釈迦が用いたのはいわゆるマガダ語。マガダ地方の方言。

原始仏教のパーリ仏典は、部派仏教時代に使われていた俗語の1つであり、西インド系の、より具体的にはウッジャイン周辺で用いられたピシャーチャ語の一種であると推定されるパーリ語で書かれている。

それがラテン語のような高級文章であるサンスクリット語になり、アビダルマ教学、瑜伽行唯識学派によって哲学化していった。

それが中国語化され、中国思想と融合し、そして日本語にされ、理性だの智慧だのと言われるようになった。

それらの概念は釈迦没後数百年後の弟子たちが作った概念にすぎない。