無明とは知っているという思い込みだというのは違いませんよ。
例えば自分の目の前で母親が子どもを平手で叩いているのを目撃したとします。
それに腹を立てたり憤りを感じたりするのは無明だからです。
目の前の情報だけですべてを知っているかのような思い込みをするから、それに腹を立てたりするんです。
自分はその母親が母親かも知らないし子どもが子どもかも知らないし叩いたのか偶然当たったのかも知らないし、叩いたとしてもどんな理由だったのかも知らない、何も知らないという自覚があれば、腹を立てることはありません。
すべての煩悩はこのような知るはずのないことを知っていると思い込むことから生じるものです。
これをお釈迦様は無明だと言っていたのだと思います。