https://www.yomiuri.co.jp/science/20240218-OYT1T50005/

JAXAや企業の技術者ら数百人のチームを束ねる岡田さんは、
35年にわたってエンジン開発などに携わってきた生粋の「ロケット屋」だ。
失敗を何度も経験する「生みの苦しみ」を味わいながら、日本のロケット開発を長く支えてきた。

愛知県知立市出身。
15歳の時、テレビで再放送された米国のアポロ宇宙船を載せたロケット「サターン5」の打ち上げに目を奪われた。
航空学専攻を目指し、東京大に合格したものの、「周りの優秀さに、勉強する気力がなくなった」。
3年進級時に希望の学科に入れず、「このままじゃダメだ」と一念発起。
一から勉強し直すために留年して念願のロケット研究の道に進んだ。
熱中したハンググライダーの落下事故で、長期入院して留年したことも。
「自分も『弱い人』になったことがある分、失敗した人の気持ちがわかる」。こう自らを分析する。

1989年に宇宙開発事業団(現在のJAXA)に入職後、エンジンの燃焼試験などを担当。
当時は初の純国産ロケット「H2」のエンジン開発の終盤だったが、試験中に爆発事故が起きた。
H2や後継のH2Aの打ち上げ失敗も3度経験するなど、苦汁をなめた。

昨年度末に定年を迎え、1年ごとの再雇用の身となった。
エンジニア人生の最終盤での打ち上げ成功で、「将来へのバトンはつながった」と話す。


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入社して、LE-7の燃焼試験の担当になる。すぐに事故・爆発に見舞われる
H2の引退、H2Aの立ち上げと失敗、H2Bのデビュー、そしてH3の開発プロマネ
これは23年度内の記事だから、初号機失敗の直後に定年になったのか
これは辛い・・ そりゃ泣くわ (´;ω;`)

そして1年毎の再雇用契約を結び、遂に2号機が成功、
エンジニアとしてのキャリアを終え、理事に
これはプロジェクトX化決定だな!