涙が出るほどいい話 5粒目
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1 :さくら餅 :04/03/11 16:34 実体験はもちろんテレビや本などで知った話、 涙が出るほどじゃなくても、ジーンとくる話、ほんわか話等 聞かせてちょ。 ご無沙汰しています、さくら餅2です。 このたび過去スレを作っていただいたので、ちょっとだけ復活します。 このスレもどれくらいもつかわかりませんが、 ここは過去スレを読んだ感想などに使ってください。 もちろん新しい話を書いてもけっこうです。 さて、住人の皆様の目にとまればいいんですが……。 涙が出るほどいい話 http://request2.2ch-library.com/07/life5.2ch.net/healing/1078990472.html 涙が出るほどいい話 2粒目 http://request2.2ch-library.com/07/life7.2ch.net/healing/1098118467.html 涙が出るほどいい話 3粒目 http://request2.2ch-library.com/07/life8.2ch.net/healing/1112099908.html 涙が出るほどいい話 4粒目 http://request2.2ch-library.com/07/life8.2ch.net/healing/1179008337.html 4粒目は意味ないんですけど、立てた人に敬意を表して一応。 荒らし厳禁。 煽り・荒らしは完全無視&放置して下さい。 書き込む前に読んでね http://info.2ch.net/before.html 削除依頼(入口)@2ch掲示板 http://qb5.2ch.net/saku/ 悪質なコピペ荒しへの対応について http://www.2ch.net/accuse2.html >>261-262 叩くのは>>199 だけにしなさい 仲間割れするとスレがゴタゴタになるだろ >>263 同意 ここは>>199 を叩くスレなんだから他の話題はよそでやれ うち、数年前からイタリアンやってるんだけど一時期かなり経営がやばかったの。 嫁と二人で「もう限界かな・・・」なんて話してたら娘(当時三歳)が何かを察したのか 「お父さんがグツグツして、お母さんが運んで、◯ちゃん(娘)がいらっしゃいませする!で、△くん(息子。当時一歳)が食べるの!」って言い出した。 そのやり方では儲けが出ないな〜とか思いながら嫁と二人で大笑いして、でも二人とも 「もう少し頑張るかw」 って気持ちになって何とか盛り返したよ。 ありがとう娘よ。 いい娘さんですね! うちにも幼児がいるが、無邪気さが一番元気づけられる。 >>265 >>199 乙 ストーキングではなく断罪です制裁です粛清です >>199 これだけレスが付いても尚、自分の人間の小ささを分かってないのかな? まぁ頭悪そうだし一生理解できないだろうねw >>272 だろうね 縦しんば理解できたとしても同じ失敗繰り返しそうwww 今飼ってる犬が悔やまれますのう(-人-) 流れ見てホッとした こんなので感動する奴が一人でもいるとか日本終わってんだろw >>274 そーか?199のスレ見て激怒してるやついて 逆に俺はホッとするな。 誰か>>199 の住所特定できない? 死ぬまで嫌がらせさせた方がいいわ >>276 お前の中では 犬>>>>>>>越えられない壁>>>>>人間 なんだな >>277 =>>199 そんなに犬が嫌いなら飼うなよ可哀想に >>199 フルボッコざまぁwwww おまえらもうそのへんにしてやれよwwwwwww >>283 いややめないw すっかり糞スレになっちゃったなー 誰のせいだろうねー? 今朝起きたら、チンポが27センチに大きくなっておった 涙が出るほど嬉しかった 書き込み失礼します 私のいとこの兄の優しさにうるっときたので 家族自慢ですがwww 初めて自分こと話すので支離滅裂かもしれませんが大目にみてくださいwww 私には歳が4つ離れたいとこの兄がいます 昔から家が近所だったこともあり、お互いを「お兄ちゃん」「○○ちゃん」と呼び本当の兄弟のように育ってきました 10歳くらいの夏休みのときのことでした いとこの家族は夏休みを利用し中国に2週間ほど旅行へ行くことになりました 私はいとこが遠くに行ってしまうことを嫌がり「お兄ちゃんと行く!」と飛行機の直前までタダをこねて私といとこの家族を困らせましたが、いとこが「大きくなったら一緒に行こうね」と宥めて渋々私はいとこ家族を見送りました いつも一緒に遊んでいた兄が旅行に行ってしまい、暇を持て余した私は絶対に近付いては行けないと言われていた近所の工事現場に入りこんでしまいました >>290 つづき しばらく工事現場で遊んでいたのですが、そこから先は記憶が曖昧です 後々周りから聞いた話だと、土砂の生き埋めになってしまい、その時のショックで記憶が曖昧になってしまっているらしいです 目が醒めて初めて見たのは見知らぬ真っ白な天井でした 私の意識が戻ったことに気付いた両親は私の目の前でおお泣きをはじめました ふだん厳格で涙なんて見せない父までボロボロと涙をこぼしていました 幸い、工事現場の方が私が埋められた際の悲鳴の悲鳴を聞いたらしく、すぐに救出され命に別状はなかったのですが、 脳に障害が残り半身不随や頭痛、吐き気、心の障害としてパニック障害と可呼吸の発作が残ってしまいました いとこは私が工事現場に入りこんで事故にあったことを自分のせいだと思ったのか、その一件から私にべったりになってしまいました それでも年齢を重ねるうちにだんだんとお互いの距離が離れていき、最近までほとんど連絡もないままになってしまっていました 書き溜め終了したのでこっから遅いです(´・ω・`) >>291 つづき そんないとこから昨日電話がありました 「明日夕方家に行ってもいい?」