自分の人生を生きたことがない
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自分の人生を生きたことがありません
幼い頃から、人の顔色ばかりを伺っていて
他人に気ばかり遣って生きてきました
自分の好きなように、自分のやりたいように
生きたことがないのです
よく人生の主人公はみんな「自分」だと
言いますが私の場合違います
本当はこうしたい・・こう生きたい・・
そんな気持ちはありますが自分の人生を生きたことがないからどうしたらいいか分かりません 思い通り我儘放題が何でも許されるのが「自分の人生」だと思ってるなら諦めろ。
そんなものは存在しない。 >>1
>自分の人生を生きたことがない
そんな事ないだろ。
「他人の顔色を窺いながら、他人に同調して生きる」ってのは>1が選んだ生き方だ。
それしかしたことがないのは、
>本当はこうしたい・・こう生きたい・・
こういう物が、他人の顔色以上に価値が無いか、そもそも無いからだろ。
自由に生きていないようで、選択肢はあるのに選んでるんだから、自由に生きてるんだよ。 本当はこうしたい…こう生きたい…
出来ない理由は?
テメェが勇気を出さないで逃げてるからだろ
自分の人生を人生を生きたいなら勇気を出して
自分を出せよ
甘えるんじゃねえよ 顔色うかがうことが問題じゃないと思いますよ、自分がしたいことをしてないことが問題なだけじゃないの、顔色うかがうことは技術みたいなもんてしょ、道具として使えばいいんだし 人ごとだと思えないからマジレス。
以下は私が精神分析、発達心理学、PTSD、パーソナリティ障害、機能不全家族問題などありとあらゆる専門書を読み漁ったうえで辿り着いた回答を書く。
物凄い真面目な話、愛される為に親の顔色を伺う必要があった人間というのは自律できないよ。
固体化できない、つまりは大人になれん。
身体だけはデカくなって成熟はするが、精神発達が思春期で停止したような状態になるな。
思春期で大人になるってどういうことかと言うと、「自分は自分、他人は他人」が身について、他の誰でもない自分自身を大切に出来る、愛せる能力が身に付くってことなのね。
そして自分自身を大切に出来る、愛せるというのは自分の気持ちや考えを大切に出来るってこと。
これはコフートの自己愛論に照らせばそのまんま自己愛の成熟ってことになる。
自律する=大人になる=自分は自分=自己愛の成熟
という風に考えることが出来ることがわかる。
でだ、何が問題かと言うと、人生の初期において、愛される為に親や身近な養育者の顔色を伺うことを覚えた人は自分自身を大切にする経験が詰めないのよ。
続く 普通に自分自身を率直に表現しても受容される、つまりは愛される経験を積んだ人って言うのは、その都度で自分自身の考えや気持ちを大切にする機会を積んで来たことになる。
対して、親や周囲の顔色を伺い自己を表出したり抑圧したりして、迎合することで生き延びて来た人間は自分自身を大切にする経験を積んでいない。
自分自身を大切にすることを学べなかった、そういった方がいいかな。
精神科医の中にはこういう顔色伺いをして成長する子供達のことを「精神発達の為の力を他人に譲り渡す」と言ってる人がいる。
思春期になるまでに自分自身を大切にすることを学んだ子供は自分を大切にすることを学べている、つまりは自己愛がある程度成熟しているから"勇気"が出てくる。
"勇気"とは何か?
それはたとえ受容、承認、賞賛が得られなくても、たとえ拒絶にあうことになれど、自分自身であることを選べる能力・徳である。
恐れずに自己主張や表現をし、自分自身の為の行動がとれる力…。
続く つまりは、誰かに"認められたい"で行動することの放棄なのね。
精神分析医のロロ・メイは【失われし自我をもとめて】の中でこう書いてる。
「ある人間の精神発達の途上に勇気が出はじめるとき……つまり、他人にほめてもらいたいため自分の生命をささげるというパターンを脱却しはじめるとき、………」
大多数の人は思春期でこのパターンを辿ることが出来るわけ。
だけど、最初に言った様に、親との間で顔色伺いを覚えてそれで生き続けて来た人、イジメにあったりして自分の安全のために周囲の顔色が極度に重要になってしまった様な人は、身に付けたその生き方を脱却しない限り自分自身である勇気が生じてこない。
それを拗らせたままで生きていくから自分が自分でなくなる。
"認められたい"つまり受容を求め拒絶を恐れるゆえに他人の顔色を伺うわけだが、この生き方こそ普通の人間になるための真の敵なの。
他人の顔色を伺うってことは、他人の瞳の中に、映るかどうかもわからない理想の自己(こうあるべき自分)を虚しく捜し求めているだけにすぎない。
どう見られるか、思われるかなんか相手次第なの。
なのに自分自身がどう思うか感じるか、つまり自分の視点を放棄して「どう思われるか」で生きてるわけ。
これこそナルシシズムの病、つまり自己愛性人格障害が自己喪失の病と言われる所以。
これではいつ迄たっても精神が発達しない。
長くなるからこのへんで切り上げるけど、自分がない、自分の人生を生きていけないというのは重症のナルシシズムの障害、つまりは自己愛性人格障害であるってことだよ。
自分を大切にする能力が身についていないゆえの自己喪失。
だから根本的に改善するには、"認められたい"の放棄が必要。 とりわけ>>1にオススメしたいのはとにかく徹底して最初に述べたような分野の医学書を漁ること。
名前出したけど取り分けロロ・メイや、カレン・ホーナイらは臨床での経験から自己喪失について探求した素晴らしい本を残してる。
フロムなんかもね。
とにかく、なぜ自分が今の自分になったか徹底して探求してみろ。
自分を生み出した公式がはっきり心に浮かんでくると色々と改善されてくるから。 >>1みたいな人は大勢いるんだろうね
特に日本じゃ 一応言っておくけど上から目線で相談に乗ってるように見えるここの板の人たちも人のことあーだこーだ言えるほど偉くないからあんまり真に受けない方がいいよ 僕もそうです自分はありません
人の為に生きています
何故自分が必要なのでしょうか
僕は人を援けたいのです
世界中の人たちに幸せになって欲しいのです
その為になら自分の人生なんか必要ありません
自分より他人の方が大事ですよ
自分が醜過ぎて自分の人生とかクソみたいなものです
自分の人生人に捧げてこそ生きている意味があると言うもの 自分本意に生きるて他人から嫌われたり失敗するリスクを取るくらいなら
周りに合わせて生きた方がローリスクで自分にとって楽だからそうしてるんだよ >>13
その通りです。
人の顔色を伺いながら、人に合わせて生きてきました。学校でも先生の言うことをちゃんと聞く真面目な生徒でした。
私は内向的な性格なので友人が少ないです。
恋人はいたことはありません。
自分一人でいるとき心がホッとできます。
ありのままの自分を出して自由に生きてる人が羨ましいです。 >>14
お前大して困ってねえし悩んでねえだろ?
糞スレ立てるなよクズ 内気で真面目で先生に好かれる良い子ちゃんなだけじゃねーか
オイラの一番嫌いなタイプだぜ
虐め甲斐があるな待ってろベイビー >>14
メメント・モリ
常に死を想え
そうすれば、死ぬときに後悔しそうなことはやってみようと思うだろう。 >>3
同意
自分から敢えて外れないとずっとその道を選び続ける ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています