗記して生むな >>101
まさにこれなんかそうだな
存在しなければ寝るも食うもないんだよ
強制的に存在させられてしまえば、寝るのにも食うのにも困る可能性は大いにある
ほとんど快楽に満たされた人生を送ったとしても最後は苦しんで死に、すべてがなくなる
そういう構造の世界に勝手に参加させるのは、生まれてくる子供のことを考えていない
参加させてくれと言われてないのだから、作らない事が生まれてくる子供のことを考えていない事には絶対にならない
単純な事実じゃないか? 今、生まれて良かったと感じている人に、もし生まれてこれなかったら?と質問したら、
今こんなに素敵な感覚があり、良かったと感じているのだから、生まれてこれなかったとしたら、すごく悲しいと答えるでしょう。 >>104
生まれたあとの、「生まれてよかった」と「生まれたくなかった」を比較してるスレじゃないってことはわからない?
生まれる前に「生まれたい」とは絶対に考えないが、生まれたあとに「生まれたくなかった」とは考える可能性がある
この構造がある以上、勝手に作るのは「子供のことを考えていない」
これだけの話なのだが
あなたにはもっと別の適当なスレがあると思うが わざと論点ずらしに来てるのか本当に論点がわからないのか、どっちだと思う? >>106
反出生主義者の特徴
・何を質問しても言いたいこと言うしか能がない。
・結論だけがあって質疑応答が成り立たない。
・自信の無いレスにはアンカーを打たない。
・形勢不利になると「とりあえず産むな」を連呼する。
>>4
言い得て妙だだな。
正に一語一句おまえのことだw
さっさと質問に答えろよwww 出生 反反の口癖
・どうでもいい
・どっちもどっち
・同罪
・だったらやめろ
・でもね○○も悪いんですよ
・お前がーお前もー
・捏造
言い得て妙だだな。
正に一語一句おまえのことだw
さっさと質問に答えろよwww>>3 出生派の人も>>101とかがスレの論点と違うのは分かってるでしょ? 出生派というか本当に反反
質問くんが沸いてるけど
質問に全部答えてるから折れちゃって質問連呼してるだけ
そもそも質問っていう言葉だけで質問してないからな
反反も折れて消えていってる中で
何とか噛みついて反出生の但しさを証明してるだけ
対称 シンメトリー 非対称 アシンメトリー
一生単語の意味を辞書で引いてるのが反論と思ってるだけ >>115
質問に答えてる??
レスしてるだけだろww
自信がないからアンカー打たずにw
反出生主義者の特徴
・何を質問しても言いたいこと言うしか能がない。
・結論だけがあって質疑応答が成り立たない。
・自信の無いレスにはアンカーを打たない。 今、あなた方の想像上のまだ生まれてない赤ちゃんが生まれた場合に、苦があるけれども、生まれてこれて本当に良かったと考えるようになった場合の事は考えなくて良いというのは、おかしい。 >>102
存在していないのだから、快も苦もあっても無くても問題ない。
よって快苦の非対称性は成り立たない。
反出生主義者はなぜ
快が無いことだけを問題ないとするのか? ・何を質問しても言いたいこと言うしか能がない。
自分の思ったような返答をしてくれなくて苦しい
・結論だけがあって質疑応答が成り立たない。
自分の思ったような質疑応答をしてくれなくて苦しい
・自信の無いレスにはアンカーを打たない。
自分の思ったような行動をしてくれなくて苦しい
辛そうだな >>120
あなたには聞いてませんよ。
質問しても意味がないので。 >>118
反出生主義者がそうする訳じゃなくて理論的にはそう帰結するのが極めて妥当というだけだよ
ごくごく一般的、直観的な感覚で苦=悪いもの、快=良いものという定義付けて非対称性について立論すればね >>122
結論だけ言われても理解できないです。
何故妥当なのかを聞いているのですが?
存在しない子供にとって、
快がある。
快が無い。
苦がある。
苦が無い。
これら4つは対等に問題ない(意味がない)ことですよね?