とのこと とくに断る理由もなく、二つ返事でOKしました そして今日の17時頃、両手に大量の紙袋を下げたいとこが家に来ました 私「なにその荷物www夜逃げでもしてきたの?www」 い「違うしwwwお土産だよwww」 ひとつの紙袋の中を見ると沢山の香辛料 私「なにこれ、カレーでも作るの?www」 い「うーん、おしい!」 彼曰く、つい一昨日まで中国に出張していて、そのお土産の山なんだそうな 私「それにしても多過ぎwww」い「昔一緒に旅行に行こうって約束したのに、○○ちゃんは旅行に行きづらい体になっちゃっただろ?」 い「だから気分だけでも味わってもらおうと思ってwww」 >>292 つづき 約束した私自身もう忘れてた約束をいとこは覚えていて、それが果たせないと思ったらわざわざ大量に中国の物を買ってきてくれて… 不覚にもうるっと来てしまって慌てて後ろを向いたら「お?泣き虫○○がまた泣いたか?www」ってwww うるせーばかwww誰のせいだwww そのあと色々な話をした 今までの距離を埋めるかのように小さい出来事、大きい出来事、嬉しかったこと、悲しかったことを沢山話した >>293 つづき 夕飯時になり、半身不随の私にかわっていとこが夕飯を作ってくれることになった 中国で買った物を使って中国で知人に教わった料理を作ってくれた トンリャー(?)の酢豚と小籠包 どんだけ本格的なんだとwww ほかにも色々作ろうとしてたけど流石に食べ切れないので流石に止めたwww とくに酢豚が美味しかった! になんだか凄く珍しいお肉を使ってるらしく、とても高かったんだそうな 柔らかくて、パインが入ってないのにほのかにフルーツの香りがした 「何の肉?」と聞くと「うーん、特別な豚みたいな?」との答え もしや犬肉か…と思ったけど私の思い過ごしだったらしいwww だって酢豚食べるときにニヤニヤしてるんだもんwww 多分自信料理だったんだろうなぁ 昔から私を喜ばせようとするときはニコニコニヤニヤしながら私の顔を見てたからなぁwww >>294 つづき 夕飯のあとにはデザートまであった オギューチ(?)ゼリーとやら サッパリして美味しかった いとこは多才だなぁ… 「シェフにでも転職しろwww」 と言ったら 「俺は○○ちゃんの為に料理覚えたんだよwww今日の料理も体にいいやつばっかだしなwww」 「沢山食べて体治していつか旅行に行こうな」ってwww お前は私の彼氏かwww もう嬉しくなっちゃって我慢してたのに結局泣いてしまったwww もういとこは私を茶化さず私の頭を優しく撫でてくれた >>295 つづき と、こんな話です あんま面白くないですなwww まだまだ沢山食品があるのでしばらくは中華料理ですwww 今夜はいとこと朝まで飲みあかします いとこが作った特製のおつまみでねwww 太らないか心配だwww 優しいお兄さんだね。 幸せのおすそ分けありがとう。 俺の祖父が認知症だ。 俺が誰なのかもうわからない。毎回見舞いに行くたび俺を見ては「だれですか?」と聞いてくる。 しかし、俺の息子を俺だと思っているらしくとてもやさしい顔で俺の名を呼びながら頭をなでる。 それはとても綺麗でほのぼのとする光景で・・・・ 自分がどれほど愛されていたのかが痛いほどよくわかる。 毎回涙止まらない・・・・もちろん嬉し涙・・・・ 帰宅してからセンズリ始めてかれこれ4時間くらいになる。 今も全裸でアナルにディルドぶっ込んでいて 右手でしごき、左手でキーボード打ちながら書き込みしている。 3日ぶりなのですぐにイキそうになったけど イク寸前のあの気持ちよさをたくさん味わいたいので 数え切れないほど寸止めしている。しかしもう限界だ! 玉が上がりっぱなしになっていてさっきザーメンが少し漏れてきた。 Highになっているので手ですくい舌で舐めてみると 苦くて鼻から特有の匂いが突き抜ける! あー最高だよ俺のザーメン!!! もう玉袋ん中で暴れるザーメンをどうすることもできない! かなりの量が出てきそうだ! 射精しないと気が変になりそうなので この書き込み終わったら5分以内に 仰向けM字開脚の格好しながら射精します!!! ではディルドとペニスの高速ピストンに入ります!!! トイレ掃除のおばさんに小便中のちんぽを見られた。 ふふふ、と鼻で笑っていた。 本人から笑い話にしてもいーよと言われてるので書きます。 先日、友達の女の子の結婚式に招待された時の話。 本人から聞いたのか、共通の友人から聞いたのかあやふやだけど、その子は物心つく前にお母さんが亡くなっていて、 父親に育てられたみたいな話は耳にした事があった。 式後に聞いた話だけど、何かの映画か小説かであった、余命を知った母親がまだ小さい子供のためにビデオメッセージを残すみたいな事を その子の母親もやってたそうだ。 と言っても何百本もって訳じゃなく、絵本を読み聞かせるビデオや、小学校卒業ぐらいまでの毎年の誕生日メッセージぐらいだったらしい。 その中にひとつ、「娘が結婚したら一緒に見て」と父親が渡されていたビデオがあったそうだ。 思い出して辛いのか、友人の父親はあまりビデオを見たがらず、祝福してくれる皆とならって事で、結婚式でそのビデオが流れる事になった。 2人もそのビデオを見るのは初めてだったそうだ。 そんな説明を少し司会者がしてたものの、旧友との話に花が咲き、お酒も入って軽く聞き流してた所でビデオが流れ始めた。 自分と変わらないぐらいの年の綺麗な女性が映り、「○○ちゃんおめでとー!」ってクラッカーをパーン!と鳴らす。 「○○ちゃんは何歳で結婚したんだろう?きっとママに似た素敵な女性になってるんだろうねー。」と、アットホームなホームビデオって感じ で、ほのぼのVTRが流れる。 時折冗談を交えて、しんみりする雰囲気じゃなく、新婦も招待された人達も笑顔で見てた。 5分くらいメッセージが続き、ビデオの中の女性は言葉を探すようになり、そろそろ終わりかなと思った頃、「後・・・」と少し間が空いて、 「最後に、○○君(新婦の父親)、○○ちゃんを立派にお嫁に出してくれてありがとう。」 