>>160
恐らくあなたは人間の行為において悪意の有無を重要視しているように思った
悪意がなければ悪ではないなら、善意で殺しまくった植松は善になってしまう
それを認められなければあなたの考えに賛同しようがなくなる

確かに法律では悪意の有無が判決上の重要な判断材料とされるため、悪の構成要素に悪意は大きなウェイトを占めているのは事実
では、極論的に悪意をもって悪とするならば悪意の有無はどのように判断するのか?
人の内面とはとてもおぼろげなもので、明確な悪意の有無など分かるわけがない
悪意はそれそのもので独立している状態では悪意であることさえ証明できない
結果的に悪意を判断する上でもその人の行為、悪行が評価される
悪行と悪意が合理的に一致した状態を悪と呼ぶべきだろう

まぁ、ある種の問題提起をしているとは思うが、あなたの考えは基本的に極論すぎるように思う
物事の事象のある側面だけを抜き取って拡大したものを全体であると言っている
例えるならジグソーパズルの一部だけを拡大コピーしたものを見せてこれが完成だと言っているようなものではないかと思う