何故快が無いことだけを問題ないとするのですか? そもそも正対象or非対称を導くために両者比較してる相手は「快」対「苦」じゃないからね
>>102の端的な説明が全てだと思うんだけど >>125
では快苦の非対称性とは、
「何」対「何」を論じているのですか? >>124
緻密で正確、詳細に最初から整理して考えてみましょうか
>存在しない子供にとって、
> 快がある。←不成立 、不可能
> 快が無い。 ←問題無い(自然)
>苦がある。 ←不成立、不可能
>苦が無い。←問題無い(自然)
>これら4つは対等に問題ない(意味がない)ことですよね?
その時点ではそうであっても後に重大な意味を持ち始めるということ
> 何故快が無いことだけを問題ないとするのですか?
その質問がまず理論的な読み違え、誤解から端を発しているということ >>126
もちろん感覚や感情、五感を備え持った一個の存在としてこの世界に「作られた場合」と「作られなかった場合」だよ 生じさせるかさせないかでの比較に決まっているよね
非対称など全ての人間が暗黙に理解しそのように行動しているんだよ
言葉で考えると
快=善という自然主義的誤謬がどうして混入してしまう
直観的にわかるように言うと
君が一定期間目の前に快を享受する人間を存在させることができるとしよう
別に存在させても好ましいが、存在させなくて一向にかまわない
また一定期間苦を経験する人間を存在させることが出来るとしよう
このばあい存在させないほうが好ましいとなる
何もない空間を見て快を享受する個体が存在しないからといって
人的問題はなんにも生じないが、苦を経験する個体を存在させることは回避した方がよいだろう
きちんとした比較分析はここにある
批判者の指摘する問題点まで書かれている
本当に理解したければここを読むことをおすすめする
http://www.philosophyoflife.org/jp/seimei201404.pdf >>127
快苦の非対称性の論理は
苦がある→BAD
快が無い→NOT BAD
ですよね?
苦がある→不成立、不可能
では
苦がある→BADが矛盾しませんか? 生むシナリオと生まないシナリオを比較していないと
何のことかわからないよ? 快苦の人の痛みを感じれない思考してるのは自覚できただろ?
子供生むなよ >>133
反出生主義者の特徴
・形勢不利になると「とりあえず産むな」を連呼するw >>131
あなたの示した一文を再掲するよ?
>存在しない子供にとって、
存在しない子供にとっては苦も快も平等に、等分に不成立でなくては理論的におかしいでしょう
どちらかに重きを置けばその時点で存在しないはずの子供の主観がそこに存在してしまうのだから
そしてそれを「そうである」とするのは当然もう存在している我々でしかない
そして改めてあなたがそこで言う
>苦がある→BAD
>快が無い→NOT BAD
これもまた、あくまでも生まれた後の我々が導く帰結だということだよね
元より作られる前の存在としてそうすることは一切不可能
誰にもそうするしか出来ないでしょう?
それを踏まえてさえいれば特別な矛盾は起きなくなるはずなんだけどな >>134
反反の特徴
・反論できないので特に議論には参加しないが、とにかく対人論証と揚げ足とりには躍起になる
・特大ブーメランが刺さっていることに気づいていない
・己の理解力の低さを他責にし、しつこく同じ話題を繰り返し説明させる 苦から逃れようとする割りに
苦をスパイスにして快を得てるのが
まるでヤク中やアル中だよな
なら最初から辞めておけばいいのに
やってしまった自分を否定したくないから悪事でも必死で正当化しようとする
これをどうするかだよな
そこからまた反反は自己正当化の為に菜食や人間動物論展開してくるから
洗脳を解くためのカウンセリングしてるのかと思うくらいだな >>132
存在しない子供にとって、


快がある。←不成立 、不可能 

快が無い。 ←問題無い(自然)
苦がある。 ←不成立、不可能 

苦が無い。←問題無い(自然)
存在する子供にとって、
快がある→GOOD
快が無い→BAD
苦がある→BAD
苦が無い→GOOD
両方比較しても快と苦は対称にしかなりませんが? で、その苦痛を子供に同意を得て生んだのか?
