執着から苦が生じていることは分かっても、その執着を取れません。
苦の原因はわかっても、苦のままです。

信心銘に書かれているように好き嫌いも選り好みもしなければというのは理解出来ますが、捨てられません。

好みでいえば、私はチョコレートは好きですがあんこは苦手です。
チョコとあんこがあればチョコを選びます。
どちらか食べなければいけないのであれば、あんこだと少し辛いです。

単純に味覚の好みの問題で例えると、このような苦はどう滅すれば良いのでしょう?
もしチョコもあんこも好きでも嫌いでも無ければ選り好みせず、どちらも食べても食べなくても良いと気が楽でしょう。
しかし味覚の好みは自分でコントロール出来る訳ではありません。