低俗な環境に適応することは、無能感を抱えた人間にとっては楽なのかもしれないが
かといってそれを正当化し知性や教養に反発するようになれば、本人は堕落へと進み、生きる理由を見失うことになってゆく
一部の知識人らが「反知性主義の蔓延」などと指摘されるのを目にするが、同様に感じる人間も少なくないはず、と思われる

つまるところ自己評価の低さにその根があるのだと思うが、個人レベル、社会レベル両方の視点で改善出来ることはないだろうか?
しかし、またそれを実現するとなれば、たとえばビジネスでの不均衡を生じさせる原因やメディア側の人達等の不利益につながるようなことになってしまうのだろうか?
であれば、「精神性」と「利益」の向上の両立を模索する術はないだろうか?

この人生相談版でも「しにたい」「なんのために生きているのか」などのスレッドが目につくが、そういった問題を抱える人々の心理や環境とも無関係ではないと思われるのだが
やはり人間社会においても「淘汰は止むを得ないもの」なのだろうか?