娘に宛てたメッセージとはまた違う、凄い優しい笑顔になって、メッセージは続く。 「○○君の事を愛してます。」 「きっと、お腹が出ちゃってる○○君を、もしかすると頭が寂しくなってるかもしれない○○君を、今でも愛してます。」 「いつかおじいちゃんになる○○君も、ずっと愛してます。」 少し俯いた後、照れくさそうな顔をして画面に手を伸ばす女性が映り、ビデオは終わった。 ほのぼの雰囲気だったのが一変、式場は静まり返って、みんなプルプルし始める。 そんな中、堪えきれなくなったんだろう、突然新婦の父がテーブルに突っ伏し、口を手で塞いで嗚咽を漏らしだす。 新婦も涙で顔をくしゃくしゃにして駆け寄り、突っ伏した父親を抱きしめて大号泣。 つられてほとんど全員と言っていいぐらいの女性客が泣き始め、男性客も涙こらえるのに必死。 妙な雰囲気に子供が大声で泣き出し、まるで葬式のクライマックスみたいなカオスな状況にw そんな状況をまずいと思ったのか、司会者が「本当に素敵なメッセージでしたー。引き続きお食事をお楽しみくださーい。」と〆にかかる。 暫くお通夜状態だったものの、徐々に平穏を取り戻し、ようやく元の結婚式らしい雰囲気に戻った所で新婦父の挨拶に。 新婦の父は明るいガテン系って感じで、あまり人前で泣くようなキャラじゃないんだろう、失態を見せてしまったと思ったのか、妙にテンシ ョン高いスピーチを始める。 最後は「私も○○(新婦母)を愛してまーす!」と新日の棚橋パフォーマンス(知らない人ごめんなさい)で若干会場を引かせたものの、 照れ隠しに無理してテンション高く振る舞ってるのを皆分かってて、何とも言えない良い雰囲気で式は終わった。 ずっと鳴り止まない拍手と、新婦より幸せそうな新婦父が印象的だった。 色々あってちょっと疲れたけど、この結婚式は一生忘れないと思う。 今、難病治療中。いつ大発作が起きて死ぬかはわからない 初めの結婚から暫く後に暴力や過労いろいろあり病気に、3年間ちょっとに何回も救急車で運ばれた。 「誰かに話したら、実家の家族を殺す」 と脅されてて誰にも言えなかった…明るくちょっと疲れただけだとごまかしていた。元夫達は仮病だと見張りをして治療もさせてくれなかった。 何回めかに運ばれた別の病院で医師から 「身体も心も弱りきっています。このままだと娘さんは危ない。実家に連れ帰ってください」 こっそり呼ばれた両親は告げられたらしい。 気づいた時には子どもと一緒に実家にいた。 初めて全てを話した 今は亡き祖父は 「○○(私)子どんだけは離すな。爺ちゃんがやった道具は気にするな。子どんだけ連れて他は捨てて帰ってこい。生きろ」 それだけを繰り返した。 みんなが 「大丈夫守る」 と… 2週間後 「働けない嫁はいらん。勝手に出て行ったから慰謝料、養育費は払わん」 留守電に元夫や家族からその他凄まじい脅迫に加え離婚届が郵送されてきた。 離婚してからは元夫のストーカーが始まった。 一度仕事からの帰宅中に監禁され暴力や暴行も 警察にも相談したが元夫婦だからと相手にされなかった。 通院し始めた病院で精密検査を受け、一生涯治らない病気とわかった。 数年後の今…病気と戦いながら治療法を探している 子ども達は私の病気を気づかいながらも小学中学年すくすく成長している。 引っ越した今もどこから調べたのか非通知もやいろいろある。 2年前友達からの紹介で知り合い、助けてくれた人がいる。子ども、病気、障害者手帳を持つ私。全てを受け入れて結婚しようと言ってくれる人と出会った。 子ども達が「お父さん」と呼び本当の親子みたいにしている。 子どもを一番に考える人。 男性を信じられない怖がっていた私達にずっと付き添ってくれている。 「私はまだまだ死ねない。」そう前向きになれた 今私達親子は穏やかな笑顔を取り戻し毎日を頑張っている 亡き祖父やいろんな人に迷惑や心配をかけ続けてきた。 恩返しが出来るようにこれからは生きていくつもりだ。 いつかわからない最期の瞬間には 「幸せだった。ありがとう」 そう伝えたい。 病気でぼろぼろの身体だが…臓器移植のドナーカードに登録した。 使えるところは全て誰かの為に使って欲しい。 誰かに幸せが届られたら…そう願う 長文乱文失礼しました。 >>>311 様や他の皆様に 不快感を与えてしまい申し訳ありませんでした。 消えます。 >>307 こっちまでもらい泣きした・・・いい話だね >>312 いやいやいやいや、 たぶん>>311 は、前の旦那やその家族が失礼だと言ったんだと思うよ 素敵なご両親とお子さん、そして理解ある素敵な人に巡り合えたんだね 良かった 少しでも体の様子が安定するといいね 警察は役立たずな対応が多いけれど、実被害がある場合は動いてくれる人もいる 引っ越して管轄がかわってるのなら、もう一度相談してみるのもいいんじゃないかな 久しく見てなかったけどウルッときた。 >>307 すごく素敵な結婚式だったんでしょうね。 >>308 人の幸せを願っている308さんに、なにより幸せになってほしい。 携帯からですみません。 今月18日に入院&手術予定の既婚者です。 病名は子宮内膜症で、卵巣にチョコレート膿疱(?)があり、それを摘出する手術をします。 術後は子作りも出来るそうですが、夫婦で話し合った結果、子供は諦めることにしました。 先日実祖父の所に遊びに行った際、「入院するなら前開きが出来るからこれ…」と祖母から綿の浴衣を渡されました。 何でも私の母が私や妹を身籠っている時に使った浴衣だそうで。 物持ちの良い祖母は、いつか私が妊娠した時にでも使えると思い置いていたそうです。 私は残念ながら祖父や祖母に初ひ孫を見せてあげる事は出来ませんが、妹が結婚し妊娠した時にはこの浴衣を渡そうと思いました。 受け継がれる物って良いなあと思った出来事でした。 長文&駄文失礼しました。 25才のニートです 起きてはネットゲーム、オナニーにネットサーフィン 唯一まともらしいことは高校時代からの習慣のランニングでした。 ある日のランニングの最中何気なく子供に「こんにちわ」と声をかけられました。 都市部に済みニート生活をしている自分に声をかけてくるような人間はいません。 携帯電話も過去の恐怖からさわることができませんし。 この子供を見て俺は俺はなにをしているのだろうかと思いました。 この笑顔を曇らすような存在ではありたくないと思うようになりました。 全ての過去の出来事を親のせいにし自分の非を考えてみなかった自分ですが 少しだけ自分の非だと考え前を見て進もうと思います。 ファンタ緑茶が全知全能の神と闘い続けている件をご存知の方おられますか? 大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。 島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、 心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、 まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。 教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。 そればかりか、イジメに加担する教師もおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、 そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、 どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて 大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され へんかったら、永久に行方不明のままや。 島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。 http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf こないだ病院に行った時の話。受付を済ませて呼ばれるのを待っていた。 自分の前の列にスマホをずっと見ているお姉さんが座ってた。 綺麗だけど個人の小さい病院で、 ドアが自動ドアじゃなくて手で引いたり押したりするタイプのドアだった。 松葉杖をついた足に障害を持ったおばさんが来る ↓ なかなかドアが開かない ↓ みんな瞬間に見たが誰も立たないていうか立てない ↓ スマホのお姉さんがその瞬間持っているものをガサッと脇に置いて超特急でドアに寄りそっと開ける すげえ速い ↓ おばさんやわらかい顔で「すみません」 ↓ お姉さん「気付かなくてすみません」 普通のことなのかもしれんが人が人に親切にするのを見てなんだかほんわかした DQN返し板にあったやつ 192 :名無しさん@HOME:2007/10/17(水) 20:31:57 0 なんか冗談みたいな展開ですが。 何かというと「離婚よ離婚!」が口癖のトメ。 ウトさんがトメの気に入らないことをすると「そんなんじゃ離婚よ!」 私が何かしても「それじゃ離婚するしかないわねえ」 それさえ言えばまわりがビビって動くマジックワードだと思ってるらしい。 先日、用があって義実家へ行った。 夕食は寿司を取ったのだが、食事が終わって本題の為の書類を広げるのに、 食卓が狭かったので寿司桶を重ねて脇へ寄せた。 「あ〜ら〜片付けもできないのね、出前の桶は洗ってから返すものよ。 そんなことも出来ないなら離婚しかないわねえ」 ほぼ予想通りのセリフだったので、にっこり笑って緑の紙を出した。 「残念ですけど、ご本人の意思が大切ですものね。書き方も聞いてきましたから」 鉛筆で夫欄にウトさん、妻欄にトメを下書しておいた。 「なっこれどういう意味!」 「だって今トメさんが片付けも出来ないなら離婚っておっしゃったから… そりゃあその家の主婦が片付けも出来ないのはどうかと思いますけど、そんなに自分を責めなくていいと思うんですよ? でも、前からよくおっしゃってるし決意固いのかと思うんです」 「まさか息子とはいえうまくいってる他人夫婦に離婚奨めるような非常識な方はいないでしょうから、 ああこれはトメさん思いつめてるなと前からお気の毒だったんですよ」 もっとイヤミ言おうと思ってたんだが、ふと見たらウトさん、自分の欄記入してたw 書きながら、ウト「毎日言われてるもんなあ俺…退職して家にいるようになったからトメも疲れるんだろう? お互いのペースが違うからなあ。一度別居して、外でデートするところからお互いもう一度やり直すのもいいな。 トメがいなくなったら家事の辛さや有り難さも俺にもわかるだろうし、トメも一人で暮らしたら俺を懐かしく思ってくれるだろう。 そうしてデート重ねて、俺、もう一度トメにプロポーズするよ。 息子も一人立ちしたんだ、親じゃなく男女としてもう一度やり直そう」 聞いてて私もウルっときたけど、トメ号泣。 結局離婚届は使わず、ウトメは人もうらやむラブラブっぷりになり、 トメはウトとのデートに忙しく、ウザさはすっかりなくなりましたとさ。 193 :名無しさん@HOME:2007/10/17(水) 20:33:41 0 なんじゃそりゃw 194 :名無しさん@HOME:2007/10/17(水) 20:34:06 0 誰がちょっといい話を求めたと言うんだ 195 :名無しさん@HOME:2007/10/17(水) 20:34:53 0 ウトさんいいじゃんw 涙が出るほどじゃないが、ほんわかした話を投下したいと思います。 長文、失礼します。 ダック飼育話です。 俺が24才の頃のこと。 父「アヒルを飼おうと思うんだ」 何を言ってるんだこの人は。とスルーした数日後、父さんマジでいきなり買ってきた、しかも2羽。 父「1匹じゃ可哀想だろう?( ̄ー ̄)ニヤリ」 …あの時無視せず話を聞き、止めるべきだった…大後悔。 どうしてくれる!?アヒルだぞ、どうすんだコレ!? 