同意を得れないものに対して無理やり苦痛を与えて殺害してるのを肯定してるんだよな? >>137
>苦がある→BAD
>快が無い→NOT BAD
これは私が言った言葉ではなく反出生主義者が快苦の非対称性を説明するのに使っている言葉です。
あなたの言う
苦がある→不成立、不可能
では
苦がある→BADが成り立たないですよね? >苦が無い。←問題無い(自然)
ここを正しく査定できないんですよ
あくまで生じさせるか生じさせないかという二択が場合の数です
例えば一定期間、苦を享受する個体を100人存在させるか50人存在させるか
という選択があったとしましょう
一人の人間の苦を生じさせないほうの選択に対して+1の査定を(−1の逆ベクトル)
していないと50人のほうを選択できなくなります 一人分の苦を生じさせないことに対して+1査定をしない
これはわかりやすく言うと人でなしです 「問題ない」に対して一定の数値を割り振らないと正しい判断が出来ない
1問題無い より 2問題無いのほうが 好ましいとなる
これは要するに一人分の苦を生じさせないことに一定の評価が必要となるわけだ >>141
後半は作られた人間にとっての「快」と「苦」の問題に変ってるよね
この理論上には二人の人間が居ると思ってもらえればわかりやすいかな?
ここに現に存在している、子供を作るか作らないかを選べる親(可能性込み)としての「私」と
今後作られて生まれて来る予定(可能性以前の未定未決も含む)としての「子供」が居る
「私(親)」にとっては
>快がある→GOOD
>快が無い→BAD
>苦がある→BAD
>苦が無い→GOOD
が「成立する」
※>存在する子供にとって、←と同じく
未だ非存在の「子供」にとっては
>快がある→ 不成立
>快が無い→ 自然
>苦がある→ 不成立
>苦が無い→ 自然
以外の状況は現実を鑑みた場合に仮定不能である
=
未だ非存在の「子供」にとっては
>快がある→GOOD
>快が無い→BAD
>苦がある→BAD
>苦が無い→GOOD
が「成立しない」
上の図の「成立する」と下の「成立しない」が正に非対称的であるということだよ
作る側にとって自明のものとして成立する図式が作られる側にとっては成立不能になるでしょう?
そこを踏まえた上で、そこから、それではと「快=良い、苦=悪い」をあてはめていくことで成立するのが反出生論なんだってことだろうね 数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事はできない。 生きている人間から苦を取り除くのとまったく同じ査定となります >>144
論点がずれてきましたね。
>苦が無い。←問題無い(自然)
これについては私の解釈もあなたの説明通りですよ。
存在しない子供にとって、
快がある。←不成立 、不可能
快が無い。 ←問題無い(自然)
苦がある。 ←不成立、不可能
苦が無い。←問題無い(自然)
存在する子供にとって、
快がある→GOOD
快が無い→BAD
苦がある→BAD
苦が無い→GOOD
両方比較しても快と苦は対称にしかなりませんよね? >>150
そのレス内の「存在する子供」と「存在しない子供」の両者比較だとどうかな?
