「カントがもっぱら矛先を向けたのは、外形的に適法的行為=義務に適った行為を完全に成し遂げながら、同時に自己愛という動機に支配されている人間である。彼らは、社会的に「賢い」からこそ、より危険なのであり、社会的に報われているからこそ、より悪いのである。」
つまり、(悪)というのは潜在的に一般の「善良な市民」でさえ犯しているものなのだと。
ここでの悪は決して社会からの逸脱に目を向けたものではないということです。

「幸福の追求がこれほどまでに強烈であるからこそ、道徳法則はそれに見合うほどの威力をもつ必要があり、ひっきょうその倫理学は厳格主義にならざるをえないのである