声を大にして言いたい。 生き物を飼うって、大変なんだよ!? 母さん姉ちゃん俺で緊急家族会議。その間、父さんにはアヒルを見ててもらうことに(暇ならついでに鳥の数え方も覚えて欲しかった)。 とにかく返品は無理(父さんそこは絶対譲らない)。 じゃあ、まぁ、飼うか!俺と母さんは腹を決めた。犬も飼ったことある、なんとかなる! 姉「私あんまり興味ないなぁ〜」スタスタバタン 姉ちゃん2階へ、戦線離脱。 てんめー、このやろー、ちくしょー、可愛いのは哺乳類だけかい。でも気持ちはわかる、20代後半の婚活女性がアヒル育てて何になる。 ともあれ、俺と母さんがメインで世話することに。 ノルマ、1人1羽。 無理だろっ。 ちなみに父さんはアテにしていない。犬の時もそうだったのさ…。飽きてしまうのさ、あの人は…。 父さんが買ったアヒル本を読みながら飼育開始。まずは屋内犬ならぬ屋内アヒル。 結構簡単だった。大きい段ボールの上半分を切って外し、中に新聞紙と藁(みたいなの)を敷き詰め、水と餌をセットして終了。 あとは、会社から帰った母さんなり俺なりが、糞まみれの藁、水・餌を新しいものに入れ替える。 で、母さんは飯の支度。 俺は段ボールから出したアヒルをシャワーで洗い、湯船で遊ばせ、更に室内で遊ぶ。 後から帰宅する姉ちゃんも一緒に遊ぶ。 父さんの帰りは遅いので、なかなかアヒルと遊べない。 両手の平で持ち上げると、 クァ♪クァ♪クァ♪ 見ていて気持ちいいほどよく食べ、よく走り、コテンと転ぶ。長い首をキョロキョロ。 うーん可愛い。これがアヒルか。 甘かった。 まだほんの子供なのに「両手の平」。ちょっとゾクッとするこの現実。 アヒル達はスクスク育った。 黄色だった体毛は純白に変わり、首も立派に伸びた。 「大人になったね、おめでとう♪」 更にメキメキ巨大化した。 「オオキク…ナッタネ…」 食欲は旺盛というか…見ていて心配になる食いっぷり、詰め込みっぷりだった。 そんなに急いで食べなくても…(・・;) そんなに食べたらお腹破裂しちゃうよ…(・・;;) 俺「父さん、ジョン(今更だがなぜジョン?)がすごい食べるんだけど、これ平気なの?」 父さんは世話はしないが、本から知識を得るのは得意だった。 父「食事の摂取量に厳しい制限はなかったな。大丈夫だろ。大百科5章に書いてあるよ」 さすが。 俺「サンキュ、見てみる」 5章…5章…あった。 【5章:交配のやり方】 俺「………」(何か言う気が失せた) そして彼等は大人になった。 その頃にはもう、家の中で飼うのは不可能になり(彼等がデカ過ぎた)、庭に転居してもらった。 小学校の鶏小屋を思い出しながら、彼等用の大きめの家を作った(俺日曜大工得意)。 この頃から、俺は彼等をアヒルではなくダックと呼ぶようになった。 アヒルちゃん♪と言うより、 ダックだぜ! This is a Ducks! なんか強めのその語感が、大人って感じがして気に入っていた。彼等を一人前として見るようになった。 デカくはなったが、可愛さは変わらない。声をかければ2羽とも寄ってくる。全力疾走で。 餌をあげればよく食べる。毎回心配になるが。 結局のところ鳥なので、犬のようにしつけることは難しい。 俺「こいつら鳥頭だから、あんまし物覚えらんないしバカだけど、愛嬌あるよね」 姉「鳥にしては利口じゃない?」 俺「いやー、俺がニルスなら毎日説教くれてるね」 姉「アニメの話?ニルスと旅したのはガチョウなんだけど」 俺「……」 ある日、姉ちゃんとダック達が並んで庭を歩く後ろ姿をぼんやり見ていた。 いっちに、いっちに、ヨチヨチ歩くダックと姉ちゃん。 ダックは尻を左右に振って歩く。姉ちゃん、ちょっと太ったな。 いっちに、いっちに…。 …ブフゥッ 俺「お前、ダックだー!ドナルドだー!ギャーハハハ!」 姉「はぁ?」 俺「ケツ、デカ!歩き方同じ!ウハハハ!」 姉「…」 俺「ダック北村!(ウチの名字だと思いねぇ)」 指差して腹抱えて爆笑したら、姉ちゃんに打ち下ろしのビンタもらって転んだ。 またある日。 姉「水鳥なのに水辺が無いのは可哀想だね。どうにかならないかな」 お前はのび太か。で俺はドラえもんでも一休さんでもない。が、言ってることは最もだ。 なので庭に巨大な穴を掘り、ホームセンターで買ったプラスチックの池を入れて、無理やり水辺を作った。これで満足かのび太。 アヒル達は池を気に入ってくれたようでプカプカ浮いてる。 俺は池に、買ってきたドジョウを放した。ダックは一瞬で平らげた。ちょっとは遠慮しろ、とも思うがこの全力っぷりが可愛い。 でもその頃から、ごめん、と思い始めていた。今さらだが。 後日、家族会議の結果、車で○○沼へ。 ドアを開け、沼のほとりに下ろしたダック達は、一目散に沼に走ってドボン。 全力で泳いで遊ぶ。何やらモシャモシャ食べている。 よし、ちゃんと食えてるな。泳げてるな。 大きな水鳥を2羽、あんな狭い庭で飼うのは間違ってる。ろくに羽ばたけないし泳げない。 俺がダックだったらそんなの嫌だ。姉ちゃんも同じ気持ちのようだった。母さんも賛成した。 俺達はダックを沼に放すことにした(多分いけないことだと思う、関係者様申し訳ない)。 広い沼にいる他のダックの所に、ウチのダックがスイスイと泳いで近付く。 既に大分遠いが、特に喧嘩もしないようで、すんなり群れに合流。挨拶かな? そのままダック達は、遥か彼方に行った。 もう見えない。 車のドアを開けてズダダダドボンスイスイジャブジャブバササササ…何か声をかける暇もない。 彼らは最後まで全力疾走だった。 俺、姉ちゃん、母さんはしばらーく沼を見ていた。 母「…一度も振り返らないのね」 ダックの食を一手に引き受けていた母さんの言葉は重かった。 いくら待っても何も起こらない。俺達は帰路に着いた。 さようならダック。 車中の会話。 姉「鶴みたいに、恩返しとか無いんだね」 俺「命の恩人じゃないし。単に金払って買ってきただけだし」 その買ってきた父さんは見送りに来なかった。父さんなりにダックへの思いもあるのかな。 嵐のようなダックとの日々を思い出す。 