そもそも、「心」の変化を論じるのなら、どこかに基準点を設けないとね。

それと「心」が「心」の進化云々を論じるって、どんなもんかねぇ。
論じる「心」がその論じられる「心」なわけでしょ?

「心」は人間の進化の過程で生存に適するために造られたって言うけどね。
と仮定すれば、作られた時よりその「心」は生存に適するために変化を遂げたか?

そりゃ科学や医学、いろいろな学問が発達し、生存に適する環境は整ったけど、
とどのつまり、根本的な存在の問題についてはどうなのかねぇ…

これから先だって、AIや臓器移植、人口生命体等、根本的な存在に関わる
新たな問題に直面すると思うけどね。