決して正対象にはなっていない=明快な非対称性が生まれているはずだけど 価値は、存在しないことではなく奪う場合に反価値を生じます
反価値は存在させない選択をすることにより価値(効用)を生じます
生まないで快を存在させなかった場合は反価値を生じませんが
生まないで苦を存在させない場合、生きている人間から苦を除去するのと同じだけの効用が生じたことになります
これは全体に、快の非存在自体(選好主体がないため)は不充足感も害は及ぼしませんが
苦を存在させた場合(選好主体も同時に存在させることになります)害が出現します
そもそもここが非対称です >>147
ベネターの言っている快苦の非対称性とは全く違う解釈ですね。
それでは非対称性の説明にはなってないですよ。
快と苦をひとまとめにして成立する場合としない場合があると言っているに過ぎない。
反出生主義はあくまで「快」と「苦」に対称性がないと言っています。 比較していってるから図のほうがわかりやすいね
生きている人間(選好を持つ)に苦を与える−1、苦を除去する+1
この両極の間には0があり両端の差は2あります
このスケールを持ってきちんと考えないと何のことかわからなくなるよ >>154
なるべく分かりやすく誤解を解きたかったから説明がそうならざるを得なかったんだよw
まあ元からベネターの論だけに忠実になる気もないけれどね
快苦の対称性が消えるのもベネター論でも理論の後半部分からでしょう
頭からそれ(結論)を押し通そうとして理解出来る人がどれだけ居るのかな というか人間の神経系や認知は不足や異常を察知することが優先的な機能だから
苦や不足、不充足のほうが優位なのは当たり前なんだけど
そういうこと抜きにして非対称が成り立っちゃってるんだよね >>153
快の非存在自体(選好主体がないため)は不充足感も害は及ぼしませんが
苦を存在させた場合(選好主体も同時に存在させることになります)害が出現します
まさにこれですよね
快が無い→NOT BAD
苦がある→BAD
存在しない子供にとっての「快」と
存在する子供にとっての「苦」
を持ち出して対称でないと言われても
以前誰かが言っていたように言葉遊びですよね。 快というのは快だけプラプラ存在しているわけではありません
快という現象は「快を経験している状態の主体」のことです 理論上では快苦は必ず最後に同一のものに還ることになるからね
快と苦、善と悪に囚われているのは本当はあまり意味がないんだよ 人間が追及する快は、非存在自体全く問題になりませんが
人間が存在しその人から奪う場合に反価値が生じます
価値である快自体非存在は問題になりませんから
人間を生まないこと自体問題は無いんです
これは結論ではなく前提です
でもあなたはなぜか人間を存在させてなければ比較できない
とかいっちゃうw
生む生まないを選択できるのに比較できないわけがないでしょう >>161
そのレスはこちら宛て?
だとしたら反論でもないけど
>でもあなたはなぜか人間を存在させてなければ比較できない
> とかいっちゃうw
一旦仮定としては必ず存在させるしかない部分のことかな?と
そこを怒られても困るというのが正直なところだよw 言葉で言うより
功利計算の一種ですから図を見ないと何のことかわからないでしょう
疑問が出たらここで書けばよい >>161
>でもあなたはなぜか人間を存在させてなければ比較できなとかいっちゃうw
>>132
>生むシナリオと生まないシナリオを比較していないと
何のことかわからないよ?
あなたは何を言っているのですか? >>165
生まないほうが合理的だと言われても
受け入れる気が無いんでしょ?
なぜなら子供が目の前に居ないから
ww
何のために生むことと生まないことを比較してるんでしょうか?
ほんとうにどちらが人として正しいことをしているのかという厳しい問いなんですよ どちらが正しいか分からないから
100%苦しんで100%死ぬ出生を選択するんだよな >>166
なにを勘違いされてるのか知りませんが私は出生肯定派ではないですよ。反出生主義者でもありませんが。
あなたも論点破綻ですか。
水戸黄門の印籠みたいに快苦の非対称性を出してくるので興味を持っただけです。
何人かの方にレスいただいて、
結局、言葉遊びのレベルということに確信を持てましたのでよかったです。
ありがとうございました。 >>158
生殖本能と機能を備えた人間が用いる以上は決して「言葉遊び」にはならないと思うけどな
そもそもそんなレッテルは反論として不成立だよ
もしも自分が強いてこの考えに反論するとしたら必ず別の方向から責めるよ
あなたの反論は本気のものには見えないね >存在しない子供にとっての「快」と
>存在する子供にとっての「苦」
己の2択の結果だから、「比較でしか」行為の評価はできない
何にもない空間見て、良かったとか悪かったとか言ってる場合じゃないんだよね
これは自分が子供を存在させあるいは存在させないかという選択を行った
子供にとっては神のごとくの選択をしてしまったという自覚が無いんだよ その比較検討が「言葉遊び」扱いされることの恐ろしさたるや、ね
いつ見てもここのスレタイは秀逸だよ 快がないよりあることを評価するんだけど
苦はあるより無いことを評価するんだよね
2択だからgoodじゃなくてpreferableなんだよね
要するに中学で習う生の数と負の数の概念だね
これがなぜかダメになっちゃってる
w 質問連呼くん解答してくれてるのにどんどん難しくなって自分が理解できなくなってきたら逃げw 言ってみれば人間なんて、こんなボタンの掛け違いみたいなミスもあって
生まれ続けてきたようなものだ
これはほんとうに茶番だね 価値はある方がまし、反価値は無い方がまし
これはプラスとマイナスの概念が必要なんだけど
もしかするとゼロやマイナスはこの人たちにとって考慮すべき値として存在してないかもしれん
自然数しか考えられないなら生むしかないわな
まさに原始人の感覚だ 倫理的に正しいことを言おうとする人間が居ないほうがマシ
こういう世界だってことですよね?