あんなことした、こんなことした。 また飼いたいとは思わんが、楽しかったな♪ 数々の思い出の中…。 うーん。 父さん、ほとんど出てこないなっ。 以上、ダック飼育話、失礼しました。 They are ducksだった… 鳥頭はσ(´Д`;)オレカ! 中澤拓哉(なかざわ・たくや) 茗溪学園高等学校, 早\稲田大学教育学部社会科地理歴史専修, 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻 修士課程 旧ユーゴスラヴィア現代史,特に言語政策やナショナリズムについて。 現在は,ポスト社会主義期モンテネグロにおける言語政策について研究しています。 http://twitter.com/nakkhtak http://sites.google.com/site/nakazawatkh/carriculumvitae O・R教授というクソつまらない苦痛な講義で有名な教授 НАКАЗАВА Такуа http://twitter.com/nakkhtak ええ,とても幸運でした。特にうちの学部の教職の授業にはO・R教授というクソつまらない苦痛な講義で有名な教授もいたので…… こんちくしょうあのやろう今度会ったら一度(自重 RT @heero108 まま消化試合になりがちな教職系の授業で、そんな先生にめぐりあえるなんて幸運ですね。 11:37 PM Jun 23rd webから O・R教授への悪口で酒盛りができる。ビール何杯でも飲めるね。 11:38 PM Jun 23rd webから いえ,O村R司教授ですw RT @heero108 まさかO川R法教授だったというオチでは… 11:48 PM Jun 23rd webから 早稲田クラスタには一発でバレちゃうwww RT @heero108 もうほぼ実名ですねwwwRT @nakkhtak: いえ,O村R司教授ですw 2011年6月23日 23:50:28 webから エスニック・マイノリティ研究会 ■■■第34回研究会■■■ 【書評】テリー・マーチン著『アファーマティ ブ・アクションの帝国』第八章・第十章 開催日: 2013年3月1日(金) 集合場所: 早稲田大学9号館前に14時集合 会場: 早稲田大学早稲田キャンパス9号館9階アジア研究機構会議室 報告者: 中澤拓哉(東京大学)・香坂直樹 (跡見学園女子大学) ※いつも違って金曜日ですのでご注意ください https://sites.google.com/site/emstudies/ ようかん もう十五年ぐらい前の話。早稲田の教育学部 に岡村っていう教授がいて、「道徳教育がどーたら」という、教職をとって いる者には必修の課目を教えておられました。その中で、生活保護をうけていて、 本当に貧しかった母子家庭の話が出ました。その母親は、家庭訪問の日、 先生が来るから、というので、自分の食事を削って羊羹をおやつに買って おいたそうなんです。ところが、その先生は家庭訪問の間にその羊羹を食べ なかった。そのまま帰ろうとしたので、母親がその羊羹を包んで、「是非 お持ち帰りください」と渡したらしいんですよ。教師はそれを受け取った のですが、家を出て数メートル行った所のごみ箱にあっさりとそれを捨てた そうです。その羊羹を後で母子が見つけて、はらはら涙を流した・・・っていう 話だったんですが、岡村教授の結論は「こういう人間は教師になる資格は ない」ということでした。いやー、その話、うちも激貧だったもので、 本当に胸に響いたんですよ。大きな階段教室だったんですが、泣けて泣けて 仕方なくて、途中で退室しなければならなくなってしまいました。 岡村先生、どうしておられるんでしょう。結局私も教師になりました。うち は家庭訪問なんてありませんが、あの先生のお話、今でもしっかり覚えて います。泣き出しちゃって本当に申し訳ありませんでした。 http://s.freepe.com/std.cgi?id=locoloco123& ;pn=19 ブロッコリー 晩飯食べてるときに気づいたんだが うちのおじいちゃんが作ってるブロッコリーの芯がなんか細い。 いつの間にか品種変えたのかなーとか思いながら小さいころのことを思い出した。 小さいころブロッコリーの芯が嫌いで残してたらおじいちゃんに怒られたっけ。 うるさいおじいちゃんだと思っててごめんね。 全然大した話じゃなくて申し訳ないけど、 前に私が失恋して落ち込んでた時、職場の年上の主婦の人が珍しく休日に電話してきた。 他愛もない馬鹿話をして、面白かったので大笑いしたら、 「あ、○○さん(←私)が笑ってくれたあ」って言われた。 そのために電話してきてくれたのかと思うと嬉しくて、電話切ってから泣いてしまった。 以前満員気味の電車に乗ってる時にとなりに立ってるOLさんが気分悪そうにしてた 立っていられない状態でふらふらなんだけど満員だから座り込むことも出来ない 席席 席席 男女 OLさん 人人 人人 人人 席席 席席 ↑ こんな感じ すると四人掛け席の窓際にカップルで座ってた男がOLさんをちらっと見たかと思うと急に彼女に 窓際と代わってと言い出した(向かい合って話してたので彼女は気付いてない様子) そしてさっと変わったかと思うと男がOLさんに大丈夫ですか?座ってて下さいと席を譲ってた 彼女も理解したようで鞄から水をだして冷えてないですけど未開封ですのでよかったら飲んでくださいと言ってた 30分ほどでOLさんはカップルにお礼を言って去って行ったがその後のカップルは終点まで乗っていた その後そのカップルは特に話題にすることなく普通に喋っていたが彼らにしてみたらごく当たり前の事なんだろうなぁ と思うとすごくほっこりした 569 名前:名無しさん@HOME[sage] 投稿日:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN 0 婆が保育園の頃(多分3歳か4歳)、小学校1年の兄と外食に行かされたわ 父と母が何日か寝込んで、冷蔵庫が空になったの マンションの向かいの食堂でご飯を食べたんだけど 見通しのいい、小さな道路を渡るだけなんだけど 兄から何度も「手を離しちゃダメだよ!