>>982
>薬(人)の作用副作用(目的)、味(幸不幸)は共に薬の価値のバロメーターになる。

こちらがここで言う薬は「人」ではなく「出生及び出生の連鎖」を指している

>ただ大きく違うのは、味は薬の存在意義を左右する決定的な要素ではない。

薬そのものの味についての言及はここではしていない
唐突な印象を否めない

>苦くないに越したことはないが、作用が強ければ我慢して飲むべきもの。

目的(治癒または悪化、善悪のいずれでも目指すべき到達点)が不明である上で
その「作用」をもたらされる状態(常態)がまず始まり(現地点)にどのようなものであるかも考慮に入れず
突如として出現する「べき論」は根拠不明で不自然極まる

>(もちろん飲まないのも自由だが。)

その自由についてはこちらの論では存在と正当性認めた上でそこから却下されているのだが

>ようは反出生主義は難しい言葉をこねくり回しってもっともらしい理屈を言うが、

個人主観による揶揄、中傷の類でしかない

>結局、薬の味(人)が苦いかどうかの(幸不幸)次元の話にしかなっていない。

そこから一切抜け出せないのこそがあなたなのだ

>2歳児(人類)には大人(創造主)の作った薬の味(幸不幸)はわかるが、作用副作用(目的)を理解はできない。

二歳児と大人以外の第三者が客観的に評価を下し、必要とあれば批判を加えることは状況の改善に有用であることは自明である
むしろその客観的、合理性を重んじる視点を永続的に排除しようという方が不自然だ

>よって薬(人)の存在意義を断ずることもできない。

元より反出生は人の存在意義を断じているのではない