>>179
泥棒の事例ですが、彼は二つの行動を起こしていて、それぞれを評価すべきでしょう
まず盗んだことは当然ながら悪です
しかし、それを善意の元に人に与えることは善と言えます
従って悪と善をそれぞれ行った、が答えになると思います
行為全体を通して善悪二元論で論じようとすると答えが出せません
なぜなら、彼の行為の構成要素に善悪双方が含まれているからです
無理やり考えることは可能ですが、そこは多様性の話になります
掛け算のように考えてしまうなら悪ですし、目的を重視するなら善です

善人を育てるのは幼児期での強力な教育しかないと思います
社会の単位は小さくし、生活は素朴であるべきですし、外敵や天然災害なども無い方が良いでしょう
これはアボリジニーの社会ですね
このような社会では基本的に悪は育ちようがありません
しかし、そんな社会では文明文化は発達しませんから、それを認められるか?では無いでしょうか?

席の話ですが、おっしゃる通りです
ちょうど最近良い例を見ました
8歳くらいの女の子が、70て前くらいの女性に席を譲ろうとしましまが彼女は頑なに拒みました
興味深いのは、そこで終わらず女の子も諦めません
二人してずっと立っています
最終的には女性が諦めたのか席に着きました
この女の子は善か? といえば善です 何故なら、女性を気遣った上での行為だからです
この女性が感じた迷惑な心情は、善でも悪でもなく、ただの迷惑な感情です
それをもって女の子の行為を評価すると、再び善悪の定義が出来ず多様性の名の下に善だ、悪だという意見が溢れるでしょう
また、前提となら善悪の定義が曖昧ではそもそも話はまとまりません

哲学的な思考を好むのであれば、多様性に陥るところと、厳格に回答が出来ることを分けるべきです
でなければ常に答えが出せずカオスに陥ります
私が思う限り、あなたは善悪を自分の内部で定義しきれないでいるように感じます
多様性の罠とでもいうべきでしょうかね
色々考えていらっしゃると思いますが、最後は一本化した価値観を作るべきでしょう