分析論的実存主義
実存にも分析のメスが入ったんだけど
この立場から言えば俺もお前ももともと存在しなかった方がマシといえるんだ
でももう存在しちゃったよね?
存在した相手にはお互い人間としての眼差しを向けようぜ? >>177
はいはい
世界はお前を中心に動いてるんでしょ?
わかります
じゃ 生まれてくるのは誘拐に似ている。そして、奴隷として売られるのだ。
(アンディー・ウォーホル)
人生とは裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいた時にはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない。
(ショーペンハウアー)
眠りは良い、死はもっと良い。でも一番良いのは生まれてこないことだ。
(ハインリッヒ・ハイネ)
人生は楽しいことより、苦しいことの方が多い
(美空ひばり)
人はみな、ひたすら死を逃れんと欲し、生より逃るることを知らず。
(老子)
親が子供に贈ることができる、究極最高のプレゼント。それは、『産まないこと』です。
(オレ氏)
生まれざることが最善なり。されど、生まれたる者は速やかに元の場所に帰れ。これ、第二の善なり。
(ソフォクレス)
自然が人間に恵んだあらゆる財宝の中で、「速やかな死」以上に価値あるものはない。
(プリニウス)
生は、その名こそ生であるが、その業は、死である。
(ヘラクレイトス)
死は、われわれから意識を永遠に奪うものであるが、不思議な利益もあって、
深い夢のない眠りは、最も幸福な人生の何れの日よりも好ましい。
(プラトン)
この世に産まれるということは、気が遠くなるような莫大な借金を背負うのと同じである。
しかも金銭では済まない、ありとあらゆるリスクとコストをも背負わされる、厄介な大借金である。
その借金を完済し終えることは、立派なことかも知れない。
だが、本人にとっても周囲にとっても一番良いのは、そもそも借金自体を背負わないことである。
(オレ氏) 苦の過大評価ぶりが、理解出来ないです。
最大の恐怖とされる死の苦しみでさえ、そんなに長い時間てまはないですよね。
苦しい時に苦しんで、悲しい時に悲しんで、
でもそれ以外の時間は、楽しめばいいんじゃないの? 苦が無いときに出来るだけ楽しむと苦が無い時間 > 苦が実際にある時間
になる。 ブーメランかよ
楽を過大評価しすぎ
評価比較されない非存在のままにしておけ
生むな >>190
それを苦の過大評価と言うならあなたのそれは快の過大評価だからね
その部分だけで価値観の相違する相手と言い争っていたところで未来永劫答えなど出ないと思うよ >>198
わかる! わたしもそこの価値観が違うから、お互いに永遠に分かり合えないんだな〜と思っていました。
楽の過大評価!なんて素敵な事なんだろう!と思ってしまいますもん! ベネターの非対称別に苦を快より評価するということは入っていないよね
苦や快の在り方だけで言っている
だからこの非対称は誰が考えてもそうなることがらだ でもお互いに理解出来ないなんて、ちょっとロマンチックなんて感じてしまいますし 快の現前+1に対して苦の現前-1とイーブンな評価だ
イーブンな評価でも産まないほうが正しいとなるんだよ たぶん快を過大評価してる事を、出生派は意識してやっていますよ。 楽しい方がいいから。 現実はこれに、苦の積極性、必ずしも快につながらない苦
あるいは苦と苦のトレードなど出生に対してはマイナス要素のほうが多くなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています