>>229
悟りに関心のある人であなたと同じ勘違いをしている人は非常に多いですね。

「もろもろの欲がなくなることが悟り」だと思うのは全くの間違いです。
一休禅師も奔放な老いらくの恋を楽しみながら晩年を過ごしました。
昔、清水寺の貫主(かんす)だった方は80歳を過ぎてから子供を作って話題になったものです。
性欲というものは人によって煩悩になったりならなかったりするのです。食欲と同じです。
見る人の性欲が煩悩の場合は、良寛さんや一休禅師が悟っていないと見えてしまうのです。
(他人を見る時も自分の煩悩が投影されてしまうからです。)