走らなでね!」って言われて 食堂でナポリタンスパとクリームソーダを食べた 兄は何も食べなかったから、「もしかして私がクリームソーダを食べたからお金が足りなかったのかな」って ずっと気になってて、後で兄に聞いたら「無事に妹を連れて帰らないと、って緊張で何も食べられなかった」って笑ってた 食堂の横の雑貨屋さんで、カップスターってラーメンをいくつも買って帰ったわ でもそのカップスターを食べた記憶は無いのよね 1/2 『幸運のきかい』 来る日も来る日も満員電車に揺られ、古新聞の数だけ退屈が増えていく代わり映えのしない日々。 そんなある日のことだった。 独り住まいの安アパートに帰宅し、お湯を注いだカップ麺の時間待ちをしていたそのとき 突然、俺の目の前でピカッと光り、未来からやって来たという人物があらわれると 唐突に『こううんのきかい』だと言って、それを置いて、またピカッと光ると消えた。 「幸運の機械?」 夢を見ていたわけでも、キツネにつままれたわけでもなく 『幸運の機械』だという、それは目の前にポツンと残されていた。 見た目は、一昔前に流行ったルービックキューブのようにも見える機械だった。 恐々だったが、ガチャガチャと動かしてみても何も起きる様子はない。 試しに『幸運の機械』とやらを握りしめ、競馬やら宝くじやら試してみたがどれも駄目。 なにひとつ幸運なんてものは訪れなかった。 ガチャガチャやって全面揃うと幸運が掴めるのかと思っても、いくらやってもいっこうに揃う気配すらない。 なにが幸運の機械なんだ?と捨てようかとも思ったが、幸運を捨てるって縁起でもないなと、思いとどまる。 暇つぶしに会社に持っていくとOLたちが「何これ?」と言って集まってきた。 「こううんのきかい?なにそれ?」と興味津々に弄り倒す。 でもやっぱり何も起きず、誰も揃えることも出来ず、やがて飽きられてしまう。 2/2 皆が興味を失う中、同僚のK子が「これをどうかすると幸せになれるの?」といつまでも熱心にガチャガチャやっていた。 でも、いくらやっても揃うことがなく、毎日のように俺から奪うと休みの時間に飽きもせずガチャガチャと繰り返した。 「絶対揃えて、幸せになって見せるんだから!」 K子はそう言って、あげくの果てには俺の家まで押しかけてきてはガチャガチャ。 今までろくに会話もしたことがなかった。とくに美人ってわけでもなかったが、 知りあってみると料理が上手く家庭的で、そんなK子と俺はいつしか結婚した。 子供もでき、ローンを抱えながら、とくに幸運を掴むわけでもなく 相変わらずの代わり映えのしない生活を繰り返していた。 例のそれは、いつしか子供のオモチャ代わりになっていて 会社から帰宅すると小学生の息子が飽きずにガチャガチャやっている光景を見ては、母親譲りな性格だなと思った。 それからまた数十年が過ぎて、例の『幸運の機械』は引き出しの中にしまったままになっていた。 そして息子も結婚し、5歳になった孫を連れてやってきた。 いつの間にか引き出しから見つけた例のものを孫がガチャガチャやっている。 それを見て、隣りに寄り添っているK子の今では皺々になった手を握り、ふと思った。 「あれ、やっぱり幸運のきかいだったのかもしれないな」と。 『幸運のきかい』 駅前の本屋に行ったら店の前の駐輪場がいっぱいだった。 なので少し迷っていたら自転車を動かしているおばちゃんが目に留まった。 入れるのか出すのかは分からないが 出すなら駐輪スペースが空くので少し離れたところから観察していると そのおばちゃんは自分の自転車を端に寄せて「ここ止めれるよー」と言ってくれたので 礼を言いながら近づいて行ったら、周りの自転車を端に寄せたりして私の置き場所を確保してくれてた。 そういう親切にされたことが何年もなかったのですごく嬉しかった。 名も知らないおばちゃん、優しさをありがとう。 幼稚園の頃から電車が大好きで爺ちゃんや婆ちゃんと毎日のように夕方の帰り際に線路沿いを歩いて駅のホーム間近まで電車を見に行きました。 駅の端の最後尾あたりの車掌がベルスイッチを押すあたりに身構え、電車が到着するたびに車掌に手を振っていました。 どの人も必ずと言っていいほど手を振り替えしてくれたり『こんにちは、バイバイまたねー』って言い返してくれたんです。 それから20年あまり、今では私は車掌から運転士になりました。あの頃のように乗客の子供連れの方が手を振ってくれることもよくあり その度に当時の自分を重ねます。 >>342 そういう些細な親切心がある人はたまに居るよね。 他人同士だと心遣いの少ない時代だから読んでホットした。 >>344 子供のころからの夢を実現させたあなたは素晴らしいと思う。 わたしも運転席から窓を眺めることがたまにありますが運転士さんってカッコいい職業ですね。 これからもお子さん連れの乗客に手を振り返してあげてください。 デイリー○マザキでの出来事。 仕事帰りの日課で肉まんを2つ買って食べ歩くのが楽しみになっていたこの頃。 ある日の夕刻、いつものように肉まんをレジで注文しようとしたが丁度品切れ状態であんまんしか無かった。 仕方なく今日は購入を諦めて帰ろうとしたところ初老の女性から声をかけられ呼び止められた。 『お客さん、いつも肉まん購入してくれてありがとうございます。お客さんが買いに来ると思ってとっておきましたよ。』 俺はえっ?とレジ横の蒸し器に目をやる。なんと、肉まん売り切れましたという張り紙が目隠しになり、ちゃんと2個肉まんが蒸されていた。。。 店長のおばさんに感謝してうれしくなったその日からは挨拶もするようになりました。 肉まんはデイリーオンリーでいきます。 7年前、出世払いを約束して叔父さんから300万円借りたことがあります。 マリンスポーツに嵌っていた時期があり、それらの費用にすべて使い果たしました。 当時あろうことか、就職落ちして浪人状態の中、アルバイトで返済費用を毎月叔父の口座へ入金し 好きだったサーフボードも止め車すら売って生活するなど追い込まれた日々でした。 そんなある日、叔父が体調を崩し入院したとの一報が入りお見舞いへ行くと、自分が想像以上にやさしく応対してくれ なおかつ手を握りながら、帰り際の自分に叔父はこう言いました。「貸した金はもう返済しなくていい、これは俺から○○○への投資のようなもので 例え戻らなくても身内の大切なお前だから諦めがつくし、もったいないとも思わんからな。気にせず仕事しろ」 それから、数日後急変した叔父は亡くなってしまい、叔母さんからこんなことを言われました。 「今まで返済してくれた100万円あまりは、すべてあんたに渡すからね。あの人はそう言って、ずっとあんたの就職を願ってたのよ・・・」 そのばで自分は無言で黙り込んでしまい、叔父のやさしさに心を打たれました。その後、就職も決まり現在に至りますが 懐の深さというか、こういう人に自分もなりたいと思っています。 >>349 就職できたんなら、最低限のお返しはできたね。 叔父さんも、喜んでくれてると思うよ。 やしきたかじんを個人的には好きでも嫌いでもないが、 私の友人でたかじんの人生相談番組に出て 「離婚して子供がいて今職がない」といったら、 たかじんが即座に 「はい、じゃ明日からうちの会社就職。決定。相談終わり!」と、 職を得て今に至る人がいる。大恩人の死に大泣きしてる。 中学時代、転向してから友達ができずに不登校気味だった俺は学期の半数以上を欠席していました。 先生の勧めで教育センター内に設けられた特別学級という、不登校や学校に馴染めない生徒の受け皿に通いはじめ そこで授業を受けることで出席日数が認められる仕組みでした。はじめて母に連れられて行った当日、センター内の一室には 自分と同じ境遇の不登校生徒が8人いました。誰とも会話せずに、センター内の職員(元教諭)から与えられた課題と学校からの宿題を日々こなしていると 連絡プリントの間から一通の手紙を見つけました。丁寧に蝶のリボンのシールで封が閉じられていた封筒を自宅に帰り開封すると 【オンリーワンの○○くんだから自分を見つめて今後学校に来られるようになればいいね。 理由は分らないけれど相談にも乗るし、いつだって見方だからね。元気出してそこでの勉強もがんばって!】という内容が。 この手紙、今も手元にあります。実はこの手紙をくれた子は小学校5・6年一緒で半分付き合ってるような なんというか微妙な両思いの女の子でした。中学が同じだったのですがクラスが別なのにナゼ不登校の事実を知ったのかは分りませんが 全く会話もしばらくしてなかったその子の手紙に本当に感激しました。その後、2年の3学期前には通学復帰でき その子にもお礼を良い、家族と行ったTDLにも招待しました。 33歳の友人が去年9月に飛び込み自殺してその後の法要に参加したんだが 遺品にあった友人らに宛てた手紙を親父さんさんから渡されて計2枚、その1枚1枚のヨレ具合と 汗だか涙だかわからない染みが染み付いて一部は切れていたんだ。 内容的には、生きるのが辛いから悪いけど先に逝ってくるっていう 悩みは金銭的なことが大半らしく、生命保険がどうのって、これで死ぬかお前!って俺は怒鳴りつけてやりたい気持ちになって机を蹴ってしまった。 今思えば、最後にあった居酒屋でのあいつの顔は何処となく憔悴していた感じで受け答えはするものの ひきつれた笑顔にも違和感があった。友達として以前から悩み事は打ち明けあったことがあっても 今回はあいつからの相談はなかった。それからは、2ちゃんや相談スレには真剣に答えるようにしている。 少しでも多くでも悩みを聞いてあげて解決へ導きたいし、死へ向かはないでほしいから。 >>119 とりあえずてめぇは感性ズレてるわ。 ずれてるなんてレベルじゃねぇな。一気に胸糞悪くなったわ。 犬殺した話を感動ものにすんな美化すんな気持ちわりぃ。しんどけks^^ 流れ終わったのに胸糞レスごめん >>119 とりあえずてめぇは感性ズレてるわ。 ずれてるなんてレベルじゃねぇな。一気に胸糞悪くなったわ。 犬殺した話を感動ものにすんな美化すんな気持ちわりぃ。しんどけks^^ 流れ終わったのに胸糞レスごめん 昨年10月14日のことで今でもあの出来事はうれしかったです。 コンビニのレジで前に居たおじいさんが会計で41円足りなかった様子でした。 私がそれくらい出しますと言い足りない分をカウンターに差し出すとおじいさんは深々とお辞儀をして 「すみません、本当にありがとうございます。」と何度も礼を。見た限りホームレスの風貌で衣類も破れて薄汚い格好でした。 店外に出て道すがらに雨が降り出し、急ぎ足で次の得意先に出かけると交差点で自転車に乗ったさっきのおじいさんにまた遭遇。 声をかけられビニール傘を私に差し出し、「これを使ってください、さっきのお礼です。」とおじいさんが使っていた傘を私に差し出しました。 ところどころ穴が空いたり錆付いた持ち手が年期を物語っていて、ボロボロながらに有効に使わせてもらいました。 あのおじいさん、恐らく70歳そこそこだと思いますが、顔つきが優しく今でもよく思い出します。 >>357 いい話をありがとう あなたと同じ真似が出来るとは思えないけれど 心の隅にしまっておきます。 あなたとおじいさんに幸福が訪れますように おれんちの実話。 ある日おれが帰宅すると、 「お父さん!タバコ出して!」と小学校低学年の娘がすごい剣幕でまくしたてた。 わけがわからないままタバコを出すと、 さっと取り上げて駆け出し、一目散にゴミ箱に放り込んだ。 「おいおい何すんだ?」と聞くと、「お父さん死んじゃうよ!」と涙目の娘。 どうやら学校で「タバコ吸うと早死にする」みたいな授業があったらしい。 なんだかとっても温かい気持ちになった。 でも、タバコはやめてないけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる